2008年7月5日号 2面 社説 

共同提言
「対北政策の転換を」について

「似て非なり」二つの
日朝「国交正常化」路線

「北の核が死活的課題」論では
敵視政策に手を貸すことになる

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が六者協議合意に基づく「核計画申告」を行い、米ブッシュ大統領は「テロ支援国家指定」解除を議会に通告した。今のところ、米国の衰退と守勢が目立つ中で、朝鮮の主導下に、「核問題」をめぐる米朝間の闘争の局面は一歩進んだように見える。もちろん、以降の見通しは六者協議という枠組みの下でもあり、さらなる曲折が避けられまい。
 このような中で、これまで米国の朝鮮敵視政策の尻馬に乗って「拉致」を騒ぎ立て、排外主義をあおることで、政治支配の危機を取り繕ってきた支配層と福田政権は、米国の「指定」解除に直面して「梯子(はしご)をはずされた」とばかりに大あわてである。
 しかし、骨の髄まで米国追随のこの売国奴どもは、「日米同盟の危機」などと騒いではみたものの、米国の朝鮮政策との調整を迫られ、内部での分化も余儀なくされている。こんにち、福田政権は「拉致」一辺倒から、「核・ミサイル・拉致の諸懸案の包括解決」へと戦術調整し、孤立を回避し、政治的主導性を維持しようと必死である。米国・ブッシュもまた、その線で可能な限りのリップサービスに応じている。G8も「北は核完全放棄を」とうたい上げた等々、あらためて「北の非核化」のキャンペーンが強まっている。
 わが国支配層も、ブッシュの米帝国主義も、わが国国民世論の分裂、朝鮮敵視政策の動揺・破たんを何よりも恐れている。この事態の推移次第では、米国の東アジア戦略と六者協議にも、対米従属路線のわが国福田政権にも、深刻な影響を及ぼすからである。
 日朝国交正常化を求める世論も急速に発展している。いまこそ、植民地支配と戦後の敵視政策を清算して「即時・無条件」の国交正常化に政府を追い込まなくてはならない。

別の狙いを秘めた国交正常化「提言」
 こうした情勢で、日朝問題に「造詣」ある識者たちが、雑誌「世界」七月号に「対北政策の転換を」と題する「共同提言」(以下「提言」)を発表した。「提言」は国交正常化の課題として、第一に「植民地支配の清算」を挙げ、第二に「(朝鮮戦争後の)敵対と緊張の終結」を挙げている。内容はともかく、この二点こそ国交正常化の課題でもっとも肝心な点であり、その解決はもっぱら日本側の対応にかかっている。
 ところが、「提言」は「第三の課題」をもち出して、「ミサイルに搭載され日本に向けられた北朝鮮の核兵器の解決が死活的課題」だといい、そのために「国交正常化を手段」にと提起している。これでは、国交正常化を掲げながら、新たな障害を設け、高まりつつある正常化の国民運動を別の道にそらすことになる。
 「似て非なり」とはまさにこのことである。
 この「提言」に従うと、国交正常化を求める運動は、その目的を国交正常化実現から、朝鮮の「核放棄」へと移すことになる。
 「国交正常化」は本来、不正常な関係に終止符を打ち、日朝両国の政府と国民の相互信頼と相互尊重、友好、互恵の関係を築くはずのものである。にもかかわらず「提言」は、それをわが国の「外交手段」に取り替えて、朝鮮が核放棄に応じない限り、という口実で、実際には国交正常化は果てしない将来に先送りされ、実際的には敵視政策を続けることとなる。
 だから、日朝正常化を心底願っている善意の共同提言者に、また、労働運動と各界の進歩的活動家にも率直に言わなくてはならない。この「提言」の果たす客観的役割は、情勢を前進させるものではなく、押しとどめるもので、非常に危険なものがある、と。

何が根本的問題で死活的課題なのか
 「提言」の「朝鮮問題」の把握とその政策には、いくつか基本的弱点、あるいは意図的な誤りが含まれている。
 とくに重大な問題は、第一に、日朝関係で戦前の植民地支配の清算で、強制連行について正面からふれないこと。さらに戦後の敵視政策についてもきわめてあいまいであること。第二に、一九五〇年の朝鮮戦争以来の最大かつ基本問題である、米帝国主義による朝鮮への敵視政策との闘いの観点がまったく希薄であること。第三に、戦後のわが国の対朝鮮外交は米国に縛られたもので、自主外交などかけらもなかった問題が、まったく暴露されていないことである。
 この三点、とりわけ第一の問題は、日朝国交正常化に当たって解決すべきもっとも肝心な課題であって、この課題こそ日本政府に解決を迫るべき問題なのである。
 この肝心な問題をあいまいにしておいて、提言は新たな障害を設けようとしているのである。とりわけ問題なのは、「提言」が「北朝鮮の核兵器はミサイルに搭載され、日本に向けられている」などと、朝鮮敵視・軍拡を狙う右翼ばりに、危機感をあおり立てていることである。
 しかし、朝鮮半島での「核問題」が、朝鮮戦争での米朝対峙(たいじ)の中での米軍による核攻撃どう喝に始まったこと。以後、米帝国主義の朝鮮敵視と南北分断の下で朝鮮が核による威嚇にさらされてきたことを誰一人知らないはずはない。これこそ、朝鮮半島の核問題の核心であり、この敵視政策・核威嚇の打破こそが朝鮮民族にとって一貫した根本問題だった。
 かつて、ソ連の核が対米で対抗力となった時期があったにしても、それが失われて以後、朝鮮は自力で国家の安全を闘いとる以外になかった。どんな国も自力で独立を闘いとるもので、朝鮮が経済建設と併せて、核兵器も含めて防衛的な武装を強化するのは当然であった。
 一連の経過をへて〇六年十月、朝鮮は核実験を行い核武装を公然化させた。米国はその事実を受け入れざるを得ず、拒否してきた二国間の交渉に応じて、地域に一定の安定が実現しつつある。これがこの期間の「核問題」のありていな経過である。
 朝鮮の核・ミサイルが平和と安定を破壊したわけではなく、むしろ逆である。この歴史の事実は、はっきりと確認しておかねばならない。
 「北」の核・ミサイルが「日本に向けられている」とすれば、それは五一年以来の日米安保条約と在日米軍こそが問題なのであり、米軍を後ろ盾に敵視政策を続け、在日朝鮮人へのまったく理不尽な政治弾圧を続けるわが国政府にこそ、問題がある。
 歴史的経過のあるわが国が、ましてやその反動的支配層、福田政権と闘うべき勢力が、米帝国主義といっしょになって朝鮮の核武装解除を迫るなど、あってはならないことである。

自主外交なしに真の前進は不可能
 「提言」は、九〇年代はじめと〇二年の時に日朝関係打開の動きを妨害したのは米国だと指摘する。米国に縛られて敵視政策を続けてきたわが国売国政権と闘い、独立自主の外交でしか日朝関係の真の打開は不可能である。しかし「提言」は、慎重にこの根本問題を避けている。
 それどころか、「いまや」米国は政策を転換したのだから、「日米間の見解の乖離(かいり)を露呈しないように」と米国に合わせることを主張する。「良心的識者」たちにも、米国依存症がいつの間にか蔓延(まんえん)したのであろうか。
 いまや米国の衰退は決定的である。対米従属のわが国は、政治も経済も安全保障も完全に行き詰まっている。米国のアジアへの干渉・侵略支配に反対し、平和な環境を実現し、アジアの共生をめざすことこそ、活路である。そのために一刻も早く、植民地支配とその後の売国政権による朝鮮敵視政策の歴史を真摯(しんし)に反省・謝罪し、必要な賠償・補償も行って、朝鮮との関係を正常化しなくてはならない。
 「即時・無条件」の国交正常化が求められている。日朝間に諸懸案があるとしても、「国交正常化」の一点で、広範な国民運動と世論を前進させ、わが国政府に朝鮮敵視政策を転換させ、その中で解決する以外にない。

 対米従属の福田政権に、何ら期待することはできない。かれらのこんにちの動きは、米国の朝鮮政策の動揺と変更に恐怖し、不満をもらしながら、それでも米国に合わせて対朝鮮政策を調整しようとしているにすぎない。「北の核」脅威をあおり立てることで「朝鮮敵視」の国民世論の分裂を押しとどめ、国交正常化の世論の発展をくい止めようと策動している。
 今回の「提言」には、こうした策動を国民運動の中に持ち込もうとする、あるいは国民運動の側から呼応させるといった悪質な狙いが秘められていると見なくてはならない。政府が戦術調整を迫られ、窮地に陥ったこの時期に合わせて、わが国良心派に一定の影響ある雑誌に発表されたことからも、この「提言」の真の組織者の狙い、意図が読みとれるというものである。
 福田政権は、弱体化した米国を支えながら、そのアジア支配、対朝鮮敵視戦略のお先棒を担ぎ、巧妙に継続しようとしてる。こうして国際的発言権の強化を狙ってもいる。それはわが国の自主的な進路、アジアとの共生とは根本的に相容れない道である。
 福田政権に、あるいはその走狗(そうく)らにいささかの幻想も持つことなく、国民運動を基礎に日朝の即時国交実現を闘いとらなければならない。労働運動は国民の先頭で積極的役割を担わなくてはならない。


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