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2018年4月15日号 2面・解説

「日報」問題で暴露される
自衛隊海外派兵の実態

 米戦略支える派兵の中止こそ必要

  森友問題に続き、自衛隊の海外派兵をめぐる「日報問題」が国会をにぎわせている。存在する日報を「ない」と偽ってきた防衛省、さらに安倍政権の責任は明らかである。野党は「シビリアンコントロール(文民統制)の問題」と追及しているが、官僚が隠ぺいしたかったのは、日報の内容、すなわち自衛隊海外派兵の実態である。米国の世界戦略に追随した海外派兵そのものの中止こそが必要なのである。


 小野寺防衛相は四月二日、昨年の国会で「ない」と答弁していたイラク派兵時の陸上自衛隊の日報の存在を認めた。防衛省幹部は、日報ファイルの存在を認識してから一年以上も、存在を隠していたことになる。
 自衛隊海外派兵の日報問題は、二〇一六年、防衛省が南スーダンへの国連平和維持活動(PKO)派兵部隊の日報を「不存在」として開示しなかったものが、同年末に存在が確認されたことに始まる。翌一七年、陸上自衛隊による組織的な隠ぺいが認定され、稲田防衛相が辞任に追い込まれたほか、事務次官以下の幹部が処分を受けた


海外派兵の内容こそ問題
 イラク、南スーダンの両海外派兵をめぐる日報を陸上自衛隊が隠ぺいしたのは、官僚組織の情報管理が「粗雑」だったというよりも、日報の内容が「都合の悪い情報」だったからにほかならない。
 では、「誰にとって」都合が悪いのか。
 一九九二年にPKO法が成立して以降の海外派兵は、いわゆる「五原則」、すなわち(1)紛争当事者間の停戦合意、(2)当該国、紛争当事者による日本の参加への同意、(3)中立的立場、(4)条件が満たされない場合の撤収、(5)武器の使用は生命防護のためなど「必要最小限」に限る、というものである。歴代政権がこうした「建前」によって、国民の強い反発を押し切ってきたのである。
 だが、日報隠しが問題となった、イラク、南スーダンへの派兵では、当該国は依然として内戦状態にあり、紛争当事者の「合意」も事実上ないなど、それ以前にも増して、「五原則」は守られていなかった。
 そこで政府・与党が力説したのは、派兵現地の「安全性」である。たとえば、イラク・サマワへの派兵に先立っては、小泉首相(当時、以下同)は「自衛隊の派遣されるところが非戦闘地域」などと開き直った。与党の神崎・公明党代表は、オランダ軍の警護下、わずか三時間ほど滞在して「平穏」をアピールすることさえ行った。
 だが、当時のイラクは、事実上の内戦状態にあった。米軍でさえ駐屯地から一歩も出られないことが多く、自衛隊が派遣された二〇〇七年には、米軍だけで九百四人もが死亡している。派遣されたのべ約九千二百人の自衛隊員でも、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などによる自殺者が三十人にものぼっている。
 南スーダンでも、一三年末に部族間の内戦が激化するなか、菅官房長官は「おおむね平穏」と言い続けたし、稲田防衛相にいたっては、駐屯地周辺での戦闘を「衝突」と表現する姑息(こそく)な方法まで使って、現地の危険性を過小表現してきた。
 日報を全面公開すれば、このような政府の姿勢との矛盾が露呈してしまう可能性が高い。日報隠しは「シビリアンコントロールの危機」というよりも、政府のデタラメさをおおい隠し、派兵を継続させるという(文民の)意図に貫かれたものである。自衛隊の海外派兵自身が問題で、問われなければならない。

派兵は米国と財界の要求
 自衛隊の海外派兵は、米国の世界戦略に追随、貢献するものである。
 米国は冷戦崩壊後、「新世界秩序」を掲げて一極支配の維持を狙った。とくに一九九〇年代中盤の「東アジア戦略」以降、米国は中国を事実上の「仮想敵国」とし、けん制する戦略を強化した。
 こうしたなか、自衛隊には、全世界規模で米軍を支えることが求められるようになった。PKOや「選挙監視」などでの海外派兵は、こうした要求の下で始まった。
 二〇〇〇年代半ば以降、自衛隊の海外派兵は災害救援目的の案件が増加する。これは〇四年のインドネシア・スマトラ沖地震を機に、米国が天災を口実とした他国への干渉(いわゆる「ショック・ドクトリン」、東日本大震災時の「トモダチ作戦」も同様)を採用したことに照応している。
 自衛隊の海外派兵は、多国籍大企業を中心とするわが国財界、支配層の要求でもある。一九八〇年代後半以降、多国籍化を進め、世界中に権益を有するようになった財界は、それを守るための軍事力をますます必要としている。国内での改革政治による財政再建と併せ、海外派兵と国連の安全保障理事国入りによる国際的発言権の強化は、わが国支配層の最大の課題となっている。
 わが国支配層は、湾岸戦争で米国に百三十億ドルもの資金援助を行いながら、まったく「評価」されなかったことを「教訓」とし、「カネもヒトも出す」方向に踏み切ったのである。

「対中」で実戦対応強める
 リーマン・ショックを経て、米国の衰退はいちだんと深まった。他方、中国は台頭を強め、世界第二位の経済大国になった。
 オバマ前政権は「アジア・リバランス戦略」を掲げ、南シナ海問題などで、中国への対抗姿勢をさらに強く打ち出した。
 「強い日本」を掲げた安倍政権はこれに積極的に呼応、集団的自衛権の行使のための安全保障法制を制定した。
 わが国はさらに米国の世界戦略に縛られることになった。当初、「自身の安全のためだけ」とされてきた海外での武器使用原則は段階的に緩和され、安保法制施行後は、いわゆる「駆けつけ警護」も解禁された。
 トランプ政権も基本的にオバマ前政権のアジア戦略を継承している。米国の国内産業の再生と軍事力による世界支配の維持を中長期の課題としながら、トランプ政権は中国に「貿易戦争」を仕掛けるまでに至っている。貿易だけでなく、技術開発競争や投資をめぐる摩擦、南シナ海問題、サイバー空間など、米中の対抗関係は、政治、経済、軍事を含む全面的なものとなっている。
 米国は、同盟国・日本の助けなしに、世界支配を維持できなくなっている。
 他方、トランプ米政権はわが国にも通商要求を強め、鉄鋼・アルミニウムでは追加関税を課すに至った。要求はこれにとどまらないだろう。
 安倍政権がこうした諸要求をかわすため、自衛隊の海外派兵拡大など、安全保障上の譲歩をさらに進める可能性がある。安倍政権を支えるわが国財界は、米国中心の秩序の中で生き残ることを望んでいる。それでも、対米矛盾は深まらざるを得ない。
 わが国の安全保障面での負担を要求する、米国の世界戦略と闘わなければならない。これに追随する支配層、手先の安倍政権を打ち破らなければならないのである。(O)

自衛隊の主な海外派兵

1991年 湾岸戦争
・ペルシャ湾での機雷掃海(1991年)
1992年 国連平和維持活動(PKO)協力法
・カンボジア派兵(1992〜93年)
・モザンビーク派兵(1993〜95年)
・ゴラン高原派兵(1996〜2013年)
2001年 テロ特措法
・インド洋での後方支援(アフガン戦争、イラク戦争)
・東チモール派兵(2002年〜)
2003年 イラク復興特措法
・イラク派兵(2004〜06年)
2006年 統合幕僚監部の新設、派兵運用を担当
・ネパール派兵(2007〜11年)
・スーダン派兵(2008〜11年)
・ソマリア沖派兵(2009年〜)
・ハイチ派兵(2010〜13年)
・南スーダン(2011〜17年)
2015年 集団的自衛権のための安全保障法制


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