2009年7月5日号 2面・社説 

「連立政権参加」で
「社民党がなくなる」との
批判は当然


戦略的展望持ち、
国民の願いと結びつくこと
こそ活路

 社民党全国連合常任幹事会は六月十八日、総選挙後の態度について、連立政権参加に「前向きに対処」し、総選挙では「その立場を鮮明にして闘う」といった方針を決定した。
 最終決定ではないが、社民党中央は、民主党主導の連立政権に参加する方向へ大きく踏み出した。又市副党首は、連立政権への「主体的積極的」参加を主張している。
 この方針は、同日のブロック事務局長会議でも提起されたが、「社会新報」は「大筋で了承された」と言わざるを得ない。会議では、地方の事務局長から「比例代表にマイナス」「社民党がなくなる」などの慎重、反対論が相次いだという。地方・現場の反対は当然で、道理がある。
 社民党中央が民主党との連立に踏み込むことは、これら現場の声を裏切ることでもある。何より、民主党への幻想を広めるもので、財界の狙う保守二大政党制策動を助け、悪政に手を貸すことにつながるものだ。
 わが党は、社民党の皆さんが、一九九〇年代からの政治再編とその中での経験に学び、国民の政治への怒りと結びつき、財界が進める二大政党制攻撃と闘うことを期待する。

策動を見抜けず崩壊した社会党
 こんにち、社民党は衆・参合わせて十数議席の政党となっている。
 だが、前身の社会党は労働組合に大きな影響力を持ち、総選挙で常時約一千万人の支持を得ていた。なぜ、こうなったのか。「連合が支持してくれない」など、言い分はあろう。それは事実だが、ことの一面にすぎない。
 八〇年代後半、社会主義混迷の影響や支配層の画策、何より戦略の欠如で、社会党はすでに展望を失っていた。こうした中、社会党は、財界が系統的に策動してきた二大政党制策動を見抜けず、戦略的に対処できず追随したのである。
 当時、旧来の利益分配型の政治――金融独占と大企業の手先でありながら、支配のために農民や中小商工業者などを戦略的に重視し、同盟者とする――は、国際環境の変化と産業構造の転換によって限界となっていた。
 財界は八〇年代末から、「政治改革」を口実に小選挙区制を導入して社会党を崩壊させ、労働運動の上層を基盤とする新たな保守政党をつくり、二大政党制で支配を安定化させることをもくろんだ。これは財界が、冷戦の崩壊によって経済がグローバル化する中、激化する国際競争に勝ち抜くための政治を必要としたからだ。山岸会長の連合も、この動きと結びついた。
 政界では、小沢元自民党幹事長が「改革フォーラム二十一」を形成、「日本改造計画」を出版して「政治改革」を叫び、細川前熊本県知事が日本新党を結成するなど、流動化した。
 九三年六月、宮沢内閣に対する不信任案が可決されて衆議院が解散、小沢らは新生党となり、さらに新党さきがけなど、いくつかの保守政党が結成された。財界はマスコミを使い、これらを強力に支持した。この総選挙で、社会党は議席半減で惨敗した。
 選挙後、自民党は依然第一党であったが、小沢は「非自民」八党派による細川政権を画策した。二大政党制を戦略とする財界からすれば過渡的で、そこへ導くことも含んだ支配形態としての保守主導の連立政権である。
 大敗したとはいえ第二党の社会党は、こうした支配層の策略を見抜けず、乗せられて、政権に参加した。小沢の策動で土井元委員長は衆議院議長に祭り上げられ、山花委員長は小選挙区制導入の担当大臣にされた。さらに、党本部に押しかけた農民を裏切り「コメ自由化」に賛成した。
 その後の村山政権、橋本政権(閣外協力)でも、閣僚の椅子ほしさもあったのであろう、基本政策での「転換」を繰り返した。これまでと正反対の「自衛隊合憲、日米安保堅持」はその代表例である。
 これが、連立政権参加の「実績」である。こうした中、社会党は展望を描けぬまま、社民党、民主党、新社会党へと三分解、社民党は議席を大きく減らすなど凋落(ちょうらく)した。

二大政党制との闘いにこそ活路
 〇二年、財界団体が日本経団連として統合、トヨタの奥田が会長に就任して、多国籍大企業が財界の主導権を握った。多国籍大企業は二大政党制に向け、新たな策動を開始した。旧民主党と自由党が合流、新民主党がつくられた。以降、とくに〇七年の参議院選挙で民主党が躍進し、自民党と民主党による二大政党制的な状況が進んだ。半面、衆参の「ねじれ」で法案成立がままならないなど、支配層には「高くつく」ものともなっている。
 総選挙を控えたこんにち、二大政党制をめざした政治・政党再編がすでに顕在化している。自民党は鳩山総務相の更迭問題などで分裂含みであり、橋下・大阪府知事など地方の首長らも策動を強めている。
 民主党は鳩山体制となった。だが、小沢は引き続き選挙対策を指揮し、社民党支持の労組幹部を懐柔、「民主党への合流」を説いているという。小沢は、〇六年の民主党代表選の際「二大政党制による政権交代」こそが自らの「使命」と述べたが、その役割は変わっていない。
 一方、鳩山新代表は、衆議院の比例定数削減を打ち出し、来夏の参議院選挙で「民主党が単独過半数を取れば連立政権は消える」と公言したり、憲法改悪や消費税増税を掲げるなど、社民党を揺さぶっている。
 支配層にとって、二大政党制確立のカギの一つが、労働運動とこれに伝統的影響力を持つ社民勢力を取り込み解体することだからである。
 社民党の皆さんが、目前の総選挙に熱中せざるを得ないのは理解できないではない。だが、またも策略に乗って連立政権に参加すれば、その先の選択肢は二大政党制を認めて民主党にもぐり込むか、じり貧で滅びるしかない。事務局長会議で出された地方の懸念は当然である。今回は、九三年や村山政権時代程度では済まないであろう。
 だが、日米基軸問題などで基本路線を明確にし、危機の中で展望を求める国民各層としっかりと結びつけば、戦略展望を描くことは十分可能である。

深まる危機、戦略持ち闘う時
 こんにちの政局の混乱も、支配層が二大政党制を急ぐ理由も、かれらの抱える危機が、九三年当時とは比べものにならないほどに深いことによる。
 世界的恐慌はますます深刻である。ドルと米国市場への輸出に頼ったわが国経済は深刻で、労働者をはじめ国民諸階層の生活と営業は追い込まれている。多国籍大企業や大銀行は多額の血税を手に入れ、労働者国民の犠牲の上に、いちだんと激化する世界市場争奪競争に勝ち抜こうとしている。対米追随で多国籍企業の手先、麻生政権は米国の世界戦略をいっそう支え、船舶検査法案など朝鮮敵視で東北アジアの緊張を高めている。対米従属でアジアで孤立するわが国はやっていけるのか。
 国民各層の中には、政治への怒りと闘うエネルギーが充満している。麻生・自公政権も、基本政策で自民党と違いがない民主党も、対米従属政治を根源とする国民の苦難を解決することはできない。闘う側にとっては大きなチャンスであり、このエネルギーに依拠できるかどうかが問われている。
 かつて社会党が、国民各層のエネルギーを生かせず、崩壊していった痛苦な経験から学ぶべきである。
 八〇年代半ば以降の産業構造転換で、自民党の支持基盤である農民や中小商工業者の生活と営業は危機に直面した。二階堂・自民党副総裁は「ムシロ旗が立つ」と、農民や中小商工業者の「自民党離れ」を恐れた。社会党はこの「自民党離れ」の層の支持を得、八九年の参議院選挙で大勝し、翌年の総選挙でも千六百万人の支持を得た。
 だが、社会党は「どの階級が、なぜ社会党を支持したか」が理解できないどころか、コメ自由化で農民の恨みを買い、村山政権の消費税率引き上げ内定(実施は橋本政権)は商工業者の失望を買い、せっかく「自民党離れ」した層を自らの失態で離反させた。そして、「市民」「女性」といった没階級的な党を志向したのであった。
 当時と比較にならぬほど危機が深く、国民各層が政治の根本的転換を切実に願う情勢の下、改めて戦略的観点・展望が求められている。
 社民党は、二大政党制の一方の装置である民主党を暴露し、とりわけ各層の切実な課題で政策的な違いを鮮明にさせるべきである。選挙でもその方が有利であろう。
 戦略的には、労働者はもちろん、農民や中小商工業者などの要求と結びつき、広く勢力を結集し二大政党制と闘う新党をめざすことこそが、真の展望ある道である。
(文中の肩書きはすべて当時)

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