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2021年5月15日号 1面〜5面

大隈議長追悼会 厳かに

遺志継ぎ決意固め合う

 「日本労働党中央委員会議長 大隈鉄二同志追悼会」が四月二十四日、多くの同志、「労働新聞」読者、故人の友人などの参加で開かれた。コロナ禍を押して、久しく党活動に参加していなかった古手の同志や、最近になって党と知り合った労働者も参加した。
 会場には、角田義一元参議院副議長(自主・平和・民主のための広範な国民連合代表世話人)、長年日中友好運動に携わってきた南村志郎氏からの供花が飾られた。
 冒頭、参加者一同で黙祷が行われた。
 長岡親生・党中央委員会政治局常務委員(大阪府委員長)が開会のあいさつを行った。
 同志は「大隈同志はここ数年、新春講演会で資本主義が末期症状であることを暴露し、『社会革命の時代』であると喝破していた。コロナ禍で労働者、国民の生活はますます悪化し、菅政権への批判や政治・政党不信が高まっている。こうした情勢下で大隈同志が逝去したことは大きな損失だが、同志の遺志、考え方を学び直して情勢に立ち向かって闘っていきたい」と述べ、「闘いの決意を固める追悼会にしたい」と述べた。
 次いで、列席した故大隈同志の三人のご遺族が紹介された。
 河内ひとみ・荒川区議が、大隈同志の入党申込書(四月五日号2面参照)を読み上げ、同志の生い立ちを紹介した。
 極貧の中で革命の道を歩むことを決意し、日本革命と前衛党建設のためにその生涯を捧げた同志の生涯と決意が披露され、参加者は感動に包まれた。
 秋山秀男・党中央委員会議長代行が、追悼文「労働者階級の革命的指導者、党の創設者・中央委員会議長大隈鉄二同志を追悼する」を読み上げた。
 労働党結党を主宰し指導してきた大隈同志の功績は、一九七四年の結党以来の労働党の歴史と成果そのものということもできる。追悼文はそれらの総括的意味を持つものともいえる。多くの同志が追悼文を、労働党結党と闘いの意義を再確認し、大隈同志の遺志を引き継いで闘う上での拠りどころとなるものと受け止めたことであろう。
 なお、追悼文は前日に行われた党中央委員会政治局において決議されたものである。
 田中剛・党中央委員会政治局常務委員(「労働新聞」編集部)が、参列者と寄せられた弔電を紹介した。
 とくに、故新垣善春・元社民党沖縄県連委員長(元沖縄県議)の妻である洋子さんの「大隈議長への手紙」は、参加者の感動を呼んだ。
 「党員の決意」として、渡邉浩・熊本県委員長が決意を述べた。同志は、大隈同志と共にデータを収集するなどして情勢研究に没頭したこと、骨折からの退院直後に自動車の運転に意欲を見せた同志の気力に驚いた経験などを紹介、「議長の切り開いた道を一歩でも進めたい」と闘いの決意を述べた。
 また、現場の女性同志が発言した。同志は青年時代に大隈同志と知り合った思い出を「父親のように支えてもらった」と振り返った。「同志の入党申込書を読んで、幼いころから『この社会を変えたい』と考えたのだろうと思う。資本主義が限界をさらすなかの逝去で、どんなに無念だったろう。『大隈さん、共に闘い前進しよう』と声をかけたい。党中央の下、いっそう団結して闘う決意を捧げたい」と、力強く表明した。
 大隈同志のお孫さんがあいさつ、「このような会を開いていただいたことに感謝したい。祖父のデータ分析を手伝ったことがあるが、私よりもパソコンに詳しく、『本当にすごいな』と思っていた。遺志を継いで闘ってくれれば、祖父も皆さんの心の中で生き続けるだろう」と述べ、大きな拍手を受けた。
 続いて「インターナショナル」が会場に流された。コロナ禍を考慮して「合唱なし」とされたが、多くの参加者が大隈同志の思い出を胸に小声で口ずさむ光景が見られた。
 「同志は倒れぬ」が流れるなか、参加者全員による献花が行われた。
 最後に、大嶋和広・党中央委員会常務委員(総政治部責任者)が閉会のあいさつを行った。同志は「先だっての会議で、秋山議長代行を中心とする新たな体制を発足させ、自分が総政治部を担うこととなった。全党の同志と固く団結して大隈同志の遺志を引き継ぎ、第六回党大会決議に基づく党建設を成功させる。皆さんに『新しい労働党』をお見せしたい」と決意を述べ、参加者にいちだんの奮闘と協力を呼びかけた。
 こんにちは資本主義が末期症状を呈する歴史的激動期である。生産関係の移行期、「社会革命の時代」であることは、ますます鮮明になりつつある。「格差」は耐え難いまでに広がり、急速な技術革新は危機を促進させている。
 第二次世界大戦後に世界の覇権を握った米帝国主義は衰退を早め、バイデン政権は「同盟国の協力」で台頭する中国を抑え込もうとあがいている。
 わが国菅政権は先日の日米首脳会談で、いちだんの中国敵視の道に踏み込んだ。アジアでの軍事的緊張が高まっている。
 わが国の独立・自主、アジアの共生の進路を実現することはますます喫緊の課題となっている。
 このような情勢に立ち向かい、わが国においてマルクス・レーニン主義の党建設を前進させ、日本革命を前進させる上で、追悼会は意義深いものとなった。(K)
労働者階級の革命的指導者、党の創設者、中央委員会議長 大隈鉄二同志を追悼する
二〇二一年四月二十四日 日本労働党中央委員会

 四月二十四日に東京で行われた「日本労働党中央委員会議長 大隈鉄二同志追悼会」で、党中央委員会を代表して秋山秀男議長代行が追悼文「労働者階級の革命的指導者、党の創設者・中央委員会議長 大隈鉄二同志を追悼する」を読み上げた。以下はその全文。

一、日本労働党中央委員会議長大隈鉄二同志は、去る三月二十二日午前一時半、心不全でその闘いの生涯を閉じた。同志の一生は、日本の労働者階級の革命的前衛政党建設と共産主義をめざして闘った革命的で偉大な生涯だった。
 大隈同志の逝去は、わが党とわが国革命運動にとって大きな損失だ。われわれは遺志を受け継ぎ、革命党の建設と日本革命の勝利に向けて闘うことをここに誓う。

一、大隈同志は、労働者階級の先進分子を結集する革命的前衛政党の建設に全力を傾け、日本労働党の結党を主導し、一貫して党の闘いの指導者であった。
 大隈同志は、一九七四年一月、日本労働党の結党大会を主宰した。
 戦前の天皇制絶対主義下の日本帝国主義との闘いの革命的伝統を持った日本共産党は、敗戦直後も労働者階級・人民の先頭で革命的に闘った。当時の労働運動で大きな影響力を持っていた国鉄労働者の一人だった若き大隈同志も、ストライキを指導するなど闘いに加わった。占領軍主導のレッドパージは過酷をきわめ、同志は職場を追われたが、日本共産党に入党し、ほどなく職業革命家となった。
 だが、米占領軍支配下の厳しい闘いの中で共産党指導部は分解した。支配権を簒奪(さんだつ)したこんにちの志位和夫委員長につながる日和見主義一派は帝国主義に屈服し、資本主義国家権力との決定的闘いを回避する議会的改良主義、修正主義に転落した。かれらは、当時の組織労働者の中心である総評と中立労連が準備した六四年の四・一七ゼネストに公然と反対した。また部落解放同盟などにも襲いかかるほどまでに腐敗・堕落した。
 こうした共産党の裏切りには、五〇年代末からさまざまな批判が労働運動や人民運動内から起こり、共産党内にも広がった。しかし当時の学生運動や新左翼諸派に典型的だが、大衆運動での反発にとどまった。他方、中ソ論争に代表されるように国際的な共産主義運動にも分岐が生まれていた。
 こうした中で大隈同志は、改良主義・修正主義に転落した共産党を打ち倒し、労働者階級としっかりと結びついた真の革命的前衛党の建設を唱え、すべての共産主義者の団結を主張し、日本労働党の結成を呼びかけ創立を闘い取った。「闘争の烈火の中」で日本労働党は誕生した。
 結党には修正主義・改良主義に転落した共産党と闘ってきた政治グループ、社会党内部の戦闘的な労働者、そして「新左翼」の一部が参加した。特に古くからの革命家であり、共産党修正主義と闘ってきた故○○同志は労働党の結成を熱烈に支持し、以降も一貫して労働党の成長・発展と日本革命の勝利に向けて、ともに闘った。
 大隈同志は、労働者階級の最良の先進分子による党という組織原則を打ち立て、さらにどのような党をめざすのかを明確にした。それは、民族課題を中心とする統一戦線問題で理論的政治的能力のある党であり、議会的闘争にも非議会的闘争に対処できる党など、日本の具体的状況の中での建党路線であった。また、高度に発達した独占資本主義国であり議会制民主主義の国であるが故の、修正主義など各種の日和見主義との思想的闘争の重要さを明確にした。

一、内外情勢が激変する中で、大隈同志の指導の下でわが党は結束して革命的な労働党の拡大・強化をめざして闘いを続けてきた。しかし、労働者階級の党組織建設は、重要な前進もあったが、こんにちなお十分には成功していない。だが、資本主義の歴史的危機が迫って、強固な革命的前衛党の建設はますます喫緊の課題となった。
 同志は結党以来、労働者階級の改良のための闘いを重視するとともに、政権奪取に向かう「階級的革命的労働運動」の形成・発展を提起し、運動発展のために心を砕いた。その中で、志を同じくする労働運動の多くの戦闘的指導者たちと深い盟友関係を築いた。党創立前から、炭労傘下の○○炭鉱の闘う労働者との団結に心血を注ぎ、故○○同志をはじめ戦闘的労働者の仲間たちがわが党の戦列に加わった。三菱長崎造船労組の指導者・西村卓司氏など新左翼の戦闘的労働運の指導者たちとも深い友誼(ゆうぎ)を結んだ。
 特に、票欲しさに労働者の断固たるストライキ闘争に敵対した日本共産党の指導に反発し闘う道を堅持した○○労組の闘いを断固として支持した。その指導者である○○氏は同志がこの世を去る瞬間まで深く信頼を寄せた盟友であった。
 こんにちまで同志は一貫して労働党の建設、日本革命の闘いの最先頭で闘い抜いてきた。

一、この五十年間、世界は激変した。とりわけ、第二次世界大戦の危機とその後の帝国主義との闘いで全世界の三分の一にまで前進していた社会主義陣営は大きな試練にさらされた。ソ連・東欧の社会主義は、歴史的条件と指導の誤りで帝国主義の攻撃に敗退し、消滅した。中国も試練の中にある。帝国主義の思想攻勢で、全世界のマルクス主義の思想、革命理論、運動の権威は大きく損なわれた。
 こうした中で大隈同志は、「帝国主義に反対する」というプロレタリア国際主義の立場を堅持し続けた。特に日中関係を重視し、党創立以前から○○炭鉱の労働者を率いて訪中し中国共産党や労働者と交流するなど、両国間の政治交流、経済交流、友好交流の発展に尽力した。
 しかし国際共産主義運動では、「自国の労働者人民に頼って」「他国のためではなく自国の労働者階級の勝利のために」との立場を堅持し、それ以前の「共産主義者」にあった、日本の政治勢力でありながらも「ソ連派、中国派、何国派」と呼ばれるような状況を厳しく批判した。
 結党からしばらくして七八年に中国共産党と関係を結んだ。大隈議長は中国の党を深く信頼したが、「日本の党」としての原則は譲らなかった。中国の同志たちと国際共産主義運動をめぐって激しく真摯な議論を何度も行ったことも今や大隈同志の思い出の一つとなった。
 その後、日本共産党の妨害もあって両党関係は途絶えた。だが、同志は「自分の側から裏切ったことは一度もない」とつねづね語っていた。われわれはプロレタリア国際主義を堅持する。
 「市場経済の基礎の上に」という中国の社会主義の道について、いまもわが党は否定的に見ている。同時に、米国を中心とする帝国主義の中国への野蛮な干渉、圧迫、瓦解の攻撃に反対し、「帝国主義と闘う限り断固として支持しともに闘う」姿勢を貫いてきた。六・四事件(八九年、日本では「天安門事件」)では、帝国主義は共産党独裁の体制転覆を狙って内政干渉・制裁を強めた。わが国宇野政権も「反中国」の大合唱に率先して加わった。日本共産党も帝国主義に追随した。
 われわれは違った。当時同志が直接筆をとった声明では「わが党は、ブッシュ、サッチャー等のようなキャンペーンに加わろうとは思わない。かれら資本主義諸国の指導者たちは、人権や民主主義のためにたたかっているわけではない。かれらは、社会主義中国を痛めつけ、全世界の社会主義をめざす人民の意志を最後的にくじこうとしている。にもかかわらず、中国での最近の事態は憂慮にたえない。どんな政府も、あれほど多くの人民の行動を、反革命だとか陰謀だとか言いくるめて武力弾圧を正当化することはできないからである」と述べた。
 こんにちも、米帝国主義が強大化した中国を抑え込み覇権を維持しようと政権瓦解の攻撃を強めている。われわれの基本的観点と立場は変わらない。
 二〇〇六年、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の最初の核実験の際も、同志は直接筆をとり、「米帝国主義とその追随者に対する北朝鮮の闘いは完全に正当なものである」と断言し、広い範囲で認識面を整頓し、闘う戦線を構築することを呼び掛けた。
 現在、中国も朝鮮も、米バイデン政権の政策を正確に見抜き、断固たる闘いを堅持している。われわれは国の独立と主権、平和のために帝国主義と闘う中国と朝鮮を断固として支持する。
 特に中国共産党は、この七月一日に党創立百周年の記念すべき時を迎える。大隈同志は、今年一月の中央委員会主催の新春講演の中で繰り返し習近平主席指導部の闘いを社会主義への「壮大な実験」と呼んで中国共産党が成功することへの希望を述べた。特に習主席が、金融やデジタル関連で大儲(もう)けしている大企業幹部を叩き、国民の貧困問題を打開するために力を尽くしていることに理解を示し、支持した。
 世界資本主義が完全に行き詰まった歴史的局面である。

一、勝利したはずの資本主義だったが、こんにち決定的に歴史的限界をさらしている。
 今や資本主義は使命を終え、経済社会のありよう、すなわち資本主義的な生産様式が問われる歴史局面となった。
 第四次産業革命といわれる技術革新は資本主義の危機を加速させ、新しい社会の到来を予見させている。
 昨年来のコロナ禍はこの資本主義の根本問題を露呈させ、危機を加速させている。
 世界の資本家たちは「持続可能な資本主義」の幻想を振りまいているが、それは文字通り欺まんにすぎない。地球温暖化と相次ぐ自然災害なども、誰しも認めるように産業革命以来の利潤追求一辺倒の資本主義経済の結果であり、どこから見ても持続不可能である。
 こうした資本主義的な生産諸関係、国家権力に裏付けられた資本主義的(私的)所有関係を基礎とした社会は今や歴史的な限界にきており、完全に行き詰まっている。この世界は変わらざるを得ない。改良的打開は不可能で、根本的解決以外にない。社会革命の時代である。
 資本家階級、支配層は社会の富の生産者である労働者階級を「生活できない」状況に、貧困蓄積と格差拡大で最早耐え難くなっているところに追い詰めている。抑圧されてきた労働者階級が、国家権力を握って経済社会を牛耳ってきた資本家階級を抑え込み、社会を革命的に改造する以外にこの危機からの出口はない。
 労働者階級と資本家階級の矛盾は激化し、両者の衝突が近づいてきている。
 同志は、この歴史的時代の到来をいち早く見抜き、われわれを導き、闘いの準備、革命的前衛党の強化を呼びかけた。
 その決戦に向かう歴史的準備の途上で、大隈同志は斃(たお)れた。同志が導いた革命党建設は残念ながらいまだ成功していない。しかし、この歴史的瞬間を予見し、備えることを公然と提起したのは、われわれが知り得ない全世界での努力はともかく、少なくともわが国では同志だけだった。
 時が来ている。わが党は結束を強め、強大な革命政党を建設することに全力を注ぎ、時代の変化の予兆を感じているすべての人びとと共に、遺志を継いで奮闘する決意である。共に前進することを呼びかける。

一、大隈同志が提起し、確定した党の政治路線は、五十年来の内外情勢の発展と闘いの試練に耐え、こんにちますます重要な戦略的な指針となっている。労働者階級が、当然にも人民的課題を重視するが、独立の民族課題を優先することで、独占資本家階級すらも分断し、最も幅広く戦線を形成し政治闘争の主導権を握り、革命に勝利し政権を握り、連続的に社会主義に向かう道である。
 戦後のわが国は、米占領軍の支配下に置かれた。一九五一年サンフランシスコ「平和」条約と日米安保条約が締結され、形式上は独立国となったが、真の独立ではなく、国家主権も著しく侵害されたままとなった。わが国は引き続き、米帝国主義の支配下にある「事実上の従属国」となった。真の独立の達成は民族の課題として今もある。
 しかし、五〇年代からの共産党の日和見主義・裏切りもあって、わが国が従属国であるとの現状規定と独立という民族課題への反発は闘う勢力の中に強かった。米帝国主義は、対中・対ソの戦略上から日本独占資本の育成・強化を支援し、「日帝自立」という誤った理論も広がった。
 そうした中で大隈同志は、高度に発展した独占資本主義国でありながら事実上の従属国であるとのわが国の現状規定を再確立した。そのポイントは、「独立の課題を、独占資本を中心とする支配層もまた解決を必要としている」ことだった。革命運動の前進に向けて、米国の支配や圧迫から生じる支配層内部のさまざまな矛盾を利用できるし、利用しなければならないこと、そのためには労働者階級が民族独立の課題を重視し闘うことで国の政治で指導権を持つ任務を明確にした。安倍前首相に典型的だが、「強い日本」を掲げて「独立」をめざすかのような幻想を振りまき、中間層を欺き政治的支持を広げた。大隈同志は、この危険性を絶えず指摘し、これとの闘争を重視した。ロシア革命を導いたレーニンや抗日戦争と中国革命を導いた毛沢東などの経験と理論に学び導かれていた。
 この戦略路線に沿って、同志は統一戦線問題に一貫して深い関心を払い、その今日的な組織づくりにも尽力した。こうした「組織化」の経験は、わが国では初めてのことであり、わが党の政治的前進を導いた。
 結党初期には、社会党左派のリーダーの一人だった穂積七郎氏などと共に「左翼連合」を結成した。初代幹事会議長は、三重県選出の元社会党代議士で「愛国左派」といわれた足立梅市氏であった。また「日中平和友好条約締結」や「北方領土返還」などでは、社会党委員長も務めた佐々木更三氏や曽我祐次氏などと党派を超えて友誼を築き、運動を発展させ、自民党の一部や財界人とも党を代表して友人関係を広げた。
 その後九三年には、以前から深い信頼関係にあった槇枝元文氏(元総評議長)らの呼びかけを支持し協力して「従属国からの脱却」の課題を最優先に掲げる「自主・平和・民主のための広範な国民連合」の結成を呼びかけた。大隈同志の指導下でわが党は広範な国民連合の発展のために尽力し、引き続き奮闘している。こんにち、広範な国民連合はますます影響力を拡大している。
 また大隈同志は、沖縄県民の闘争を一貫して支持・支援し、その全国化のために闘うとともに、社会党県委員長であった新垣善春氏、福地曠昭氏をはじめ、多くの県民のリーダーたちと深い信頼関係を結び、運動の発展に尽力した。

一、現在の国際関係は、資本主義の末期を背景に、米国を中心とする帝国主義とその他諸国の対立、大国間の対立も激化している。とりわけ米帝国主義は、力が衰える中で、強大化する中国を抑え込み世界覇権を維持しようと、戦争も辞さない攻撃に出ている。
 平和の危機の中で、安倍政権を引き継いだ菅政権も「日米同盟基軸」で、米国の対中国戦略の先兵となる道に踏み込んでいる。これは発展するアジアの中で孤立する道である。財界・大企業も中国抜きには成り立たず、選択が迫られ動揺している。米中対立のはざまで、支配層・保守層も含めて、わが国は岐路に立たされている。
 菅首相は先日訪米しバイデン大統領と会談、「台湾問題」の踏み絵を踏まされ反中国の包囲網形成の先兵になることを約束させられた。菅政権はその外交・安全保障でまったくの「時代錯誤」であり、危険であることがあらためて暴露された。
 われわれは、反中国の「人権」攻撃の大合唱には加わらない。
 米帝国主義に反対する中国と全世界の闘いの一環にわれわれは絶えず立ち続ける。
 米国帝国主義の世界支配の時代は終わった。世界は、帝国主義の下で抑圧された弱小国、中堅国、労働者人民が苦しみの中で、抑圧を跳ねのけ自立に立ち上がっている。帝国主義の大国間の対立も激化している。同時に、米帝国主義に反対する闘争が生まれ、各国は米帝国主義に従わなくなっている。特にアジア各国は戦略的な自立を強めている。わが国は、かれらと共に生きることが唯一の正しい道である。
 この情勢は、労働者階級にとって、独立・自主の旗を高く掲げて、支配層の一部も含む最も幅広い統一戦線を形成し、労働者階級を中心とした政権を打ち立てる文字通りの歴史的チャンスである。
 同志が提唱した「独立の課題の主導権を握る」政治路線は、歴史の試練に耐えただけでなく、いま真価を発揮する時を迎えている。
 同志は、その最前線で指導力を発揮して闘いの発展を願い、われわれもそれを望んでいたが、もはやかなわない。
 われわれはその旗を受け継いで前進する。この有利なチャンスを生かし、政権を握り、アジア諸国労働者人民と共に、搾取と抑圧がない社会の実現に向かってさらに前進する。

一、大隈同志は、一貫して党の思想建設を重視し強調してきた。
 結党大会文書には「労働者階級と人民大衆こそが歴史と革命の推進力であること、とりわけ労働者大衆と結びつき、大衆に信頼され、この運動の発展に役立ってこそ革命的たりうるという観点をうちたて、これに対立するあらゆる観点、作風とは徹底して闘わなければならない」と書き込んだ。これはこんにちもわれわれの指針である。
 また同志は、実生活の厳しい経験と闘いの中で独学で哲学を学び、高い水準を闘い取った。それは「闘いの武器」としてわれわれを導いた。
 同志は、党と革命運動の発展を願い、党の理論、思想、政治の水準をいちだんと高めることに心血を注いできた。第六回党大会で同志が提案し採択された労働党規約には「弁証法的唯物論、史的唯物論を世界観、歴史観として堅持し、唯物論的弁証法を党活動のすべての分野・領域の認識と行動とに適用する」と書き込んだ。
 資本主義が末期症状を深める下で、こんにち国際的に価値観・世界観は混乱し、マルクス主義は世界の哲学戦線で劣勢下にある。わが労働党は、だからこそマルクス・レーニン主義を指導思想として堅持し、それを具体化して闘った大隈同志の思想と実践に真剣に学び、闘いを継承・発展させていく。
 そのことが情勢の発展と大衆の要求に応え、反帝国主義闘争、そして日本の革命運動の前進を切り拓くと確信する。

 大隈同志は実に多くの労働者、農民、知識人、女性労働者など各界の人びとと気さくに交流し、親交を深め、幅広く信頼される指導者であった。かれらは陰に陽に党の前進を支えてくれた。エピソードとして、同志が上京した折にいつも利用していた東京駅近くのホテルのフロントの労働者が大隈議長の新春講演会を聞きに来たこともあった。こうした親交のあった、支えていただいたすべての皆さんに、大隈同志に代わってお礼を申し上げる。これからもわが党に変わらぬ友誼をいただきたい。

 途半ばで倒れた大隈同志の遺志を受け継ぎ、全党は中央から現場の同志まで固く団結して、党の総路線と六大会決議に沿って闘い続ける。
 激動の情勢であり、資本主義の側も、労働者階級の側もこのままではもたない歴史局面にある。
 わが党には五十年弱の闘いの蓄積があり、歴史の試練に耐えた幹部集団、献身的な労働者階級の先進分子である現場の同志たち、この党と革命運動の前進を願う多くの友人・知人・支持者の存在、また、革命の統一戦線のこんにち的な形態とわれわれは理解する広範な国民連合が立派に闘っている。
 団結して闘えば、偉大な闘争に戦略的に備え、前進は可能である。
 大隈同志はわれわれの心の中に生き続け、われわれの闘いを見守っている。同志に勝利の日まで「共に闘う」ことを誓う。
 同志、諸先輩、各界の友人の皆さん! 大隈鉄二同志の遺志を継いでともに闘い続けよう!

多くの人びとに影響与えた大隈同志の思想と生き方
追悼会に寄せられた弔電・弔辞


 大隈議長追悼会には友党など政界や労働運動などさまざまな分野の方々から弔電・弔辞が寄せられた。追悼会当日までに到着したものを掲載する。(要旨・順不同・敬称略、文責編集部)

沖縄でがんばる
故新垣善春・社民党沖縄県連合元委員長の妻 新垣洋子

 新垣善春が逝ってもう七年余。大隈議長は善春が入院している時もわざわざ見舞に来て下さり、本人は声が出ない、ただただうなずくだけなのに、二時間もより添って元気づけて下さいましたね。また葬儀の時も早くから一番前で最後までおいでになりました。ありがとうございました。心から御礼申し上げます。
 さて、大隈議長! 新年号の「労働新聞」に「丹下左膳のような顔だった」といつものジョークで語られておられましたが、お見舞いも言わず旅立たせてしまいましのたが心残りです。
 コロナで追悼会には行けませんが、善春の仏前でお祈り致します。善春に逢ったら、沖縄社民党は小さくなったが、元気のいい方々が残っているから私もがんばってると伝えて下さい。
 労働党の皆様もきっと、議長の足跡を大事にがんばることと思います。併せてお祈りします。

労働者の解放と民族独立の一身捧げた革命家
元参議院副議長/自主・平和・民主のための広範な国民連合代表世話人 角田義一

 大隈鉄二議長の訃報に接し、驚き、深い悲しみを覚えます。正に「巨星落つ」の感を深く致しました。
 議長は、労働者階級の解放と日本の民族の真の独立を願い、一身を捧げた偉大な革命家であり、生涯をかけた生き様に対し、心から敬意を表します。
 菅内閣の下で、今や日本は「亡国か新生日本をつくれるか」の瀬戸際に立たされています。日米共同宣言における中国敵視政策、なかんずく台湾海峡をめぐる米中の緊迫のなかで日本を戦争に引き込む政策に断固反対し、日本国憲法の「日本国民は、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」を鮮明に掲げて闘わなければなりません。また、福島沖に汚染水を垂れ流す暴挙は、日本の漁業を死滅させてしまいます。今や菅政権を一日も早く打倒し、来たるべき総選挙で野党連合を勝利させ、救国の政権を樹立させなければならない時が来ました。このようなときに議長を失ったことは痛恨の極みです。しかし、私どもは団結し、議長の遺志を継いで闘わなければなりません。
 どうか天上において我々の闘いをお守り下さい。心からご冥福をお祈りいたします。

議長の言葉胸に労働運動と革命党建設に全力
全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部委員長 武建一

 大隈議長の御霊前に謹んでお別れのあいさつを申し上げます。
 大隈議長は「世の中想定外のことが起きる。しかし、歴史から教訓を学び現象から本質を分析する知的能力があれば先は読める」と言っていました。大隈議長の悲報はまさに想定外のものでした。
 私が一年九カ月ぶりに保釈された昨年五月二十九日以来、二度にわたって大隈議長と大阪で懇談する機会がありました。私の顔を見て、声を聞いて、「元気そうだ。これで関生は大丈夫だ」と激励いただきました。その際、大きなタブレットに数々の情報をインプットされているのをお持ちで、私にタブレットを持つことを勧められました。「情報力、人脈、想像力は闘う上で大きな武器だ」と言っていました。大隈議長からは「革命運動に定年はない」「私は百歳まで元気だ」と力強い言葉を頂きました。大隈議長は、「昔は『十年ひと昔』と言われたが、こんにちの世界は一カ月、日々想像を絶する激変の時代だ」と言い、「情報の遅れが革命運動に与えることの影響」について指導をいただきました。私は近頃の世界と日本の経済、政治、外交を見るにつけ大隈議長の教えの重要性、大切さを実感しているところです。
 議長と私の最初の出会いは、一九八〇年代前半です。およそ今で四十年になろうとしています。それは、八二年、日経連・大槻文平会長による関生支部への大弾圧です。この弾圧は、大槻会長によれば「関生型運動は資本主義の根幹にかかわる運動だ」「箱根の山は越えさせない」として、その政治力で関生支部への攻撃を集中してきました。この時、あろうことか共産党の裏切りにより困難な闘いに直面していました。
 ちょうどこの頃、大隈議長との出会いがあり、この時からのお付き合いです。四十年前に関生支援の手を差し伸べていただいたのです。
 当時、総評のオルグを紹介していただき、全日建の長谷川武久委員長との出会いがあり、八四年に誕生した今の全日建連帯労組があるのです。議長との出会いがなければ今日の連帯ユニオンは存在しなかったことになります。その意味で、連帯ユニオンの生みの親であると言っても過言ではありません。
 ここに改めまして関生支部を代表して衷心より大隈議長と労働党の皆様に感謝を申し上げます。ありがとうございます。
 大隈議長の人となり、こんにちまでの功績については、「労働新聞」などに詳しく紹介されているので私は大隈議長との長年のお付き合いの中で得られた教訓の一端をこの機会に紹介してお別れの言葉にします。
 大隈議長は、「労働組合運動の積極面と限界性」について何度となく話され、革命運動にとって労働党の果たす投割、そのためにいっしょになって労働党を大きくしようと述べていました。残念ながら私は議長の思いに応えられていません。
 今、関生支部への権力、在特会、元ヤクザなど一体となった攻撃を受ける中で大隈議長の言葉を実感として受け止めています。
 「階級的労働運動」とは、「労働組合主義を克服して理論上も実践においても革命政党との協力・連携してこそ階級的労働運動にとって重要であり必須条件である」「労働者の闘いは一時的に勝利しても社会主義、共産主義体制碓立なくして全面勝利はあり得ない」との教えです。この教えは敵の全面的攻撃に耐え、新しい前進を勝ち取るための法則です。「苦しい時の原因は何か、闘う時の敵は誰か明らかにして臨むこと」ー議長のこの言葉を心して労働組合の前進と革命党建設に向け全力を傾けることを決意します。
 弱肉強食の資本主義は終わりを迎えています。いや終わらせなければなりません。支配する者、被支配者との対立矛盾は激化しています。運動の核心がここにあるのです。
 新しい時代に向け労働党の皆様と手を携え、志半ばで肉体は消えましたが、議長の精神は脈々と生きています。議長の志をいま生きている私が継承することが社会的任務だと考えています。
 お別れにあたり、これからも天上より叱咤激励をお願いたします。
 心より感謝を込めて

社会民主党党首 福島みずほ
 ご逝去の報に接し、心からお悔やみ申し上げます。  故人のご功績を偲ぶとともに、御党と本日ご参会の皆様のますますのご発展をお祈りいたします。

新社会党中央執行委員長 岡崎宏美
 大隈鉄二議長の逝去にあたり謹んで哀悼の意を表します。
 生涯、労働者解放に捧げられたことに深く敬意を表し、その意思を引き継ぎ、労働党の旗の下に結集された皆様の今後のご活躍を祈念致します。

自主・平和・民主のための広範な国民連合代表世話人 西澤清
 突然の訃報、驚きと悲しみでいっぱいです。幾多のご厚情を思えばすぐにでも最後のお別れに駆けつけなければならないのですが、参列できず残念です。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。

被差別人民の闘い励まし続けた議長
部落解放同盟中央本部執行委員長 組坂繁之

 大隈鉄二・日本労働党中央委員会議長のご逝去に際し、部落解放同盟を代表して、心より哀悼の意を表します。
 大隈鉄二議長は、一貫して労働者階級の革命性、戦闘性に確信を持ち、日本労働党の先頭で指導者として闘い抜いてこられました。また、部落解放運動をはじめ、すべての被差別人民の差別の鉄鎖からの解放の闘いへの熱い連帯と、惜しみない励ましを続けてこられたことに心より敬意と感謝を申し上げます。
 こんにち、新型コロナウイルス感染症の拡大によって明らかになっているのは、世界的な格差と貧困、差別の深刻な情況です。さらに世界各地での紛争や対立が激化している今日の世界情勢が示しているのは、今日の国際社会そのものが、すでに持続可能なものではなく、そのありようを転換することが強く求められているということです。大隈鉄二・議長の永年の闘いもまた、この転換を必然として捉えた世界観のもとにあったと思います。
 われわれ部落解放同盟も、民主勢力の一員として、日本労働党に結集する皆さんをはじめとして、幅広い連帯・共闘の力を結集し、部落解放―人間解放の「よき日」に向けて全力で闘いを進めることをお誓いし、大隈鉄二・日本労働党中央委員会議長への哀悼の辞といたします。

共通するマルクス・レーニン主義の考え方
元衆議院議員/朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会議長 日森文尋

 大隈議長のやや若い写真を見て、今この時代にもっとも必要な指導者の一人、大隈先生、もう少しがんばれなかったのか、こんな思いがしてなりません。
 私は大隈議長と近しく接していただけたのは、つい最近のことであります。
 ご紹介にあったように私は朝鮮の自主的平和統一を支持する日本委員会の議長として岩井章さん、市川誠さん、槇枝元文さんなどが進めてきた運動を引き継いで今進めているところです。
 新年の新春の旗開きに何度かお伺いしました。
 そのたびに大隈議長の元気なお話を伺うのですが、なかなか腰が引けて言えない中国、朝鮮問題をまさにズバッと、もちろん科学に基づいてということですが、明確な判断をされました。
 私たちの運動も厳しい環境のなかで進めているわけですが、毎年正月に大隈議長のお話を聞いて、われわれ自身が元気づけられて一年間がんばってこられた。こんな思いがしています。
 実は今年の正月にも大隈議長のお話を聞く予定でしたが、コロナが厳しくなってちょっと今年は遠慮してしまったんですけれど、残念でなりません。
 今年改めて大隈議長の話を伺うことができれば、もう一歩、元気づけられて日朝連帯運動が前進できたのではないか、こんな思いがしています。
 菅首相は訪米して、バイデン大統領と会談、声明を出しました。そこで、一九六九年以来、改めて「台湾条項」が出され、中国を包囲する「自由で開かれたインド太平洋戦略」がうたい上げられました。
 しかし、パワー・バランスの問題で言えば、もう極東においては明らかに中国に有利なんですよ。米国が世界中の軍隊を集めてくればもちろんまだ力はあるのかもしれませんが、極東においてはまさに中国有利。だから、同盟国の力を借りてなんとかしていこうという米国の狙いが明らかな共同声明でした。
 何が極東における米国の覇権のために必要なのか。
 言うまでもありません。日本の自衛隊です。日本の自衛隊を日米軍事一体化の下に米国の手駒としてどれだけ効率的に使えるのかということがかれらの大きな課題になっています。
 そのためには沖縄・名護市辺野古に未来永劫、米軍が勝手に使えるような巨大な基地が建設されようとしています。あの台湾から百キロしか離れていないあの与那国島にも自衛隊を派遣、ミサイルでハリネズミのように武装して、沖縄全体が要塞化しようとしています。まさにこうしたことをさらに進めようということが今度の共同宣言で明らかになったと思っています。
 中国、朝鮮に対する根拠のない脅威論にあおられて、残念ながら国会でも「非難決議」が採択されるような情けない状況なんですが、これを打ち砕いていくことが大きな課題です。
 こうしたことは大隈議長が一貫して主張されてきたことだと思います。
 今日素晴らしい文書を秋山さんから提起をしていただきました。そして、今までの大隈議長の講演や、あるいは「労働新聞」で文書を読まさせていただいています。
 この大隈議長の貴重な遺志を引き継いで、この国の平和、そして国際的な平和、これを求めていきましょう。
 しかも、それは根底には科学でしか実践できず、根底にはマルクス・レーニン主義という基本的な考え方があるという共通の思いを持ちながら、いっしょにがんばっていきたいと思います。
 大隈議長、安らかにお休みください。

深く鋭い洞察力にいつも感嘆
東京大学大学院教授 鈴木宣弘

 大隈議長の訃報に接し、衷心よりお悔やみ申し上げます。
 大隈議長は本当に年令を感じさせない卓越した頭脳と体力をお持ちでまさか、お亡くなりになるとは想像できないでおりました。
 私も何度もご講演を拝聴し、たくさんメモをとりながら、勉強させていただきましたが、その数値を読み解く、深く鋭い洞察力は、私には到底真似できないすごさで、いつも感嘆しておりました。
 大隈議長のような理論と分析に基づく学者としての姿をもつ指導者は本当に偉大な存在でした。
 2年前の福岡での私の講演にも駆けつけて下さり、貴重なご助言をいただきました。
 このところコロナの影響や私の都合で新年の議長のご講演にお伺いすることができず、今年もUSBメモリでそのお話の様子を送っていただいた矢先にこのようなことになってしまいました。
 もう一度お会いしてごあいさつできなかったことが痛恨の極みです。
 このUSBが形見になりました。大隈議長のお言葉を何度もかみしめて拝聴し、勉強させていただきます。  残された我々が大隈議長のような実態に基づく理論と分析を大切にし、そのご遺志をみなで継いでいきますことを誓って、大隈議長へのお礼と追悼の言葉とさせていただきます。

元神奈川県開成町長 露木順一
 闘士 大隈鉄二氏の死を悼む
 「貧しさを乗り越えて這い上がった者はあごの骨が違う。張っているんだ」。
 穏やかな口調ながらも凄味を存分に感じさせる言い回しでした。東京駅近くの喫茶店で幾度となくドスの効いた声で薫陶を受けました。中国の要人たちとの人脈の太さに舌を巻いた覚えがあります。中国共産党のこんにちを築いた中国人闘士たちとの論争において互角以上に渡り合い存在感を見せつけた姿が目に浮かんだものでした。経済理論に強くパソコンを駆使し詳細に分析する姿は理論に裏打ちされた闘士の姿そのものでした。この世に生を受けたものはいつの日か去る日が来ます。九十一年の生涯をぎりぎりまで闘士として生き抜かれたことを心より敬意を表します。合掌

沖縄・石川元平
 私たち沖縄県民の日米安保条約廃棄、軍事基地撤去の闘いを支持、支援し、対米従属から脱却して日本の真の主権回復と独立をめざして奮闘して来られた大隈鉄二議長のご逝去を悼み謹んで哀悼の誠を捧げます。

JAM会長 安河内 賢弘
 この度の「日本労働党中央委員会議長大隈鉄二同志追悼会」開催にあたり、関係者各位のご尽力に敬意を表しますとともに、ここに眠る御霊の安らかなることをお祈りいたします。

東京都労働組合連合会執行委員長 西川晋司
 ご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、故人のご功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。

社会民主党東京都連合幹事長 伊地智恭子
 大隈様のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。
 同志の皆さまのお悲しみをお察し申し上げますとともに、故人が安からかにご永眠されますようお祈りいたします。

新社会党愛知県本部副委員長 石川つばさ
 ご逝去の知らせ受け、ただただ、驚いております。ご生前のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈りいたします

在日本朝鮮人総聯合会東京都本部常任委員会
 日本労働党中央委員会 大隈鉄二議長のご逝去に接し、心よりお悔やみ申し上げます。
 ご功労に敬意を表しますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

在日本朝鮮人総聯合会大阪府本部常任委員会委員長 夫永旭
 大隈鉄二議長が三月二十二日に享年九十一歳でご逝去されたという悲報に接し、謹んで哀悼の意を表します。
 大隈鉄二議長は、生涯を通じて朝・日国交正常化と民族教育をはじめとする在日朝鮮人の民族的諸権利の擁護のために多大なるご尽力をされたばかりでなく、朝鮮の社会主義強国建設と自主的平和統一のための朝鮮人民の闘いに、変わりない支持と温かい声援を寄せてくださった、私たちの大切な友人でした。
 大隈鉄二議長は逝去されましたが、私たちは、朝日友好親善の歴史に刻まれた先生の功績を決して忘れないでしょう。
 故人のご冥福を心より祈念いたします。

活動家集団思想運動 事務局責任者 土松克典
 創党からこんにちまで貴党を率いてこられた指導者大隈鉄二議長のご逝去の報に接し、心から哀悼の意を表します。
 貴党が大隈議長のご遺志を受け継いで、力強く前進されることを祈念いたします。

片岡健
 労働者階級解放に生涯を尽くされた大隈鉄二同志を偲び略儀ながら書中にて心より哀悼の意を表します。

沖縄・大城愛(仮名)
 沖縄問題が揺れる中、労働党に出会い、マルクス主義に出会えたことは幸運でした。議長、もっとお話を聞きたかった。本当にありがとうございました。

井上恭子
 大隈議長逝去のお知らせをいただき 心よりお悔やみ申し上げます そして、ご冥福をお祈りいたします。

岐阜・小島昇
 大隈鉄二議長の訃報に接し、深く深くお悔やみ申し上げます。
 大隈議長は日本の労働者階級のみならず、全世界の労働者階級に多大なる遺産を残して下さいました。九十歳を突破する全人生の最後の一秒に至るまで、確信に満ち溢れた歴史観をもって、信じられない精力を捧げて全労働者階級の最前線に立って、気を抜くことなく生涯闘い続けて下さいました。議長が残してくれた尊い遺産をシッカリと受け継ぎ、最後まで闘い生きてまいります。
 大隈議長、お疲れ様でした。


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