2021年4月5日号 3面
コロナ禍の下における東京五輪の開催には、さまざまに批判が高まっている。 聖火リレーの強行によって、沿道に人びとが集まってコロナ感染症が拡大する懸念のほか、この対策が自治体に「丸投げ」されていることなどである。確かに、政府、組織委員会の無責任ぶりは際立っている。 振り返れば、日本オリンピック委員会(JOC)をめぐる事件やスキャンダルが次々と発覚している。 竹田元会長に対するフランス当局による贈収賄容疑での捜査(辞任)、森前会長による女性差別発言(辞任)、橋本現会長によるセクハラ疑惑、元演出家も女性差別発言で辞任に追い込まれている。聖火ランナーや大会ボランティアでの辞退者も相次いでいる。 JOCによる情報公開もきわめて不十分で、丸山・島根県知事が「公益法人としてのあり方」を批判したことは記憶に新しい。 まさに、東京五輪は腐敗と堕落に満ちたものであることは明白である。これらだけでも、東京五輪は直ちに中止すべきである。 政治軍事大国化と結びつく 東京五輪は、安倍前政権以降の対米従属下でアジアの政治軍事大国化をめざす路線と結びついたものである。 安倍前首相は二〇一一年に政権に返り咲いた際、「強い日本を取り戻す」などとナショナリズムをあおった。 かれが実行したことは、空前の軍備増強や集団的自衛権の行使容認などの法整備で、米アジア戦略の先兵として対中国包囲網の片棒を担ぐことである。これと符合する形で、教育の反動化、マスコミへの統制、社会保障制度の改悪、憲法第九条改悪策動などが推し進められた。 これらは対米従属政治からの脱却ではなく、「ニセの独立」であった。この方向は、世界中に権益を持つに至った、わが国多国籍大企業のためのものであった。こうした欺まんによって、旧民主党政権の対米従属政治に失望した有権者の支持をかすめ取ったのである。 安倍前首相は東京への五輪招致の際、「自信と夢を取り戻す」などと叫んだが、政治軍事大国化の動きと軌を一にしたものである。「強い日本」「アジアの大国」のシンボルとして、五輪を打ち出そうとしたのである。さながら、一九六四年の東京五輪が「経済大国日本の復活」を世界に印象づけたことと同じである。 それがデタラメなものであることは、安倍前首相は二〇一三年九月に行った最終プレゼンテーションでも明らかである。彼は、東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の現状について「コントロール下にある」「汚染水は完全にブロックされている」などと発言した。 震災・事故後十年が経過したが、原発の廃炉は未だメドが立たず、二万八千人以上が福島県外への避難を強いられたままである。原発から日々流出する汚染水に「コントロール不能」であることは明らかである。だからこそ、菅政権は漁民などの反対を押し切って、海洋放出の機会を伺っているのである。 デタラメによって誘致された五輪は、開催の基礎を完全に失っている。安倍前政権、菅政権の態度は、わが国の国際的名誉さえ失墜させるものである。(O)(続く)
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