労働新聞 2006年10月5日号・2面 社説

公明党新体制発足

「人間主義」掲げ、悪政支える

 公明党が九月三十日党大会を開催し、太田代表・北側幹事長の新体制が発足した。
 太田代表は「闘う人間主義」などと勇ましいスローガンを掲げたが、自民党の悪政と「闘う」わけでないことは、もちろんである。
 大会で採択した運動方針は、一九九九年以来の自民党との連立を継続することを決定した。公明党は、自民党と新たな「連立政権合意」を結ぶことで、引き続き悪政加担を続ける意思を明言したのである。
 それはまさに、大会に出席した安倍首相を喜ばせるに十分であった。安倍が発言の中で、「連立政権の基盤強化」に期待を表明したのも当然といえよう。
 公明党は、この間の自公連立の「成果」として年金制度改革などをあげ、与党であり続けることを合理化しようとしている。だが、公明党のペテン性には多くの国民が気づいている。
 これまでも公明党・神崎体制の協力なしには、イラクへの自衛隊派兵をはじめとする対米追随の軍事大国化策動や国民犠牲の諸改革は、一つとして実現できなかった。
 しかし、新体制発足に際し、「読売新聞」が「国益に立った対応」を要求するなど、支配層は公明党に憲法や社会保障問題でのいっそうの屈服を求めている。イラク戦争時の「反戦は利敵行為」との暴言(冬柴前幹事長)など、悪政推進の先頭に立ってきたこと程度では、まだ「不十分」というわけだ。
 「連立第二期」(太田代表)に踏み出そうとするこんにち、公明党が与党で居続けることの意義は、まさに曲がり角を迎えている。
 「連立政権合意」では、安倍首相が「日程に載せる」ことを明言している集団的自衛権の行使容認や憲法改悪には触れられていない。
 太田代表は集団的自衛権の行使を「認めない」などと述べてはいる。だが、一方で「(自民党の)具体的構想を知りたい」と、集団的自衛権行使のための研究は容認するというのであるから、そのペテン性は神崎前体制と変わらない。
 この欺まん的態度は、集団的自衛権の行使容認や憲法改悪に踏み込むことに対して、公明党内に異論が多いことを意味してもいる。マスコミ報道によると、支持団体の創価学会幹部は「神崎前代表は(自民党に)遠慮しすぎた」と、「存在感」の薄まりに不満を述べているという。
 だが「連立維持」を口実に、少なくとも公明党中央は、集団的自衛権の行使容認などのタイミングを見計らっていると見るべきであろう。太田代表が「(自民党に)言うべきことは言う」などと言ったところで、これまでの与党としての「実績」を考えれば信用できるはずもない。
 自民党からしても、公明党抜きでは選挙を闘えないとはいえ、集団的自衛権行使容認や憲法改悪で公明党に譲歩できる余地は少ない。公明党支持者を「納得」させるための社会保障政策でのわずかな「おこぼれ」(児童福祉手当拡充のような)も、歳出・歳入一体改革を進めようとする中、多くは「提供」できない。
 それだけに、長年「平和・福祉の党」を標榜(ひょうぼう)してきた公明党員・支持者と党中央の間の矛盾は、客観的にはますます激化せざるを得ない。
 公明党は宗教政党という特殊性も活用して、この党内矛盾を抑え込もうとするであろうが、いつまで続くか。
 わが国政治の「ガン」である公明党に幻想を持つことはできない。この党への批判は、安倍政権と闘おうとする者にとって、ますます重要となっている。


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