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2020年1月1日号 1面〜7面

大隈議長 新春に語る

 新年に際し、「労働新聞」編集部は、大隈鉄二・党中央委員会議長にインタビューを行った。大隈議長は、最近の情勢に始まり、急速な技術革新、哲学問題などの広範な話題を縦横に語った。紙面の都合で一部を割愛したが、以下、編集部の責任で掲載する。(聞き手・大嶋和広「労働新聞」編集長)


大嶋 明けましておめでとうございます。
 大隈議長のインタビューは数年ぶりです。よろしくお願いいたします。
 この後、新春講演会・旗開きも予定されています。「課題と闘い方」などはそちらにお譲りして、このインタビューでは「お屠蘇(とそ)気分」というか、くつろいで読めるもの、昨今の情勢と関連しての観点というか認識論、できれば、日ごろ聞けない哲学問題などもお話しいただければと思います。
 まず情勢ですが、昨年末、米中交渉が一定の合意に至りました。これを「歓迎」して株価は上がりましたが、米国の策動が終わったとはいえないと思います。また、英国総選挙で保守党が勝利し、事実上、一月末の欧州連合(EU)からの離脱が決まりました。また、秋からという意味では、中南米諸国を中心に新興国の通貨安が深刻化し、それを背景に、デモなどの階級闘争が高揚しています。いくつかの中南米諸国は、騒乱状態といってよい状況です。
 思いつくままに、お話しいただけますか。

大隈議長 注文が多いですね。もう九十歳を越えたので「ボケないうちに」ということですか(笑)。始めましょう。

破局なしに超えられぬ情勢

「新年に向けて」

大隈議長 どうも調子が悪い。新年インタビューとなっていますが、実際には「新年に向けてのインタビュー」だよね。おっしゃるように「米中合意」で株高。英総選挙ではジョンソン首相の保守党が大差で労働党に勝った。世界中の抗議デモは、にぎやかなこと。その米中合意、言ってみれば米中戦争の「中休み」だろうが、米国は大統領選、トランプは民主党からの弾劾問題もあるし、中国から成果が欲しいし、大変だね。中国もこれまた、内外にわたって大変な事情がある。
 ところで十数年ぶりの株高、市場では歓声をあげて喜んでいるが、大嶋さんはどう? 金持ち、株持ちには腹が立つが、持たない労働者、勤労大衆には関係ない? 違うんだね。格差の広がり、これも階級諸関係の総体、その矛盾の激化、その経路というか、なんですよ。
 労働者階級は職場での企業側との闘い、賃金、だけでの力関係と併せて、もっと国、政府の政策、回り回っての社会の諸現象に関心を払えるようになれればいいですね。わが党と「労働新聞」の役割ですね。

今回の危機の奥深い基礎、背景

大隈議長 二〇〇八年リーマン・ショック後の一連の情勢の起伏のなかで、われわれは、今回の危機の奥深い基礎、背景は、生産様式としての資本主義そのものが問われる、限界、そのような破局なしは収まらない特殊性があるとはいえ、一般的には、これまでの危機と同様に、全世界人民の多くが、すでに耐え難くなっていると言ってきました。
 ただ、それを客観的に国際機関での統計、数値で示せないか。「ここが限界」なんて書いてない、沸騰点なんていう数字はない。それで、難民の統計を取り上げたり、アフリカに集中している最貧国問題を取り上げ、それらの国の経済、資源収奪国との貿易関係、そんなわけで最後には総合しての判断、論断しかなかったんです。
 ところが、マーティン・ウルフ氏(「フィナンシャル・タイムズ」副編集長)が、三月にその問題を書いたんです。正確には、ある研究を紹介、取り上げてくれたんです。嬉しかったですね。困っていた頃から、おおかた十年も経ってるんですから。気掛かりでしたので。そういうもんですよ。責任がありますので。

ウルフ氏の見解

大隈議長 ウルフ氏は「金融政策の限界を直視せよ」(三月十四日付「日経新聞」)の中でーー
 「なぜ金利がこれほど低いのか。『長期停滞論』で説明できるのか。次の景気後退期の金融政策の効果を見通す上でどんな意味を持つのか。金融政策の代わり、あるいは景気対策効果を高めるには、他にどんな政策を試してみる必要があるのか。これらはマクロ経済上、最も重要な問いだ。そして議論が大きく分かれる問いでもある。
 英中央銀行イングランド銀行のリサーチアドバイザーを務めるウカシュ・ラヘル氏と米元財務長官のローレンス・サマーズ氏が最近発表した論文は、これらの問いに光を当てている。同論文の趣旨は、一五年にサマーズ氏が今の時代における重要性を指摘して復活させた『長期停滞論』を裏付け、さらに発展させることにある。この論文が画期的なのは、経済規模の大きい先進国をひとくくりに捉えた点だ。まず、その結論四つから紹介しよう」
ーーと、書いています。
 この記事は、「労働新聞」でどこかの時点で紹介するでしょうから、嬉しかった部分のみにしておきます。四つの結論の第三番目ですが、「潜在的な供給力に対して需要が慢性的に弱い高所得国は長期停滞に陥っているとの仮説」、これです。これを手掛かりに、アフリカの資源諸国における情勢の推移が把握できます。
 その部分だけ引用するとーー
 「第三に、構造的な需要の弱さの原因を作っているのは政府ではない。それどころか政府は、社会保障支出および財政赤字、公的債務残高を拡大させることで、他の条件が同じなら長期の均衡実質金利を押し上げる方向で動いてきた。
 最後に、もし政府による支出がなく、民間部門で起きていた様々な変化に任せていたら、均衡実質金利は七%ポイント以上低下していたはずだ。これほどの大幅な下落を招くに至る多くの要因には高齢化、生産性の伸びの鈍化、格差拡大、競争の減少、投資財の値下がりが含まれる。
 サマーズ氏ら二人は、潜在的な供給力に対して需要が慢性的に弱い高所得国は長期停滞に陥っているとの仮説は、かなり高い確率で正しいと結論付けている。結局『〇八年の金融危機前というのは、実質短期金利は既にマイナスで、すさまじい住宅バブルが発生しており、融資審査基準も低下していたうえ、財政支出も拡大していたが、それだけの手を打っても低い成長率しか達成できていなかった。欧州がまずまずの成長をできていたのも、今思えば明らかに持続不可能な周縁国に貸し込んでいたからだ』と指摘している。」
 サマーズという人は、オバマ政権でも国家経済会議(NEC)委員長を務めています。非常に率直にモノを言う人ですね。

余談、思い出したことなど

大隈議長 金融政策は、企業の活動を活発にさせるためで、投資などの前提です。財政政策は、政府が需要をつくり出すものですね。
 以前の新春講演会で、社会主義協会のある論者の見解を批判しました。彼は、米国の金融緩和政策や財政政策を「経済を回復させるには十分」などと評価していました。月並みで、ブルジョア新聞の引き写しだとね。年甲斐もなく申し訳ない気もしますが、批判は正しかった。憎まれ役で、党を率いると勉強不足で「アヒルの水掻き」ですかね。「議長、そんな本も読むんだね」と笑われそうですが、見られないようにこっそり読む(笑)。
 一五年には、イエレン米連邦準備理事会(FRB)理事長が利上げに踏み切ったことについて、「後戻りするかもしれない。この人たちは実体経済が分かっていない」と批判しましたね。
大隈議長 今回の危機が「破局なしには…」というのは、その後資本主義が回復するという意味ではありません。支配層にとって現状は、温泉にたとえれば「いい湯だな」ということで、労働者階級にとっては寒々とした状況です。しかしそれは労働者階級にとっては「夜明け前」、そこから開けるという時期です。支配層にとっては先が描けない。
 というのは、労働者は企業家なしにやっていけるからです。だって、儲(もう)けを計算するのも、経営者の銀行口座に振り込むのも労働者でしょ。だから、資本家・投資家の部分をまず始末してよい。ただ、何回も殴り合う闘いであることは避けられない。先進諸国の労働者さえ選挙に明け暮れ、ストライキを好まない。力量のある革命党がない。
 このくらいで、ちょっと一休みさせて下さい。

サマーズ氏の見解について

大嶋 サマーズ氏に話を戻すと、どうでしょうか。

大隈議長 サマーズ氏の名前があったので検索していたら、一六年の年頭、アベノミクスについてしゃべった記事があった。バーバー・「フィナンシャル・タイムズ」編集長によるインタビューですが。かなり率直、ズバリと言ってますよ。参考にはなるんじゃない?
 サマーズ氏はアベノミクスを「実験」と言い、「インコンプリート(未完成)」「着実で適切、かつインフレをもたらす成長がしっかり根づいたと確信する根拠はない」と述べています。三年ぐらいの実験で、「やってみたら」、そんな感じでしたね。
 さらに二五年の日本について、「世界経済の出遅れ組から脱することができず、経済的、政治的なプレーヤーとしての日本の影響力が減退していく」可能性について書いています。
 高齢化問題にも触れ、「活路は『開放』にある」と移民導入も述べています。  インタビューから三年後のこんにち、かなり見通していたといえますね。こういった人が今をどう見ているかは、先のウルフ氏の文章にも出てるんですがね。
 この段階では、サマーズ氏は技術革新の問題には触れていませんが、当時としては、無理もない、そんなところでしょう。ただ、おおかたの流れは当たっているといえます。

認識論について

インタビューでどんなことを話すか

大隈議長 昨日まであれこれ考えているとき、「議長、『情勢の潮目が変わった』というのはどういうことですか?」と、党内で聞かれる。何度説明しても、県責任者の同志さえ納得してないようで、その言葉が「独り歩き」と言うか、そんな具合でしたね。県委員長自身も「どう説明したらよいか」と迷いがあるんでしょう。
 もう一つ、ある機会に「『賃労働と資本』はマルクス主義の基本的な観点だと思うのだが、もう役立たないのですか?」と、堂々と質問された。
 新春講演会で私がうっかり、「商品価格は何で決まってるか」と、技術革新、デジタル商品も含めて話したんですかね。正確には覚えていませんが、話は「千里を走る」んですかね(笑)。労働者が何時間働いたらいくらの商品をつくれるか、付加価値は? そしてデジタル時代の商品価格は? 話が難しかったか、混乱してしまったんでしょうか。参った、一本取られた、と思いましたが。いいじゃないですか。「マルクス主義とは」の議論があるのは、わが党がまだ健全な証拠です。
 最初に、「潮目が変わった」というところから話してみたいと思うんです。
 江戸時代末期、今の和歌山県で、津波に気付いた庄屋が自分の田んぼの稲むらに火を放ち、村人を高台に誘導して救ったという話があります(稲むらの火)。庄屋は、山の上にいたから気付いた。そこにいないと、津波の前兆、潮が引いていくのが見えなかった。
 どこで何が起こっていのるかというのは、全景が見えないとなかなか理解しにくいですね。山の上と同じで、よほど大局が見えていないと見えない。地球には約二百カ国あって、どこで何が起きているかというのは、広く見ないと分からない。毎日のニュースでも、アナログの新聞は全体が見やすいが、スマートフォン(スマホ)で読む記事だと他の記事が見えない。
 よく考えてみたら、同志たちは日々忙しくて、新聞も十分に読む余裕がないですよね。「アフリカの○○」と国名を言っても、どこにあるか分からない人は多いです。
 衛星に乗って地球を見下ろしても、地表で何が起こっているかはなかなか分からない。飛行機に乗って大阪から離陸するとすると、大阪にいるときは大阪が見えない。ぐーっと上がると、大阪の全景が見え、俺らはあんな小さいところにごちゃごちゃ集まって暮らしているんだな、と思ったりする。少し離れると山や農村がある。
 世界のさまざまな情勢が見えないといけないですね。そういうことで、説明は大変だと思います。毎日のように情勢を追究している党中央の役割ですね。
 それだけでは足りないんです。今の時点で世界が見えたとしても、その前の状況が見えないといけない。「潮目が変わった」ことを理解するには、広がりを知らないといけないだけでなく、時系列で「これまでがどうだったか」という歴史を知らないと、分からない。十年、二十年前の景色がどうだったかを知らないと、今、「変わったな」とは見えない。「潮目が変わった」というのは、なかなか説明しにくいんですよ。
 ただ、世界を引っかき回している帝国主義、衰退著しい最後のあがきとも思える米国にも、公然、非公然の議論や戦略文書はあるし、研究機関もある。われわれにも手に入るか、推察もできます。わが党の中枢にも、必要な研究は欠かせないと思いまよ。
 課題は、党中央機関が内部での意思疎通、また中間機関との意思疎通に欠けてることでしょうが、学習会議が頻繁に組織されること、出版物の発行なども課題解決のカギなんでしょう。
 課題の奥深いところも言っておかないとね。それは、「青年と資金」。この方面での前進がなければ、以降の数カ年で動きがなければ、わが党の前途は危うい、ですよ。

大嶋 次に進みましょうか。

「資本主義経済学の諸問題」の序文

大隈議長 結構、言いたいことを言わせて貰ったので、進めましょう。
 年配、それも元共産党員の八十歳前後の方ならひょっとして懐かしく感じられるかもしれませんが、今ではそんな著者は知らない人がほとんどでしょう。ですから、党内の同志も、新社会党、社民党の方にもお薦めしたい。エウゲニー・ヴァルガ(旧ソ連の経済学者)の著作「資本主義経済学の諸問題」です。
 きっと頭の体操になり、頭の健康に役立つと思いますよ。お屠蘇気分、時間たっぷりの時、かじってうま味がちょっとでも分かれば、後は、忙しい時でも時間を割いて、になるのは必定です。批判的に読めれば、さらに結構です。
 ヴァルガはその序文で、以下のように述べています。
 「本書は、マルクス=レーニン主義的な資本主義経済学の諸問題を真面目に研究する気持をもった読者を対象としている。読者がマルクス=レーニン主義の一般原則についての知識をすでに持ち合わせていることが前提とされている。
 本書に収められたいくつかの小論は、ヴァルガの長年の研究の所産で、その大部分がマルクス主義の論争問題を扱っています。それらの問題をいくぶんでも明確にすること、せめて、考え批判し討論する材料を読者に提供することが、私の念願としたところである。
 本書は論争の書であって、つい最近まで資本主義の経済や政治をあつかった著作に広くはびこっていた愚かな教条主義を、批判の的としている。
 ここで言う教条主義とは、何を意味するのであろうか?
 教条主義とは、何よりもまず、マルクス主義の核心ーーすなわち、歴史的諸事実の具体的な科学的分析ーーを否定し、レーニンがマルクス主義の『精髄』と名づけたものを否定することを意味する。それは、マルクスがある特定の歴史的諸条件のもとで研究の総括として到達した既成の結論をもって、マルクス主義の研究方法に代用させるものである。
 そこからしてまた、教条主義者は、次に、マルクスが発見した資本主義の一般的な発展諸法則がこんにちでも有効なばかりか、万事はいまもマルクスやレーニンの時代そのままの状態になければならないという立場をとることになる。(中略)
 教条主義者が、事実をマルクス主義の個々の結論に合わせてこじつけるようになるまでには、ほんの一歩である。つまり、図式にうまく収まらない新しい諸事実を分析し研究するのではなく、現代の資本主義にとって典型的な新しい諸現象を分析するのでもなく、図式におさまらない新しい諸事実は無視してしまうというやり方である。
 教条主義者は、個々の典型的でない事実を楯にとって、マルクスのあらゆる命題が不変であることを証明しようとする。かつてレーニンが言ったことであるが、資本主義社会は非常に複雑であるから、どんな理論でも、その証明となる個々の事実を見つけようと思えば、いつでも見つけ出せるのである。(中略)
 『政治経済学』という用語は、本書では広い意味に使っている。つまりここでは、政治と経済を厳しく区別してはいないのである。したがって、経済問題というより、むしろ政治問題を考察している個所がところどころにある。これはレーニンの著作の精神に合致したことである。周知のように、レーニンは政治を『経済の集中的表現』と特徴付けたのであった。」
 さらにヴァルガは、序文の最後の部分で、次のように述べています。彼の遺言そのものです。
 「資本主義経済学の問題で、新たな批判的研究を必要としていることがらは、決して本書の範囲に尽きるものではない。このほかにも、なお数多くの問題をあげることができるであろう。
 たとえば、高度に発展した資本主義諸国でのプロレタリア革命の戦略の問題、計量経済学にたいして詳細なマルクス主義的分析と批判を加える必要があること、無政府的に発展する資本主義的生産様式の研究に数学を応用することのできる限界を定めること、個々人の思考やふるまいはもっぱら彼の杜会的存在によって規定されるのか、それとも他の諸要因(生物学的、遺伝学的などの要因)もこれにあずかっているのかという問題、いいかえれば、人間の意識が人間の社会的存在に依存するというマルクスの命題は、階級に関するものなのか、個々の人間に関するものなのかという問題、などである。
 残念なことに、私にはこれらの問題についてまで分析を試みるだけの力がない。若い諸君がそれをしてくれるように希望したい。」
ーーと。

「マルクス主義と資本主義の基本的経済法則の問題」

大隈議長 次の第一章「マルクス主義と資本主義の基本的経済法則の問題」は、序文を思い出しながら読むことです。
 冒頭でヴァルガは、スターリンの著作である「ソ連邦における社会主義の経済的諸問題」を取り上げ、ここで用いられている「基本的経済法則」という表現あるいは概念が、本書を執筆する時期には否定されようとしていることを取り上げています。序文では教条主義を批判したわけですが、さながら「逆」のことを言おうとしているかのように思えますね。
 そこで、ヴァルガは「法則とは何か」と問いかけ、マルクス自身は「法則」という概念規定をどこででも与えていないとし、マルクスは具体的事実を分析し、それに基づいてそれぞれの法則を打ち立てる方を好んだ、と指摘しています。
 さらに、弁証法的唯物論の立場では、法則は、自然と社会に起こる客観的過程の反映です。つまり、法則は客観的性格を持っているわけで、そこに二つの意味があります。
 一つは、法則は人びとの意思に依存せず、法則は人びとがそれを認識しているか否かにかかわりなく存在しているということです。
 第二のことは、ほとんど注意が払われていないことなのですが、人間が自然法則を発見する前から、自然法則は存在しているわけです。それどころか、まだ発見されていない自然法則もたくさんあります。そうでないとすれば、自然科学の進歩はまったく不可能でしょう。
 ヴァルガは非常に重要な点として、法則が現象を反映したものではなく、自然と社会に起こっている過程の本質を反映したものだ、と述べています。自然であれ資本主義社会であれ、現象と本質は一致しないものです。科学の役割は、単なる現象的な運動を、内的な現実の運動に還元することです。現象の背後にあるものが何か、ということを探る役割があるということですね。
 また、自然法則と社会法則の差異について、宇宙ロケットとストライキを例に挙げています。
 旧ソ連によるスプートニクの打ち上げは、月の運動やロケットの速度、地球の引力など、さまざまな自然法則を複雑な計算を行った結果、月の裏側の写真を撮ることができました。
 一方、ストライキは、その結果を前もって予測することは不可能です。資本家がスト破りを集められるかどうか、労働者が物質的犠牲に耐えられる覚悟、世論の反応などによって変わるからです。
 われわれは、自然法則ほどには、社会法則を知らないんですね。
 第一章では、資本主義社会における、剰余価値の問題にも触れています。
 マルクスは、剰余価値の生産を、資本主義の下でのもっとも重要な過程の一つ、「絶対的法則」と呼んでいます。これがなければ、資本主義ではありません。剰余価値は労働者によって生産されますが、それは、ブルジョアジーによって取得、搾取されます。剰余価値の「生産」の半面として「取得」があり、一体のものです。この把握がきわめて重要です。
 ヴァルガは、スターリンが挙げた資本主義の「基本的経済法則」が、一面的だとしています。特に、スターリンが、剰余価値の「生産」について述べるだけで「取得」について触れていないとして、マルクス主義の経済諸法則総体の核心が欠けている、と批判しています。
 「取得」についての暴露がなければ、資本主義の経済法則が不可避的に資本主義自身を滅亡に導き、ブルジョア支配を打ち倒すための前提をつくり出しているという、きわめて肝心な点を明らかにできません。それがなければ、資本主義が永遠に続くことになるではないか、とね。
 そして、資本主義社会の「基本的経済法則」として、労働者の生産した剰余価値を取得しつつ、蓄積と集中を手段として生産を集積し、それを社会化し、社会主義の物質的諸条件をつくり出し、生産の社会的性格と私的所有との間の矛盾をますます激しくする。周期的な過剰生産恐慌によるこの矛盾の解決は一時的なものにすぎず、資本の権力を全世界の労働者にとってますます耐え難いものにし、プロレタリア革命による不可避的な滅亡に導く、と総括しています。
 非常に重要な指摘であり、全面的な観点だと思います。
 本の最後には、経済学者の堀江正規氏による、本書の「解説」が掲載されています。堀江氏は、この本には、現代資本主義(第二次大戦後、一九六〇年代)下で展開されているほとんどすべての問題領域が含まれおり、さらに、汚辱に満ちた資本主義社会を革命的に変革しようとしたヴァルガが、死期が近づいたことを悟って書き残した「遺言状」だとまで述べています。だからでしょうか、作風と言うか問題に対しての真摯(しんし)さ、迫るものがあります。
 ヴァルガの態度、大いに学ぶべきだと思いますね。ただ、彼が述べていることも鵜呑(うの)みにせず、常に批判的に、状況の激変を見ながら、具体的事情の具体的分析をすべきです。こうした意味で、本書は非常に参考になるはずです

日経「ネオ・エコノミー」について

シリーズの趣旨

大嶋 話は変わりますが、昨年、「日経新聞」が「ネオ・エコノミー」という連載を始めました。私も面白く読んでいますが、どうお考えですか。

大隈議長 「日経新聞」らしく、時宜にかなったシリーズですね。昨年二月二十五日から始まってまだ続いています。私も読んでますし、中央機関でも議題とし、討議したんですよ。
 シリーズ初めの「日経新聞」の言い分は、「経済が進化している。産業革命以来、人類は技術を磨き、モノを効率よく大量につくることで経済を成長させた。そんな常識をデジタル技術の進歩と地球規模での普及が覆す。富の源泉はモノではなく、データや知識など形のない資産に移った。これまでの延長線から離れ、経済は新たな未来を探る。豊かさとは何か。新しい経済『ネオエコノミー』の実像を追う」(「見えざる資産、成長の源に」)だった。

生産性、恩恵を受けられる人、受けられない人

大隈議長 このシリーズで繰り返し述べられているのが、「生産性」という言葉です。経済成長のための重要な指標だが、現実には伸びない、下がってるんですね。
 デロング・カリフォルニア大バークレー校教授は「前年につくったモノを今年はどれだけ少ない資源で再びつくることができたのか、ということだ。産業革命以降、我々はそれを技術革新(イノベーション)と位置付け、成長の基準としてきた」(「経済の形 情報が変える」二月二十五日付)としています。
 ところが、最近のデジタル化のなか、コーエン・米ジョージ・メイソン大教授が「インターネットの登場をもってしても、米国の生産性はかつてより下がった」と指摘しています(「技術革新、痛みの先に」十二月一日付)。また、デジタル技術で「大きな恩恵を受けるのは特定の人に限られる。コンピューターやソフトウエアの技術にたけた人に有利だ」とも言っています。
 技術を使えない人には、恩恵がないということですね。昔は中学・高校を卒業して工場に就職し、結婚して子どもができ、家も持てた。今では大学院まで行かないと、高給取りにはなれない。従って、経営者はそういう若い人材を確保するだけでなく、「社会人の再入学」とか「再教育」を強調しています。
 「日経」は企業家の新聞だから、といえばそうですが、いつも最後は「生産性が上がらない」「上げなければならない」で結ばれる。生産性には労働生産性もあるし、企業の生産性、国単位の生産性もあります。これがどんどん上がっていかなければならないというわけです。しかし、現実は下がってきている。
 議論というか、考察はそこで終わります。「生産性」の概念そのものの内容分析は、なぜかみられない。

「データや知識など形のない資産」の使い道

大隈議長 シリーズの趣旨を繰り返すと、「富の源泉はモノではなく、データや知識など形のない資産に移った。これまでの延長線から離れ、経済は新たな未来を探る。豊かさとは何か。新しい経済「ネオエコノミー」の実像を追う」、でした。  「日経」の言い分はこのようですが、何も「データや知識など形のない資産」を通じての「富や格差の拡大を嘆くばかりで見て見ぬふり」でなくてもよいのではないか。国家による分配論もあるが、現実にはできますか?
 データやその分析の高度な知識を使って格差社会の実態、投資家や富豪たちの実態、日本社会の底辺で暮らす一千万人余の生活、政府予算の分析や政治家の実態分析、こうした「実像」に迫ってもいいのではないか。労働者階級の歴史的事業は、人類社会の流れを展望できるデジタル社会にも対応できる知識人を必要としているんだね。大学、学生工作もおろそかにできませんね。
 あとでマルクス主義のところでも触れたいのですがーー。
 史的唯物論によると、生産用具やその製造技術が一定程度発展し、分業が始まって、という流れでしょう。技術革新はどこかで発生しますが、それ以前の状況の中で生まれます。古い状況の中からしか、現在の状況は生まれない。下部構造であれ上部構造であれ、さまざまな方面があります。そのうちの一角に、新しいものが登場し、だんだん広がっていく。そう仮定すると、現在の状況は、それ以前と比較しないと理解できない。過去のうちに現在の萌芽を見つつ理解できれば、現在のうちに未来の萌芽を見られるようになる。
 階級社会という実態から見ると、技術革新も「どの階級に所有されているか」「何を狙っているのか」で変わる。だから得てして、締めくくりのところで「生産性が伸びない」と言い、今回の予算案についても、マスコミの一部から「生産性」の角度からの批判があります。
 労働者にとっては給料が増えるかどうかでしょう。技術革新はその角度から見て「どうだろうか」とか、敵、搾取の暴露に役立つかどうかという問題があります。

最近の情勢についていくつか

大嶋 次に、国際情勢についてです。米中戦争の「中休み」、合意や株高、英国総選挙でのジョンソン首相率いる保守党の予想以上の勝利、EU離脱の確定などは、最初に話されました。

大隈議長 重複は避け、その続き、補足のような話をします。
 それにしても、英国からの独立を唱えるスコットランド民族党が伸びました。EUは、第一次世界大戦、第二次世界大戦後の苦い経験に照らしてできたのに、ドイツに次ぐ大国の英国が逆方向に進むということで、いろいろな問題を抱えています。
 国際情勢はいっそう深刻な情勢になる、その流れは止まらず、さらに危機が深まるだろうと考えました。
 もう一つのことは、米中がとりあえず「一時休戦」めいたことになり、米国は本格的に大統領選挙に入りました。
 これで株価が上がったということは、世界がある意味で「ホッとした」ということなんでしょう。ですが、よく考えてみると、大統領選挙はわずかな期間で終わりますから、全体としての世界の危機は、急速に波乱というか、危機に向かっている。
 発展途上国では、通貨問題を見ても、株価が上がったこととは少し違った状況です。そういう点で、危機はいっそう深刻になってきている。あるいは前から言っているように、世界の協調が崩れれば、ゾッとするような「二番底」に落ちる可能性があります。経済、下部構造もいっそう深刻ですが、上部構造もです。
 いろいろな楽観論があるにしても、ウルフ氏が述べているように、世界は危機、戦争に向かっている可能性がある、この方が、われわれにはピッタリくる。国際関係も激しく流動化し、矛盾が激化しているんです。
 ただ、読者の皆さんに対して、われわれなりの「世界の現状」と、「どこに向かっているか」ということについて、率直な意見を述べたいんです。しかも年初ですから、われわれなりの考えを提供したいと思います。

保守政治家、党人の情勢観

大嶋 国内情勢について、気になる点をお願いします。

大隈議長 実は、最近、自主・平和・民主のための広範な国民連合の全国総会が福岡県であり、参加しました。そこで前に並んだ人びとは、国民民主党と自民党の国会議員、さらに東大の鈴木宣弘教授、さらに沖縄からも来ていました。鳩山友紀夫・元首相が講演をしていました。
 鈴木先生は、日米交渉のなかでの農業問題について、徹底的に安倍政権を批判していました。交渉の真相は明らかになっていないので、国会では野党も責めあぐんでいましたが、鈴木先生はテキパキと話してくれました。よい発言だったと思います。自民党の三原朝彦氏は、習近平政権と争う必要を強調していました。安倍さんの党ですからそうなんでしょう。鳩山さんは毎月のように中国に行っていて、年末にも行っていたようですね。

鳩山元首相の見解について

大嶋 鳩山さんは、韓国にも出かけているようですね。

大隈議長 中国を含むアジア情勢が気になっているのでしょ。総会でも、鳩山さんの書籍「脱・大日本主義」「次の日本へ 共和主義宣言」などが並んでいました。あまり注目していなかったのですが、鳩山さんらしく、国の進路について気になったり、政治が好きなのでしょう。旧民主党政権下で首相になり、しかも短命でした。従って、政治に復帰したいというか、気になっているのでしょう、政党をつくるという話です。
 その場では「いつか意見交換をしてみたい」と思いました。その「脱・大日本主義」という本について、マスコミはあまり取り上げなかった。われわれも本が出されているというのは知っていましたが、あまり読む気にはならなかった。
 しかし、話を聞く機会があり、改めて読んでみました。
 トランプ大統領が登場し、米中関係は激しく対立しているということもあるのでしょうが、安倍政権の動きに危惧をもっているというか、正面から、安倍の政治では日本の将来はどうなるだろうかということで、読んでみると同感なところがたくさんあります。
 世論調査でも、安倍政権は信用されているとは言えませんが、政権支持率は五割近くを維持しています。上がったり、下がったりはありますが、モリカケ問題を乗り切っただけでなく、今回も内閣改造後閣僚が三人も辞めていて、「桜を見る会」の問題も発覚した。安倍首相も心得たもので、「ごめんなさい。私の責任です」とやると、支持率は回復する。
 本が書かれた一七年の時点から見ても、世論状況は右に動いているわけですよね。野党がだらしないということもあるでしょうし、それは注意しなければなりませんが。
 隣国の中国が科学技術でも発展しているということなどにも触れています。日本の十倍の大国で、一〇年に国内総生産(GDP)で日本を抜き、今はもう三倍です。そういう中国と、安倍さんのような動きで対抗するのに、「やめておけ」と、割とハッキリとものを言っています。
 トランプ政権ができて米中関係が厳しくなり、欧州とも対立してさまざまなことが起きています。日本がいくら寄りついても、米国が日本を守ってくれるわけでもない。これらを知ってのことでしょう、われわれにとっては、自民党よりも分かりやすい話をしています。
 今の日本は日米安保条約に縛られているわけですが、トランプ政権の登場は「日本にとってチャンスでもある」ということを言っているんですね。
 安倍政権でさえ「日本にとっての選択の幅が広がっている」というようなことを言っています。「チャンスでもある」ということは、安倍は彼なりに軍事大国化の道を歩むということです。それは二〇年度予算の立て方を見ても明らかだと思います。鳩山さんの文章は、そこを細かく見ています。また、自民党、保守勢力が中国に対抗して軍事大国化、あるいは日本が中国と対抗して大国の道を歩くような、もう一つは核武装を含むということを細かく見ています。
 だから、そういう点は考えてみる必要があります。
 これは一七年発刊の書籍ですが、その後、「次の日本へ」では、共和党の結党を呼びかけているわけですね。これは最近(一九年)の呼びかけですから、それがどう結び付くのかということなんですが。鳩山さんは短命政権で、政治家としてもう一度復活するというようなことも、マスコミは軽く扱っていたのでしょうかね。大事な内容を含んでいながら取り上げなかったのは、そういうこともあるんだと思います。だけど、読む値打ちはあるということで紹介しておきたいと思います。
 彼はそういうわけで、強国の中国と対抗するのではなく、身の丈に応じて付き合っていこうということです。思い出すのは、かつて、新党さきがけ(武村正義代表)が「小さくてもキラリと光る国」と言った。共通する面があって、思い出しました。
 それから、「共和党をつくろう」という呼びかけをしているわけですが、目前の総選挙で政党として登場しても、大局にはほとんど影響がないですね。鳩山政権が短命に終わって「悔しかった」とか「責任を感じる」という教訓の上に、共和党の結党を出しているんですが。
 米国でのトランプの登場のときと比較しましょう。
 オバマ政権の後、民主党から出馬したのはクリントン元国務長官ですね。大統領選挙に出るために辞職したわけですから。次の大統領選挙で、民主党内の他の立候補者と競争して、クリントンが選ばれた。トランプ氏も、元々は民主党を支持した時期もあります。長年の積み重ねの中での共和党員ではないわけですが、突如として共和党で出るわけですよね。
 従って、誰も共和党の候補に選ばれるとは思っていない。共和党の中で知名度が高くなかったのに、米国の衰退のなかで、苦しくなってきた白人労働者の支持を集めた。黒人が支持したわけではない。そういった意味で、誰も当選するとは思っていなかった。
 だから私は、共和党の候補として登場するまでのことと、その後の二段階に分けることを述べました(一七年の新春講演会)。大統領選挙になってからはもう民主党と互角ですが、その前は候補になる必要があった。そこではきわめて極端に、問題を外国のせいにしたりして、誰も共和党の代表になるとは思っていないのに、なってしまった。なってしまって、民主党と争うことになった後、共和党の正統派も、結局支持せざるを得なくなった。当選してからはもちろんですが、最後は共和党が一丸となった。
 具体的な経過は二段階になっているんだけど、誰もトランプが大統領になるとは思っておらず、当てが外れた。いわゆる論客や評論家も、その後はめったなことを言わなくなりましたね。

大嶋 (笑)

大隈議長 そういう流れなんだけれども、クリントンの方が知名度が高かったのに、トランプは「弱腰外交」と批判して登場した。鳩山さんが新しい政党をつくっても、自民党は正面からその党をたたくわけではないかもしれません。というのは、小沢一郎氏が二大政党制の画策を進めていますのでね。それでも、鳩山さんの党が強くなると、自民党がたたく可能性がありますね。
 そういう点で、鳩山さんが政治の世界で大きな役割を果たすことはないと思います。
 それからトランプの登場を米国の衰退としてとらえて、日本にとって「選択の幅が広がった」と見ています。
 実は、安倍首相もそう思っているんです。保守勢力にいくつかの流れがあるというのは、われわれも考えてみる必要があると思うんですね。

福田元首相の見解について

大嶋 たとえば、誰でしょうか。

大隈議長 育ちというか「恵まれた方」といえばそうですが、福田康夫・元首相ですね。最近、新聞報道に出たので、どんな情勢観なのか、気になっていました。首相になられる前でしたが、一九九〇年代半ばの朝鮮半島危機、カーター元大統領の訪朝の頃でしたが、ある会議で同席したこともあったからでしょうか。
 十一月に大阪で行われた国際シンポジウム「米中関係と日本〜超大国対立の行方」で、福田さんとエズラ・ボーゲルが基調的発言を行って、京大の中西寛氏、日本総研の呉軍華氏、兵庫県立大学理事長の五百旗頭真氏、そして「日経新聞」編集委員の滝田洋一氏が参加しています。
 福田さんが最近の状況をどう見ているか、基調報告から紹介したいと思います。
 福田さんは「世界第一位と第二位の経済大国の米中がにらみ合っている。米ソの冷戦に匹敵する歴史的な問題になる可能性がある。トランプ米大統領は多国間協定や国際機関への敵意を見せる。トランプ氏の政治決定は、強い支持を与えている米国民の考えでもある」と。トランプ政治として浮き立たせるだけでなく、現状を、民主党を含む世論がそちらに動いていると評価しています。
 日本でも、安倍だけでなく、世論がそちらに動いていると思います。世論とまるでかけ離れた政権だと評価しない方がいいと思いますね。ここはそういう意味で、妥当な意見だと思います。
 福田さんは「『世界を引っ張ることからは手を引きたい』という米社会全体の『指導者疲れ』を現している」と。こういう観点も持たないといけないのですが、「手を引きたい」というのは、疑問が残りますね。
 その続きですが、「米国は世界を支配するのでも、世捨て人になるのでもなく、世界と秩序の再編を模索する中庸の道を探ってほしい」と述べています。つまり、米国は弱ったので、一種のモンロー主義に返ったということでしょう。これは、実際とはとても違うんですね。しかし、こういう考え方があるということです。
 そして「中国にも問題がある。過去百年の苦難の時代を否定するのは当然だ」と。「しかし歴史否定の思いの強さで中華思想に回帰するのであれば、こんにちの世界では法の支配やルールへの挑戦と見られる」と述べています。
 次は面白い意見ですね。「参考になるのは冷戦時代の米ソだ。あらゆる意味で対立していたが、全面戦争を回避した。最大の要因は核時代の相互確証破壊の状況だ。戦争になれば双方が敗者になる。こんにちの米中も同じだ」と。「冷戦期の米ソは鉄のカーテンに仕切られて、別世界の盟主になり、すみ分けがあった。今は中国が共産国家でありながら、市場経済の中で発展し、米中のすみ分けは困難だ。かえって妥協と調整を難しくしている」、これは、面白いでしょ?

大嶋 そうですね。

大隈議長 米ソは「すみ分けがあった」と。今は米中は同じ世界で争ってもいるが、相互に依存してもいる。関係を切れないのに対立している。そうすると、戦争以外にないと。かえって難しいと。
 「破滅的な紛争を回避するには、話し合いで解決する以外にない。両国ともに関係が深い日本が役割を果たす余地はある」と。こういう言い方は、ある意味で安倍もときどきしますね。
 「国際秩序が行き詰まりを見せているとき、これまでの秩序を超える新たな構想を世界はまだ見つけ出していない。戦後の国際秩序を補強し多国間の枠組みを再構築する。自由経済システムを強化し、発展させるほかない」「日本は中国も入れて、G7(主要七カ国)、ロシアも含めたG8に代わる協議の枠組みを早急に組み立て、共同して新秩序、新ルールをつくることを働きかけるべきだ。米欧日で中国と協調する以外に人類的困難を平和的に回避する術はない」「歴史に鑑みて新しい時代をつくる。日本は対立のエネルギーを前向きの秩序再編エネルギーに転化させる『産婆役的』な役割を果たせる」と。
 こう言わざるを得ないんでしょう。実態はどうか。希望的観測ですね。

大嶋 ウルフ氏が似たようなことについて書いていましたが。

大隈議長 ウルフ氏が書いているのは、米国が「三つの財産」を持っているということです(「中国台頭、米は認識改めよ」十一月十四日付「日経新聞」)。ウルフ氏によれば、それは「法の支配に基づく民主主義」「自由市場経済」「強力な経済力を持つ同盟各国」です。
 この「強力な経済力を持つ同盟各国」というのは、経済力だけでいうと、欧州ははるかに大きいですね。ウルフ氏は「同盟国としての信頼も低下しており」といって、中身は書いていませんが、「ドイツに聞いてみるとよい」と。
 「三つのうち最後の財産を失うのが最大の痛手かもしれない。軍事力では、米国はほぼ自国しかあてにできない。だが経済や人権は違う。米国の同盟各国は交渉のテーブルに重厚な重みを加えてくれる」と言って、「だが米国は同盟各国から得られたはずの支援を捨て去った。これらの問題を巡る中国との交渉を世界貿易機関(WTO)の枠組みで、同盟国と進めていれば、米国は中国に対しもっと影響力を発揮できたはずだし、中国に変化を求める根拠の正当性もさらに強化できたはずだ」と述べています。
 こういうことなんだけれども、ここでウルフ氏は「そういう道を取らなくなってきた」としています。さっきの福田さんの「新しい秩序をうんぬん」というのは、希望的観測でしょうかね。
 そしてウルフ氏は、最後に「中国に対しては、米国とその同盟各国はあらゆる分野で立ち向かい、競争し、協力する必要がある。現状ではとてもこれらを実行できそうに思えない。それどころか今の状況は、米国の同盟関係の瓦解と米中間の緊張だ。どちらからも今後の世界にとってより良い未来を予感できない。やり方次第で世界の状況を格段に改善できることを忘れてはならない」と結んでいます。
 福田さんは「今から道を見つける」と。どこかは、福田さんの方が分析が詳しいところがあるんだけれども。
 ウルフ氏がその後に書いたのが、「第一次世界大戦に学べ」という記事ですね(「現在は第一次大戦前に並ぶ難局 戦争避け『全員が得』目指せ」十二月三日付「日経新聞」)。そこまで来ているという書き方です。
 そういう点で、世界にも福田さんのように希望的観測をもつ人はいるかもしれないけれども。
 われわれがもう少し注意すべきなのは、石破茂・元幹事長などがどういう考えなのかということで、これは探ってみる必要がありますね。
 要するに、国際情勢が英国情勢を含めて、欧州を中心に、かつてのヒトラーのような右のナショナリズムが台頭し、ドイツでもそういう流れが出てきています。下部構造の問題だけでなく、政治状況もいっそう危機に向かっている状況です。
 だから、生きた情勢で傾向を見ておく必要があるんです。世界の危機が深いというのは皆が知っています。戦争に向かうのではないかということも皆が知っているんだけれども、日本の国内ではそこまで深刻に見られていないですね。安倍政権がいちばん、鳩山さんから見ると「大国日本」でしょうね。それで「一帯一路」にもっとも反対して。しかし、日本がそうしたことで地域大国になることは、米国は支持しないです。今は中国に矛先を向けていますが、あの、米国が出て行かなかった昨年秋のアジアでの会議の状況を見るとね。大統領選挙もあるから、ということでしょうが、そういう関係もありますね。
 だいたいそんなところですね。

米国の世界戦略について

大嶋 米国の戦略などについて、お話しいただけますか。

大隈議長 「日経新聞」で「もう『リーマン後』ではない」(十月二十四日付)という流れで世界情勢を見てみるとね、最近、中南米を含めてダーッと通貨問題が出ているでしょう。それは好んで通貨安にしたわけではないわけですよ。
 ところが米国は、それに対しても関税をかけるといっています。

大嶋 ブラジル、アルゼンチンの鉄鋼とアルミニウムに対する追加関税ですね。

大隈議長 そういう点では、中南米諸国は行き着く場所がないですね。だから、さっきあなたが言ったように、中南米はほとんどデモに襲われる流れです。
 例の中島みゆきの「世情」の話(「非常識な時代」十月二十二日付「日経新聞」)ではないが、「潮目が変わった」という流れの一つは、米国の戦略的志向が伝統的なものになってきたということです。
 名だたる帝国は、登場するまではさまざまな武力を使ったかもしれないが、帝国の名に値するような国は決して武力だけではなく、周辺国を争わせることで、自国を有利にしたということです。周辺国を揉(も)めさせることで、ある意味で、自国の力を使うことを最小限にした。その「均衡」もあるし、周辺国の中での「均衡」もある。そうすると、離れた場所から「赤勝て、白勝て」とできるわけですよね。
 例の「激動予測」や「百年予測」(ジョージ・フリードマン著)では、そういうことを公然と書いている。これはマキャベリの「君主論」と同じで、王様に対する提言なんですね。「激動予測」はオバマ政権登場後の一一年に出されて、名立たる大統領は「進んで嘘をつき、法を犯し、原則を破った」(同書「まえがき」)と言って、オバマにも帝国主義として、真実を語らないことを勧めたわけですね。
 これは、チャールズ・カプチャン(「アメリカ時代の終わり」、〇三年十、十一月)の著者)の流れなんですね。
 われわれはずっと、そのことを追及してきました。米国が力があるうちに、登場してくる他国を引き上げて、米国がつくった秩序の中で一定の役割を果たさせることで、米国は衰退後もその秩序の中で長生きできる、ということですね。
 ところが、後の評価では、オバマは正直すぎた。オバマも最後にはそれを受け入れるんだけれども、行ったり来たりする。トランプの最近の動きを見ると、徹底してやり始めたというところでしょうかね。そこのところを、バノン元米大統領主席戦略官は高く評価しているんですね。
 情勢は全体を知らなければ、変化したかどうかは理解できないんです。大局を見て、山の上から世界の全景が見える、そうして初めて、「潮目が変わった」ことも見えるんです。ところが情報不足だと、なかなか見えないという意味で、回り道をしているところです。

大嶋 その通りですね。心したいと思います。

大隈議長 その米国の戦略、いわゆる「均衡政策」についてですが、非常にハッキリしたのは、十一月の東アジアサミットに欠席したことですね。十一月末に名古屋市で開かれた二十カ国・地域(G20)外相会議に、ポンペオ国務長官が欠席しました。
 また、十六カ国による東アジア地域包括的経済連携(RCEP)をめぐっては、インドが交渉からの離脱を表明しました。しかも、会議の場ではなく、それが終わってからの表明です。
 米国が「アジアに無関心」なわけではないと思いますよ。アジアで日本と中国を争わせれば、米国の負担は減りますし、日本も中国も米国との関係を切ろうとは思いません。
 一八年にシンガポールで行われた初の米朝首脳会談は、今から考えれば、こうしたことの「兆し」だったと思いますね。
 中東では、シリアからの撤退を表明しました。
 ところが、中東への直接関与を減らしたことで、トルコはロシアやイランとの関係を強化し、ロシア製のミサイルまで購入した。北大西洋条約機構(NATO)加盟国なのに、ロシアから買うと。

大嶋 事実上の「仮想敵国」から武器を購入するわけで、本来はおかしなことですよね。

大隈議長 米国は中東地域を揉めさせて影響力を維持したいのに、ロシアがサウジアラビアとの関係も強化して影響力を強めた。トランプにとっては、一種の誤算めいたことですね。
 それから最近の米朝関係。こうした誤算は多様ですから、少なくとも、国際関係が大きく、これまでと異なった局面にあるということ、これはとみにこの数カ月で明らかになったということでしょうね。
 そしてさっきのように心配するいろいろな意見もあるんだけれども、ウルフ氏の意見の方が、われわれには感覚的には受け入れられる。そういう意味で、国際関係が変わってきているということですね。いっそう厳しくなっている。
 最初の話のところで、新聞で予想されたことながら「予想以上に」ということでは、英国の問題ですね。しかしこれは、そこで決着がついたということではなく、いっそう深みにはまった、ということですね。
 米中の合意で株価が上がったものの、大統領選挙はわずかな期間です。その後はどうなるか。米民主党では、女性の「左派」候補が登場しています。英国でも、コービン氏率いる労働党が「国有化」のスローガンを掲げました。選挙になるとそういう意見も出るでしょうが、世論の多数はそちらには動かないようですね。
 だからいっそう、世界は混沌とする方向に危機が深まっていく。現象としては、一時的な妥協とか、それで株価が上がるということはあるけれども、大きな流れから見ると、危機は深まって、破局が近づいてきている。それは単に経済ということではなく、上部構造を含めて、世界は危機に向かっているというか。だから名立たる、とくに年取った政治家は心配していろいろな案を出すけれども、大勢はそういうことでは動かないですね。力のぶつかり合いでしょう、これはね。
 だいたいそんなところが、言っておきたいところです。

技術革新とマルクス主義

大嶋 「ネオ・エコノミー」の話がありましたが、改めて、急速な技術革新についてはどうでしょうか。この問題は、大隈議長が数年前の新春講演会で提起しましたが、今なお、左翼政党の中でわが党が唯一といってもよい見識、観点だと思います。

「ネオ・エコノミー」シリーズと史的唯物論

大隈議長 「ネオ・エコノミー」の書き出しに「経済が進化している」とあります。どうにでも取れる文章ですが、「産業革命以来、人類は技術を磨き、モノを効率よく大量につくることで経済を成長させた」ということですから、いわば生産手段が変わる。
 ふつう、史的唯物論だと、下部構造と上部構造で、ふつうは経済が基礎で、上部構造が政治や認識。そういう大きな分け方をします。
 道具の変化、たとえば「石器時代から青銅器時代」というように、道具の変化が経済活動を変える。だから、下部構造も二つに、《上部》《下部》と分けられないこともない。経済社会とそれを根拠づけているもの、技術革新ですね。ここで「経済が進化している」という場合の「経済」という概念は、「技術を磨き、モノを効率よく大量につくる」ということですね。
 この記事では続けて「そんな常識をデジタル技術の進歩と地球規模での普及が覆す」「富の源泉はモノではなく、データや知識など形のない資産に移った」と。「移った」とありますが、ここで注意しなければならないのは、移行期があるわけですね。
 「これまでの延長線」、つまり産業革命以降、ぼちぼちと技術が進んできた延長で考えるのではなく、質の違った状況、違った段階、局面、いろいろでしょうが、新たな角度から「経済は新たな未来を探る」といって、「豊かさとは何か。新しい経済『ネオエコノミー』の実像を追う」としています。
 《下部》のデジタル化は技術革新の延長と見ても良いが、同じ延長でも質の違う段階です。それが例の「限界費用ゼロ社会」(ジェレミー・リフキン氏の提案した用語)というものも含めて理解しておけば。必ずしも厳密なものではなくても、いいんです。
 それが例の「非常識な時代」で、「『常識』や『当たり前』なるものが次々にひっくり返されている」という背景なんですね。そういう意味から、それに関する世界のさまざまな研究や現実を追うという提起です。
 このシリーズは、技術革新によって、世界の富をつくり出す要因が変わったことによって、経済がどういうふうに変わったかということです。
 これを《上部》《下部》というと、物事の変化が、第一義的には《下部》から始まって《上部》へ、ですね。しかし《上部》もまた、《下部》に反作用を及ぼすという相互関係がある。
 ここでの説明は、例をあげて研究者が論文を書いたりしたものを取り上げている。世の中がこれまでと違ってきたので、その理由を焦って、最初に「経済が進化している」と。それが《上部》の経済活動・企業活動にも影響する、労働市場も変わる。
 労働市場は、これまでは国別でしょう。日本では県別。なぜかというと、移動に制約があるからね。今の統計の有効求人倍率も、広く使われる概念としてはもう役に立たないんですよ。だって、ハローワークで職を探さなくても家で仕事ができる。そういう資本が求める能力がない人は、世界市場で生活していないわけですから。

大嶋 インターネットによる在宅ワークなどは、そのための設備やスキルを持たなければ、あらかじめ排除されてしまいますからね。

大隈議長 そういうことね。そういう意味で、デジタル化社会になったのでその上に成り立つ経済などもまた、変化するということですよね。

下部構造の変化は即時ではなく、遅かれ早かれ上部構造に反映する

大隈議長 そして《上部》が、経営者や投資家がいっそう人材を必要とするので、《上部》が《下部》に反映する。
 この文章はぜんぶ《上部》《下部》の構造になっている。《下部》がそれ以前と変わったので、《上部》もそれ以前とは変わってきたという文章になっている。  さて、レーニンは「一が分かれて二になる」と、上部構造と下部構造に分けた。その次に、上部構造も下部構造も二つに分ける必要がある。本質的に、順序から見て、下部構造の方から話すんですが、その下部構造も二つに分けて、それ以前の下部構造はどうであったか、今は、ということで。そこは矛盾に満ちているんですね。
 そして、古い状況と新しい状況を比較して、どこが違うんだろうかということの理解なしに、下部構造が変化することは説明できない。「前がこうだった」、いろいろな知識が増えて「今度はこうなった」。以前の状況の下での《上部》は、こういう経営がやられていたと。大量生産とかね。あるいは「賃労働と資本」で言われているような肉体労働。それも、厳密には説明できないんですよ。
 だって、技術革新は今、始まったわけではないですから。しかし、非常に変わり方が以前とは違った状況だということはあって、最近の技術革新は以前とは区別されているから、「限界費用ゼロ社会」とか言われるわけですね。「一が分かれて二になる」のだけど、その分かれたものもまた、「一」として見て、もっと分析する必要がある。つまり、下部構造で二つに分けて、それ以前の下部構造と「今では…」ということによって、比較するからこそ、対立する概念ですから、違いが分かるわけね。
 前から見てこんにちに至った下部構造が、どんなふうに変わってきたかを比較しながら検討することによって、「これから先、どうなるのだろうか」という予測がつく。だから、繰り返し、繰り返し、分けられる。
 こういう問題が一つあるのと、もう一つ、面白い問題があるんですよ。

大嶋 それは何でしょうか?

大隈議長 実際には、技術が革新されて、それが人びとの脳に入って、それが使えるようになるにはどれぐらいかかるかという、経過があるのね。これもまた、研究の対象なんですよ。
 それらを総合して、いろいろな要件を考えた上で、これから先にどんな世界になるんだろうかと。それを早合点して、技術ができたのは原理が発見されただけで、実用化され、ましてやそれを使う、発明する者ではなくて使うのにどれぐらいかかるかを無視して、世の中がどんどん変わっていくと見るのもまた、錯覚です。そういうことが、ぜんぶ書いてある。
 たとえば最後のところで、九州大学の馬奈木俊介教授が、福岡県久山町で新指標を導入した話があります(十一月二十八日付)。成長の「持続可能性」が問題になってくるという、これね。持続性までも計算するのは、今の技術革新の進み具合から見て、昔なら百年も二百年かかった世界が、今なら一秒で過ぎる。人間は何十年しか生きられないけれども、生きている間に時代がどんどん変わってくという局面です。持続性の問題は現実的なんです、続くかどうかで。孫の代に変わるのならともかくとして、生きている代に続くか、という問題があるんですよ。
 科学技術の変化を知った奴が早とちりして、「人文科学は一切要らない」ということになると、ある種、香港でのデモが「すぐ片付く」と理解するのと同じです。ウイグル自治区の民族問題を、少しばかり「再教育」すると、脳みそがすぐ変わると思い込む。人種問題や宗教問題などをそう簡単に解決できるかというと、信じすぎる人は間違える。
 そうやって読むとね、とても面白いんですよ。
 確かに、前から見て新しい事態になったんだけれども、変わった事実だけを見るんだけど、概して、前はどうだったかという比較検討をしないのね。そうすると、今の状況がこれまでと違った、上部構造にも違った影響が出る、真の意味が分からないんですよ。古い時代を知ってこそ、新しい時代が分かる。古い時代を知らない人は、歴史を知らない人は、新しい時代が分からない。
 たとえばトウ小平は帝国主義と付き合う際、用心深かった。しかし、その後、トウ小平が改革を決めて経済が発展するなかで育った人は、そのありがたさも…。

大嶋 帝国主義の怖さも…。

大隈議長 分からない。そういうことで、私は「中国は脇が甘い」と言ってきた。そう見ると、これはとても面白いんです。
 このインタビューでこの問題に触れたいのは、情勢を理解する一助にもなるし、もう一つは「労働党はそういうことまで研究しているのか」ということなんです。
 ずっと前にわれわれは、「今は金融が一〇〇%」と言った経済学者の水野和夫を批判した。人類は分業、交換を経て経済を発展させた。今、金融が大きな役割を果たしているのは事実ですが、実体経済と離れてはあり得ないです。
 「一〇〇%」というのは、一定の諸条件の下でです。金融は、大きな実体経済から見れば《上部》なんです。それを歴史として説明した。
 リーマン・ショック以後、各国中央銀行は量的緩和で「垂れ流し」をやった。それを「正常化」するには実体経済が回復する以外にない。全体としての下部構造と上部構造、食い物をめぐって世界が争うようになると、安全保障上の国際関係も厳しくなる。だから、第一義的には食い物なんです。
 毛沢東が言うように、ときに上部構造が大きな影響をもたらす。政治革命というのは経済活動ではないですから。

大嶋 社会主義は、政治の力で経済構造をつくり変えるわけですものね。

大隈議長 でしょ。それで下部構造に変化をもたらす。
 「日経」が「ネオ・エコノミー」で下部構造の変化に注目して、それがどんなふうに世の中を変えつつあるか、研究者などを取材して掲載したことは、時宜にかなっている。「日経」はときどきおかしなことを書きますが、いい問題提起だと、ちょっとばかりほめたいと思います。というのは、他の新聞を見ると、舌足らずがあるでしょう。より全面的かという面で、抜けているのがいっぱいあるので。われわれはそれを引き出して、記事を批判することはできるんですよね。
 そこで、典型的な記事を一、二、取り上げたいのですが。
 「見え始めた『見えざる手』 最適価格、中銀の役割問う」(六月七日付)はなかなか難解ですね。ここでは価格の問題を取り上げていて、あるところでは、一日に何万回と価格を変えるという(ダイナミックプライシング)。ホテルなんかでも、客が多いときには価格をつり上げているという。
 この記事では、タイ・バンコクの焼肉店が取り上げられています。料理の価格を時間帯ごとに変え、スマホのアプリで予約すれば通常の半額になるという。こういうことですね。これは、デジタル時代だからできる。ここに書いてあるのは、定価の「寿命」が短くなっているということです。家具・家庭用品、娯楽・電化製品の定価は寿命が短い半面、食品・飲料はあまり変化がないんですね。寿命は短くなっていない。全産業でも、定価の寿命は短くなっている。
 「需給に応じてリアルタイムで価格を変えるダイナミックプライシング」、これもさっきあげた「非常識な時代」という記事にも載っています。

大嶋 他にはどうでしょうか。

大隈議長 「出版不況でも返本ゼロ成長への解、規模にあらず」(六月八日付)という記事です。返本がゼロというのは、出版界にとってはいいことですよね。この記事では、「日本の小売店の品目数は四半世紀で二倍に増えた」と言っています。デジタル化されたのでこれができる、ということですね。
 「人のつながり、独創性の源」(同日付)という記事では、ヒダルゴ・マサチューセッツ工科大准教授が、「現代はモノ、生産手段、知識すら希少ではなくなったが、人々の新たな関心を満たすための独創性は得がたい。それを支えるのが社会的つながりだ。どんな人でもチームなしに独創的な知識やモノを生み出すのは難しい」と述べています。十分に練り上げた回答とは言えないでしょうが、これは、一定の水準のある社会や団体、あるいはシリコンバレーのような地域に頭脳集団が集まって、独創性を生み出していることを示しています。
 「ヒトより知識 割食う賃金 企業価値の源、八割が無形」(九月十七日付)という記事では、「無形資産の存在感が増す一方、労働分配率は低下傾向」と指摘しています。無形資産、デジタル関係で働く人たちの分配率は、ふつうの肉体労働者に比べて高くなっていると。
 次に、「『デジタル分業』世界で一・一億人 生産性、地球規模で競う 昨日とは違う明日」(十一月二十六日付)。デジタルが盛んになってくると、そこに人材が集まってくるんだけど、今は自宅にいても仕事ができるわけでしょう。インドが典型で、労働市場が一国に制限されず、能力さえあればいい。EUのように「移動の自由」で補うのではなく、移動しないでもよくなる。EUは、移民問題で労働力の移動に反対する動きが、上部構造では起こっているわけでしょう。これはずいぶん、違った動きです。ここでは、労働市場というのは、能力のある人たちにとっては、世界的に移動なしに参加できるわけです。能力がない人は、まだ地域的です。有効求人倍率というのは、能力のある人にとっては関係がない。しかも、その奪い合いです。だから、一国の政策にも響きますよ。そういう人たちがいるかどうかで、いないと外国に仕事を出してしまう。
 「デジタル、質と経験に恩恵」(十一月二十七日付)では、「人が仕事の質の変化に対応できず、経済が不安定になりませんか」という質問に対して、ベッセン・ボストン大教授が「社会の不安定さは生むだろう」と。別の記事は「仕事が増える」と書いてあるんだけど、これは反対のことを言っています。「引退間近の高齢者など対応が難しい人もいる。我々の研究によると企業が自動化を取り入れると八%程度の従業員は会社を去り、会社は異なるスキルを持つ人を雇用する。AI(人工知能)はこの変化を速める。一定の社会の混乱や断絶を生むかもしれない」と述べています。
 さらに「十年前、米国のコールセンターは全てインドに移るといわれていたが、実際にはそうはならなかった。(中略)米国でも電話オペレーターの雇用は増えた。今はAIがセンターの機能の一部を代替している」。
 もう、インドに頼まなくてもいいわけですね。

大嶋 日本でもやっていますね。

大隈議長 「例えば適切な回答者により速く、正確に電話を回すことだ。AIは人の仕事を減らすと同時に増やすこともある」と。さらに「政策はどう対応すべきですか」と尋ねられると、「産業革命の大きな変化を振り返れば、機械はそれを扱う熟練者を必要とした。何十年もかけて、労働者が機械を動かせるようになる訓練システムを構築した。課題こそ違うが適応できるまでに数十年かかるという点で今も同じだ」「現状の教育システムは若いときに訓練したスキルを一生使うという考えで築かれてきた。だが今は五〜十年ごとに新しいスキルを学ばないといけない世界だ」、教育しろということですね。
 「持続性、GDPで把握困難」(十一月二十八日付)では、九州大学の馬奈木教授が「新国富指標」を提唱しています。
 こう考えてみると、下部構造の状況は、GDPだって政策の基準がないわけです。財政も行き詰まっている。経済学が役に立たないことも分かっているが、その研究は「始まったばかり」ということですね。そこで早合点して、「社会科学は要らない」ということになると間違いです。
 そういう点で、共産主義者は技術革新を早い時点から注目しています。

大嶋 どういうことでしょうか。

大隈議長 マルクスの「資本論」が、いつまでも役立つとは言っていないんです。  さっきも触れましたが、私が新春講演会で「労働価値説だけでは現状は説明できない」と述べたことに対して、「『賃労働と資本』は誤りなのか?」と聞いた同志がいました。
 「資本論」は、生産手段の私的所有を、当時の現実の資本主義の諸関係の必然の姿として、客観的な社会の傾向性として具体的に分析した。資本主義は、認識とは別に客観的に機能しているわけですから。その対象自身の法則の研究を行ったわけですね。
 しかし、その社会が、技術が進んだり、株式会社ができたり、独占資本が登場したりして変わってきた。だから、マルクス主義者は研究を続けてきたんだけど、「資本論」が書かれた当時の歴史的条件、人間の意識か個々の人物がどう考えるかは別にして、目の前にある社会、人間社会の具体的研究を行って、それが私的所有の限界、不可避的に社会主義に至るということは間違いではないんです。
 しかし、引き続き資本主義が変わっていくなかで、マルクス主義者はそれをいろいろな側面から研究してきた。マルクス自身も「法則」という言葉を使うのを嫌ったと。「傾向性」だと。エンゲルスは「世界は法則に沿って動くのだろうか。そうではない。事実の中に傾向性がある」という趣旨のことを言っています。従って、事実が変われば、当然、あらわれ方は変わる。
 だからヴァルガは、マルクスが言った法則的なものがそのままの形であらわれたことは、ただの一度もなかった、と言っています。
 マルクス主義を深く勉強しない人、あるいは社会主義協会のような人たちは、そう思わない。

大嶋 具体的事実と関係がないですからね。

大隈議長 そういうことです。社会主義協会は「左翼」に見せかけることはよくやるが、実際にはズブズブの社民主義でしょう。
 とくに、「資本論」などが歴史の中での具体的研究の結果であることを忘れています。マルクス主義の神髄は、ヘーゲルの弁証法を唯物論的につくり変えたことにあります。客観世界、自然界であれ人間社会であれ、認識から離れた対象の状況についての具体的な研究です。
 自然界も不変なものではなく、温暖化や地球の状況によって変わります。私は以前、「経済学には地球温暖化の問題も取り入れられていないではないか」と指摘したことがあります。今では、持続性の問題の一部として浮上しています。
 マルクス主義の神髄は一言一句ではなく、「資本論」に何が書いてあったかではなく、その背後にあるものごとの研究、思考方法、つまり認識論なんですよ。客観世界をどう研究するかが、きわめて重要です。そうすると、こんにちの世界も日々、変わっていくということになれば、その事実を研究して、そこから一定の傾向性を引き出すことで政策に役立てるということなんですね。
 それを考えてみたらどうですか。
 結党十周年のときに言ったかもしれませんが、マルクス主義の信じるところが違うわけです。われわれは弁証法的唯物論を信じている、客観世界の研究を。ところが、そのときの歴史的条件の中で書かれた文章や諸傾向を信じる人は、マルクス主義と無縁な人たちです。

大嶋 そのまま信じる人ですね。

大隈議長 だからレーニンは「具体的事情の具体的分析」と言ったわけです。人間の脳が客観世界を正しく読み取って、方法論として利用したときだけ、研究が進むんですよ。そういうことに思いを致したらどうかと思うんですが、なかなかですね。
 真理と誤謬(ごびゅう)の問題にも触れたいのですが。論客たるものは、何かを根拠に上げるわけです。さっきの序文でも、「資本主義社会は非常に複雑であるから、どんな理論でも、その証明となる個々の事実を見つけようと思えば、いつでも見つけ出せる」と述べています。
 そうすると、事実を知らない人は、少しでも知っている人には勝てません。  宗教者であっても「神仏を信じるとよい」という「根拠」は、世界中から探すことができわるわけです。「宗教団体に入れば幸せになる」ということさえ「証明」できます。好んでデータを選べば、どんなことでも「証明」できる。
 数回前の総選挙では、与党も野党も、国のデータを基礎にして「雇用面で成果があった」と主張しました。同じことですね。ダブルワークであれ非正規であれ、雇用増加には変わりはない。その一つひとつは、ウソではないですから。でも、長時間労働になっているし、収入は増えていない。
 だから、真理と誤謬は「より全面的かどうか」の違いです。

最後にいくつか

大嶋 党の課題や闘いについてもお話しいただきたいところですが、新春講演会・旗開きもあります。詳細はそちらに譲ることにして、若干、お願いできますか。

マイナス金利の限界か?

大隈議長 おっしゃるように、ほんの「さわり」だけ。
 先日、スウェーデンが政策金利をゼロ%に引き上げました(〇・二五ポイント上げ)。
 「日経新聞」でさえ「限界」「曲がり角」と書いていますが、金利を引き上げたのは、景気が回復したからではありません。マイナス金利によって住宅価格が上昇、家計などの債務も膨らんだからです。産業構造が変化したこともあるようですが。
 欧州諸国は、マイナス金利の「先輩」「元祖」とも言うべき存在です。黒田・日銀総裁は「マイナス金利の深掘りは可能」などと言っていますが、欧州はすでに限界に直面しているわけです。ただ、「曲がり角」といっても、ほかに取るべき手立てがあるのかどうか。

大嶋 国内問題で言い残したことはありませんか。

連合について

大隈議長 二つだけ触れておきましょう。
 一つは、連合の態度についてです。少し前ですが、連合の「経団連『一九年度版 経営労働政策特別委員会報告』に対する連合見解」には、「基本的な考え方については連合と『経団連と方向性は一致』している」と、わざわざ書いています。働き方改革などについても同様です。
 闘わず、これではどうなんでしょうね。

大嶋 もうすぐ最新の「報告」が出ますが、連合中央の基調は同じでしょう。「これが労働組合なのか?」という現場の声が聞こえてきそうです(笑)。

小沢氏、二大政党制

大隈議長 野党についても少しだけ。立憲民主党、国民民主党、それに社民党などが合流するという動きがあります。なかなかうまくいっていませんし、年頭に解散・総選挙があれば間に合わない。そこに共産党が乗っていますが、選挙の範囲でさえ、与党に勝てるかどうか。
 指摘したいのは、一九八〇年代後半以降、小沢氏を中心に繰り返されてきた、保守二大政党制をめざす動きは続いている、ということです。

大嶋 ところで、日本のマスコミは「デモ」といえば香港しか報道しません。最初に言いましたが、世界はそれだけではない。中南米をはじめ世界では人民が立ち上がり、騒乱状態と言ってもよい様相です。各国での階級矛盾はますます激化しています。

大隈議長 闘いについてですが、例を挙げると、米国では自動車労組や教職員がストライキで闘っています。欧州では、フランスの年金制度改悪反対デモ、英国では教員の賃上げ要求やスコットランド独立運動、ドイツの農業規制反対デモ、スペインではカタルーニャ独立運動や反温暖化デモ、チェコでも汚職反対デモが吹き荒れています。
 アジアでは、韓国の労働法制改悪への抗議運動、インドネシアでは汚職反対、タイでも貧困者が反政府デモを起こし、インドでもイスラム教徒を中心にデモが続いている。
 中東でも、イラクの反政府デモが首相を退陣に追い込み、エジプトでも大統領の辞任を求める闘い、レバノンではスマホのアプリへの課税反対運動が盛り上がっています。
 とくに中南米では、チリの緊縮政策反対デモ、コロンビアの最賃引き下げ反対運動、エクアドルの補助金削減反対デモ、ホンジュラスでの医療などの民営化反対、ボリビアでは大統領選をめぐる暴動など、数限りない状況です。選挙ですが、アルゼンチンでは緊縮策をとった政権が倒されました。
 各国の個別事情はありますが、世界の富は多国籍大企業と投資家、実際には、デジタル大手企業が独り占めしています。どこにだったか、「世界で最も裕福な二十六人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる三十八億人の総資産と同額の富を握っている」と書いてありました。
 不満は高まりこそすれ、なくなることはありません。日本だって、遠からずそうなると思いますよ。

大嶋 まさに「胸躍る情勢」ですね。革命政党の役割が重要だと思います。  ありがとうございました。団結してがんばりましょう。


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