2009年6月25日号 2面・社説 

月例経済報告
「底打ち宣言」の欺まん


多国籍大企業、政府の
乗り切り策を見破り闘おう

 政府の「月例経済報告」が六月十七日、発表された。
 この政府報告は、内閣府が毎月発表、閣議を経てその時々の経済情勢判断を示すものである。今報告の大きな特徴は、七カ月ぶりに「悪化」という言葉を「基調判断」から削り、「一部に持ち直しの動き」との表現で景気が最悪期を抜けた、との認識をにじませた点にある。与謝野経済財政担当相は「景気は底を打ったと強く推定できる」と、経済が回復に転じたことを意味する「底打ち」を宣言した。
 非正規、正規を問わず労働者の首切りが拡大し、失業率は五%を超え、さらに悪化し続けている。全国のハローワークは、職を求める失業者であふれかえっている。「底打ち」などいう楽観的な評価は、こうした労働者、国民多数にはおよそ信じがたいものだ。商業新聞さえ「政策当局者はあまり楽観しないように注意すべき」(日経新聞)と書かざるを得なかった。さらに同紙は、「(総選挙に向けて)経済対策の成果を強調したいとの思惑も潜む」と書いたが、この報告に込めた政府、与党の党利党略も見え見えである。
 政府支配層のたれ流す情報も、マスコミの論説も政治的、階級的意図に貫かれたものである。
 記憶に新しい一九九〇年代のバブル後不況期、また三〇年代の大恐慌の例をあげるまでもなく、労働者階級は好不況の波にその生存条件を左右されてきた。企業、資本側が好調な時だけぎりぎり食えるにしても、不況となればたちまち工場から追い出され、生きることを許されない。資本主義の歴史では、これが周期的に繰り返されてきた。労働者の運命は本質的に、かつてと何ら変わっていない。
 だからこそ、政府の「底打ち宣言」に惑わされ、一喜一憂するなどバカげたことだ。
 労働者階級は幻想を捨て、自らの根本的な解放、生存のために「腹を決めた」闘いを準備しよう。

「底打ち」宣言のペテン的実態
 「報告」は、「在庫調整の進展と生産の回復」を「底打ち」の根拠にあげている。だが、それはあまりに表面的、恣意(しい)的なものである。事実を確かめれば、それが都合のよいデータの切り貼りに過ぎないことがよく分かる。
 直近の鉱工業生産はデータで見れば確かに若干上向いた。しかしそれでもリーマンショックが起こった昨年夏前の水準からはなお低水準で、回復というにはあまりに弱々しい。
 しかも、以降の経済を占う先行指標としての設備投資は、いっそう冷え込んでいる。「報告」自身が設備投資について、今までの「減少している」から「大幅に減少している」へ、六カ月ぶりに下方修正している。多くの資本家たちが回復を信じず、製造設備などへの投資意欲がさらに悪化していることを示す。
 さらに、生産の回復を支えたといわれる輸出は、主要輸出先である米中両国経済の先行きに依存する。しかし、そこに展望がもてないことが明白である。
 五月に九・四%と最悪をつけた米失業率は、GMの破たんなどで今後いっそう悪化することが見込まれ、国内総生産(GDP)の七割に及ぶ個人消費が好転する条件は見つけにくい。バブルの発端となった住宅価格は下げ止まっておらず、サブプライムローンなど過剰に積み上がった負債は、いまだ収縮の途上だ。二〇〇七年夏以前のように全世界から製品を受け入れる余力など、借金まみれの今の米国にはない。それどころか、大銀行や巨大企業救済のための財政支出で政府の借金が急増、長期金利が上昇するなど、ドルの信認が大きく揺らぎ出している。これが揺らげば「二番底」どころではない。ドル基軸の戦後資本主義システムそのものの瓦解(がかい)である。
 一方、中国の五十七兆円にのぼる大財政支出による需要創出は、いくらかの輸出産業に恩恵を与えている。しかし、中国の急成長をけん引した沿岸部の輸出企業は対米輸出などの激減で回復の見通しが立たない。全世界から商品が中国はじめアジアに殺到しているが、内需の弱い新興諸国が米国に代わってこれを吸収するには、あまりに力不足だ。
 結論的に、外需依存のわが国経済の先行きはいまだ「底が見えない」。これが客観的な実態で、マスコミや経済界すら「報告」に冷ややかな視線を浴びせる由縁である。

誰にとっての「持ち直し」なのか
 「底打ち宣言」に対し、「家計に実感がない」という批判の論調は多い。その通りでもあるが、それは結果に過ぎない。経済危機は社会の諸階級に一様の影響を与えるものではない。大企業と中小、零細企業、さらに業種によって異なるし、労働者にはまったく別の世界がある。
 例えば、世界不況にもかかわらず、重電業界大手などは、原発や太陽光発電など新たな需要を求め、海外での設備投資を加速させている。素材産業はじめ日本の巨大企業、商社による海外企業の買収も増加し、国際競争は激化している。
 一部輸出大企業の生産の持ち直しは、在庫縮小が急速に進んだことが大きい。トヨタなど自動車大手は、昨夏以降急速に生産を縮小、リストラを進めた。こうしていま、在庫負担がなくなった大企業は急遽増産へと踏み出している。
 増産した車が売れるか否かは別として、そこには、下請け中小零細企業の倒産と労働者の首切りという犠牲の上に生き残り、より効率的で競争力の強い企業へと変貌した大資本の悪らつな姿、策略がある。これは電機業界も同じである。
 しかも、これら多国籍大企業には政府の経済対策で「エコカー減税」や新車購入補助金、省エネ家電への「エコポイント」導入などさまざまな財政支援が行われた。
 首を切られた労働者が、住宅さえ失い、生活保護なども厳しく抑制されている中で、輸出大企業、多国籍大企業のみはこうして国費・税金にによって支援された。
 雇用調整助成金などといっても、それは労働者が申し出、受け取れるものではなく、企業の申し出にしたがって、企業へ支給される。それも、仕事がなく、銀行の貸し渋りで運転資金に窮した零細企業は、すでにばたばたと倒産に追い込まれた後である。実際に制度の恩恵に浴すのは大企業が大半である。
 これら経済対策は、セーフティーネットなどと言いながら、実態は大企業への支援策にほかならない。

損益計算書も書き換え「赤字」宣伝
 しかもこれら大企業は、決算発表すら書き換えて「赤字」を強調し、春闘をも抑え込んだ。例えばシャープは、三月期決算で最終で千二百五十八億円の赤字を計上したが、その内の事業構造改革費と呼ぶ工場閉鎖や再編にともなうリストラ費用、保有株式評価損など営業外の特別損失が千八十三億円、八三%も占めている。これらは現実の損失ではなく、帳簿上計上された「赤字」に過ぎない。企業が腹を痛めたわけでない想定される「赤字」で、為替レートや株価動向も今期末にならなければどうなるか分からない。「大赤字」との宣伝は真っ赤なウソである。
 この企業の論理に協力し、空前の「赤字」宣伝の片棒を担ぎ、労働者の切実な要求を抑え込んだ、連合中央指導部の裏切りは許しがたい。。


 財界の指導権を握った自動車電機などの多国籍大企業は、この危機下でも労働者に犠牲を押し付け、最大の収益を上げようと悪らつに振る舞った。その結果が政府の言う「在庫調整の進展と生産の回復」なるものをつくり出しているのである。
 労働者階級は、この支配者どもの鉄面皮な振る舞い、階級的性格をしっかり見抜き、自らの生存とこの国の国民経済の発展のために、断固として反撃しようではないか。
 対米追随、ドル依存の多国籍大企業らによって意図してつくり出された過度の輸出依存経済を転換し、内需を厚くし、ドルに揺さぶられないアジアと真に共生した国民経済をつくり出すためにも、労働者階級の力強い政治登場こそが待たれている。

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