2008年5月25日号 2面 社説 

ミャンマーでサイクロン被害

まず内政干渉やめ、
制裁解除すべき

 五月初旬、東南アジアのミャンマーをサイクロン(大型台風)が襲い、死者・行方不明三十万人以上、被災者は百五十万人という大災害となった。コレラなどの感染症も広がりつつある。
 求められるのは一刻も早い救援であり、国際的な支援である。だが、欧米諸国は、まったくの内政問題である同国の「新憲法国民投票」や「人権」を口実として同国への内政干渉を繰り返し、支援どころか敵視をあおっている。
 ミャンマー政府は二十三日、国連に対して人的援助の受け入れを表明したが、欧米が干渉をやめない限り、今後も紆余(うよ)曲折が予想される。
 日本政府は六千四百万円相当の緊急援助物資を提供、追加支援も決めた。だが、基本的な態度は、欧米諸国と大差ない。ミャンマー政府が「受入れ準備がいまだ十分に整っていない」とわが国の緊急医療チームを受け入れていないことを理由に、福田首相はミャンマーを批判、マスコミも「軍政」非難の大合唱となっている。まさに、支援の広がりに水をかける態度である。
 しかし、かれらのいう「軍政」批判や「人権問題」は口実にすぎない。例えば、米国は二〇〇五年のハリケーン(カトリーヌ)被害で四十八万人もが被災したとき、他国からの救援申し出を断っている。だが、これを非難した国があったろうか。帝国主義諸国は、ミャンマー政府が自らの意にそぐわない政権であることから、今回の災害を「好機」として卑劣な干渉を強めているのである。また、ミャンマーへの制裁と包囲を通じて、同国と関係の深い中国を揺さぶることが狙いなのだ。
 米国や欧州連合(EU)は、ミャンマーで軍事クーデターが起きた一九八八年以降、「人権」非難を行ってきた。
 とりわけ、ブッシュ米政権は〇三年、ミャンマー製品の米国への輸入を全面禁止する強硬な経済制裁を発動した。米国の金融機関とミャンマーの団体との取引も禁止された。これによって、製品の約半分を米国に輸出していたミャンマーの縫製産業は大打撃を受け、発動後二週間で八万人の労働者(ほとんどは女性)が職を失った。〇五年には、輸出額はピーク時の四割弱にまで落ち込んだのである。
 さらにブッシュ政権は〇五年、ミャンマー、キューバ、ベラルーシなど六カ国を「圧政の拠点」などと名指しし、その体制転覆を宣言した。これは、〇二年に朝鮮、イラン、イラクを「悪の枢軸」と呼んだことに続くものである。昨年九月、ブッシュ政権は制裁措置をさらに強化し、対象をミャンマー政治家の家族にまで広げた。
 このような圧迫を受け続けるミャンマー政府が、米国への対抗を強めるのは当然で、無警戒に米国の「救援隊」を受け入れるわけにはいかないことは理解できることだ。災害時の救援隊は、構成員のほとんどが派遣国の治安部隊や軍人であることは国際的な常識であるから、なおさらである。
 米国が真にミャンマーと国民を助けたいと思うのであれば、まず「圧政の拠点」などという不当な規定を取り消し、謝罪し、制裁を解除することが先ではないか。サイクロン被害への対応を口実としたミャンマーへの非難は、まったくのいいがかりなのである。
 ところで、対米追随のわが国は、その枠内とはいえ、ミャンマーとは五四年の平和条約締結以来、比較的良好な関係を維持しており、これは、八八年のクーデター以後もおおむね同様であった。しかし、「日米関係がよければアジア諸国との関係も良くなる」と、従属外交を開き直った小泉政権は〇三年、「人道目的」以外の対ミャンマー援助を停止、福田政権もこれを基本的に踏襲している。これらわが国政権の態度は、まさに米国の敵視政策に追随したものである。
 だが、このような態度では、アジアと共生することなど不可能である。ミャンマーは九七年に東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟している。ASEANやインド、中国は、すでに救援隊を派遣、ミャンマーを孤立化させようとする欧米諸国とは明確な一線を画している。マハティール元マレーシア首相は、「欧米は支援を政治利用するな」と発言している。
 わが国は対米追随のミャンマー非難をやめ、アジア諸国とともに進むべきである。それこそがアジアで信頼を得、共生する確かな道である。


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