2008年8月5日号 2面 社説 

核兵器廃絶運動の発展のため

米帝国主義との闘いこそ
核廃絶への道

 一九四五年、広島、長崎に原子爆弾が投下されてから、六十三年目の夏となった。原爆投下は、非武装の市民数十万人を殺りくした無差別攻撃であり、いまなお、多くの被爆者が苦しみ続けている。
 核兵器の一日も早い廃絶は当然の願いで、今年もさまざまな取り組みが行われている。わが党は核廃絶のため、ともに闘うことを表明する。
 ところで、七月初旬に行われた北海道・洞爺湖サミットでは、サミット文書としては初めて、「核兵器の削減」が盛り込まれた。また同文書は、核拡散防止条約(NPT)の「強化」を打ち出している。
 これは、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)とイランに核兵器と核開発計画の放棄を迫り、中国をけん制するのが狙いである。またそれは、核という手段で帝国主義による世界支配に立ち向かおうとする、全世界の中小国に対するどう喝でもある。決して、大国が自らすすんで核兵器を削減するわけではない。
 こんにち、自民党、公明党の与党、さらに民主党は朝鮮の核を「脅威」と決めつけ、朝鮮敵視の世論をあおっている。共産党も「北朝鮮の核兵器開発でもっとも脅威を受けるのは日本」(第六回中央委員会報告)などと、右翼勢力と見まごうばかりの「朝鮮脅威論」「核放棄論」を宣伝している。和田春樹・東京大学名誉教授らも、雑誌「世界」提言で、これと大差ない見解を振りまいている。米国の核など、どこかに置き忘れたかのようである。
 だが、このような「反核」の立場では、核兵器廃絶の闘いを力強く発展させることはできない。ことは朝鮮に対する態度にとどまらない。今一度、核についての経過を振り返り、問題を整理してみる。

核を世界支配の道具とした帝国主義
 核は、技術力と社会の発展の総合として生まれた。帝国主義戦争として始まった第二次世界大戦と結びついて、核兵器を最初に得、そしてわが国の広島、長崎に対して投下したのは、米帝国主義であった。
 この原爆投下に始まる米国の膨大な核兵器は、強大化しつつあったソ連と社会主義勢力に対するどう喝であると同時に、資本主義諸国の中での、米国の支配力の源泉となった。
 米国に続いて、帝国主義国では英国、フランスが核武装した。
 最大の帝国主義国である米国は、核兵器を自らの世界支配のために最大限に活用した。米帝国主義は朝鮮戦争、キューバ危機、ベトナム戦争、そして最近ではイラク戦争で核兵器の使用をちらつかせ、敵対国をどう喝した。さらに、ブッシュ政権は、反米諸国を「悪の枢軸」などと呼んで、核による先制攻撃の対象とするなど、中小諸国・人民に対して居丈高な圧迫を繰り返してきた。
 冷戦下、社会主義国への包囲・圧迫に対抗する形で、ソ連(ロシア)と中国が核武装に踏み切った。
 こんにちも、米国は一万発以上の核弾頭を保有する世界最大の核大国である。また、在日米軍基地をはじめ、世界中の基地に大量の核兵器を配備し、争乱の種をまいている。
 それどころか、ブッシュ政権は二〇〇三年のイラク戦争において、劣化ウラン弾を大量に使用、イラクの国土を広範囲に放射能汚染させた。〇四年には、対地下施設用兵器「強力地中貫通型核」などの研究を解禁、「使える核兵器」の開発をさらに推進している。
 また、米国を筆頭とする核保有国は、永遠に核兵器を独占するために腐心した。NPT(六八年調印)、包括的核実験禁止条約(CTBT、九六年署名)がそれである。これによって、中小国の核開発は事実上禁止される一方、すでに核兵器を保有する五大国は、いっこうに実施されない「削減のための交渉義務」を負うのみである。CTBTはあらゆる形での核実験を禁止する条約だが、技術力を持つ大国は、禁じられていない臨界前核実験を繰り返すことで、核兵器の能力を維持している。
 核保有五大国は、拒否権を持つ国連安全保障理事会常任理事国と同じである。こんにちも核兵器は、国際政治上支配的な地位を占めるための手段として機能している。核兵器は、帝国主義による世界支配と切り離すことができないのである。

中小国が核を願うのは理解できる
 帝国主義が核兵器によって世界を支配している以上、この下で政治的経済的抑圧を受け続ける中小国・民族が、防衛手段としての核を熱望するのは避けがたいことで、押しとどめることはできない
 被爆国国民として、核保有国が増えるのを喜べないという心情は理解できる。だが、そうしなければ、中小国は米帝国主義の核どう喝に屈服する以外にない。核を持たなければ真の独立国にはなれない、悲しいことだが、これが世界政治の現実である。この現実の上に、NPT以前には中国が、九〇年代末にはインドとパキスタンが核武装に踏み切った。
 〇六年に明らかになった朝鮮の核武装も、この流れの中にある。とりわけ朝鮮は、五一年の朝鮮戦争以降、南北分断の下で、米国・日本の軍事、経済、政治を含む厳しい包囲下に置かれてきた。その朝鮮が自国の生き残りを図るために、経済建設と併せて、核兵器も含めた武装を強化するのは当然の選択であった。
 イランも米国に「悪の枢軸」などと決めつけられ、その手先たるイスラエルからの脅威を受けている。イラン政府は核開発が「平和利用」目的であると繰り返しているが、仮に核武装をめざしたとしても、その意味はインドや朝鮮と同じである。
 こうした核武装の結果はどうか。米国はインド、パキスタンを制裁したが、現在は両国の核保有を認めている。インドはNPT未加盟にもかかわらず米国から原子力の技術協力まで受けるなど、その国際的立場を大いに高めた。また、ブッシュ政権は敵視していた朝鮮の核保有の事実も受け入れざるを得ず、拒否し続けてきた米朝二国間の交渉に応じ、「テロ支援国」指定を解除した。米朝間の合意を経て、こんにち、北東アジアには一定の「安定」が実現しつつある。核保有によって、朝鮮は帝国主義に「侮られない国」となった。これが現実である。
 しかし、さらに多くの国が核兵器を所有するようになれば、大国を含め、核保有国としての「特権」は次第になくなっていかざるを得ない。逆説ではあるが、核兵器の拡散と核独占体制の破たんは、核廃絶の緊急性だけでなく、その廃絶の可能性を高めることを意味している。

反帝国主義と結びつけ核廃絶を
 核を最初に持ち、こんにちも最も多く保有する米帝国主義に、朝鮮やイランの核放棄を迫る資格はない。わが国は戦後一貫してその米国の「核の傘」の下にあり、米軍の核持ち込みを黙認、「非核三原則」はもともと欺まん的なものである。加えて、近隣の朝鮮には敵視政策をとり、中国包囲網に加わってきた。このような日本政府も、他国に核放棄を迫る資格はない。まして、朝鮮の核を口実に、自らの核武装の意思を公然化させるなど、断じて許せないことである。
 核廃絶を真剣に願うのならば、帝国主義、とりわけ米帝国主義との闘いと結びつけてこそ展望がある。在日米軍の再編に反対し、日米安保条約破棄の闘いを強め、すべての米軍基地の撤去を要求しなければならない。米国とわが国政府を暴露せず、闘わない運動では、核廃絶に向けた力にならない。
 だから、いわゆる「革新」とされる人びとが、米国や福田政権とともに朝鮮の核放棄を要求するのは、真の敵を取り違えたものである。核問題を日朝の国交正常化問題と結びつけ、「核放棄」を正常化の「条件」とすることは、二重の誤りである。相手国の核兵器の有無は、国交を結ぶ際の条件とはなり得ないのが、国際政治の常識だからである。
 核兵器廃絶のための闘いは、大国が核を使って支配する世界を変革するための闘いでもある。だから、核独占体制を正当化するNPTは、打ち破られなければならない。中小国が核武装によって核独占体制を打破することは、帝国主義の核どう喝を無力化させ、平等な国際社会を実現する上で重要な前進なのである。
 平和と繁栄を願うすべての人びと、とりわけ労働者は、中小国の闘いと結びつき米帝国主義と闘おう。そうしてこそ、核兵器廃絶の闘いを力強く発展させることができる。


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