19960101

96新春インタビュー

労働者に党への参加を呼びかける

党中央委員会議長 大隈 鉄二


 一九九六年の年頭に当たり、編集部は日本労働党中央委員会議長の大隈鉄二同志にインタビューを行った。議長は、戦後五十年目だった激動の一年をふりかえり、EAEC問題、沖縄県民の闘いの意義と展望、小選挙区制導入後の選挙に対する態度、新年の課題など、大いに語った。

昨年の回顧

情勢も激動したが、わが党は積極的に闘い、前進し、充実した年だった

--明けましておめでとうございます。議長、ますますお元気のようですね。労働新聞の編集部としましては、この議長とのインタビューを労働新聞に掲載し、新年に当たっての労働党中央委員会の議長としての情勢あるいは政治問題、党の政策や活動についての見解を、読者の皆さんに広く伝えたいのです。

大隈議長 おめでとうございます。紙面を通じて、改めて読者の皆さんにご挨拶申し上げます。新年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

--昨年は戦後五十年の節目の年でした。まず昨一年間を振り返ってみてどんな感想をお持ちでしょうか。

大隈議長 昨年の年初には、戦後五十年という一つの節目であること、それに統一地方選挙や参議院選挙など政治再編との絡みでも重要な選挙があって「政治の年」であること、十一月にはAPEC(アジア太平洋経済協力会議)総会が大阪であること、こうしたことを考え展望して、闘いの構想を立てていました。
 ところが、一月には関西での大震災、三月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件。政治的なこと、事件でも、沖縄問題はもちろん、さまざまなことがあって、とにかく激動というか大変な年でしたね。
 考えてみると、関西大震災、オウム、それに沖縄問題やさまざまな政治的出来事、その変化など、どの一つをとっても、戦後社会のありようや戦後政治と深くかかわっていて、その矛盾というか無理が耐えられずに噴き出しているんですね。
 これが感想ですが、昨年の政治的な変化あるいは重要な問題について、気がつくままに簡単に振り返ってみたいと思います。
 三月以来の円高は、一時、一ドル=八〇円台を突破するところまで高くなり、いまは収まっていますが、生産の海外移転は一段と加速しました。国内では空洞化が進行し、工業団地が売れ残るなど地域経済が深刻化しました。中小商工業の経営が悪化し、倒産や廃業が相次ぎ、労働者には大失業時代が到来しました。加えて四月からはコメの自由化が始まるなど、大衆の不満を増大させ、政治の不安定化を促進する要因となりました。
 統一地方選挙や参院選ですが、投票率が一段と低くなったこと、知事選では東京で青島氏、大阪で横山氏が当選したような既成政党に対する批判があること、これは有権者の政治不信がきわめて強くなっていることを示したと思います。
 参議院選挙では自民党、社会党が惨敗しました。しかし、新進党の「躍進」も共産党の現状維持も、有権者の政治不信の高まりのなかでの、組織力の差に過ぎないのです。 こうした状況は、支配層や議会主義の諸政党にとっては不安というか、頭の痛いところだと思います。
 戦争責任の問題。戦後五十年ということで国会でも「戦後決議」が問題になりました。それをめぐる議論、決議、以降の閣僚発言などでわかるように、戦争責任をあいまいにしたり、隠ぺいし、悔い改めない勢力が依然として存在することが明らかになりました。
 当然ながらそういう勢力とは闘わなければなりませんが、より大事なことは、われわれ国民全体がこの戦争責任問題での十分な反省があるだろうか、この点です。
 わが国内に「改めようとしない勢力」が存在することを許していながら、アジア諸国からのたび重なる批判に対して他人事のように振る舞っていては、戦争を反省しているといっても他国には通じないと思います。戦後五十年を期しての戦争責任に関する議論は、このことを新たに浮かび上がらせたと思います。
 一昨年のインドネシアでのAPEC会議以降、特に昨年に入ってEAEC(東アジア経済協議体)問題について、わが国の経済界で真剣な関心が高まりました。アメリカはAPECとの関係で始終圧力をかけましたが、必ずしもアメリカの思い通りにはいかなかったようです。大阪会議の結果は、アジアの発言力の増大、日本の外交政策のふがいなさ、アメリカの力の衰退を如実に示しました。
 沖縄での米兵による少女暴行事件を契機に沖縄県民の怒りは、一〇・二一の八万五千人の島ぐるみの闘いとして爆発しました。あの一撃で安保条約を国の重要な争点として押し出し、情勢を大きく前進させました。これは歴史的な変化で、沖縄県民は日本の進路に重要な問題を提起しました。
 沖縄問題に対する対応や安保「再定義」、破防法の団体適用、住宅専門金融機関への税金の投入など、村山政権は血迷ったとしか思えないほどに次々と反動的施策を押し進めました。どの一つをとってみても歴史的に重大な誤り、犯罪的誤りです。村山氏を委員長とする社会党にとっては深刻そのものでしょう。
 昨一年のわが党の闘いですが、統一地方選では候補者は少なすぎましたが、確率よく当選しました。知事選挙では、神奈川県に続いて福岡県でも候補者を立てて闘い、四十五万弱、七万余票というよい成績を挙げ、内外の高い評価を受けました。わが党の政治的前進がよくあらわれていると思います。
 また、中央委員会は、訪中もしました。今回の訪中でわれわれが自信をもったのは、大きな世界史の流れのなかで両党間の相互信頼をいっそう深めることができた点です。これは以降のアジア情勢の発展を考えるとき、大事だったと思います。
 日中両国は良くも悪くも共存しなくてはなりません。よこしまな者が反中国を煽り、また、両国、両国人民、政党間にクサビをうったり、さざ波をたてたりというのはよくあることで、歴史経験に照らしても慎重に友好関係を発展させねばなりません。
 わが党と中国共産党との間に、完全な意見の一致があるとみるのは正確ではありませんし、またあるはずもありません。状況が違うのですから当然です。ですから時々は議論もします。節度のある議論は有益です。
 そして、今回の訪中でも十分友好的で相互に信頼を深めることができました。非常によい訪中だったと思います。 九月以降は沖縄県民の闘いに触発され、日本全体の問題として全国各地に闘いを押し広げるために、全力をあげました。また、EAEC構想を支持し、これの国民的な世論づくりや自主外交を求めるシンポジウムなども取り組みました。
 そうした闘いを進めながら、「自主・平和・民主の広範な国民連合」の発展と統一戦線の前進ために、各界の人びとと共に努力しました。
 これらの闘いを発展させ、わが国の進むべき進路についての国民的世論を準備するうえで、昨年の年頭に「政府綱領」を発表し、普及したことは重要だったと思います。
 こうして過ぎた一年を振り返ってみると、情勢も大変激動しましたが、そのなかでわが党は積極的に闘い、前進し、充実した年だったと思います。

EAEC構想

アジアが必要とする時こそ日本は力を提供すべきだ。自国の運命を他国に気兼ねする状況から脱却を

--昨年の十一月に開かれたAPEC大阪会議はアジア諸国の力の増大を感じさせました。新年は、わが国外交のあり方を問うアジアからの声がますます高まると思いますが、どうお考えですか。

大隈議長 マレーシアのマハティール首相が提唱し、今日ではASEAN諸国の提案になっているEAEC構想にどんな態度をとるか、APEC問題とも絡んで、日本の経済界にとっても大きな問題でした。経済同友会が支持を表明しましたが、これは一つの重要な変化だとみています。
 EAEC構想というのは端的にいって、アジア諸国の利益というか声をきちんと国際経済、国際政治に反映させたいという願いから出たものといってよいと思います。
 マレーシアも他のアジア諸国も、自由化一般に反対しているわけではありません。ただ、それぞれの国の状況に合わせて、段取りを追ってやらせてくれ、と言ってるだけです。APECでもアメリカペースでぐいぐい自由化を進めてもらっては困る、というものでした。ことさらに反米統一戦線をつくろうというのでもないんです。
 しかしアメリカにしてみると、EAEC構想が次第に固まって日本もそっちにいくという戦線ができあがってくるとアメリカの自由がきかなくなる。アメリカがアジアに参入していく上でも大きな障害になる。これをおそれてアメリカは、この構想に執ように反対し、日本に参加しないように働きかけてきた。
 そういうなかで、一昨年のボゴール宣言で自由化の目標を決め、去年の大阪会議ではその「行動指針」を採択することになっていた。アメリカにしてみると弟分の日本が議長だから、一挙にここで固めたいということがあったんでしょうが、結果からみるとアメリカの目論見はうまくいかなかった。そして、アジア諸国の発言力の増大を印象づけた。
 日本がEAEC構想というアジアの呼びかけにどういう態度をとるかは、非常に大事なことです。すでに日本の企業はずーっと以前から、特に去年からの円高では急速にアジアに展開している。実際に企業は、各国で商売させてもらっているわけだから、理屈からいってもアジアの呼びかけに政府がそれなりに対応するというのは当り前のことです。
 ところがアメリカがなんだかんだと圧力をかける。それは、アメリカにアジアに参入する上での目論見があって、その目論見が危うくなるという危機感だと思う。圧力をかけるのは、アメリカの国策というか利益からでたものです。
 それでは日本はどうかというと、きちんと国策をたてEAECに対処すべきだが、それがない。アメリカにも深入りしているし、対米重視の外交だからどうにもならない。そういうなかで立ち往生です。
 もちろん日本政府の内部も、日本の政治方面と民間、経済との間でもズレがあるんでしょう。ただ、昨年経済界はさんざん圧力を受けながらも、経済同友会がああいう形で支持するという態度を鮮明にした。これはぎりぎりの背に腹はかえられないということでしょうが、一つの変化といってよいと思います。
 大事なことだったんではないか。なんであの時期にという気がするんですが、一つに沖縄問題などで日米関係が難しくなっていたことも響いたのではないかと思っています。
 EAEC問題でもう一つ考えなければならない問題点は、タイミングというか、わが国の態度表明が手遅れになる可能性もあるということです。
 アジアは日本も加わりませんかといっている。ところが日本はアメリカに気兼ねして返事をできない。そうしますとアジアの人たちからすると参加してもらいたいが、極端な言い方をすれば「日本なしだってやっていけますよ」といいたくもなるでしょう。日本が加われば速いテンポで進むにしても、加わらなくても趨勢としてアジアは発展するんだと思います。アジアにとっては、ヨーロッパもありますし、そうなればアメリカだってどうなるかわかりません。現にアメリカは中国にどんどん進出しています。
 日本は確かに今日、技術や競争力が強い国だといっていますが、この技術だってアジアがいつまでも欲しがるのかどうか、あるいは欲しがるようなものを日本がもち続けていれるだろうか。資金だってそうです。経済の活力だって高齢化社会になるわけですから。国家財政だって借金が世界一という具合でしょう。そういう問題を抱えているわけで、日本だって手遅れにならないという保障はない。
 ですからアジアがいま活気があって前進している、そしてさらに前進する上でアジアが日本を必要としている、こういう時期にこそ日本としてはきちんとした態度をとらなきゃならん。そういう意味を理解して、日本全体が自国の将来の運命についてきちんとした態度をとるようにしなきゃならないと思います。
 沖縄にいって地図を広げてみると日本は東の端です。フィリピンやタイなどアジアの人たちからみると日本はさらに東の端です。十年か、二十年後にアジアが経済が強固に発展し、その間日本がもたもたして国の運命を自分で選べないまま時間がたったとしたら、日本は活気のある発展したアジアに加えてもらえるかという問題さえ起こりかねない。この問題は現実に存在すると思います。GNPだって中国は巨大に前進するでしょうから。
 だからわれわれは、アジアが苦労してかせいで前進しようというときに、自国の現状だけに甘んじないで、少し早く進んだわけですから、そこと手を結んでアジアの人たちにできるだけの力を提供して、喜んでもらって生きていくべきだと思う。そういう意味で、EAEC問題への態度は非常に大事なことだと思います。
 もう自国の運命を他国に気兼ねして表明できない状況を脱却する時期です。昨一年を振り返りますとアジアは大きく前進している。年末のASEANEは大きな時期を画する事件でした。また、国内からも沖縄県民が国の進路について重要な問題を提起しました。昨年は集中的に国のありようを問われた年でした。 確かに国内の政治状況は政治再編とかのいろいろなゴタゴタで停滞しているように見えますが、こういう点からみますと、政治は変わってきていると思います。
 われわれは新年は、心して国の将来を切り開く闘いに全力をあげなきゃならないと思います。

沖縄の一撃

県民の怒りの一撃は、わずかの間に日本の政治状況を一変させ、数十年間分の情勢を進めた

--沖縄県民の闘いは、昨年の日本の政治情勢に大きなインパクトを与えました。昨年末に議長は、労働党の訪問団を率いて沖縄現地に行かれたようですが、どんなおつもりだったのでしょうか。行かれてみての感想はいかがでしたか。

大隈議長 訪問団の説明をする前に、その前提として沖縄県民の闘いがもった意義についてもう少し述べてみたい。いいたいのは昨年九月以降の沖縄県民の怒りの一撃は、わずか一、二カ月で日本の政治情勢を様変わりさせた、数十年間分の情勢を発展させたという点です。
 沖縄であの少女暴行事件が起こる前までは、例の村山社会党の政策転換で安保条約問題はもはや国政上の争点でなくなり、アメリカも日本の支配層も安心していたと思います。たとえば、事件以前に発行された自民党の理論誌「自由民主」の十月号に加藤紘一幹事長と「第三の波」を書いたトフラーの対談が載っている。そのなかで加藤が「村山自社連立政権について、人は野合だとかいろいろ言うがそうではない。実は自社政権は今回が初めてではない」と始まるところがある。彼は、九三年自民党が単独過半数をなくし、成立した細川政権を「第一次自社政権」という。というのは、自民党の中枢であった竹下派が新生党をつくって細川を担ぎ、そこへ社会党を巻き込んで連立政権をつくったからだ。選挙制度を変えるのはもともと自民党の案だった。だから今は、「第二次自社政権」で、これは「非常に成果をあげている」と。
 村山政権は出来てすぐ自衛隊合憲、安保容認をやった、基本的にこれで自衛隊合憲かどうかの論争、安全保障問題についての議論もする必要がなくなった、といっている。 こういったような状況認識を前提にして、実は去年の始めから日米政府当局で、例のアメリカの「東アジア戦略報告」の構想にもとづいて安保を完全に安保条約成立以来の状況とは異なったものに変質させる、「再定義」をやろうとしていたわけです。
 内容をみると安保条約の変質なんてもんじゃない。背景にあるのは、冷戦後のアメリカの力が相対化した中でアメリカが引続き世界の指導権を確保する、あるいは世界中に展開している権益を守る、前進するASEANに参入する、そういうことを保障する米国の世界戦略です。
 その柱として、アジアに米軍を十万人、うち日本に四万七千人をおく。これは中東まで関わっていますから、これはもう日米二国間の同盟などではなく、ましてや日本の国益ではなく、むしろアメリカをリーダーにして日本が世界戦略に加わっていく、グローバルな範囲で日本がつき従うということでしょう。
 これによって沖縄の人たちは、これから先何十年も米軍基地の重圧から逃れられなくなるという危惧を持ったようですが、文字どおり日本がこれから二十年も米国の世界政治、世界戦略にくみして生活していくということになる。 そうなると、さっきもいったように急速に発展するアジア情勢に対処できない。沖縄県民のあの怒り、要求にも対応できない。
 それだけではない。もっと深刻なことは、もしアジアで、たとえば中国のようなところでいろいろことが面倒になった時、日本は独自の判断ができないことになる。
 だから本来はこれは大変な、国益に関わる重大問題です。
 こんな重大問題を、国民的議論もないまま実務当局で進め、十一月に予定していた村山・クリントン会談で「安保共同宣言」を発表しようとしていた。
 そういう情勢をあの沖縄での九月以降の爆発は、一挙に打ち破ったんだと思います。地位協定の見直し、基地の整理・縮小などどっと噴き出して、これに政府は対応せざるを得なくなった。政治の世界では最大の野党であった社会党が安保容認の陣営に移って、安保を議論する必要がなくなっていた状況に対して、具体的な行動で「異議あり!」とやって状況を一変させた。これはたとえば七二年の沖縄復帰以降もいろいろ闘争はありましたが、最大の事件だと思います。政治状況がわずか一カ月か二カ月で様変わりしたわけですから。歴史的意義を持つ変化だ、といってよいと思います。
 わが党は沖縄での闘いが始まるとすぐこれに呼応し、以降十、十一、十二月と沖縄の怒りや闘争を本土、全国に波及させていくために、全党を挙げて努力しました。それは現地の人々にも率直に申し上げたんですが、労働党の政治路線に照らしてみて、沖縄県民の闘いが日本の政治を変えていく上で非常に重要な意味をもつと判断したからです。 労働党の政治路線、すなわち政治をかえていく基本的な考え方には、二つ柱があります。
 一つは、戦後形成された日米関係を清算し、国の独立・自主を確立することです。二次大戦によってアメリカに占領されて、サンフランシスコ条約で形式的な独立をし、その後いくつかの段階を経て日米関係は相対化してきたものの、独立・自主の外交ができているのか、国の運命について自国の国民や政府が自分で舵取りをやっているのかとなるときわめてあいまいな現実がある。わが党の政治路線の大きな柱はこの問題の解決だった。安保体制を打破するといってもよいし、日米関係を清算して国の自主・独立を確立するといってもよいでしょう。
 もう一つは内政で、「地ならし」をすべきだということです。日本が高度に発展した資本主義で、経済の発展それ自体に異議を唱えるわけではないが、しかしきわめて少数の企業、少数の勢力が国の経済の大部分を握っており、それを基礎にして国の政治も社会全体も握っている。こういう状態は国民全体が暮していくうえで、やはり正さなきゃならん。分かりやすくいえば「地ならし」をすべきでないかということ。なにも一様に分けろとはいわないが、経済のいくらかの民主化を実現する。この二つが柱です。
 つけ加えますと、最終的に資本主義が必ずしも今抱えているいろんな政治的不都合、貧富の差のようなことを解決できないということは誰でも知っていることですから、そういう問題の解決は最後的には社会主義以外にあるまい。ソ連や東欧など社会主義の経験はいいことばかりではないが、社会主義が目指そうとしたもの、基本的な理論的なものは間違ってないわけで、この点についはわれわれはこれ以外ありえないと思っています。
 しかし当面われわれが目指しているのは、国民の多数を結集して政治のシフトをもうちょっと財界寄りではなくて、国民多数の側に移すこと、国民の大多数が合意できるような政治を実現することです。
 そういうわが党の政治路線の立場からいって沖縄の闘いが日本の政治を変えていく上で非常に大きな意味を持つと考えていました。やはり「抑圧があれば反抗がある」でして、日米安保体制の下でわずかの土地に在日米軍基地の七五%もの負担がかかっているわけですから、これを取り払おうとする努力もまた当然です。ですからわが党は、結党以来これまで沖縄を重視していました。
 しかし率直にいって現地の闘いと結びつく点で、また党の組織状況の弱さからも、結果的には、沖縄についての十分な気配りがなかった。関心が薄れていたと思います。
 九月初めにあの事件が起こって現地での闘いが始まった。われわれは大きな刺激を受けました。大きなショックでした。これは沖縄県民の闘いでもあるけれども、われわれ自身の闘いだというふうに真剣に考えなきゃならんと、この間の努力の不十分さを反省したわけです。
 九月の末からですが、「党のありようが問われている」と、一斉に全党に呼びかけたんです。そしたらかつてなく速いテンポで全国の同志たちがこの闘争を繰り広げた。マスコミを通じて国民の間に広くこの事件に対する怒り、同情が広がっていましたので反応も早く、われわれの力が十分でないにもかかわらず、多くの人たちが共同して集会を組織し、デモをするなど各所で闘いは広がった。
 こういう考え方、昨年の経過や経験を踏まえて、党として今年はさらに全力を挙げて闘いたいと思っています。

沖縄訪問団

相呼応して闘うためには、お互いに名前も顔も気心も通じておいた方がいい

 そこでご質問の、昨年末の訪問団を組織した目的ですが、一つは、われわれがこの事件以降大きなショックを受け沖縄の闘いをどんなふうに考えているか、またこれからも一生懸命やろうとしているようなさまざまな思いを、じかに沖縄の各社会層の人々、団体や政党の皆さんに率直に申し上げたい。それが沖縄の人たちに対する激励にもなれば、という気持ちがありました。
 二番目の狙いは、沖縄から各地の集会に出てきてもらって報告を聞きますとわれわれも一般の参加者も皆感動しているわけです。それだけでも啓発されたわけですが、やはり現地にいきますとじかにいろんなことを知り、深く学べるわけです。このことが以降の闘争を発展させる上で、沖縄のことを十分知らないまま取り組むのとは違って、もっと持続的に闘う、もっと効果的に闘うという上で何かと役立つだろう。つまりわれわれは学習しなければならないということでした。
 三番目に、それらを前提にしてですが、やはり相呼応してたたかうためには、団体にしても、政党にしても、個人にしてもお互いに名前も顔も気心も通じるということでなければならない。そういう点で、きちんとしたつながりをつくって以降の発展に役立つような条件を整えたい。この三つだったんです。
 沖縄の皆さんは非常に喜んでくれました。ですから訪問団の派遣は成功だったと思います。われわれこそ本来は日本の大きな闘いに突破口というか、風穴を開けてくれ、情勢を何十年分も一撃で前進させてくれたわけですから、感謝しなければならないのに、沖縄の人たちは率直に「非常にあり難い」と喜んでくれました。
 沖縄のことを知ることを狙いの一つにしていましたが、余りにも知らないことが多かったなあと痛感させられました。二次大戦の最後は沖縄では米軍が来てあっという間に占領されたと本土からみて理解しがちですが、沖縄戦というのは何ヵ月も闘われた。軍人だけでなく、非戦闘員の県民が多く巻き込まれたこと、戦争による犠牲の余りにもの大きさ、米軍だけでなく日本の軍人がどんなことをやったのかなど、本土にいるとそういうのが文章でしか読めない。じかに聞かないままだったり、あるいは直接体験しないと忘れることができるわけです。しかし、沖縄県民は忘れることができない。深刻な影響が残っている。そんなことで非常に沖縄県民と本土との間にはこの問題についての認識の差がある。ある意味で状況認識に対する深刻なミゾが相当あるという気がした。
 これを克服する方法は基本的にないにしても、このミゾをいくらかでも埋める方法は、こういう現地訪問を通じて、あるいは沖縄の人たち自身の記録や研究に学ぶ以外ないと思いました。
 また以降の連携ですが、各政党、団体によって濃淡はありますが、われわれにとって良すぎるほどの成果が収められたと思います。本土内で各政党間の話し合いをしますと必ずしも連携が深まるわけでなかったり、話し合いをしようと思ってもはじめから断られたりよくあることです。しかし、沖縄の現地の人たちは政治的な立場がちがっていても、心底に沖縄県民も真っ当な平和な暮らしをさせてくれという要求をもっており、それを解決する上でわれわれが一緒にやりたいという希望を述べると、非常に積極的に応じていただきました。
 この紙上を通じて、沖縄でお世話になった皆さんにあらためて心からお礼を申し上げたいと思います。われわれは各所で頑張ると約束したわけですから、誠実にやりたいと思います。

勝利の展望

大きな力をつくる以外に打開の道はない。そのための政党の責任は大きい

--この闘争を勝利させる展望については、どうお考えでしょうか。

大隈議長 沖縄から今回問題提起され、一定の広がりを見せている問題は、最終的には安保条約の破棄なしには片づかない問題です。そしてこの闘いは、率直にいってもっと大きな力をつくる以外に打開の道はないわけです。
 確かに本土のどの政党も、沖縄県民の地位協定の見直し、基地の整理・縮小の要求に反対する政党はない。皆、そのための一定の努力をするといっている。たとえば、村山首相でさえ、沖縄県民の気持ちをくまなきゃならんというようなことは再三いっている。それならば代理署名を拒否した大田知事を告発するのはどういうことか。村山首相が実際にやっているのは、県民の要求をつぶすことです。しかも他方では、縮小どころではなく、日米安保の「再定義」を進め、基地の強化、固定化を図ろうとしている。
 こういう実態ですから、これを変える仕事というのはまさに日本の政府に対して明確に要求を突きつけ、もしかれらが根本的に問題を解決しきれないとなれば最後的にはその政府を国民の意思の届く政府につくりかえる以外に道がないわけです。そういう状況をどうやってつくるかということだと思います。
 あれほど各政党が同情し、支持するといっているわけですから、額面通りだとすれば広範な共同行動が可能なはずです。村山与党の各党だっていっているわけで、その政権がアメリカにきちんと要求できるようにしてもらわねばならない。
 また、今の村山政権に反対している野党、勢力、これは率直にいって共同行動していいわけでしょう。それによって政府が追い込まれることは、野党としては返っていいんじゃないですか。だから、たとえば共産党、あるいはそれ以外の野党、これが何万もあるいは何十万も大衆を集め、政府に迫る。沖縄が一〇・二一であれほどやったんだから、その割合でいくなら東京に百万人集めたっていいわけじゃないですか。そういう運動を起こさない以上、やはり本気に取り組んでいるとはいえないんじゃないでしょうか。
 さて、与党の一つである社会党ですが、地方の社会党も含めみな沖縄の闘いに連帯するといっている。労働組合もいっていますから、それが本物ならば全国規模で行動を起こしていいはずです。安保条約破棄とかなんとかの問題があるにしても、地位協定見直し、基地の整理・縮小という沖縄県民が掲げているスローガンでいいじゃないですか。文字どおり支持するのならば、社会党は積極的に行動を起こしていいはずです。
 共産党もいいはずですね。もちろんわれわれもいいです。これらだけでも、巨大な行動ができるはずです。そのほかにもいろいろあるわけですし。ところがこれが起きていないわけでしょう。だから、なぜそうなっているのか、真剣に考えながらやらなければなりません。
 ですから私は、それぞれの政党が本当に沖縄の闘いを自分たちのこととして闘っていく、あるいは各党間で少しくらい意見の相違があってもこういう大事なことは手を組んでやる、そうしなければならないと思うのです。
 いろんな状況からみますと一番大事な点は、国民の大多数の中には沖縄県民の訴えていることが他人事でないという意識が非常に強いわけだから、ここでの運動が組織されて発展する、ここに大きな力点をおくということだと思います。
 国民的闘いの前進なしに打開の道はありません。国民的怒りが広がれば広がるほど、政党もまたそこに目を向けなければならないということだと思う。本来政党というのは、主導的に国民に訴えて世論をリードしていくのが政党なんですけど、いまの日本の政党はどこかおかしくなっているんですね。
 だからわれわれのような政党が、積極的に共同行動を訴え、組織していかなきゃならんと思います。この状況から考えると、大きく直接大衆に訴えて行動を組織していくことが大事です。昨年の経験からみても、各社会層の中にはいろんなグループがあるし、ものを考えている人々もいて大きな力を発揮します。なまなかな政党よりも人を動かす力をもった人たちがいます。政党は心すべきではないでしょうか。かねがねいっているんですが、国民大衆を団結させるのも、分裂させるのも、それに影響を与えている政党であり、政党の指導部、指導者です。これは非常に巨大な役割を演じることもできますが、間違った観点に立てば巨大な誤りも、大きな犯罪をおかすことも可能なんですね。今社会党の状況をみてみますと、特に村山首相をみていると、そういう感を深くします。真剣に考えていただかなきゃならん。他党の問題ですが、ここまでくれば明確にいうべきですし、社会党の中にこういう状況で誰も奮起しないことがありうるだろうかとも思います。

総選挙問題

小選挙区制下で国民の利益を守るために、共同して闘うための工夫が必要だ

--新年には、総選挙が予想されます。これは、小選挙区比例代表並立制の下での最初の選挙になりますが、労働党はどんな態度をとるのでしょうか。

大隈議長 ご存知のように昨年の参議院選挙では、労働党は中央段階では社会党を支持しないという態度をとりました。それまで長い間、労働党は社会党と中央で一定の政策協定を結んで全体として社会党を支持したり、あるいは地方レベルで合意して社会党候補者を支持したりしてきた。しかし、とりわけ党首である村山氏が首相になり、自衛隊合憲、安保容認に転換して以降、社会党はとてもわれわれが支持できる政党ではなくなりました。けれども、まだ全部変質しきったわけでなく過渡期にあると判断して、地方には一定の協力できる人がいるというのも実際でしたから、われわれは県レベルできちんと政策協定を結んでやるのであれば中央としてはそれを支持するというふうにしました。そのために、中央として政策協定のガイドラインを示しました。
 また、参議院選挙には社会党以外のいろんな少数派が立ちましたので、これらについてもきちんと政策協定ができればよいとしたわけです。
 結果的には、社会党では神奈川、福岡の二カ所できちんとした政策協定ができ、支援しました。熊本、東京では社会党以外のところとやりました。幸い神奈川と福岡の社会党の候補者は当選しました。両県とも下馬評では厳しいとみられていたものが、いずれも何千票かのわずかの差で当選しましたので、政策協定が一定の貢献をしたことは間違いないと思います。労働党と選挙協力をした社会党との間には、県段階ですがそれはそれで相互の信頼は深まったと思います。われわれは以降も、共同の闘いを進める上で何がしかの効果はあったろうと評価しております。
 それ以外のところでは、十分な成果はありませんでしたが、一緒に闘って相互信頼ができましたので、これらも含め何もしないよりはずっと有益なことだったと思っています。
 さて、今年の予想される総選挙で、労働党はどういう態度をとるかの問題です。
 まず社会党に対してですが、中央から地方の社会党まで、どんな意味でも政策協定を結んで支援することはありません。いまでも確かに過渡期です。まだあの党がどんな党になるかはわからないし、新党をつくるとかつくらないという話もこの段階では結論が出ていません。しかし、いくつかわかったことがあります。
 一月の大会は「党の改革」だと言っていますが、綱領、規約、それに党名も変えるといっています。そのうえ、村山氏が党首におさまるという。彼はもはや変節したにとどまらず、どの歴代自民党首相も及ばないくらい犯罪的に国民の利益を裏切っている。そういう人物を党首に戴いて新党に移行しようというのが社会党の大勢です。確かに個々にその流れに不服を持ち、その内容を全部認めていない地方の社会党があるのは知っていますが、国の政治は個々の政治家より一つの党として動くわけですから、もはやここまで来ますと過渡期などといっておだやかなことはいっておれません。
 ですから、そういう社会党の中央から地方の社会党まで、われわれは原則的な意味で、政策協定を結ぶことはできませんし、候補者を支持することはできません。この際はっきりさせておきたいと思います。
 次に、今年あるであろう国政選挙に限らず、以降も含めた国政選挙についての労働党の進め方について、この時点で話してみたいと思います。 いずれにしても、衆議院選挙は小選挙区比例代表並立制の下で行われます。
 率直に申し上げてわれわれは、こういう制度のもとでも一般的に候補者を立てて闘うということを否定しません。最近われわれが立てていないのは、力関係とか状況をみているということであって、どの時点かでわれわれが具体的に取り組むことはありうるわけです。これは最初に申し上げておきたい。つまりわれわれは、議会制民主主義がきわめて欺まん的で、さらに小選挙区制導入でわれわれにとってきわめて不利益な条件下であっても、利用できることがあればするという態度で臨むということです。それは、今回出るということではありません。
 そういう態度を前提にしてですが、小選挙区制下での状況を具体的に想定してみるとわれわれだけでなく、これまで議席をそれなりにとった党も困難に直面することになります。たとえば、共産党は小選挙区ではあがりません。沖縄とか何カ所かは取りたいといっていますが、その可能性はきわめて少ない。彼らもきわめて困難な立場にあります。彼らがやろうとしていることは、比例でかせぐことです。これとて大変なことです。
 社会党はどうだろうか。あるいは名前を変えて何党かわかりませんが、そういう社会党も激減するわけです。闘いにくいわけですから。これまで県で一人か二人いたところもみななくすでしょう。
 それ以外の少数党派、たとえば社会党が新党にみな移行した時に、それに反対して何らかの戦後社会党的なものをつくる人たちが現れないとも限らない。しかし、新規にできる党が小選挙区であがる可能性はほぼないんです。こういう状況が想定される。
 つまり、これらの小選挙区制下で当選しにくいか、締め出される党派は、この選挙制度が続く限り不利なわけです。
 ですから、これらの党派にとってこの選挙制度をなくする闘い、これは非常に重要な闘いになると思います。何も元の選挙制度に戻せというのではないが、小選挙区制を打破して、どんな形かは別にしてもっと民意が反映するような選挙制度を実現する、これは政治的な民主主義を拡大する上で重要なことです。われわれはいろいろな課題のなかで、この課題を比較的重要な位置に押し上げて、これらの党と共同して闘う戦線をつくる必要があると思っています。いつの日か打ち破ってもっとおおっぴらに闘えるようにしたい。
 しかし、それが打ち破られないもとではきわめて不利な条件下で闘わざるを得ないわけで、何か工夫する必要があります。
 ヨーロッパやインドその他の経験をみますと、そういう党派が共同で選挙に対処するというようなことを行ったことがあります。いま確かに社会党も共産党も議席を持っていますが、党員の数はともかく、新制度下では議席がなくなるか、きわめて小人数かしか持たなくなる。少なくなれば、「わが党は」などといっておれない。そういう状況のもとで、それぞれの政党が工夫をしてこの選挙制度下でも、支配層に対して一定の闘いを試みることは大事なことだと思います。
 この選挙制度の下で国民の利益を守ろうとすれば当然です。そうでなければみんなボイコットするということですから。ボイコットということになれば、われわれはもちろん悪いことばかりだとは思いません。ボイコットすれば他に何があるかということになりますと、労働者は一番ストライキが性に合う。本来は行動が一番良い。沖縄の人たちがわずか数カ月で巨大な政治状況の変化をつくりだしましたが、これは彼らが国会議員をあげたからではない。怒りをあらわにして行動を起こしたからです。
 だけどなにせ現状は、議会制民主主義が小選挙区制のようにこれほど形骸化し、民意が事実上反映しないところまでぼろぼろになっていてマスコミを通じたり、いろんなことをして幻想を国民に与えているわけです。
 ですからこの時点では、ボイコットとはいかない。とすると、それぞれ分立してあがらない試みをくりかえすのではなく、共同して闘うためのなんらかの工夫をしようとするのは自然です。
 われわれは急ぎませんが、急ぐ人たちもいるかと思います。そうであるなら、われわれはこの話し合いに応じたい。あるいはこの状況のもとで国政を闘いたいという人たちが構想を立てる上からも、われわれとしてはあらかじめきちんと応じるという意思表示をしておきたい。
 小選挙区で各地で立てるにしても、比例はブロックです。沖縄の人たちとも話してみたんですが、労働党は九州にも各所展開していますから、お望みなら選挙を共同して闘うための一時的な政治組織をつくって候補者を立てるのも一つの工夫ではないだろうか。われわれは相手が、つまり手を組む相手の党派の人たちがまじめなものであれば、共同が誠実なものであれば、序列は気にしない。小選挙区を何人かづつ引き受けて、比例で一位、二位はそれらの人たちが立ててもかまわない。何故かと言えば、それらの人たちは議会にあがりたいわけで、われわれもあがりたくないわけではないが、もっと重視しているのは手を組むことで相互の信頼を打ち立て、本当に政治変革ができる戦線を形成することです。だから順番はそれらの方にあげてもかまわない。
 沖縄だけでなく全国どの党派にしても、まじめにおやりになるならやりたいわけです。今回間に合うかどうかは別ですが、一般的にわれわれは誠実に話してみたい。小選挙区比例代表並立制が続く条件のもとで、おそらくこの問題は誰いうとなく現実の問題になってくると思います。

新年の課題

沖縄県民が提起してくれたことを、国の全体的な問題として闘いたい

-- 最後に、新年の闘いの課題や方向、抱負をお聞かせ下さい。

大隈議長 わが党は一月十四日に中央委員会主催の旗開きを行います。具体的にはそこで申し上げたい。
 これまで申し上げてきましたが、新年には第一に、国の外交とか安全保障に関連して政党として積極的な発言をやっていきたい。沖縄の県民の皆さんが提起してくれたことを国の全体的な問題として闘いたいと思います。
 日米地位協定は、即時全面的な見直しを要求して積極的に共同行動を組織していかねばなりません。
 米軍基地の縮小についていえば、沖縄だけでなく、日本全土から米軍基地を撤去する運動として発展させたい。
 もう一つ重視したいのは、在日米軍基地に核兵器がないことを保障せよと政府に迫る運動です。昨年、フランスと中国の核実験に抗議する運動が国際的な規模でも、日本の国内でもおこりました。大衆レベルでの運動は自然ですし、大事な運動だとわれわれも思っています。しかし注意してみなければならないのは、政府の態度です。村山首相は再三中国やフランスに抗議し、河野外務大臣も国連でもやりました。この政府の態度は矛盾しています。中国の諸君がこの点を指摘して「あなたの国は核のカサで守られているではないか。他国に対して実験反対という資格があるのか」と言っている。日本は説得力がない。そもそも、アメリカにモノも言えない日本の政府が率先して実験反対をやるのは、アメリカが核実験を当面やらないでもよい状況にあることを前提にしています。しかし当のアメリカ自身はフランスに対しても中国に対してもやるなとは言えない立場です。自分が持っていますから。しかし、日本の政府がいう分には米国はまんざらでもない。中国やフランスに圧力を加えるのはまんざらではない。米、中、仏など強国の間でも矛盾があるからです。もう一つ根本的な問題は、実際日本に核兵器があるわけです。実験は環境などに害を及ぼすような問題があるにしても、核兵器が現実にあるのはもっと危険な面もあるわけでしょう。だから私は、政府が本当に核兵器のない世界をつくりたいのであれば、核実験に本当に反対したいのなら、自国に本当に核兵器がないことを保障すべきだと思うんです。どんな形にするかはこれからですが、村山政権は在日米軍基地に核兵器がないことを保障できるのかどうか、国民の側からみますと保障せよという、この運動を是非やらなければなりません。これと結びつけないで、核実験反対などと日本の政府がいう資格はないと思います。だから国民も他国の核実験に反対ということとあわせて、自国の政府に対して核兵器がないことを保障せよと要求すべきです。
 そして最終的には、安保条約を破棄する。戦後の日米関係を清算して、国の運命についてきちんとした方向を切り開くようにする闘いがきわめて重要だと思います。
 第二に、国民の生活上の問題です。いま企業はリストラその他で大きな利益をあげていますが、一方で中小を中心に倒産も最大になっている。国民生活を守るための闘いは非常に重要になってきています。
 失業問題がますます深刻化している。学生たちは卒業しても就職先がない。管理職を含めて各所で人減らし、首切りが起こっています。
 農業は新食糧法の下で、営農、生活をしていかなきゃならん。矛盾もいろいろ出てくると思います。われわれは、この成りゆきと農民の経営や生活について大きな関心を引き続き払いたい。
 商店についても同様で、大型店の急増で中小商店は昨年は一昨年以上に潰れ、激減した。こういう問題も積極的にとりあげなけりゃならん。
 それにしても、いまの政治状況では国民運動を前進させていくことがきわめて重要な課題になっていますが、闘いを展開していく上で解決を迫られている問題は、労働運動が敵側に握られているということです。いま進んでいる政治再編は、基本的には財界と労働運動のリーダーたちの同盟でしょう。ここがあるので労働者が国民運動の先頭に立てない。立てないだけでなく、社会党も縛っている。開放経済のもとで従来の構造が崩れているわけですが、そういう中でも支配階級は社会党をたぶらかして、加藤がいうように政治的に大きな成果をあげているといわれるような状況をつくりだしたのは、労働運動の裏切り者どもが依然として労働運動の主導的位置にあるからです。
 新年は、こうした労働運動の現状を打ち破るための、きちんとした理論構築や現実の運動の再構築に本格的に取り組みたい。いろんな共同できる人たちもいるはずで、また実際にいますので、連携しながら労働運動について、攻められっぱなしではなく、新しい展望を切り開くような一つの流れを初歩的でも始める必要があるという気がします。 党はいろんな政治的経験を積み、統一戦線についても非常にいい経験を積みました。昨年の後半起こっている沖縄問題にみられるような状況は、国民的規模の運動を起こす上での有利な環境だと思います。ですから今年は、統一戦線あるいは国民連合の発展は急速に進めうると思うんです。
 地方選挙も、途中での中間選挙を一つひとつ丹念にやっていきたいと思います。
 これと関連して、地方議員レベルでの共同の事業を発展させたい。地方議員に会ってみますと、皆どうやってよいかわからないと言っているわけですね。社会党のあの流れについていけないという地方議員がたくさんいます。現実の利害が地方でも争われていますから、「地方政治に保守も革新もない」というのはでたらめです。闘わせないための理論です。この点でわれわれは、事実を根拠にして現実の利害を争う。この点で理論的にも政策的にも一定の成功をあげてきていますので、これを確信の前提にして、地方議員の多くの人たちと共同の事業を発展させたい。
 党建設については、いま党内は活気があります。みな自信を持っています。党は大きくなければいけないということはみな考えておりますので、最後は行動を起こして労働者に党に参加するよう呼びかける具体的な作業が大事だと思います。この点で機が熟しているというか、一定の条件ができていると思いますので、中央としても思い切って指導してみたい。
 最後に、労働新聞の読者のみなさんに、労働党は頑張っておりますし、この状況のもとで何か貢献できるという点では自信も出てきておりますので、どうぞこの一年、党を見守っていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 
--どうもありがとうございました。

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