労働新聞 2006年12月15日号・2面 社説

敵視と排外主義あおる
「人権週間」

 十二月十日から「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」が始まっている。全国各地で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による拉致問題を取り上げたシンポジウムや映画会などが開催され、マスコミ各紙に掲載された政府公報には安倍首相自らが登場するという、異常な力の入れようだ。
 まさに政府をあげて、北朝鮮に対する敵視と排外主義があおり立てられている。全国の朝鮮総聯や関係団体に対する不当弾圧、NHKに対する拉致問題報道命令と同様、政府をあげた敵視政策の一環である。
 「人権」を口実とした支配層の策動、世論操作に対して、断固とした反撃が必要である。
 この「週間」は、本年六月に成立・施行された「北朝鮮人権法」に基づくものである。
 この法律は、二〇〇四年に米国で成立した同名の法律を下敷きにしたものである。内容は、拉致問題を口実に、政府が改正外為法・外国貿易法などによる経済制裁を発動することを求め、そのために「啓発」を行うと定めたものである。加えて、北朝鮮を脱出した「脱北者」への「保護・支援」を明記し、国にそのための「施策」を義務づけている。この法律は、十月の核実験後の、わが国独自の北朝鮮制裁の根拠法の一つともなった。
 このように、「北朝鮮人権法」は北朝鮮への内政干渉を法制化し、敵視と排外主義、ひいては体制転覆をあおり立てるという、絶対に許せぬ悪法なのである。
 ここで、「週間」を契機にあおり立てられている拉致問題について、改めて述べる。
 拉致問題は、〇二年の小泉首相(当時)と金正日総書記との間における会談と「平壌宣言」において、基本的には決着している問題である。
 国家元首である金総書記が拉致を国家による犯罪として認め、謝罪した。関係者の処分にも言及し、拉致被害者とその家族も帰国した。他の事案については「引き続き調査する」となっていた。通常の国家間の懸案であれば、これでヤマは越え、あとは実務が残るのみである。
 だが、いまだに完全には解決をみていないのはなぜか。
 拉致問題の解決によって日朝間の懸案が解決され、日朝国交正常化など関係改善が進むことを恐れる米国と、安倍を代表格とする右翼排外主義者らが、この問題を政治的に利用しているからである。
 ブッシュは拉致被害者家族と異例の会談を行ったし、安倍は北朝鮮敵視政策をあおることで政治的に台頭してきた。安倍首相となった後はいっそう、対米追随の政治軍事大国化の道を進めるため、拉致問題を政治利用している。
 このような米日両政府の策動こそが、拉致問題の解決を困難にしている。拉致被害者とその家族を政治利用してはならない。拉致問題が真に解決されることを願うのであれば、米国の北朝鮮敵視政策に利用されることなく、核など他の問題と結びつけず、粛々(しゅくしゅく)と処理すべきなのである。
 しかも金総書記は、要求する権利があるにもかかわらず、日本帝国主義による侵略と植民地支配による被害に対する賠償を求めなかった。まして、膨大な朝鮮半島人民が強制連行(拉致)され、過酷な奴隷労働に駆り立てられ、殺されたという歴史的事実を会談に持ち出さず、日本人拉致を認めたのである。
 わが国政府はこの重い、ある意味で苦渋の決断を真摯(しんし)に受けとめるべきだ。
 だが、近日再開される予定の北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議に際しても、安倍政権は「拉致問題を取り上げる」(塩崎官房長官)と、またも協議の内容(核問題)と無関係の事案を持ち出そうとしている。このような日本政府に対し、北朝鮮が「参加する資格すらない」とするのも当然だ。
 このような態度は、内外に困難を深める米国を支えて北朝鮮への敵視をあおり、北東アジアの緊張を高めるものだ。安倍政権が拉致問題をあおって進める道は、対米追随でアジアに敵対する戦争への道であり、断固打ち破らなければならない。
 心ある政党、政治家、労働組合、知識人は、「人権」の美名に惑わされてはならない。北朝鮮敵視と排外主義を打ち破り、独立・自主でアジアと共に繁栄する道を切り開く、世論と幅広い国民運動が求められる。
 中でも、労働者・労働組合の果たすべき役割はますます重要である。


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