労働新聞 2007年3月5日号・2面 社説

東京都が朝鮮総聯集会への
会場貸し出し取り消し

朝鮮敵視と排外主義を
打ち破る行動を

 安倍政権の誕生以降、在日朝鮮人団体に対する異常な政治的弾圧、抑圧が展開されている。これは、アジアに敵対する亡国の策動であり、わが国民主主義の実態が問われる、深刻で許し難い事態である。
 安倍政権は十月、朝鮮の核実験に対する国連安全保障理事会決議を口実に、独自の制裁を発動、貨客船・万景峰号の入港禁止など、突出した敵視と人権抑圧を強めていた。
 六者協議(十二月)再開直前になって、それはより露骨になった。
 さまざまな「犯罪」をデッチあげ、警察権力を動員した朝鮮総聯関連団体への弾圧に乗り出したのだ。十一月末、朝鮮総聯東京都本部、新潟祖国訪問事務所などに数百人の警察官・公安を動員したのをはじめ、以降、およそ三カ月の間に四十八カ所もの総聯および関連団体、朝鮮学校、自宅などに強制捜査が行われ、十三人もの関係者を不当逮捕した。
 漆間巌・警察庁長官は、「『ここまでやられるのか』と相手(朝鮮)が思うように事件化する」「朝鮮が困る事件の捜査、摘発に全力をあげる」と、その政治的意図をあけすけにしている。マスコミもこれに唱和、朝鮮と在日朝鮮人への排外主義をあおり立てている。
 こうした状況に対して、朝鮮総聯などが抗議に立ち上がったのは当然であり、正義である。
 だが、朝鮮総聯などが準備していた「人権蹂躙(じゅうりん)行為に反対する大会」に対して、東京都は二月末、いったん認めた会場の使用承認を取り消すという暴挙に出た。当然にも、東京地裁、高裁とも取消処分を無効としたものの、問題はそれで終わりではない。
 石原都知事は就任以降、「三国人」発言をはじめ、外国人に対する排外主義を率先してあおり立ててきた。朝鮮総聯施設に対する固定資産税減免措置の廃止も、石原都政が先導したものであり、江東区枝川にある朝鮮初級学校の「土地明け渡し」と地代の支払いを求める訴訟も起こした。これが引き金となる形で、全国各地で、減免措置の廃止や民族イベントへの後援停止などが相次いでいる。
 国政においては安倍、地方政治においては石原が先兵となって、意図的、系統的に、朝鮮などへの敵視と排外主義をあおってきた。まさに、この連中は「確信犯」である。
 それは、安倍や石原という個人の「性格」だけによるものではない。朝鮮への敵視と排外主義は、米帝国主義の朝鮮圧殺策動の先兵となるとともに、安倍政権による対米追随の下での政治軍事大国化の道を正当化するための、わが国支配層の策動にほかならない。拉致問題や朝鮮の核実験は、そのための口実にすぎないのである。
 朝鮮敵視と排外主義は、安倍や石原のいわば「政治資産」である。先日の六者協議で生じたわが国外交の孤立ぶり、米国に「はしごを外される」可能性に対し、この連中が危機感を高めていることは想像に難くない。それだけに、今後も意図的に「朝鮮の脅威」を演出し、政治的に利用する可能性が高い。闘う勢力は、警戒を怠ってはならない。
 わが国労働者階級をはじめとする進歩勢力は、在日朝鮮人の正義の闘いと連帯しなければならない。「明日はわが身」なのである。
 そもそも、約七十万人の在日朝鮮・韓国人は、わが国の朝鮮半島に対する侵略と植民地支配の犠牲者である。徴用、あるいは強制連行され、貧困と苦難を強いられ、屈辱的な差別を受けてきた人びと、およびその子孫である。その人権を擁護することは、わが国政府の当然の義務ではないか。
 安倍・石原らによる攻撃を見過ごしては、その「主張する外交」と正面から闘うことはできないし、アジアと共生するわが国の進路を実現することはできない。むしろ客観的には、その攻撃に加担することになるのである。
 これはまた、在日外国人の民主的権利の擁護、ひいてはわが国の民主主義にとっても重要な闘いである。
 仮にも「護憲」を唱える勢力は、在日外国人への弾圧に対し、無関心ではいられないはずだ。基本的人権は、平和主義や国民主権と並ぶ、現行憲法の「基本原理」のはずではなかったのか。
 労働党東京都委員会は会場使用許可をめぐって都に抗議を行ったが、このような行動を全国で、大衆的に繰り広げよう。
 わが党は、心ある政治家・政党、労働組合をはじめとする諸団体、知識人、青年学生に、ともに闘うことを呼びかけるものである。


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