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2020年8月25日号 2面・解説

戦後75年の各紙社説

コロナ禍、危機のなか
方向性なし

 世界資本主義の末期症状は、「コロナ禍」によってより深刻となっている。衰退を早める米国は世界支配を維持するため、「米国第一」を掲げて中国を抑え込む策動を強めている。米中両国はすでに、広義の戦争状態にあり、アジアに位置するわが国の進路は、重大な局面にある。このようななか、敗戦の日の八月十五日、「産経新聞」を除く商業各紙は「戦後七十五年」と題する社説を掲載した。各社説の内容を論評する。
 折しも、ポンペオ米国務長官は七月二十三日、「共産主義の中国と自由世界の未来」と題する演説を行った。演説は、中国を認めることが「歴史的な過ちにつながる」などと決めつけ、「中国の姿勢を変える」ため、日本やオーストラリアなどと「新たな同盟」を形成して、中国共産党政権への敵視とその打倒の意思をあらわにさせている。
 この米国の姿勢を受けたかのように、国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)は、終戦の日前日の八月十四日、各紙に「日本の政財界指導者たちへ」なる意見広告を掲載した。
 この広告は、「『安全保障は米国、経済は中国』という便法はもはや通用しません」などとし、「日本も覚醒すべきです」などとしている。
 世界資本主義の危機の深まりと、米中対立の歴史的激動期に際し、わが国支配層は動揺を深めている。櫻井よしこらの策動は、米国の要求に積極的に応え、わが国の政治軍事大国化をめざす方向で、わが国政財界指導者を叱咤(しった)し、「世論を統一」しようとしているのである。
 わが国の進路が、深刻に問われる情勢である。このような状況下、敗戦の日に際しての商業各紙の社説はいかなるものであったか。

読売/「協調路線」は空論
 「読売新聞」は、「戦後七十五年 国際協調維持へ役割果たそう」と題した社説である。結論から言えば、商業各紙のなかで、わが国の進路について概括的に言及している。
 社説は「複雑化する国家間の対立構造を冷静に把握すること」の重要性を指摘している。具体的には、米国の「自国第一」主義、中国やロシアによる「一方的な現状変更」を指摘した上で、「複雑化する国家間の対立構造を冷静に把握する」ことが重要だとする。
 その上で、日本は「国際ルールに即した協調路線へ引き戻す役割」を果たすべきだと主張する。そのため、「経済力を低下させず、国内の安定を保つ」ことで「発言権を確保する」べきだという。併せて、自衛隊の役割強化、日米同盟の強化といった、政治軍事大国化の方向を打ち出している。
 「読売」のいう方向は、支配層の一部の意図を代弁したものであろう。
 だが、衰退を早める米国が、世界支配の立て直しのためにしゃにむに「自国第一」を進めており、「協調路線へ引き戻す」ことなど幻想である。「協調」を見せたとしても、それは、中国包囲網を強化する目的から、あくまで米国主導でのもので、日本企業の中国権益に配慮することなど、あろうはずもない。
 わが国支配層内にさえ、すでに述べた国家基本問題研究所による意見広告のように、対米・対中関係での動揺を押しとどめるような世論操作も強まっている。「読売」の中途半端な見解では、支配層内でさえ、主流となり得るかどうか。

日経/肝心の危機に触れず
 「日経新聞」は、社説「戦争の何を語り継ぐべきなのか」を掲載した。
 ここでは、コロナ禍のなかであるとはいえ「過去の戦争の反省を踏まえ、これからの日本が歩む針路をどう考えるのかという本筋がおろそかになってはなるまい」とする。日本人犠牲者について述べた後、「アジア諸国に多大の損害を与えたことは、率直に認めなければならない」とも指摘する。
 さらに、戦前・戦中の日本の行動を正当化するような出版物を、「若い世代に偏った歴史観を植え付けることにならないか」と危惧を示している。靖国神社に戦争指導者が合祀(ごうし)されていることについても、ドイツなどと比較し、「戦後日本における戦争責任の追及が手ぬるかった」と述べている。
 「日経」は昨年同時期の社説でも、自民党内の「戦前を正当化する動き」に警鐘を鳴らしていた。「朝日」のそれと勘違いする読者さえいそうである。
 だが、世界資本主義の危機がコロナ禍によって深化し、米国からの対中攻勢が激化する情勢である。日本の進路が問われている。経済紙である「日経」ならば、せめて「世界経済のリスク」に触れる程度のことがなければならないのではないか。
 それとも、終戦の日の社説をあえて「過去の話」に限定することで、国民の目を曇らせようとしているのであろうか。

朝日/判断「個々」に帰す
 「朝日新聞」はどうか。
 「戦後七十五年の現在地不戦と民主の誓い、新たに」と題する社説では、敗戦によって高まった「『民主主義の世の中』に変わるという国民の意識」が「どこまで達せられただろうか」と問いかける。
 コロナ禍のなかで「政治家が勇ましい言葉で求心力を高めようとする」例が見られると指摘、「最終的に大切なのは個々の判断に基づく行動」であるとする。
 その上で、米中対立の世界の現状を「嘆かわしい」とし、「自由と民主主義の基盤」が重要とした上で、安倍政権はそれに「背を向けている」と批判する。
 基本的に、「朝日」が主張するのはほぼ「戦後民主主義の継承」だけである。コロナ禍の世界には言及してはいるものの、わが国のめざすべき大局的な方向についての提起はなく、「個々の判断」に委ねられてしまっている。「個々の判断こそ民主主義」と言いたいのかもしれないが、国の大局的方向を示さない「朝日」の姿勢こそ、安倍政権・支配層による「強い国」、米国と共に中国を敵視する政治軍事大国化の方向に、側面から手を貸すことにつながっているのではないだろうか。

毎日/ポピュリズムの見抜けず
 「毎日新聞」社説は、「戦後七十五年を迎えて 歴史を置き去りにしない」である。
 論旨は「戦争の実相を語り継ぎ、国民の中でしっかりと共有していく必要がある」という。一般的には必要なことである。
 だが、「毎日」が主張するのは、悲惨な太平洋戦争を招いたのが「軍部の独走だけにとらわれず、(中略)ポピュリズム(大衆迎合主義)」であるということである。
 「ポピュリズムに陥らないように」と言いたいのであろう、「戦争の真の姿に対する理解」が必要だとし、「国のありように関心を持つ市民が社会を強くする」と結んでいる。
 だが、ポピュリズムの概念規定はきわめてあいまいで、何より、それがなぜ生まれたのかについては、きわめて皮相な見解にとどまっている。
 第二次世界大戦は帝国主義による世界再分割戦として始まり、大きな影響を与えたのは一九二九年に始まる世界大恐慌である。こんにち、いわゆるポピュリズムが台頭している背景も、資本主義の末期症状であり、絶望的なまでの格差と貧困である。既成の政党・政治勢力は、有権者の高まる不満の受け皿になり得ていない。
 ここに、ポピュリズム勢力が台頭する基礎がある。
 ポピュリズムの背景を見ず、嘆くだけでは、新しい「国のありよう」を提起することはできない。

沖縄、アジアに目を向ける
 一方、「琉球新報」の社説「敗戦から七十五年 日米の犠牲にならない」は、「戦争によって沖縄を占領した米軍は、いまだに駐留している。外国の軍隊を沖縄に押し付けて、自らの安全を確保してきた日本の戦後七十五年の姿はいびつである」と述べる。
 わが国戦後政治の一面を突いている。
 社説が続けて「これ以上、日米両国の犠牲になることを拒否する」と言明したのは当然である。最後に、安倍政権による「敵基地攻撃能力」検討と米軍による新型中距離ミサイルの配備検討を批判し、「沖縄がロシア、中国、北朝鮮の標的にされ核兵器と通常兵器で攻撃される可能性が高まる」と危機感を表明、「武力行使によって国民を二度と戦争の惨禍に巻き込まない。七十五年前の誓いを忘れてはならない」で終えている。
 全国の心ある人びとは、こうした沖縄県民の決意と連帯して闘わなければならない。
 コロナ禍に際しての意義を深めるという点で弱さはあるものの、アジアと共生すべき日本の進路を実現する上で、忘れてはならない点である。    (K)


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