労働新聞 2006年10月25日号・1面 社説

米帝国主義とその追随者に対する
北朝鮮の闘いは
完全に正当なものである!

(1)
 十月入って以降、とりわけ国連安全保障理事会での朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対する「制裁決議」が米日主導下で、しかも中露を含む全会一致で採択されたことによって、わが国と北東アジアの情勢は一変した。
 この決議(国連憲章第七章の二つの項目)を根拠に、陸・海・空での監視や船舶臨検など事実上の封鎖が始まったからである。日本はさらに突出し、独自に、すべての港湾で北朝鮮船舶の出入りを禁止した。貿易もおおかた停止した。米日と韓中露、とりわけ韓国との間には異なった状況が見られるものの、これが北朝鮮敵視政策のいっそうの強化、新たな締め付けであることに変わりはない。並行してこれまでの金融と経済の制裁もさらに徹底強化されつつある。
 米帝国主義とその追随者による、この新たな「瀬戸際的」北朝鮮敵視政策によって、北朝鮮もまた、さらに、より厳しい現実に直面することになった。この緊迫した状況、北東アジアにあらわれたこの情勢は、これまでとは異なった、動乱あるいは戦乱を内包する、新たな段階と見なければならない。
 それはまた欧州とイランとの核問題協議にも響き、欧州はこの問題を安保理に持ち込む流れとなった。こうしてみると、「中露を含む」全会一致での安保理「北朝鮮制裁決議」、その影響は、北東アジアを一変させただけではない。欧州にも及んだし、一口に言えることではないが、広範なもの、とみなすべき根拠がある。
 このような情勢の急激な発展、一変は、九月のわが国での安倍政権の登場と、中国の変化、この二つの要因なしには生まれなかった。米国の対北朝鮮政策は完全に行き詰まっていた。イラク問題が手いっぱいで打開する力もなかったからである。
 最近の変化、「主張する外交」を掲げた日本の登場と、中国の変化は、国際政治での力の限界を見せる米国の衰退と併せ、注目すべき状況で、アジアだけでなく広い範囲での影響となってあらわれることだろう。
 こうした情勢の変化は、わが国と北東アジアの国々、人民の平和と暮らしに、重大な変化、災いを引き起こしかねないが、マスコミはもちろん政治家、政党、野党までもが、米帝国主義を非難せず、安倍政権の外交をほめたたえ、あるいは批判を避け、中国に疑問を持たず、もっぱら北朝鮮を非難する、この状況は異常である。
 安倍首相が訪中・訪韓して首脳会談、「関係正常化」を成功させたが、与党はともかく野党の民主党、共産党、社民党まで、安倍外交の成果をほめたたえ、支持した。
 ところで野党は、この訪中・訪韓が、そして両国との関係正常化の目的が、主として、対北朝鮮への共同戦線の構築にあったことを知らなかったのだろうか。それはまた、しかも、といったほうが適切かもしれないが、安倍の言う「主張する外交」の第一歩であった。経過から見ても、会談の内容から見てもそれは明らかだったのに、単純に対中・対韓外交を正常化したと受け止めて、安倍外交に完全に一本取られ、主導権を奪われた。野党はさきの神奈川と大阪での補選で、外交問題を封じられ、内政批判だけに終始し敗北した。与党はアジア外交で意気が上がった。
 中国は安倍の誘いに乗ってか、チャンスと見てか、日本との関係正常化を「実現できた」ので、北朝鮮に制裁を加える安保理決議に賛成した。この決議の成否を決めたのは、中国の変化であった。もちろん中国にも言い分はある。北朝鮮は「中国の意向を無視して」核実験をやった、「北東アジアの情勢を不安定にする」などである。
 しかし、中国のこれらの言い分は道理に合わない。率直なところ、米国と日本の意向を受け入れなければ損をするということであろう。「半歩の譲歩」だと言って、北朝鮮にもそしてメンツも保てるとの計算があるかもしれないが、半歩の譲歩ではすむまい。帝国主義とはそういうものである。
 情勢の発展はまだ曲折はあるし、避けがたい。だが米帝国主義と日本などその追随者による北朝鮮に対する、いわば「北朝鮮つぶし」が一挙に進んだ。わが国の安倍政権が積極的にかかわって生じた北東アジアでの緊張、戦争にもなりかねない情勢、これを打開し戦争を阻止しなければならない。安倍政権の内外政治を暴露し、行動する国民運動を構築して対抗しなければならない。北東アジアの労働者、人民のとの連帯、国内の朝鮮・韓国をはじめ在日外国人との連帯も重要である。
 いうまでもなく、闘う戦線の構築の鍵は、わが国労働組合、労働者階級である。
 壮大な戦線を急速に発展させるためには、できるだけ多くの政治家、政党、政治グループ、各分野の活動家などの団結が欠かせない。

(2)
 若干、問題を整理してみよう。北朝鮮に対する非難決議は国会でも地方議会でも幾度となく繰り返されている。枝葉を省いて挙げれば、「拉致問題」「ミサイル問題」、今回の「核実験問題」、この三つである。
 「拉致」の問題は、小泉首相(当時)と最高指導者としての金正日氏との会談で基本的には決着を見ている。平壌宣言も両首脳間で文書化され公表されている。つまり北朝鮮側は、拉致を国家犯罪として認め、最高責任者がいわば謝罪したのである。五人は帰国し、他は調査するとなっていたが、完全にまだ解決しないのはなぜか。「拉致問題」だけで、日朝間の国交問題が解決され、日朝関係の緩和を恐れる米国の画策、それと安倍に代表されるような右翼排外主義者らが、この問題に飛びついて政治的に利用しているからである。安倍は北朝鮮敵視政策の継続の「国民的エネルギー」の大部分をこの拉致問題という装置でつくり出しているのである。
 こういう事情がこの問題を複雑にし、解決を困難にし、敵視政策を理由付け、いまでは「北朝鮮つぶし」にまで発展した。米国の敵視政策と結びつけず、他の複雑な政治問題と結びつけず、平壌で約束したのだから、「人道問題」として、実務として処理すべきであった。拉致被害者家族のことを考えるなら、もてあそんではならない。
 一国の指導者が、日本帝国主義の植民地時代に拉致され、自国の人民、数百万人もの人びとが強制労働や死に至らしめられた、その歴史を前面に立てず、小泉首相との会談に臨み、日本人の拉致を認めた。この事実、この決断をなんと受け止めるのか。相手がどんなに弱い立場、逆境にあろうと、わが国とわが国の指導者は、真摯(しんし)に受け止め、それにこたえなければならない。

 北朝鮮非難での、ミサイルの発射問題と核実験の問題は、突き詰めていえば同じ問題である。核実験は核兵器を完成させ、あるいは能力を高めようとするものだから、北朝鮮が核兵器を持つことの是非である。ミサイルはそれが最も威力を発揮するのは核爆弾、つまり核弾頭を搭載したミサイルということになる。これを北朝鮮が持つと大変なことになると、帝国主義とその追随者が非難しているのだ。わが労働者階級と人民も、帝国主義者の側に立って、非難、唱和すべきだろうか。
 第二次世界大戦終了前後から現在までに、核兵器を手にして国威を大いに高めたのは、どのような国か。いくつあるか。
 だれでも知っていることだが、最初に開発したのは米国で、すう勢として勝敗はすでに決していたのに、つくったばかりの原子爆弾を飛行機で運び、長崎と広島で何十万人も殺傷する実験を行った。これはまたソ連へのけん制でもあった。米国はこの核兵器を中心とする軍事力によって、ソ連と対抗し、西側の指導国家となり、冷戦の勝利者となった。
 ソ連は米国にやや遅れて大戦後、水素爆弾までも持つようになった。そしてミサイル、宇宙衛星、大陸間弾道弾を持つようになったのはソ連が早かった。当時、フルシチョフ首相は国連の場で、いまやソ連は、必要ならば宇宙空間からどんな国に対しても突如として水素爆弾を投下することができると豪語した。これは米国に対するどう喝でもあった。当時、社会主義陣営を形成し、守れたのは、この核兵器を抜きにしては、考えることさえできない。ソ連は社会主義陣営の盟主となった。当時、米帝国主義に反対する全世界の労働者階級と人民、抑圧を受けていた諸民族は、これを喜び、心強く感じていた。
 中国の核兵器の開発は一九六〇年代の半ばであった。ソ連は米国および西側陣営との平和共存政策を追求していた。したがって社会主義中国が核兵器を持つことに断固反対した。ソ連は、世界を不安定にするとか、平和を脅かすとか、ソ連が守ってやれるのだからとか、核兵器より経済を大事にして人民生活を考えろとか、散々批判をしたものである。
 ソ連は、いうならば経済制裁というか、中国の経済建設に打撃を与えるために、技術者をいっせいに引き揚げさせたものである。国境での紛争もしばしば起こった。しかし中国は屈せず、自国の運命を他国にゆだねるようなことをせず、核兵器を手にした。当時の指導者・毛沢東の決断と固い意志なしには、こんにちの中国はあり得なかった。
 六七年までに核兵器を実験し持つことができた国々を「核クラブ」と言うが、英国とフランスもそれまでに持つようになっていたので、核クラブは米国、ソ連(ロシア)、中国、英国、フランスの五カ国である。インドが核爆発を七四年に行ったが、この核クラブによる独占体制の圧力によって、以降の開発を断念せざるをえなかった。この核クラブ諸国は、国連では「拒否権」という特権を持ち、時に対立もあるが、核独占体制の維持では米国を頂点に結託もしている。
 その後も核兵器を熱望する国は絶えない。イスラエルの所有は公然の秘密であり、他にも二〜三の国が疑われている。最近ではインドとパキスタンが核保有国となった。
 米国はしばらく批判し制裁も科したが、情勢が変わると公然と認めることになった。これによって、とりわけインドの威信は高まった。米国との外交交渉力は、以前との比ではない。
 国際社会ではこのように、核兵器で武装すれば、他国から軍事的に威嚇されにくいし、威嚇することも可能だから、実力者と見られ、侮りを受けない。一国にとって武力は、経済と併せ重要な要素である。時によっては決定的でさえある。

 北朝鮮は、核超大国、米帝国主義から朝鮮戦争後も、五十年以上にわたって武力でどう喝され、朝鮮戦争はいまだ「休戦」(停戦でも終戦でもない)状態であり、現在も、韓国と日本に約七万人の米軍が駐留、北朝鮮を絶えず威嚇しけん制している。
 最近の南北和解まで、韓国との自由な往来もできず、西側の多くとも交流がままならず、制裁下で、閉じ込められてきた。そうした環境下で、自国の血のにじむような努力と社会主義国との交流や若干の支援で、かろうじて国を守った。
 わが国の政府は、日米安保体制下で米国に従属しながら、北朝鮮敵視政策、包囲網に加わり、北朝鮮に対する植民地支配への謝罪も補償も放置し続けてきた。北朝鮮は人口約二千三百万人、国内総生産(GDP)は、わが国の小さな一つの県程度に過ぎない。当然国民一人当たりの所得も低い。そのような国が、これほどの理不尽な圧迫を半世紀以上も受け続けているのである。
 どの国も、自国の安全と独立、そして尊厳を守る権利を持っており、そのために必要な軍事力を持つのは当たり前のことである。しかも、米国が核どう喝を続け、政治的にも経済的にも包囲する中で、これと闘うには、武器を握って放すまいという態度をとるのは当然のことである。
 最近の経験で見るように、米国の言うがままに武装解除したイラクは、侵略を受け、体制はつぶされ、いま抗米と内戦が入り混じり、人民は塗炭(とたん)の苦しみをなめている。だから北朝鮮は、国家として当然の責任を果たしているに過ぎない。
 社会主義陣営も崩壊し、これまでの支援国も、国益、利害を優先させる原理で国際関係が処理されるようになった現在、北朝鮮はだれに頼って生きるべきか。これまで以上に自己に頼って生きるべきである。経済建設と併せ、武装を強化するのは当然である。いっそうミサイル技術を向上させ、数を蓄え、核兵器を充実させて戦いに備えるのは当然で、実際にそのような道を進んでいる。
 だが他方で北朝鮮は、可能なら、安全が保障されるなら、話し合いで問題を解決しようと望んでもいる。北朝鮮は、昨年の六カ国協議で、自らの「体制保障」と引き替えに、核放棄、そして二つの「同時解決」というところまで譲歩した。「約束」の代償として独立のための武器を手放すことを約束した。北朝鮮にとってはギリギリの、かつ苦渋の選択であったに違いない。合意ができたのである。この事実こそ、北朝鮮が平和な環境と暮らしを望んでいる証拠である。
 当時の六カ国協議は、米国の無理強いは通らず、韓国も北朝鮮との和解を望み、協議は中国主導で進んでいた。協議の場では米日が孤立するありさまだった。それでも、米国は合意した。
 だが米国は、北朝鮮の譲歩によるこの合意を、すぐさま反故(ほご)にし、投げ捨てて、金融制裁を発動、一気に北朝鮮を追い詰めようとたくらんだのである。これが米国のやり方である。狙いは北朝鮮を追い詰め核を破棄させ、武装を無力化させ、やがて崩壊させようとするものである。
 今回、中国の胡錦濤主席の特使として訪朝した唐国務委員に、北朝鮮が六カ国協議再開の前提として、金融制裁の解除を求めているのは、この合意の時点に戻るべきだと言っているに過ぎない。
 六カ国協議への復帰を呼びかけながら他方で米国は、この七月、ミサイル発射を口実に、日本、オーストラリアを北朝鮮への金融制裁に踏み切らせ、八月に入ると、金融制裁をさらに強めるべく、東南アジア諸国やロシアなど十カ国以上に圧力をかけた。加えて、同月末には米韓合同演習「ウルチ・フォーカスレンズ」が強行され、軍事的威嚇も強めた。
 今回の北朝鮮の核実験決断は、安倍政権の登場と、中・韓を引き入れての北朝鮮包囲網への、米帝国主義とその追随者に対する警告、同時に、屈しないとの意志を明確にしたものと受け止めるべきである。
 北朝鮮は、米帝国主義、その追随者による圧迫と闘って、国家としての独立を守り、平和な環境を切り開こうとしているのだ。彼らの核爆発と兵器の開発には、そのような願いと意志が込められている。我々の態度が問われるゆえんである。

(3)
 非難の口実がいま一つある。北朝鮮の核実験と核武装は、平和を脅かすとか、北東アジアの情勢を不安定にするとか、複雑にするとか、連鎖的に韓国や台湾、とりわけ日本の核武装につながりかねない、とかの意見である。
 確かに、北東アジアでの地政学的な各国の利害は、複雑に絡み合っているし、北朝鮮の核武装は一石を投じて、状況に変化を引き起こすであろう。しかし米国のような核帝国の武力で絶えず独立が脅かされ、生存さえ危うい国が、武装し独立を確かなものにしようと望むことを、だれが非難できるのか。地域の安定とそれの評価は、国によって異なる。抑圧があればいつかは正される。北東アジアの現状変更につながり連鎖現象が生じようとも、それで、抑圧を受けている国を批判する正当な権利はない。
 どんな国も自力で独立を闘い取るものである。それらの国が、地域での利害を調整する以外に平和は築けない。
 かつて中国が核武装するとき、中ソは大闘争を演じた。ソ連は米国と仲良くする必要から、中国の核武装に反対し、ちょうどいま中国から聞こえてくるような北朝鮮批判が、ソ連から中国の指導者に浴びせられていた。中国はソ連から、散々な批判と制裁を受けたが、そのころの中国の共産主義者は確かに偉大で、自国の人民と国の将来に忠実であった。また、自信もあった。動じず、確固として核武装の戦略を追求して、独立した中国の基礎を築いたのである。
 今度は中国が米国と日本に譲歩し、北朝鮮への「国連決議制裁」に加わったが、北朝鮮が批判と制裁に耐えられるものか、我々にはまだわからない。しかし北朝鮮の米帝国主義とその追随者に対する闘いは完全に正当なものである。
 報道によると、中国のこの問題での原則は、三つだという。一つは戦争を避ける、二つは核を許さない、三つは政権の維持である。これは我々の見たところ中国の願望であって、きわめて短期ならともかく、失敗することが必定である。米国も北朝鮮もこの意見を尊重しないからである。そして中国も、今回は半歩帝国主義に譲歩して取り繕ったが、次はもっと馬脚をあらわすことになりかねない。今回の譲歩だけでもブッシュやライスは驚きかつ称賛した。毛沢東は、敵からほめられることをあまり好まなかったが、ブッシュもライスもすでに「敵」ではなくなった可能性もある。さすれば、つじつまは合う。
 我々が考察するに、中国が賛成したことであらわれた北東アジアの情勢と以降の発展は、(1)北朝鮮が成功し核を持ったとしても、(2)政変が起こっていくつかのタイプの政権を予測しても、(3)万一、政権が崩壊しても、中国によいことは一つもない。さりとて、中国が譲歩してあらわれたこの情勢は、もはや現状に長くとどまることはできまい。

(4)
 北東アジアにおける現在の緊張をつくり出した大きな背景は、もちろん米帝国主義である。だが特殊的には、わが国独占体の国際的発展と、その要求を反映しての安倍政権の登場である。この政権の外交路線は「主張する外交」である。
 安倍晋三という政治家は、戦犯岸信介の孫で、拉致問題など反北朝鮮の「旗振り役」となることで、政権に近づいてきた人物である。彼が総裁選に用意した「美しい国、日本」というパンフは、第二次大戦敗北への復讐(ふくしゅう)心がにじみ出ている。思想的には右派、日本版の「ネオコン」とさえ思えてくる。
 七月の北朝鮮ミサイル発射問題で、強力な国連外交を指揮したのも、政権成立直前に金融制裁を発動したのも安倍主導であった。安倍首相が所信表明演説で「米軍再編を強力に進める」と公言し、集団的自衛権の行使容認のための研究や拉致問題対策本部設置、五年以内の憲法改悪を明言したことなど、政権の性格を如実に示すものであった。
 安倍政権は、イラク占領などで衰退が明らかな米国を見ながら、他方で、世界中に広がったわが国独占体、多国籍大企業の権益を守るため、積極的に、経済力にふさわしい国際的発言権を求めて動き出している。それは、対米従属、協調を崩さないが、いっそうの政治・軍事大国化である。
 安倍が言う「主張する外交」は、時によって米国との対等さえ口にする、そうした「主張」となる。これは拉致問題以上に、幅広い「ナショナリズム」をくすぐる。いまの野党では手に負えまい。心してかからなければならない。
 米国もこの安倍政権の登場を「好機」とし、北朝鮮への圧力強化に踏み込もうとしている。その意味で、安倍政権発足直後の中国・韓国訪問には、明確な狙いがあったと見なければならない。
 小泉前政権下で、靖国神社参拝問題を契機として、日中間では五年以上も首脳会談が行われていなかった。わが国財界も、経済的利害から、このような極度の関係悪化が「改善」されることを望んでいた。日中経済関係の発展を願う中国側も、その利害から、安倍新政権の誕生をきっかけに、「関係改善」を熱望していた。
 したがって、安倍の訪中による「関係の改善」は、この両者の利害一致で成功は保障されていた。だがこれは、ことの一面でしかない。
 肝心なことは、この「改善」を通じて、安倍政権が米国と計(はか)らって、中国・韓国を対北朝鮮包囲網に取り込むことであった。日中韓三国の関係が靖国神社問題などでこじれたままでは、北朝鮮包囲網は形成できなかったからである。
 中国は関係改善の実利があったので、北朝鮮問題では共同歩調をとることになった。韓国も結局そうなった。安倍の北朝鮮に対する日中韓共同歩調工作は成功したのである。この下地があってこそ、安保理での制裁決議は成立することができた。だからこそライス米国務長官は、安倍外交を「すばらしい」とほめたたえる。
 それゆえ、安倍政権の危険な本質は、中韓両国との「関係改善」でなんら変わるものではない。事実、靖国参拝問題はあいまいなままであり、何も解決されたわけではない。北朝鮮の核実験も、このような安倍政権の一連の攻撃的策動と切り離すことができないが、安保理での「制裁決議」以降の、北朝鮮への突出した措置は、いっそう危険な「瀬戸際政策」である。
 ところが、国民の多くも、野党も、こうした安倍政権の危険性を見抜けず、それどころか外交では日中・日韓関係の「正常化」の狙いを見抜けず、賛美さえして、指導権を完全に奪われ、北朝鮮制裁では一致し、さながら「挙国一致」のごとく振る舞っている。どうやって野党は、この情勢に立ち向かえるのだろうか。
 それはそうだが、そうであっても、我々は広い範囲で認識面を整とんし、闘う戦線を構築し、急いで闘いを前進させなければならない。


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