労働新聞 2007年9月15日号・2面 社説

安倍政権退陣
連立維持に矛盾深める公明党

 第百六十八臨時国会が召集された直後の九月十二日、安倍首相が退陣を表明した。
 参議院で自民党・公明党の与党が惨敗を喫し、過半数を下回るという状況の中、遠藤農水省の辞任など「政治とカネ」をめぐる問題が相次いで発覚、自ら「対米公約」としたテロ特措法の延長にも困難が横たわり、安倍は政権を投げ出した格好だ。
 政局は一気に流動化の様相を呈しているが、公明党は「政治空白をつくるな」(北側幹事長)などと、引き続き自民党政権を支えていくことを表明している。
 だが、自民党との連立継続には、公明党内でも異論が高まっている。八月下旬に行われた公明党の「全国県代表協議会」では、地方代表のみならず国会議員の一部からも「閣外協力に転じるべき」などの意見が噴出した。太田執行部は、安倍首相退陣の道連れになることを恐れ、「独自性」発揮に懸命なわけだが、「与党効果」はすでにはげ落ちている。
 性懲(こ)りもなく自民党を支え続ける公明党に対して、批判を強めなければならない。

自民党支配の窮地を救った公明党
 公明党の犯罪的役割について、少し経過をたどって述べる。
 一九八五年の「プラザ合意」に示されるように、日本が最大の債権国となり、米国が債務国に転落したことを受け、わが国は「国際化」という名の下に、市場開放や産業構造調整、規制緩和などが要求されるようになった。米国に提示された「前川レポート」は、その誓約書のようなものである。
 もともと自民党は財界の党であったが、農民や都市部の中小商工業者を有力な支持基盤とすることで、五五年体制成立以降、ほぼ単独での政権を維持してきた。だが、これらの政策は、農民や中小商工業者を切り捨てる政策にほかならなかった。自民党による政治支配は、本質的な危機に陥ったのである。二階堂副総理(当時)は、「ムシロ旗が立つ」といって、これを恐れた。
 八九年、当時の社会党が参院選で躍進したのには、リクルート事件や消費税問題だけでなく、こうした自民党の支持基盤の崩壊があった。
 政治支配が不安定となった自民党政権は、財政の制約上も、それまでのような「利益配分型」の政治を続けられず、中間政党を引き込んだ「術策型」の政治を行わざるを得なくなった。
 これらの策動に積極的に乗り、自民党を支えるという犯罪的な道を選択したのが、ほかならぬ公明党である。支配層からすれば、規制緩和などの改革政治で切り捨てる中小商工業者、未組織労働者に一定の影響力のある公明党を引き込むことは、この層の抵抗を抑え込む意味でも、有効と感じたのであろう。
 公明党は九三年、「自公民路線」で国連平和維持活動協力(PKO)法を可決したことを皮切りとして、九九年には、本格的に自民党との連立政権に踏み込んだのである(小渕政権)。
 公明党に助けられて、九九年度の国会では、ガイドライン関連法や国旗・国歌法、通信傍受法などの悪法が次々に成立した。自民党は、これらの法案に賛成する「見返り」として、公明党の主張する「地域振興券の発行」を丸飲みしたことは、野中官房長官(当時)の証言にある通りである。
 以降、森、小泉、安倍と首相は替わったが、公明党は八年間に渡って常に自民党政権を支え、悪政の片棒を担いできた。一方で閣僚ポストを与えられ、そのおこぼれをむさぼった。加えて、小選挙区比例代表制のもとで行われる衆議院選挙を筆頭に、さながら自民党の一派閥であるかのように、ほとんどの選挙で自民党候補を支持してきた。その犯罪性は枚挙にいとまがない。
 地域振興券から最近の「子育て支援策」まで、支配を維持するためのコストとしては、自民党にとっては実に安い買い物なのである。

「与党効果」限界に達した公明党
 公明党からすれば、与党となることで政策を「反映」させ、それを手柄に党勢拡大に利用するもくろみがあった。先に挙げたわずかな政策「実現」や選挙での前進など、それは一定程度はうまくいった。
 だが、とりわけ小泉、安倍と続く政権下で進んだ多国籍大企業のための改革政治は、公明党の支持基盤である社会的弱者を直撃、この層の生活難は極限に達した。対米追随とアジア敵視の外交・安全保障政策、教育基本法改悪や集団的自衛権の行使容認や憲法改悪策動も、「平和」を看板としてきた公明党にとっては、支持者の厳しい批判にさらされるものであった。神崎代表(当時)は、イラクの治安「安定」をアピールし、自衛隊派兵に道を開くためのパフォーマンスを演じたあげく、自党が「右傾化のブレーキ役」であるなどと述べた。これなどは、支持者や国民を欺く最たるものであった。
 しかし、二〇〇五年の「郵政解散」総選挙では、公明党は自民党候補の当選に貢献したほどの見返りが得られず、議席を減らす結果となった。自公連立政権は、こうしてターニングポイントを迎えたのである。
 そして、今回の参院選の大敗である。前回選挙と比べ、公明党は比例区で八十五万票も減らし、五人立てた選挙区選挙では愛知、埼玉、神奈川の三人が落選した(神奈川は自民党議員が辞職したため繰り上げ当選)。
 公明党内には「(自民党に)信義を尽くした分、返ってきたかも疑問」(森下・公明党福岡党県本部幹事長)などという泣き言、自民党への不満がある。だが選挙での大敗は、与党の一角を占めることへの国民の厳しい審判にほかならない。
 公明党は参院選直後から、医師確保対策、子育て支援策などでの予算配分を求める要望を自民に提出、政治資金規正法改正問題では「一円以上」にこだわるなど、「存在感」の再確立にやっきとなっている。太田代表にいたっては、「中選挙区制復活」を主張したり「集団的自衛権の行使を認めない」などと言ってみたりなど、自民党との「違い」をアピールするのにおおわらわである。
 しかし、それでも連立政権にとどまり自民党を支えようというのであるから、公明党のこうした態度はまさに悪あがき、ペテンというべきである。

公明党には期待できぬ
 「存在感」発揮に懸命な公明党だが、その策動も成功する保証はない。
 公明党が与党内でさまざまに主張したとしても、自民党にとって、政権運営上に占める公明党のウエイトは軽くなったのが実際である。参議院で与野党が逆転し、欺まんであれ民主党が与党との「対決」を演じている以上、「政策も国会対策も、今後は野党に重点を置かざるをえず、公明党にはそれほど手が回らない」(自民党政調幹部の話、「読売新聞」)からである。
 与党にとどまる以上、公明党が「存在感」を示せそうとしても、おのずと限界がある。与党としては、民主党と対峙(たいじ)せざるを得ないからである。
 公明党にとって、連立政権に加わっていることによるジレンマはますます強まり、必然的に、指導部と党内や支持者との矛盾は深まらざるを得まい。
 支持者にとっては、いよいよ公明党に期待することはできなくなる。もちろん、わが党が繰り返し述べてきた通り、財界による保守二大政党制のための一方の装置である民主党にも期待できない。
 公明党に期待をつないできた中小商工業者や未組織労働者、あるいは組織労働者の一部も、広範な国民運動に合流し、闘いに立ち上がるべきである。それなしには、生活や営業の困難も、あるいはアジアとの平和も実現できないのである。
 大衆行動こそが政府を揺るがし、歴史を動かすことは、九五年の沖縄における少女暴行事件をきっかけとする沖縄全県、そして全国的な闘いの例を見れば明らかである。
 各界の人びとに、公明党への幻想を捨てることを改めて呼びかける。


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