労働新聞 2006年11月15日号・2面 社説

地方の医師不足

「命の格差」は改革政治の責任

 地方における医療が、重大な危機に直面している。地方の医師不足は深刻さを増しており、国民大多数の「命の危機」をもたらしている。
 医師不足の実態は、まさに驚くべきものがある。全国紙は意図的に報道しないが、この問題が地方紙の紙面に載らない日はない、とも言うべき事態である。
 二〇〇六年三月末までの三年半で、産婦人科をもつ病院は全国で二百二十以上も減少した。最近発表された「共同通信」の調査によれば、全国の都道府県の八割が「産科医不足」に、七割が「小児科医不足」に直面している。
 いくつかの例をあげてみよう。
 岡山県では、県内二十九市町村のうち、十八市町村で出産に対応できる医療機関がない。長野県の木曽地域(人口約四万四千人、面積約一千六百平方キロ)では、産婦人科と小児科医師がともに二人ずつしかいない。青森県では、医療法で定められている必要医師数に対し、全県で九十六人も医師が足りない。沖縄県名護市の県立北部病院産婦人科は、昨年四月から休診となったままで再開の見通しが立っていない、等々。
 奈良県大淀町で八月、出産時に意識不明になった妊婦が受け入れを断られて死亡した事件も、地域に十分な数の産婦人科医がいれば避けられたのである。
 医療業務が少数の医師にのしかかり、三十六時間連続の勤務を強いられている医師もいるという。
 このような状況は、全国的な危機の「氷山の一角」でしかない。地方の住民の明日、いやこの瞬間の命が危機にさらされているということなのだ。
 このような地方の医師不足は、小泉・安倍と続く改革政治が生み出したものである。
 「三位一体改革」による地方交付税の大幅削減で、多くの公立病院が「不採算」の名の下に閉鎖・規模縮小に追い込まれ、地域住民から医療機関が奪い取られた。
 また、医療制度改革により診療報酬が引き下げられたことで医師の負担は限界に近づき、リスクの高い産婦人科や小児科が敬遠される結果を生んでいる。厚生労働省は産婦人科医を拠点病院に集中させる政策を進めており、事態を悪化させている。
 しかも現行の医療法では、医師数の充足率が法定基準を一定以上下回ると、診療報酬が減額されてしまうのである。これでは、医師不足の地方の病院・医師ほど収入が減るわけで、経営や生活が成り立つはずがない。
 改革政治による地域医療の危機は、一刻を争うものとなっている。国には、このような地方と都市の医療格差(まさに「命の格差」である)を是正し、国民に等しく医療機会を保障する義務がある。これは、憲法でもうたわれた国の責任である。
 政府は医師不足の県における大学医学部定員を増やすことを決めた。悪いことではないが、いかにも悠長(ゆうちょう)なものである。「地域住民は学生が卒業するまで待て」とでも言うのであろうか。
 この程度の施策では、地域住民の不安は解消されない。差し迫った「命の危機」という状況からすれば、びほう策でしかないのである。
 このような状況をつくり出しておきながら、安倍首相は「子育てフレンドリーな社会を構築」(所信表明演説)などと言う。まさに、怒りなしに聞くことはできない。
 地方自治体にとっては、医療の水準維持のために必要な手だてをとるのはもちろん、住民の立場に立って、国と闘う姿勢が求められている。
 全国知事会など九団体は十一月九日、「自治体病院危機突破全国大会」を東京で開き、国に医師不足解消策の強化などを求める要求を突きつけたが、このような行動をさらに広げることが求められている。地方議員の役割も問われている。
 地域の諸団体、とりわけ労働組合の果たすべき役割は、何より決定的である。本年四月末、連合島根隠岐地域協は離島の医療保障を求めてデモ行進を行った。デモには町長も参加するなど、まさに「島ぐるみ」の取り組みとなった。
 この経験に学び、労働組合が住民の切実な要求を取り上げ、闘いの組織者となることが求められている。


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