労働新聞 2006年11月15日号・2面 社説

「やらせ」問題

タウンミーティングの本質は
改革の世論づくり

 教育基本法の改悪を狙う政府が、青森県内で行われたタウンミーティング(TM)で、「教基法見直し」を求める発言を行わせていたことが明らかになった。
 その後、岐阜県、愛媛県、和歌山県、大分県などでも同様の「やらせ」が行われていたことが発覚、問題は教基法の問題以外にも広がる気配である。
 政府が組織的に「やらせ」を仕掛けたことは、伊吹文科相が質問内容をあらかじめ知っていたことを認めたことからも明白であり、TMのデタラメぶりがあらわとなっている。
 野党は教基法改悪案に対する抵抗と結びつけ、政府の責任を追及している。
 わが国の対米追随の政治軍事大国化の一環であり、憲法改悪の露払いである教基法改悪案は、もちろん廃案しかない。他省庁を含めた真相究明や、伊吹文科相・安部首相の責任が追及されなければならないのは、言うまでもない。
 だが、忘れてはならないのは、TM自身の本質である。
 TMなるものは二〇〇一年六月、政府の経済財政諮問会議による「骨太の方針・第一弾」で提唱され、実施されるようになったものである。
 当時、「聖域なき構造改革」を掲げた小泉政権は発足直後で、同時期(四〜六月)の経済成長率は前期比〇・八%減、失業率は五%を超えるなど、デフレ不況のただ中であった。「自民党をぶっ壊す」とした小泉首相の誕生自身が、このような自民党政治の行き詰まりを背景としたものであった。
 構造改革で国民各層に「痛み」を押しつけようとした小泉政権にとって、国民の怒りをなだめ、支持をつなぎとめる「仕掛け」が必要であった。TMは、そのための術策の一つだったのである。
 こうして、TMは〇一年以降、現在まで約百五十回にわたって行われた。小泉政権がその退陣まで「高支持率」を維持できたのは、「国民の声を聞く」という美名を掲げた、TMの存在を抜きには語れない。
 だが、小泉の掲げた改革政治は、わが国多国籍大企業の要求によるものであった。翌年の日本経団連への財界団体の統合、〇三年の「奥田ビジョン」として表現されるように、財界の主導権を握った多国籍大企業は、自らが国際的大競争に生き残るため、国内改革を急いだのである。
 それゆえ、TMでは、さまざまな規制緩和策や不良債権処理による国民諸階層への生活破壊、行財政改革という名の行政サービス切り捨てや公務員犠牲、地方への犠牲転嫁、米国と金融大資本のための郵政民営化、有事体制づくりのための「国民保護」や教基法改悪といった問題が取り上げられ、全国各地で、国民向けにキャンペーンが張られた。
 だからTMは、改革などの悪政を国民に「納得」させるための世論誘導策の一つにほかならず、民主的なものなのではまったくなかったのである。「やらせ」が発覚したからといって驚くに値しないし、発覚した事実は「氷山の一角」にすぎないと言うべきである。
 問題にされなければならないのは、このようなTMの本質であり、小泉・安倍と続く政治がだれのためのものであるか、ということである。
 だが、野党は「やらせ」を問題にはするが、TMが多国籍大企業のための政治を推進する上での一手段であったことには、まったく言及しようとしていない。「改革推進」の民主党がこのような態度を取るのは当然ではあるが、この程度の「やらせ」批判では、政府や財界の策動と闘うことはできない。
 「やらせ」問題は、このことをあらためて明らかにさせている。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2006