19960325

アジア欧州首脳会議(ASEM)

安保「再定義」に反対し、
「アジアの一員」を明確にすべき時


 昨年来、東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心にアジアが目を見張るような勢いで世界史の舞台に登場してきている。二十一世紀を前にアジアは、数世紀続いた停滞と受け身の失われた時間を一挙に取り戻しているような観がある。
 三月一日、二日、タイのバンコクで開催されたアジア欧州首脳会議(ASEM)は、興隆するアジアを印象づける歴史的出来事だった。ASEANに日本、中国、韓国を加えたアジア十カ国と欧州連合(EU)十五カ国、欧州委員会の首脳、代表が一堂に会し、「包括的なさらなる成長のためのパートナーシップ」をうたいあげた。アジアの側からみれば、米国主導の対話の場であるアジア太平洋経済協力会議(APEC)に加え、もう一つの極を形成する欧州とのパイプを自ら主導してつくったのである。東南アジアの多くの国々は、かつて英国、フランス、オランダなど欧州列強の植民地であった。それらの旧宗主国が若いアジアに救いを求めてわざわざ出向き、「対等のパートナーシップ」を誓った。
 歴史は大きく動いている!
 だが、アジアの中に位置しながらも日本は、歴史を動かしている実感はおろか使命感もないばかりか、ひとり取り残されているといって過言ではない。ASEMに臨んだ橋本首相の存在感はきわめて希薄で、姿勢は中途半端だった。橋本首相の「自立した外交」なるものは何一つ実がなく、国会演説用の空文句であることが、ここでも暴露された。
 わが国の平和で豊かな二十一世紀を切り開くために、対米従属路線の待ったなしの転換が迫られている。独立・自主を確立し、アジアの一員として生きる外交を実現することが国民的な緊急課題となっている。
 
目を見張るばかりのアジアの興隆
 初めてのアジアと欧州の首脳会議は、人権、環境、労働基準問題など困難を予想(期待)する向きもあったが、相互理解推進と関係強化を主軸に討議し、経済交流をはじめ当面の共通利害を最優先しようとする双方の賢明な判断によって、成功をおさめた。
 採択された議長声明は、「パートナーシップは、両地域のつながりを強化し、平和と世界の安定、繁栄に貢献する」と強調、(1)政治対話の強化は、相互尊重、平等、内政不干渉の原則に基づく、(2)国連改革、核軍縮の推進などで協力を深める、(3)「経済関係の拡大がパートナーシップの基礎」で貿易、投資の増強を図る、(4)メコン川流域開発などアジアのインフラ整備で双方が協力する、(5)九八年の第二回会合は英国、二〇〇〇年の第三回は韓国で開催、などの合意点をあげている。
 欧州にとって、ASEMの発足は、米国主導のAPECに匹敵する枠組みができたことで、世界の成長センターへ進出する足場を築いたことを意味する。欧州は輸出面では米国に見劣りしないが、投資では大きく後れをとっていた。
 ASEMの成功は、これを主導したアジアにとってなおさら大きな意義がある。
 第一に、欧州とのパイプ拡大で投資、技術協力のすそ野を広げ、「発展の選択肢」を広げることになった。それにとどまらず第二に、貿易、人権などで一方主義的なやり方をとる米国に対して、欧州という国際戦略上の「新たなカード」を手にし、けん制することが可能となった。米国との関係で戦略的に以前より有利な位置にたった。第三に、こうしたことの結果としてアジアは今後、米国、欧州など大国とより「対等の関係」へと歩を進め、国際政治面でも発言力をさらに増大させることになろう。
 戦後史を振り返ってみても、これほどの大規模な国際会議が米国抜きに開催されることはなかった。もはや一つの超大国が、世界のすべてを決定する時代ではなくなったことを如実に示す、時期を画する事件である。冷戦後の世界は、間違いなく多極化の方向に進んでいる。
 注目すべきは、ASEANや中国、韓国などかつての米、欧、日の植民地国、発展途上のアジアが、多極化を推進する原動力となっていることである。かれらはこの過程で、経済的自立のために相互に連携を強め、日本なども引きつけて、米国が反対している東アジア経済協議体(EAEC)を既成事実化しつつある。
 このアジアの興隆は、世界経済の成長センターと呼ばれるほどの経済的成功、しかも域内での相互依存による自律的発展を基礎としており、七〇年代の産油国の団結と比してもはるかに長期的で深刻な影響を国際経済、国際政治に及ぼさざるを得ない。昨年来のASEANを中心とするアジア諸国の政治的前進は、それを裏づけている。
 昨年七月には、ASEANにベトナムが七カ国目として加盟し、EUをしのぐ人口四億二千万人の巨大市場となった。十二月にはASEANのイニシアティブによって東南アジアのすべての国、十カ国首脳が一堂に会し、「東南アジアのすべての国からなるASEANの早期実現」をうたったバンコク宣言を発表した。ラオス、カンボジアの九七年加盟が確実となり、ミャンマーも時間の問題となって「一つの東南アジア」、ASEAN体制にむけて歴史的な前進をみせた。フィリピンのラモス大統領が「一つの東南アジア共同体に向けた前進は、世界への影響、大国との折衝において、ASEANに無視できない重みをもたらす」と意義を述べたが、その通りである。
 その会議で彼らは、経済面でASEAN自由貿易地域計画の前倒し、域内協力の強化を確認しただけでなく、外交・安全保障面でも独自性を強く打ち出した。
 宣言では、EAECについて「前進に向け努力を続ける」と強調、日、中、韓との団結を強める方針を再確認した。さらに、米国の圧力を押し切って東南アジア非核兵器地帯条約に調印した。超大国の要求や思惑に影響されず、自らの手で地域の秩序づくりを行う意思を世界に示すものであった。
 こうしたアジアの興隆は、十一月APEC大阪会議にも影響を及ぼした。「貿易・投資の自由化のための行動指針」は、米国が目論見通りにならず、「自主的で協調的に」という、アジア諸国の要求を色濃く反映するものとなった。
 今回のASEMは、こうした流れの延長にあり、さらにそれを促進するものである。内部にさまざまな矛盾や困難を抱え、一本調子でいかないにしても、二十一世紀が「アジアの世紀」になることは多くの論者が指摘している通りであろう。
 今日、ASEANを中心とするアジア諸国は、世界の多極化を促し、その中で政治的影響力を強め、無視できない勢力として興隆してきている。これにどう対処するのか、すべての国々が態度を問われている。

アジアの期待に背く日本
 最も深刻に問われているのは、他でもなく日本である。わが国の平和で豊かな二十一世紀が切り開けるかどうか、興隆するアジアの一員として参加できるかどうかにかかっている。
 だが、地理的にアジアに位置し、また侵略戦争も含め歴史的にも関係が深く、経済的にはすでに切っても切れない関係にありながら、わが国政府の外交はアジアを重視するものではなかった。EAECに対する態度に端的に現れているように、わが国政府はアジア諸国の切実な願いに一貫して背を向け、政治的にあいまいな態度を取り続けてきた。
 興隆し国際政治での発言力を強めるアジアは、わが国のこうした矛盾した態度を許さなくなった。アジアの一員としてともに生きるのか、それとも対米従属路線で対立するのか、明確な態度表明を迫っている。
 このような時、橋本政権は日米安保「再定義」の道に踏み込もうとしているのである。これは米国の「東アジア戦略」に追随し、興隆するアジアと不可避的に対立する道である。アジアから孤立し、わが国の将来を台なしにする亡国の選択である。  われわれはこの愚かな選択を断じて許してはならない。EAEC参加の態度を鮮明にし、アジアの一員として生きる道への転換を急がねばならない。沖縄県民はたちあがり、日米安保解消の国民世論は四割を超し、経済同友会がEAEC支持を打ち出すなど広く国民各層の間に自主外交への転換を求める機運が高まっている。興隆するアジアはわが国の転換を促す重要な第二戦線である。

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