労働新聞 2007年3月15日号・2面 社説

慰安婦強制を否定する
歴史わい曲策動

安倍政権と闘えぬ民主党、共産党

 旧日本軍・政府による「慰安婦」強制についてのわが国政府の態度が、アジアをはじめとする国際的な怒りをかっている。
 安倍首相は「(慰安婦への)強制性を裏付ける証拠がない」などと、九三年の河野談話にさえ反する、許し難い歴史わい曲発言を繰り返している。
 「歴史的な真実をごまかそうとするもので強い遺憾を表明する」(韓国外交通商省)、「(慰安婦強制は)客観的な歴史事実であり、否定することは許されない」(中国外務省)、さらに、インドネシアやフィリピンなどでも、安倍政権への批判と警戒が高まっている。これは、きわめて当然のことである。
 この歴史わい曲の動きは、安倍政権の進める「主張する外交」、朝鮮制裁や集団的自衛権行使容認、憲法改悪、核武装論といった策動と一体のものである。つまり、対米追随でアジア敵視の政治軍事大国化を進めるための地ならしであり、国民へのイデオロギー攻撃なのだ。
 アジアを敵に回す安倍政権の「主張する外交」、その亡国の道との闘いを強めなければならない。
 だが、問題はわが国野党の態度である。
 民主党の小沢代表は、この問題で安倍政権を「批判」している。だが、それは「その場でぽっと言っていたのでは、ますます誤解を招く」という程度のものでしかない。では、安倍が侵略美化の「持論」をハッキリ述べればよい、とでもいうのか。
 国会でも民主党は、「(各国の批判に)おかしいことはおかしいと言うことが必要」(若林参議院議員)などと、国際的批判に開き直る安倍首相を激励しているありさまだ。しかも、この問題が「日米同盟に響く」という点からしか政府を「批判」できず、当の被害者であるアジア諸国の声は、決して取り上げないのである。
 加えて民主党内には、「河野談話の見直し」を公然と求め、中国侵略における南京大虐殺を否定する「会」が公然と発足、政府・自民党と一体となった策動を強めている。「河野談話の見直し」は、自民党内の同様の「会」でさえ、表向きには掲げていないことである。しかも、民主党執行部は、この動きに「お墨付き」を与えている。
 民主党は安倍政権と同様、侵略を美化しているのである。
 共産党はどうか。共産党は、安倍政権の「三つの異常」の一つとして「侵略戦争の正当化」をあげ、慰安婦問題の解決の必要さを指摘する。
 だが、共産党にとってこの問題は、政治家・政党の「過去への態度」の問題でしかない。なぜなら、かれらの見解のどこにも、慰安婦問題を現在の対米追随の政治軍事大国化策動と結びつけて批判し、闘いを呼びかけている部分はない。
 まして、共産党は安倍政権発足直後の日中・日韓首脳会談による関係「正常化」を「評価」し、朝鮮への制裁を支持した前歴がある。重要な外交問題で安倍政権を支持しておいて、それと結びついた歴史わい曲の問題で闘えるのか。
 「あのときはよい」「今はダメ」などというその場しのぎの評価では、危険な安倍政権を暴露し、一貫した闘いを呼びかけることはできない。
 安倍は官房長官時代から、慰安婦問題を「虚構」などと否定、歴史わい曲教科書の採択を推進、朝鮮敵視を自らの政治的道具としてきた札付きの人物である。
 首相就任後「河野談話の継承」などと言い、靖国神社参拝をあいまいにしたのは、財界の要求でもあった中韓との関係「正常化」を進め、両国を対朝鮮包囲網に引き入れるための戦術であった。最近の事態は、本性をあらわしただけなのだ。
 共産党は、この点を意図的にあいまいにすることで、支配層に恭順の意を示し、労働者をはじめとする国民を裏切っているのである。
 このような態度では、安倍の「主張する外交」と闘うことはできない。野党の欺まんにだまされてはならない。
 過去の侵略と植民地支配への反省と謝罪、補償は、労働者が先頭に立ち、日本国民自身が解決すべき問題である。アジア諸国に言われたからでも、ましてや、帝国主義の総本山である米国議会に言われて行う筋合いのものではない。
 安倍の亡国的な「主張する外交」を暴露し、歴史のわい曲を許さず、アジアの共生へ向けた広範な運動を展開しよう。


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