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闘いの意欲みなぎる旗開き

大隈議長、イデオロギー戦線の立て直し、
安保破棄の闘いなど提起


 一月十四日、東京・教育会館で党中央委員会主催の「一九九六年日本労働党新春旗開き」が開催され、党の内外、各界から多数が参加した。第一部では、党中央委員会を代表して大隈鉄二議長があいさつに立ち、(1)過ぎた九五年を振り返り、(2)二十一世紀を展望して、九〇年代前半を総括し、イデオロギー戦線での闘いの重要性を提起、(3)九六年の党の闘いと課題について述べた。続いて、沖縄社会大衆党副委員長(沖縄県議会議員)の山川勇氏が沖縄からのあいさつと報告を行い、「自主・平和・民主のための広範な国民連合」全国代表世話人の槙枝元文氏が来賓あいさつを行った。第二部は、「沖縄の心を唄う―大工哲弘コンサート」で開会。大工氏とその仲間は「沖縄を返せ」など次々と唄を披露、会場は沖縄に連帯する熱気が満ちあふれた。各界からは一坪反戦地主会関東ブロック代表の上原成信氏、前衆議院議員の斉藤一雄氏らが連帯のあいさつを行った。また、多方面からのメッセージ、祝電も寄せられた。九六年新春旗開きは、各地での沖縄に連帯する闘いを編集した新作ビデオが上映されるなど、昨年の闘いをさらに発展させようとの意欲みなぎるものとなった。以下、大隈鉄二議長のあいさつを掲載する。

 皆さん、おめでとうございます。
 最初に、労働党の九六年旗開きにおいでいただいた先輩、友党、友人の皆さんに、党を代表して心からお礼を申し上げます。ありがとうございます。
 例年のことではありますが新年のごあいさつと、労働党の新年の情勢認識などについて、ご報告させていただきたいと思います。
 大きくは三つに分けてご報告したいと思います。
 最初に、過ぎた九五年を短い時間で振り返ってみたい。二番目に、二十一世紀はもうそこ、今世紀はあと正味五カ年、六年目は二十一世紀です。この機会に、以降を展望するためにも、九〇年代に入って以降の世界史的な激動や、わが国での九三年以降の、自民党単独支配崩壊と連立政権問題、社会党問題など若干、振り返ってみたいと思います。
 最後に、当面する情勢や党の課題、闘いについて述べたいと思います。

 戦後政治の矛盾噴き出した一年

 昨一年、九五年でございますが、非常にたくさんの事が起こりました。
 どの一つも極めて印象が強く、記憶が生々しくよみがえることばかりでございました。
 一月には関西での大震災。三月には、オウム真理教が関わったとされるサリン事件。四月の地方選挙では、東京、大阪での、党派に支持されない青島知事、横山知事の誕生。続いて参議院選挙では、投票率が低いことで、政治不信が一段と強まったことが示されました。九月には沖縄での米兵による少女暴行事件と沖縄県民の激しい闘争、そして本土への闘いの波及。十一月には大阪でAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の総会がありました。これは、勃興しつつあるアジアの力が、まざまざと見えるような総会でした。
 振り返りますと、とっても印象の強い年でした。しかし、いま挙げた震災のような自然災害、オウムのような社会的な事件、それにすべての政治的な事件あるいは出来事は、それぞれは異なった状況、異なった性質のものでありますが、共通したところがあります。それは戦後五十年、戦後社会のあり様とか、戦後政治のあり様とかが、それらの出来事のなりゆきに、深く関わり、かつ影響を及ぼしたという事実です。
 新聞、テレビなどマスコミの論評、解説のほとんどが、こうした視点から問題をとりあげていました。そして、現状になんらかの意味で変更を加えなければならない。この点では、新聞の論調も政党の主張も、そこまで来たという意味では意見の相違はなく、世論に訴えていました。
 そういう意味で、昨一年のいろんな事件は、戦後システムのツケが噴き出してきた、そういう性格だったと思います。要するに戦後政治、これまでの政治の矛盾が憤き出してきたので、これを打ち破らねばならない、そこまで来ている、そう警告するような事件が相次いで起こった年だったと思います。
 問題は現状をどう打開するかで、それぞれの社会層もすでに現状にとどまれなくなっています。各政党も、濃淡はあれ現状の危機を訴え、それなりの打開策を出しております。労働党もその点では同じであります。
 しかし、大きく分けると二つの道があります。一つは、現実にこの国の経済の実態を支配し、したがってまたそれを基盤にして政治を動かしている、そういう社会勢力が打開しようとしている方向です。財界や自民党、それに新進党の小沢氏に代表されるような勢力が追求している道です。もう一つは、国民の大多数の利益に沿う形で打開する方向です。その二つの道があります。
 現状打開のための闘いは、抜き差しならないところに近づいている、昨一年のさまざまな事件は、これを示していると思います。さっきビデオでご覧になった沖縄の闘いですが、沖縄の人たちは、二次大戦後五十年も基地のもとで暮らしてきた、もうこれ以上は我慢がならんのだ、こう主張しています。これも端的に言って、いま言ったようなことであると思います。

 党は闘い自信を深めた

 私たち労働党はそういう情勢のなかで、さまざまな闘いをいたしました。昨一年の党の闘いを、短く成果についてだけ、述べさせていただきたいと思います。
 四月の統一地方選ですが、議員選挙で地方議員を増加させることができました。候補者は少のうございましたが確率が非常に良くて、結果として、小さいですが全国地方議員団が結成され、活動を始めるところまできました。ブロック単位でも関東と九州で、議員団が活動できるようになりました。これは前進だったと思います。
 県知事選挙ですが、今回は神奈川だけでなく福岡でも立て、党の独自候補で闘い、二人とも大きな成果を得ました。神奈川では、四五万票弱、福岡では七万票余で、政治的にも重要な前進となりました。
 七月の参議院選挙では、社会党を支持できませんでしたので、選挙協力をいろいろな勢力といたしました。社会党の中央は支持できませんが、過渡期ということを考慮しまして神奈川と福岡の社会党の県本部、労働党の県委員会、これが協定を結びまして、幸いにして両方とも当選できました。以降の双方の団結にも役だったと思います。また少数党派の人びととも選挙協定を結んで、相互信頼を勝ち取ったと思います。
 九月以降は、沖縄の闘いを全国化するということで、先ほどビデオでご覧になったように、全国的に努力いたしました。
 私たちはあの事件以降、党のあり様、つまり、この問題に取り組まなければ党の存在が問われる、こういう問題意識で全党に呼びかけて、一生懸命努力いたしました。闘い、努力もしましたので、それなりの成果がありました。沖縄問題への関心、闘い、これを広げることができました。また、沖縄県民の皆さんとも相互信頼が深まったと思います。各地各県での沖縄県人会の皆さんとも相互信頼が深まりました。
 さらに大事だったことは、沖縄の闘いに大きな関心、憤りを示し、何かしなければというたくさんの人たちに、呼びかけることができましたので、その人たちの気持ちのなかに、それぞれが無力ではなくて、「何かができる」という気持ちを非常に強めることができた。これは以降の闘いの重要な条件になると思います。
 最近のように、右傾化、労働組合がだらしない、社会党がだらしない、などと言われるなかで、本土にも闘いがきちんと提起されれば、闘いに応じるたくさんの人たちがいるという事実を確認できたわけで、九六年に引き継がれておりますが、これは重要な前進だったと思います。
 また昨年は、外交問題、アジアとの共生をめざしても闘いました。
 アジア諸国がEAEC(東アジア経済協議体)構想を持っていてわが国にも参加を呼びかけておりますが、昨一年は、系統的にその世論をつくる仕事をいたしました。
 特に大阪で十一月にAPEC総会があることを念頭に、九五年の初めから系統的に『労働新聞』に載せ、各所でシンポジウムをやるなど、これには労働組合だけでなく地方の経済界にまで働きかけました。中央でも経済関係の若干の団体と懇談いたしました。 わが国の経済界の上層部は、この問題では揺れております。一昨年からこの問題は経済界の大きなテーマとなっておりましたが、ご存じのようにアメリカは日本がアジアに組することを嫌っておるわけで、そういう点で激しい圧力がアメリカ側からあり、財界は始終揺れておりました。
 けれども、ちょうどAPEC総会ごろでありますが、経済同友会はついにEAECの方向を支持するということで、彼らなりの結論を出したようで、APEC総会に現れた政治状況とあわせますと、非常に大きな変化だったのではないかと思います。これは前進で、よいことだと思います。
 さらに昨年は、共同の事業であります国民連合、これについて労働党なりの努力をいたしました。国民連合の皆さんが総会を大きく成功させたと聞いておりますが、この成功を非常に喜んでおりまして、九六年にも引き続き微力ながら努力していくことを表明したいと思います。
 そんな具合いで昨一年、私たちは一生懸命闘って一定の成果を挙げ、情勢の発展とあわせ、全党はこれまでになく自信を深めている、こう報告したいと思います。

 21世紀を展望して

 イデオロギー戦線の立て直しを

 九〇年代に入って、東ヨーロッパ、ソ連邦の崩壊など、社会主義諸国が次々に崩れましたので、世界の政治構造は大きく変化しました。「冷戦体制」が終わったんです。この世界史的な社会主義の大幅な後退と帝国主義・資本主義の一時的な勝利、関連して起こった世界情勢の大激動はまた、イデオロギー面でも劇的な反応を呼び起こしました。 いろんなこと、歴史的な変動が起こったわけですが、私はこの数カ年を、「帝国主義の側からのイデオロギー面での大攻勢の時期であった」というふうに特徴づけて、若干の問題を提起してみたいと思います。
 ある人が、「ある時代の、あるいは特定の社会における支配的なイデオロギーは、つねに支配階級のイデオロギーであった」と言っております。
 これに沿った言い方で申し上げますと、共産党宣言が発表された以降といってもよいし、一九一七年のロシア革命以降といってもよいし、あるいは二次大戦以降、世界が資本主義諸国と社会主義諸国という二つの陣営が拮抗する状況になった以降といってもいいかもしれませんが、この時期におけるイデオロギー戦線の状況は、帝国主義者たちが一方的に自分のイデオロギーを全世界に押しつける時代ではなくなっていたんです。
 一九一七年のロシア革命以降、とりわけ二次大戦以降の世界では、支配的なイデオロギーは帝国主義者だけのものではなかった。まさに世界の客観的な状況を反映して、イデオロギー戦線もまた、帝国主義的なものと社会主義的なものが拮抗しておりました。 もちろん社会主義諸国では、史的唯物論あるいは社会主義のイデオロギーが圧倒的に支配していました。それでも、そういう国々にも資本主義あるいは帝国主義のイデオロギーを、いくらかはそれに共鳴を示し受け入れる部分があったと思います。
 帝国主義諸国・資本主義諸国では、やはりその諸国を支配している支配階級のイデオロギーが、圧倒的に支配していました。しかしご存じのように、決しててそれだけではありませんでした。資本主義諸国における労働者階級のなかでは、少なくとも社会主義がある程度まで、心をとらえていました。これは皆さんも体験を通じてご存知だと思います。
 帝国主義・資本主義諸国におけるそれぞれの政党も、こうした状況を反映し、帝国主義や資本主義を擁護する政党もあったし、社会主義を信じ労働者階級を基盤にして闘いを堅持する政党、勢力もありました。社会主義的政党が、支配的ではないにしても、一定の影響を持っていました。

 帝国主義の側からのイデオロギー攻勢の時期

 ところが九〇年代に入りまして、ソ連邦、あるいは東ヨーロッパの崩壊等々、社会主義の歴史的な後退と結びついて、世界は一変しました。世界を帝国主義・資本主義の側が大きくリードするようになりました。
 問題をなるべく単純化して述べたいと思います。
 世界の大激動という客観状況の変化は、また、それ以前の拮抗するイデオロギー状況から新しい状況へ、つまり一斉に帝国主義と資本主義諸勢力の側からのイデオロギー的大攻勢の時期となりました。過ぎた数カ年は、そういう特徴のある時期であったと、私は思います。
 その大攻勢のなかで、これまで社会主義を信じていた人たちが動揺する。「社会主義は幻想であった、一部の人たちのユートピアにすぎなかった」「市場経済、民主主義が永遠の真理である」「イデオロギーの時代ではなくなった」「階級社会などというのはもう古い」、こんな具合の、圧倒的な攻勢があります。
 そうしますとこれまで社会主義を信じていた諸君も確信をなくし、宗旨変えをやる。やっぱり社会主義はうまくいかなかった。市場経済だ、となる。労働組合の方針のなかから社会主義の社の字が消えてしまったのは、九二年です。一斉にすべて社会主義という言葉をはずしました。政党も、例えば社会党、この党のなかで社会主義など今日言う人はいませんが、やはり同じころ宗旨変えをしました。そういう具合いです。
 私どもの周辺には、革命的な言葉を使ういくつもの小さな党派がございますが、これらもまた、新しい流行に取り込まれ、気がついてみるとそーっと宗旨変えしている。
 わが党は確固としており、そういう大攻勢のなかでも揺るぎませんでした。敵のこうしたイデオロギー的攻撃を打ち破るには、それなりのしっかりしたイデオロギー的観点がなければなりません。私はこの問題で、もう少し述べてみたいと思います。
 「イデオロギーの時代ではなくなった」などというのはまるでウソっぱちです。敵側はわれわれに向かって、従来通りのイデオロギーを捨てなさいと、いわばイデオロギーがピストルだとすれば、彼らはピストルを突きつけて「手を挙げろ、武器を捨てろ」と言っているんです。彼ら自身はイデオロギーという武器を握って、大攻勢をかけている。これがこの数カ年の事実です。
 「なにもかも変わった」「これまでの価値観はすべて通用しなくなった」、こんな感じのようですが、真理はまた、別です。多くの人たちが信じ、かつ生涯をかけて闘ったことが一文の値打ちもなかったと言われるが、そんなこともありません。思いつくままに、実際に照らしていくつか述べてみたいと思います。
 
 何一つ変わっていない軍事の役割

 まず、帝国主義者が世界を支配していく伝統的な手段。そのなかでの例えば軍事について申し上げたいと思います。なにか変化があったのか。
 帝国主義の支配階級とそのイデオローグは、冷戦以前も以降も軍事の果たす役割を片時も本質面で、評価を低めたことはないと思います。 しかし、多くの中間派と宗旨変えした元左翼は、冷戦が終わったので幻想と実際を取り違え、事態が変わったかのようになっています。国際関係の評価でも、まるで帝国主義者などいないかのようです。私はそうは思いません。
 身近な話で、適切でないかもしれませんが、わかりやすいので話してみます。
 中国で一九四九年、共産党を中心にしたあの統一戦線が、反帝、反封建の闘いに勝利して、中国大陸を支配し中華人民共和国を樹立しました。蒋介石は台湾に逃げ込んだ。この時アメリカ帝国主義は、台湾海峡に第七艦隊を配置したんです。当時アメリカは原子爆弾も持っておりましたから、それを背景にあそこに第七艦隊を並べた。中国人民の国土を統一したいという願いはそれ以来、アメリカ帝国主義の武力によって阻止されており、あれから四十数年、基本的にはこの構図は変わっていません。
 台湾が統一できないのは難しいことではありません。端的に言ってアメリカが、核を背景にしてアジアに十万の大軍を配置している。日本に四万七千。ビデオでご覧になったように沖縄にその大半を配置し、武力によって中国の統一が阻止されているという現実があります。これがなければ中国人民はとっくに統一を成し遂げているはずです。
 李登輝問題を見てもそう思います。アメリカの後ろ盾があるからです。私はそっけない話をしているんです。単純明快。
 朝鮮はどうですか。どちらが統一するということと関係ない。あれは朝鮮人民の事業でしょう。それとていま言ったような、アメリカ帝国主義の武力を背景にして統一が妨げられていることは、先ほど台湾問題で触れたことと同じです。
 アメリカ帝国主義は、ヨーロッパではNATOを組織しています。冷戦時代には、米核戦略を背景にこのNATOによってソ連に圧迫を加えていました。大国であるアメリカ帝国主義は、核戦略を背景にして、全世界の要所に軍を配置していますが、どの地域のどんな同盟であれ、自国の国家戦略、利益に基づいて計画が立てられています。この動かし難い事実。これは冷戦の時は冷戦なりに、冷戦後は冷戦後なりに、疑う余地のないもので、当然のことです。
 クリントンが四月に来て再確認しようとしている日米安保条約の再定義は、東アジア戦略構想そのものの具体化で、アメリカの世界支配の一環、その世界戦略の一部です。  国連の常任理事国、この五大国はみな核兵器を持っています。拒否権も持っています。国連が公平な国際機関などとは詐欺師の言いぐさで、湾岸戦争で見たように、時にアメリカ帝国主義を頂点にした帝国主義諸国の全くの道具ともなります。
 大国も争っています。フランスのシラク大統領が、いくら核実験反対と言ってもやめないのはこの点にあります。フランスが独立を維持し、ヨーロッパがアメリカに対抗して、ヨーロッパの利益を守るうえで、核無しにはやっていけない。この実際を踏まえてやっているわけです。したがってドイツも決してそれに反対いたしません。こういう現実は、冷戦時代も今も世界政治がどんなふうに移り変わっていくのか、軍事の役割が何一つ変わっていないことを示しています。
 村山政権時代に河野外相が国連で核実験反対と言った。中国の大使に会ってはやめてくれ。フランスの大使に会ってはやめてくれという。これはもうお笑いぐさです。これでも世論には効果があります。でも大国がやめないことは知っているはずです。それでもなんでやるかといえば、一つは世論に影響を与える。もう一つは、反対、反対といってもアメリカの機嫌を損ねる心配がない。むしろアメリカは内心で喜んでいる。なぜかといえば、反対、反対と言えば、中国やフランスの核実験がしにくくなる。これはアメリカにとって利益になる。彼らの争いごとが手に取るように分かる。
 橋本政権が核実験禁止と核廃絶を願うのならば、政府として、わが国に核兵器がないことを保証しなければならない。
 
 歴史を動かすのは人民

 「人民が歴史をつくる」という考え。どんなイデオロギー的攻撃がやられようと、時代が変わり価値観も変わるべきだといわれても、依然として世界史を動かすのは人民です。
 最近の沖縄県民の闘い一つ考えても、そう思います。変わっていないです。
 社会党の委員長、村山氏が首相になった直後、もう一昨年になりますが、自衛隊合憲、日の丸・君が代、安保条約は容認、いまでは安保堅持にまで来ましたが、あれから、自衛隊や安全保障問題では大きな変化が起こりました。
 自民党の理論誌『自由民主』の十月号に載ったトフラーとの対談で幹事長の加藤紘一氏は、村山政権ができて以来、安保問題はもはや国内では争点ではなくなった。争う状況はいっさいなくなった。こう言ってるんです。この対談は九月の沖縄での事件直前でしょう。
 加藤氏は、社会党のおかげで、従来自民党でできなかったことを次々に解決していると述べています。山花時代からですが、小選挙区制、コメの自由化、消費税、安保も解決した。つまりもう論争しなくてよくなった、と言っています。
 去年の二月に、アメリカ国防総省の東アジア戦略ができました。実際には自衛隊段階では、東アジア戦略構想に沿って事実は進んでいるんです。十一月に来れなくて今年四月にきて再確認すると言っていますが、仕事は進んでいる。新防衛大綱と言いますが、あれはもうぴったりとアメリカの戦略にそっている。国会で一度も議論されず、その戦略で安保条約は大きな変更を加えられてしまっている。更にありますよ。安保協力協定。これでの作業も進んでいる。
 これが沖縄闘争の直前の状況です。支配層にとっては、もう安保議論は日本ではまったく問題ない、そういう状況だったんです。
 ところが、九月の少女暴行事件以降の沖縄県民の闘いによって、状況は一変した。これは最初は、沖縄の人たちの地位協定見直しから始まりました。そして基地の整理・縮小。これらは当然すべて安保に重大な関係がある。
 安保問題での変化が起こり、日本の国内情勢は一変したと言って間違いない。十年二十年もかけて変化が起きなかったのに、沖縄県民のあの集会、ただあの一撃で、状況はがらりと変わった。そして村山政権はもちろん、今度の橋本政権もまたなんらかの形で基地の整理・縮小を言わざるを得なくなった。
 これは、人民の闘いによって動いたのです。状況が一つ前に進んだのです。たくさん例を挙げる必要はないと思います。これまでの歴史もこれからの歴史も、すべて人民の不満が前提になるんだと思います。闘いが前提になっている。そして政治はそれにどう応えるかと、最後的に応えざるを得ない。そういう形で進む。そういう意味で私は、「人民が歴史をつくる」というこの事実は、まったく真理だと思います。

 危機感に脅えるブルジョア・イデオロギー

 一時期、社会主義は地獄で資本主義は天国のように宣伝されたが、今ではどんなことになっているんでしょうか。
 一連の社会主義諸国が崩壊した以降、敵側のイデオロギー的大攻勢があったと言いました。社会主義が崩壊し一斉に悪口が書かれ、初期には「資本主義万歳」がはびこりました。二年目からはそうではなくなった。資本主義は社会主義に勝ったんではない、資本主義もたくさんの問題を抱えている、だんだん変わってきて、今ごろはどうなっているかといえば、こんな具合いです。
 例えば、ブレジンスキー。『大いなる失敗』というソ連邦崩壊を予測した本を書いたアメリカの著名人。彼が一昨年、『アウト・オブ・コントロール』、つまり世界が制御不能になるという本を出版しました。そのなかで彼は、社会主義はそれ自身、自分たちで崩壊したんだ。しかし、このままいくと資本主義も崩壊する、世界は取り返しがつかなくなってしまう、と危機感を露骨に訴えております。
 そして彼らは、西側世界がこれほどぜいたくな暮らしをいつまでもやっていると、情報が即座に世界を走り回る時代だから、満たされない人たちが不満を持つであろう。しかし実際には、世界の何十億の人びとを西側と同じ生活水準になすことは不可能だから、このまま資本主義が進めば取り返しがつかなくなる。したがって、自制しなくてはならない。そして倫理を確立しなくてはならない。と、いろいろ書いています。彼らも不安なんです。
 もう一つ日本人が書いた本があります。京セラの稲盛和夫氏と学者の梅原猛氏、二人での対談『哲学への回帰』という本です。梅原氏というのは、京都あたりを根城にしているイデオローグです。この本の出版は昨年の九月頃でした。この本のなかでも盛んに、このままいくと日本は滅びる、資本主義はだめになると書いています。稲盛さんは、京都あたりの昔の商人のことをとりあげて、商人は非常に倫理感が強かった。いわば、片手にそろばん、片手に宗教だった。いまの商人は両手にそろばんで、これじゃとても世の中やってはいけない、だから資本主義の原点に帰るべきだ、と主張しています。梅原という学者は、資本主義の倫理化と言っています。ここから、哲学への回帰を説いています。
 多くのところで社会主義が崩壊したので、資本主義万歳とつかのまは言っていましたが、いまでは、自分たちは、無鉄砲にやっていると滅びるかもしれない、こういう危機感におびえているのです。
 最近のリストラですが、新聞をみますと景気が上向くかどうかありますが、大企業は利益を上げているんですね。しかし、この利益は労働者を街頭に放り出すことによって、何倍も働かせることによって、成功している。利益を上げている。こういう状況です。当然ながら、闘いは起こります。

 フライパンは確実に熱くなっている

 この闘いの前途はどうなるんでしょうか。世界中の人民の闘いも、労働者の闘いも、決してやむことはありません。このシステムのもとでは、例えば世界の人口を五十億人として、三十数億人の人びとが依然として低い生活水準にあります。しかし、アメリカやその他の主要な帝国主義のイデオローグたちは、これだけの人たちが今の水準を欧米並みに上げれば、世界は破滅すると言っています。彼らが人並みな生活をさせてくれと言ったら世界は破滅すると言ってるんです。資源も足りず、環境も破壊される、こう言っている。
 したがって、そうさせないようにしなくてはならない。しかし、片方に豊かな生活があれば、世界の貧しい人びとはそれを求める。当然です。
 企業家たちは競争に生き残ろうと必死です。リストラで、多くの労働者が街頭に放り出されている。資本主義を即刻やめろとは言わないが、職場から放り出されようとすることを阻止する、このくらいは当然の闘いです。フランスのゼネストを思い浮かべれば、前途はいくらかは分かりやすくなると思います。
 ヨーロッパ諸国は九九年に通貨統合をやるといって、そのためにGDP(国内総生産)の三%以内に国家財政の赤字を押えなくてはならない。だからシラクは、ストライキが起こってもやらざるを得ない。ドイツも怪しくなったが、フランスが乗り越えなければ、ヨーロッパの通貨統合は崩壊でしょう。
 つまり欧州共同体が実現できない。したがって、威信にかけてやっているんです。今年も、ゼネストで阻止されてもやらざるを得ない。
 フランスだけでなく、他の国もやらねばならない。ヨーロッパが米州あるいはアジアと対抗していくためには、立て直さねばならない。大増税するか、労働者階級の生活水準を一段と切り下げて、国家財政を立て直さねばならない。 ヨーロッパでは勤労人民を追い立て、闘争に駆り立ててしか、経済の再生ができないところへ来ている、こんな感じです。
 日本はどうなるか。もう国家財政の危機は相当のところまできています。あと数カ年すると、(小沢氏はすぐやるとは言わないが)消費税一〇%と言っています。社会党の大蔵大臣久保某は、来年には五%へのアップを断固やると言っている。彼ら支配層も現状にとどまれなくなっているようです。
 世界の旦那衆はお互いに競争をやっています。つまり世界の支配層は、それぞれ二つの戦線で闘争しているんです。一つは外国の企業家、集団と闘争しなけりゃならない。もう一つは国内の労働者、農民や商人と闘争しなけりゃならんのです。楽じゃないです。そんな具合いになっているんです。
 そんなに遠い先ではなく、闘争は今世紀のうちか来世紀はじめには起こると思います。いま誰かが、どの政治家が、なに考えているかということは、さほど問題ではないと思います。自民党とか新しい何とか党とかが、なにを考えどうしようが、確実にフライパンは熱くなっています。はじけるのはゴマか豆かしりませんが、人びとは、熱ければ熱いと言うのではないか。私どもはそういう意味で確信しております。
 イデオロギー的などんな攻撃があっても、当面の世論がどうであっても、真理はまたそれとは別で、客観的実際がどうなっているかだと思います。

 「議会の道」は幻想 労働者はストで闘うべき

 この数カ年の検討というわけではありませんが、「議会の道」、議会で政権が変わるんだろうか、この問題です。ちょっと反省するのもよいのではないか。
 実は私たちは結党直後の一九七五年に、共産党が当時出していた「民主連合政府」構想、一九七〇年代の遅くない時期に「民主連合政府」をつくるという彼らの綱領的文書に反論いたしました。そんなものはできない、こう批判しました。
 もちろんわれわれはそれを書くについては、二次大戦後のさまざまな経験を踏まえていました。例えばインドネシアは一九四七年にもほう起しましたし、あともう一度スカルノ大統領のもとで失敗したんです。それから当時のチリのアジェンデ政権が統一戦線政府をつくり、これまた反動側に攻撃されて崩壊しました。これらを踏まえて、こういう資本主義のしくみのもとでは、議会であらかじめ多数をとって社会主義を実現することは不可能であると、批判しました。
 また、労働者の利益を根本的に守ろうとする勢力が伸びれば、支配階級はそれ以外のたくさんの政党と手を結んで、共産党がたとえ第一党になっても他の政党と手を結んで政権を渡さないであろう。こういう主張をしました。
 二次大戦後、フランスとイタリアでは共産党が第一党だったんです。フランス共産党は単独で二五%以上をにぎっておりました。それでも他党派が連合して決して政権を渡さなかった。これらの事実を踏まえて反論しました。危なくなれば小選挙区制など、やる方法がいくつもある。こう主張し、批判しました。
 フランスのような大統領制でなく、日本のような議院内閣制ではもっと困難だ、だから不可能だと、こう主張しました。
 その後フランスでは社会党のミッテランが大統領になりました。社共統一戦線です。私どもは、これがどんな政権になるかよく分かっていました。労働者階級は何かしらこの政権に期待しましたが、幻想であったことはすぐ分かりました。日本社会党もミッテランに会いに行きましたね。国営化はすぐやめました。もう一つ、核の旗を高々と掲げました。これが実態で、労働者階級とは無縁の政権でした。
 わが国でも九三年に自民党の単独政権が崩れてから、細川、羽田、村山政権。そして村山政権がつぶれ、橋本政権ですから、連立政権がこれで四代目です。社会党も参加し、党首の村山氏は首相になった。でも、こんな連立政権でなにがやれるか、非常に分かりやすくなったんではないでしょうか。そう思います。
 社会党の堕落はともかく、「議会の道」を説く日本共産党はどうなるでしょうか。今回の選挙制度下では全く展望がないのです。七〇年代なんてとっくに過ぎましたが、この路線では二十一世紀になっても展望がない。理論上は破産しているのです。
 「議会の道」も大変ですね。容易でない。ここで、労働組合の幹部の皆さんや、労働組合のなかで闘っている人たちに訴えたい。「議会の道」は幻想です。これは真理だと思います。
 どうやって、それじゃ鉄砲を持つかという難しい問題がございますが、それをやれと言っているのではない。労働者は山岸(前連合会長)のような制度政策要求だとか、財界と話し合うとか、政党をつくって誰かを閣僚に入れるとか、そんなことより、労働者はやっぱり昔から言われているストライキが一番性に合うんじゃないかと、これです。闘争をやめて、山岸氏のような政治主義に走れば、以降はますます闘わなくなり、若手の活動家は育たない。闘わないから闘えなくなる。だからますます敵が有利になる。そしていよいよどうにもならなくなる。連合はいま、自民党を支持するところまで堕落した。

 96年の党の闘いと課題

 連立政権下での社会党の役割

 今年、九六年の党の闘いや展望を述べたいのですが、その前に、九三年以降の自民党の単独政権崩壊後の連立政権問題、社会党問題などにふれたいと思います。
 連立政権で細川、羽田、村山、それに橋本まで四代で、社会党は羽田以外の政権にすべて参加したが、浮上するどころか弱体化するばかりでした。議会主義の政党としてみても、軍師がいないんですね。
 自民党の単独支配が崩れ、連立政権の可能性が出たとき、本当は戦略問題をきちんとすべきだったんです。それができなかった。議会政党としてもへたくそだと思いますよ。あの時に明確な戦略を立てるべきだった。あれほど惨敗し、そして政権にありついた。敵の策略に乗せられてしまった。あの時点では、明確に、議会の第一党になることを戦略目標とすべきだった。そしてそれに有利か不利かで参加もすれば、閣外に去ることもやり、進退自由にする。何回かの選挙で第一党になる。これを堅持すべきだった思います。大臣の椅子がちらつけば、それもできなかった。そういう戦略もなかった。
 それに続いて、小選挙区比例代表並立制。最近村山氏が、「わしゃ反対したんだ」と言っているようですが、今ごろいってももうどうにもならんでしょう。
 最後は、繰り返し労働党が主張していることになりますが、支配層は九〇年代に入り世界史的な激変のなかで国際市場に生き残るため、国内の政治も行政もむろん産業も含めて大改造を図っています。政治のシステムも変えようとしているわけです。政治再編はその要請なんです。
 自民党の戦後の政治的な単独支配は、崩壊している。これまでの集票マシーンは、農民と中小の商店などを巨大な財界の周辺において多数派を形成してきた。こういうことでやっていけなくなってきたので、財界は労働組合の上層部を味方に引きつけることで、そしてその上に乗っている社会党、これらと手を結ぶことでこの危機を乗りきって、新しい政治システムを構築しようとしているわけです。非常に苦しい数カ年なんです。  敵側にとってこれは、一つの危機です。これを見抜きもせずに、最後的には村山政権は安保堅持とまで言いました。こうしたことで、敵側のこの危機を救っている。
 村山氏に言わなければならない一つのことがあります。歴史は村山政権をどう評価するだろうか。二つの異なった見方があると思うんです。一つは、村山さんは社会党だったが立派な政治家だった。彼の良識によって日本が救われたと、感謝の言葉が贈られると思います。もう一つは、支配階級にたいして闘うべきまたとないチャンスを奪った、広範な労働者、農民や商人の利益を裏切った人物として評価されると思います。
 アメリカの東アジア戦略にそって進めば、アメリカはこれから十年ないし二十年間も、十万の大軍をアジアに全面展開する。日本、とりわけ沖縄の人たちが大きな負担を背負って戦争体制を支えなければならない。国の運命を自国民がにぎれない政治、こういうことになろうとしているのです。すでに実態は進んでいます。
 この闘いを進める上でも、最近の連立政権下での社会党の堕落や経験、教訓は、国民すべてにとって、無視できないことです。

 沖縄に連帯し壮大な闘いを

 労働党の今年の闘いについて述べさせいただきたいと思います。
 安保条約を破棄する闘いをこれまでよりもっと鮮明に高々と掲げて闘いたい。
 もちろん具体的には沖縄の皆さんが地位協定の見直しや基地の整理・縮小など触れていますが、同じようにこれを沖縄にとどまらず、全土で基地を整理・縮小し、最後的に基地を撤去する闘いに実際から出発して発展させていきたい。
 これはすべて、しかし安保条約破棄なしには最後的には片づかない。村山前首相に続いて橋本首相が大田県知事に会うと言っている。そして一生懸命、基地の整理・縮小を言うと思います。でも、どれほどのことができますか。十万の大軍を変更しないで。日本が引き受けた四万七千も変更しないと言っております。どこへ持っていくんですか。外国に持っていくと言ってるんじゃないんです。日本が四万七千引き受ける。こう約束し、今はアメリカに話さないと言っているんですから。どこに持って行きますか。沖縄のあの島この島ですか。本土ですか。したがって、私は具体的な要求から出発し、一歩一歩事実として敵の譲歩を迫る闘いを続けながらも、根本的には沖縄と全土における闘いの壮大な発展をめざして、最後的には圧倒的な安保条約破棄の闘いに至る、そういう闘いなしには片づかないと思います。労働党はそういう方向で闘っていきたい。
 核実験問題に関連してでありますが、多くの人たちが昨年のフランスの核実験に反対し、今年には中国がやればこの核実験に反対して闘うでしょう。しかし、私たちはその闘いを根本的に強化する角度で核兵器のない世界をめざしながら、その大衆運動はそれ自身で一定の意義がありますが、あわせて日本の政府が沖縄にも、横須賀にも、岩国等々にも核兵器がないことを保証するよう、求めたいと思います。この闘いを抜きにして日本国民の核実験反対運動は説得力を持つとは思えないからです。まず自国の事をきちんとして、それとあわせて核実験に反対したいと思います。
 総選挙問題については『労働新聞』の「新春インタビュー」のところで申し上げております。小選挙区比例代表並立制を廃止する闘いが今回はともかく、やがて大きな闘争になると思いますので、これらの問題でいろんな勢力と連携する。憲法改悪も段々と日程に登ってきておりますから、これらとあわせて大事な闘いになると認識しております。
 これと関連して、実際に小選挙区比例代表並立制下での総選挙が実施されるわけですから、その点についてはインタビューで述べておりますとおり、共同できる人たちがあれば私はできるだけ協力するように進めたい。こう思います。

 党に労働者と青年を


 党の建設についてですが、昨年沖縄闘争をやってみますと、もっと全国的に闘いを拡大しようとすると、どうしても党の現状からの制約がある。党が責任を果たせない。労働党がもう少し全国に組織があればと痛感しました。とりわけ、この党に労働者の皆さんと青年を大量に獲得したい。
 これはまさに党の利害でなく、この情勢を発展させる上でますます切実な課題になっていると思います。今年はその方面で労働党の責任を果たすように全力を挙げたい。そう思っています。
 大変長く申し上げましたが、本年も引き続き闘う仲間の皆さんと団結して闘っていきたい。とりわけ沖縄の皆さんの闘いを支持し、その人たちの闘いが無駄にならないように、われわれ自身の闘いとして、連帯を強めたいと思います。
 最後になりましたが、今年は、国民連合の壮大な発展のため、闘いと努力を倍加し、また、団結に細心の注意をはらって、わが党も責任の一端を担わねばならないと、決意しております。この機会にこの点を申し上げ、連帯のあいさつとします。
 終わります。今年もよろしくお願いします。ありがとうございました。

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