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2021年11月15日号 1面〜2面

広範な国民運動で岸田政権と闘おう

一、岸田政権は信任されていない
(1)自公与党の勝利は「薄氷の勝利」
 第四十九回衆議院総選挙が、十月三十一日に投開票された。自公与党は過半数を維持して、岸田政権の続投が決まった。
 マスコミは「自民党が絶対安定多数」獲得などと、いかにも自公政権が「信任」されたかのように宣伝して、闘おうとする者の意思をくじこうとしている。選挙結果をどう見るかは政治闘争の一部で、敵の企みに乗せられてはならない。

 選挙は、いわば支配層に有利なルールの下で行われ「勝敗」は彼我の闘争の一部で、しかも一時的なことにすぎない。
 選挙の結果、自公政権は継続し、第二次岸田政権が発足することとなった。しかし、自民党は議席も得票率も減らした、「薄氷の勝利」の小選挙区も多く、甘利幹事長や石原元幹事長ら党幹部や多数の閣僚経験者らが落選するなど厳しい結果が出た。八年九カ月の安倍・菅政治が支持され、岸田政権が「信任された」わけではない。
 国民の政権への不満は大きく、自公与党は選挙区での敗退の危機感を募らせ、後半戦では一本化された野党に対する「野合」「体制選択」と攻撃を強めた。
 前回の総選挙以来、野党も再編が進んだが、各党の政党支持率は伸び悩み、小選挙区制の下で「野党共闘」「候補者一本化」で自民党と争った。目前の選挙のための候補者一本化で、政策的な対立軸も示せず、立憲民主党、共産党は議席を減らし「敗北」した。そうした中、日本維新の会が自公与党との違いを際立たせて議席を大幅に増やした。他の少数野党も議席を増やすか維持した。
 わが党は、戦略的観点から候補者の擁立を見送ったが、一部では、必要な支援を野党候補に行った。
 選挙戦は、アベノミクスの失敗に加え、コロナ禍で苦難に直面している大多数の国民のための経済・国民生活の危機打開のための政策でも、目前の「バラ撒き」の競い合いが目立ち、大半が抽象的な「分配か成長か」などの論戦に終始した。岸田政権が掲げた「新しい資本主義」のごまかしを暴露し、対置する政策はなく、国民の貧困問題を根本的に解決する論争も、主な争点にはならなかった。選挙直前の岸田新政権発足という看板の架け替えと小選挙区制という制度にも助けられて自公与党はかろうじて政治的に延命できたにすぎない。

(2)国の進路は争われなかった
 また今回の選挙は、岸田政権成立直後の選挙であり、八年九カ月の安倍・菅自公政権の内政、外交に対する評価が下される選挙と言われた。だが、本来の争点はそれだけにとどまらなかった。安倍や菅が任期途中で政権を投げ出したように、戦後の自民党政権とそのさまざまな亜流政権の命脈は尽きていた。世界の資本主義の危機はコロナ禍で加速され、米中関係の激化など国際関係も大激動で、まさに「社会革命の時代」に入っている。そういう大変革の時代にどういう道を歩むのか、新しい日本の姿が問われていた。
 こうした情勢の中で行われた総選挙で、本来争われるべきは、激動する世界でわが国がどう生きていくのかであった。とりわけ、外交・安全保障では、完全に行き詰まっている米国に追随する政治を転換し、新たな国の進路を切り開くための闘いを戦略的に構築する一環としての闘いが求められた。野党は、自公与党に対し、政策的対抗軸を対置し、有権者に争点を鮮明にして争うべきであった。だが、野党第一党の立憲民主党は「安全保障政策を対立軸にすべきではない」として「健全な日米同盟を基軸とした現実的な外交・安全保障政策」と歴代自民党政権と寸分違わぬ政策であった。共産党は「綱領改定」までして中国を「覇権主義」と明記し、支配層があおる排外的な世論に迎合して香港や「人権」問題で自公両党以上に中国非難を叫んだ。
 わが党は、先に「解散・総選挙に際して訴える」(中央委員会政治局)を発表して、真の争点として、第一に、日米同盟基軸の外交をやめ日本の真の独立、主権を確立し、東アジアの平和、共生に大きく舵を切ること。第二に、コロナ禍でより浮き彫りになった国内問題、国民の貧困を根本的に解決すること。第三に安倍・菅政権の下で強まった政治反動、国民への管理抑圧・支配体制強化の策動を許さないことを挙げて、真剣に争われるべきだと訴えた。だが、残念ながらこうした争点で各党の真剣な論争があったとはいえない。

二、各党の消長と政策などについて
 選挙の結果、自公両党は衆議院の四百六十五議席中、十二議席減の二百九十三議席となって、衆議院の三分の二を割り込んだ(追加公認を含まず、以下同)。

・自民党
 議席数は、選挙前の議席から十五議席減の二百六十一議席(小選挙区百八十九、比例七十二)となった。  前回選挙では小選挙区二百十八議席、比例六十六議席を獲得したが、今回、小選挙区で二十九議席も減らして、比例復活に回る候補者が多く出た。
 比例代表の得票数、得票率(三四・六%)ともに前回より若干増やしたが、絶対得票率は一八・八%にすぎず、自民党への支持は有権者の二割にも届いていない。また自民、公明与党合わせても比例での得票率は四七・〇五%であり、過半数を割り込んでいる。絶対得票率では、約二五・六%にすぎない。
 比例地域ブロック別の得票率で見ると、北海道(三三・六%)、東京(三一%)、近畿(二五・七%)の三ブロックで平均得票率を下回った。特に近畿では前回の三〇・六%から二五・七%と大きく減らした。四〇%を超えているのは中国(四三・四%)、北信越(四一・八%)で、東北(三九・五%)、四国(三九・一%)と続く、近畿で大きく減らしたほか、東京など関東圏、東海などでの伸びは小さかった。
 自民党は、不評の菅首相を引っ込め、慌てて岸田内閣に看板変えして、しかも内閣成立直後の総選挙というかつてなかった選挙に打って出て、辛うじて政権維持に持ち込んだ。自民党総裁選時から「新しい資本主義」などと幻想を振りまいて、「賃上げ」「分配」などと国民の目を欺き、なりふり構わぬ選挙を展開した、また総裁選時から「敵基地攻撃論」を声高に叫ぶ高市政調会長らが、各地で中国敵視や憲法改悪を叫び、右派勢力の求心力を高めた。だが、甘利幹事長(比例復活)、石原元幹事長など党の幹部、閣僚経験者らが小選挙区で落選するなど厳しい選挙結果となった。

・公明党
 議席数は選挙前から比例で三議席増やして三十二議席(小選挙区九、比例二十三)となった。比例の得票率は減らしたが、低投票率に助けられた。比例の得票率では各ブロックとも約一一%前後で、九州(一六・五%)、中国(一四・三%)、四国(一三・七%)、北関東(一三・三%)と比較的高いが、四国、中国では得票率を減らした。近畿でも一三・八%から一二・三%と一ポイント以上減らした。北関東、東海、九州で一議席ずつ増やしたが近畿で一議席減らした。コロナ禍の一定の落ち着きで動員型選挙が出来たことや低投票率に助けられて議席は増やしたものの、日本維新の会に抜かれて第四党に転落した。自民党の悪政を擁護しながら取り引きして生き延びてきたこの党の限界が見えてきた。

 野党と無所属で百七十二議席(無所属十)を得た。

・立憲民主党
 選挙前から十三議席減らして九十六議席となった(小選挙区五十七、比例三十九)。小選挙区では野党共闘、候補者一本化で二百四十名を立候補させたが、五十七名しか当選できなかった。比例の三十九議席と合わせても百議席に届かなかった。小選挙区の得票率は約二九・九%、比例の得票率は二〇%にとどまった。
 比例の得票率を地域別にみると、北海道(二六・六%)、東北(二四・一%)、北関東(二二・三%)、東海(二二・一%)、北陸信越(二二%)東京(二〇・一%)、九州(二〇・一%)で平均を上回ったが、中国(一八・四%)、四国(一七・二%)、近畿(一五・八%)で平均を下回った。
 一七年以降、国民民主党や社民党の一部を合流させて所帯は大きくなり、候補者数も増やしたが、比例でも得票率は伸びず、結党直後の前回の三七議席からわずか二議席増えたにすぎない。東京では前回の得票率から三・五ポイント、南関東で一・二ポイント下がった。選挙区で競り負けただけでなく、比例でも伸びなかったのはこの党が国民の支持を引き付けきれなかったということである。
 選挙戦でも自公与党と大差ない「分配」などを競って、国の進路の課題でも明確な対立軸を示して闘うことが出来なかった。小選挙区で自民党候補者に肉薄した選挙区も多数あり、候補者一本化も一定の効果はあったようだ。だが「風頼み」で、組織力や有権者との結びつきが弱く、競り負けた。しかも二大政党制推進の中心だった小沢氏(比例復活)や辻元副代表、平野選対委員長らが小選挙区で落選した。
 選挙後、枝野代表は辞任を表明した。今後代表戦となるが、共産党との選挙協力を含む野党共闘路線は見直しを迫られるだろう。また、安保・防衛政策など国の進路をめぐって、自公政権との明確な対立軸を打ち立てる必要があろう。

・共産党
 選挙前から二議席減らして十議席となった(小選挙区一、比例九)。一七年の総選挙前の二十一議席から半減した。
 小選挙区で立憲との自党の候補者を下ろして候補者を一本化したため、小選挙区での得票は前回の半分以下(得票率九・〇二%から四・五九%)となった。比例でも得票四百十六万票余にとどまり、得票率も前回の七・九%から七・二五%と後退して、目標とした五百万票、一〇%に届かず、惨敗である。
 地域別では、比例の得票率は東京(一〇・四%)は前回を維持したが、他の十ブロックで全て得票率を下げた。近畿では一・五ポイントさげた。平均得票率を上回ったのは、東京と北海道(八・一%)、近畿(七・八%)だけである。南関東、北陸信越で比例議席を一つずつ失った。
 共産党は、すでに全選挙区での候補者擁立は困難になっていた。だから、野党共闘路線などと、立憲民主党にすり寄って媚(こ)びを売り、「閣外協力」のあてさえない選挙協力を進めて自ら墓穴を掘った。野党共闘のため次々と基本政策を曲げて、市民運動などに追随してきた。中国敵視では、綱領を改定してまで自公与党と争うほどに堕落した。志位委員長が進めてきた野党共闘路線は破たんした。党指導部に納得しない現場党員も出てこよう。

・日本維新の会
 選挙前から三十議席増やして四十一議席、公明党を抜いて第三党となった。小選挙区では三議席から十六議席、比例でも十一議席から二十五議席に増やした。小選挙区の得票率を三・一八%から八・三六%に、比例の得票率は六・〇七%から一四・〇一%へと大きく伸ばした。
 小選挙区では、大阪の十九選挙区のうち十五選挙区で勝利した。さらに比例近畿ブロックで三三・九%の得票率となり、自民党を八ポイント以上上回って、比例議席を十議席獲得した。この党は、大阪を地盤に近畿で勢力を伸ばしてきたが、今回、比例では、北海道ブロックを除く全ブロックで議席を獲得し、一躍、全国政党に近づいた。
 獲得議席数は、東北一、北関東二、南関東三、東京二、北陸信越一、東海二、中国一、四国一、九州二である。そのうち東北、北関東、東京、北陸信越、中国、四国に初めて議席を獲得した。得票率では、近畿を除いて全て全国平均を下回っているが、東京(一三・三%)、南関東(一一・七%)、北陸信越(一〇・三%)、東海(一〇・三%)、四国(一〇・二%)などとなっている。
 東京では得票率を四倍化、それ以外でも得票率は二〜三倍化し、議席を獲得できなかった北海道でも得票率は前回の二・八%から八・四%と三倍化して、大きく躍進した。比例区で全国的に得票を拡大したのは、前回の「希望の党」の票が、そのまま立憲民主党に上積みされなかったことを考慮すれば、保守層のかなりの票に食い込んだとみられるし、これまで投票に行かなかった「無党派層」に新たに支持を広げたとも見られる。どの程度の票が流動化したかは、詳細な検討が必要だが、大都市部を中心に新しい右派ポピュリズムともいえる状況も生まれてきているのではないか。
 この党は、小泉改革以来、自公政権や旧民主党政権が、支配層・財界が要求する「改革」を徹底できなかった隙をついて、「身を切る改革」で公務員削減や行政「改革」を、国民各層に犠牲を押し付ける「改革」を看板に影響を広げてきた。今回の選挙でも、唯一「改革」を掲げて、自公政治からの「変化」を求める有権者の願いをかすめ取った。この党が果たす役割は、自民党と一線を画す姿勢をとりながら、「憲法改悪」などを右から進めることである。

・国民民主党
 選挙前から三議席増やして十一議席となった(小選挙区六、比例五)。
 地域的には比例の得票率が、四国(七・二%)、東海(五・七%)、南関東(五・二%)で相対的に高く、北海道(二・九%)、近畿(三・二%)、中国(三・七%)は低かった。北関東、南関東、東海、近畿、九州でそれぞれ比例議席を獲得した。野党共闘の政策合意に加わらず、立憲民主党の「野党共闘」路線や「原発ゼロ」政策に不満をもつ連合民間労組からの支持を基礎にして議席を確保した。
 選挙後、野党共闘から離脱し、維新の会と国会対応などで連携に踏み切った。

・れいわ新選組
 選挙前から二議席増やして三議席となった(比例三)。山本太郎の人気に依存している面もあるが、半緊縮、格差、貧困打開を訴え、一定の共感を得た。

・社民党
 沖縄二区の一議席(新人)を維持した。昨年の党の分裂にもかかわらず、比例票は増やして百一万票を獲得し、踏みとどまった。比例票では、九州と北陸信越以外の地方ブロックで得票率を伸ばした。九州(三・五%)、東北(二・五%)、北陸信越(二%)などである。

三、選挙結果から読み取れるもの
(1)投票率など、国民の意識は既成の政治に不満を持ち、変化を求めているが、受け皿がなく、維新に流れた。
 今回の総選挙の投票率は、五五・九三%と前回の総選挙よりわずかに上がったが、今回もまた、有権者の半分が棄権するほどの政治不信が示された。過去三番目に低い投票率である。一九九六年に小選挙区比例代表制が導入されて九回の選挙が行なわれたが、六〇%を超えたのは、民主党に政権交代した〇九年(六九・二八%)などわずか三回で投票率は一貫して五〇%台を行き来している。
 議会での政権交代で、政治の本質は変わらず、暮らし向きも変わらないということを国民は旧民主党政権で味わった。また「政権交代可能な二大政党制」という茶番にも期待はしていないから野党の支持率は上がらず、低投票率が続いている。
 こうした既成政治への国民の不満を「改革」を明確に主張した維新の会がかすめ取った。
 「連合」は「野党共闘」での共産党との共闘について立憲民主党をけん制した。また、一部で自民党候補者、公明党候補者を応援する動きもあった。経済危機が進む中で労働運動上層部にも分化が生まれている。

(2)岸田自公政権は、強くないことが改めて示された。
 安倍・菅政権に対する国民の不満は高く、コロナ禍などに対する対応にも厳しい批判があった。それでも立憲民主党など野党は基盤が弱く、自公与党は、欺まん的とはいえ自営業者や、中小企業、農民などへのギリギリの働きかけをして接戦を制した。
 今回の衆院選で自民党は全二百八十九小選挙区のうち百八十九で勝利したが、このうち対立候補と五ポイント差で競り勝った選挙区は三十四選挙区となった。これは前回と比べて一・三倍、一二年の衆院選の二倍になった。立憲民主党など野党が候補者を一本化する中で、自民は接戦区をわずかな差で制してようやく過半数を維持した。候補者一本化の効果がまるでなかったわけではないが、立憲を中心とした野党は、国民の支持を引き付けきれず、接戦で競り負けた。
 自公与党が議席を減らし、維新が躍進し与野党の力関係に変化が出た。来夏の参院選まで岸田政権は難しい政権運営を迫られるだろう。

(3)野党共闘、候補者一本化について。
 現在の小選挙区比例代表制下の選挙で、自公与党を打ち破るためには、「野党共闘」という選挙戦術はある程度必要で有効な戦術ではあり、実際に接戦になった選挙区も多い。
 だが、立憲、共産党ともに政策で明確な対立軸を示せず比例でも得票率を減らした。
 国民民主党は野党共闘の政策協定には加わらず、れいわも独自の政策を明確に主張した。これらの党は伸びている。
 また、一二年の衆院選以降、一〇ポイント以上の差をつけて圧勝した自民党候補は減り続け、今回は百二十八人と、一二年の約七割にまで落ち込んでいる。有権者の支持は自民党から離れ続けている。
 野党はなぜ競り負けたのか。政策的対抗軸を明確にして、労働運動をはじめ広範な国民運動と結びついてはじめて選挙という限られた場面でも自民党を打ち破ることが可能なはずである。道はあるはずである。野党皆さんが真剣に国民運動と結びつく道を歩むことを期待したいし、わが党も連携を広げるため力を尽くしたい。

(4)財界は「改革」を重ねて強く要求している。
 今回の選挙結果について、日本経団連は「自民党が安定多数を獲得し、公明党を含め、強力かつ安定した政治の態勢が維持されたことを大いに歓迎する」などと手放しである。一方、経済同友会は十一月二日、「新政権に望む ―将来世代の利益のため、「改革」を実現する国へ」を発表し、記者会見した櫻田代表幹事は「今回の衆院選を通じて政治家と国民との共感、政治と協力する関係が薄れてきていると感じた。共感や協力がなければ、これだけ多くの課題を抱えた日本を、進められない。政府には分かりやすいファクトを提示して欲しい。耳に心地の良いキーワードだけで将来を語られては困る」と述べて、政権の不安定さを危ぐする発言を行い、具体的な「改革」を実現せよと強く迫っている。財界の本音であろう。
 十一月十日に特別国会が召集され、第二次岸田政権が発足した。内外の危機はいちだんと深くなっている。来夏は参議院選挙も予定されており、岸田政権は目前に難問山積である。

四、岸田政権と闘う国民運動を
 こんにち世界の資本主義は持続不可能なほどに行き詰まっている。歴史的な変革の時代、「社会革命の時代」である。
 各国支配層は生き残りをかけて必死で、とりわけ衰退する米国は世界覇権を維持するため、中国を封じ込め、蹴(け)落とそうと、政治的、経済的、軍事的圧力を強めている。トランプから代わったバイデン政権は、主要七カ国(G7)の協調再構築を足掛かりにして、日米豪印の「クアッド」や米英豪の「AUKUS」など対中国包囲網づくりに躍起となっている。だがアフガン敗走後、欧州連合(EU)が米国からの「戦略的自立」の方向を明確にするなど、米国の狙い通りには進んでいない。また米国内の対立・分断の溝は深く、与党・民主党内さえまとまらない。内政でおぼつかず、支持率が低迷するバイデン政権は、来年の中間選挙を乗り切るため、世界の緊張をさらに高める可能性さえある。
 米国が対中対抗を強める中で、中国は内政の安定を重視して「共同富裕」のため巨大IT(情報技術)企業への規制や不動産バブルの沈静化などを進め、社会主義への壮大な実験に挑戦している。来年一月に発効する地域的な包括的経済連携(RCEP)の中でも中国の存在感は大きく、世界経済の中に占めるアジアの位置はますます重要になっていく。中国抜きに世界の政治も経済も動いていかないのが実際である。米欧各国もアジアへの関与を強めようと必死であり、東南アジアをめぐる争奪戦が激化している。
 岸田内閣はごく当面しては、コロナ対策で大型補正予算を組み、さらに来年度予算も大型にして「成長」を演出する。来夏の参議院選挙を乗り切るためには「分配」にも配慮しなければならないが、財界は「成長」のための「改革」を強く要求している。だが、財界のための「改革」は国民多数の反発を招く。長引く経済停滞の根源であるアベノミクスの失敗をどのように克服するか。日銀頼みの金融緩和政策から抜け出せない構図は続いている。そのために先進国中最悪の財政赤字は膨らみ続け、財政政策にも限界がある。「新しい資本主義」といっても、技術革新など先端産業でのわが国の立ち遅れは明らかで、とり戻すことは容易でない。
 日米基軸で「台湾」を口実にした対中対抗策の強化、軍備増強は米国の要求でもあるが、アジアでの政治軍事大国化をめざすのは財界の要求でもある。岸田首相は外交・防衛政策の基本方針である「国家安全保障戦略」を改定し、防衛費も増額することを明らかにしている。米国もわが国の防衛費増額を要求している。隣国である中国を敵視し、韓国との関係も冷え切っている。
 衰退する米国の先兵となってアジアと敵対する道は、時代錯誤で、わが国の将来はない。中国との関係は来年に「国交回復五十周年」の節目を迎える。日米基軸の枠内にせよ対中外交の「正常化」は喫緊の課題となる。岸田政権がどのような態度をとるのかが問われる。
 経済の行き詰まりで階級矛盾は激化し、政治は不安定化するだろう。支配層が画策してきた保守二大政党制は当面は遠のいて、政治はますます欺まん的となり、激化する情勢に対応するための強力な政治あるいは政治反動は強まるだろう。岸田政権と闘う広範な国民運動が必要である。
 わが党は、対米従属政治を転換し、国民大多数のための内政、外交を実現する政治を打ち立てるため、労働運動や国民運動に依拠する広範な国民の怒りと力を結集するために奮闘する。(広田庄一)


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