労働新聞 2006年4月5日号・社説

労働の規制緩和と闘う
フランスの若者、労働者の
大衆行動を断固支持しよう

 フランスで連日、政府の雇用政策改悪に反対する学生や労働者などによる大規模な街頭行動が続いている。
 三月七日に全国で百万人が参加するデモが行われたのを皮切りに、パリコミューン記念日の十八日には百五十万人とデモの規模は拡大を続け、二十八日には高校生、大学生らの若者と労働組合・労働者を含めた三百万人が法律の撤回を求めて、デモ、ストライキ、街頭行動を行った。学生、労働者の街頭での公然たる「異議申し立て」は、今、フランス政府を窮地へと追いつめている。

クビ切りの自由化進める「初回雇用契約法」

 今回の闘争拡大の直接の原因は、フランス政府が「初回雇用契約法」(CPE)なる悪法を議会で通過させたことにある。
 去る三月九日、ドビルパン首相は学生団体や労働組合の反対を押し切り、フランス国民議会(上院)で「初回雇用契約法」を含む「雇用機会均等法」を強行採決した。この法律は、企業が二十六歳未満の若者を雇用した場合、二年間の試用期間を設け、この間は十五日以前に予告さえすれば理由の説明なく自由に解雇できるという、とんでもない内容である。これは、昨年八月に施行された従業員二十人未満の企業を対象とする「新雇用契約法」(CNE)を改悪し、二十人以上の企業にも拡大させたもので、これにより、すべての企業で雇用二年以内の若年労働者を、一方的に解雇することが可能となる。
 こうした解雇規制の緩和拡大に対し、「雇用を不安定化させるもの」「若者が新たな差別に直面している」「労働権破壊の第一歩」と学生や労組が激しく反発、若者を中心に抗議行動が全国に広がった。また、野党や労組ばかりでなく、与党の一部である中道政党のフランス民主連合(UDF)も反対を表明、運動は一層拡大することとなった。
 ドビルパン首相は、昨年十月に激発した「移民暴動」で非難を浴びたサルコジ内相にかわって内政の前面に登場し、「雇用の創出」を優先課題とすると訴えてきた。
 ドビルパンは「解雇が容易になるから企業は積極的に若年者を採用する」と主張しているが、その内実は「失業の解消」を逆手にとって青年労働者を理由なき解雇の不安にさらし、使用者側の思惑しだいで使い捨て可能な労働力にする政策だ。そればかりか、この法律を若年労働者だけでなく、伝統的に優先雇用の権利を保持してきた中高年の労働者にも拡大すると見られている。
 こうした労働法制の規制緩和を強行する政府に対して、今回の直接の当事者である若者に限らず、多くの労働組合員や一般労働者が強い危機感を持って闘争に加わったのは当然である。

規制緩和推進の社民政党にも高まる不信感

 今回の事態からは、フランス国内の階級矛盾の深まりと、階級闘争の激化を見て取ることができる。
 冷戦崩壊後、EU(欧州連合)統合と、その東方への拡大を、ドイツとともに推進してきたフランスの独占資本は、中、東欧に急速に進出し、そこを食い物としながら、激化する米日などの独占資本との国際競争に勝ち残るため、再編と統合をすすめ、支配力を強めながら、国内での効率化、合理化を急いできた。
 安価な労働力を求めて、製造業は東欧など海外に移転し、空洞化も深刻化した。さらに労働移動の自由化は、歴史的にフランス労働運動が獲得してきた解雇規制などの労働権、既得権を急速に奪うものとなった。 左派主導であれ右派主導であれ、どの政権も、フランス独占資本の意を受けて、構造改革、規制緩和推進の政策をとってきた。それは二大政党制の一極を構成するフランス社会党も同様であった。一九九七年から二〇〇二年までの、社会党ジョスパン政権も欧州統合を推進し、規制緩和策をとった。しかも、こんにち、野党にいるこの党は、労働者や国民による年金改悪反対などの闘いを支持しなかった。
 これに対するフランスの労働者階級の反撃も、当然にも高まった。
 九四年の労働法制の規制緩和をはじめ、九五年の社会保障制度改悪では公務員労働者の闘争が大争議に発展した。
 こうした歴代政権に対する不満のうっ積は、〇五年五月二十九日の国民投票での「EU憲法否決」となって現れた。国民投票は反対五五%、賛成四五%だが、その内訳を見ると、肉体労働者の七九%、農業者の七〇%、失業者の七一%が反対であり、一カ月の収入が千五百ユーロ以下の世帯の六六%が反対である。公務員でも六四%、民間企業労働者は五六%と反対が上回った。また、反対理由の第一位には「現在のフランスの経済・社会状況に不満があるから」があげられた。国際競争に勝つためと力説したシラク大統領とフランス支配層の意図は頓挫した。そして、ここでもフランス社会党はEU憲法に賛成し、大衆の不信をかったのであった。

街頭で闘うフランス労働者、若者の闘いに学ばねばならない

 〇五年秋、アフリカ系など全国の移民労働者が、失業と差別に怒り、立ち上がった。うっ積した不満は「投票」ではなく、「移民暴動」という激しい街頭行動の形で現れたのである。
 今回の大規模な街頭行動は、明らかにこうした流れの延長線上にあるといえよう。与野党を問わず構造改革をすすめる政治や政党に対する不満は、議会や選挙の枠を越え、堰を切って街頭での抗議行動として高揚している。
 しかも今回の街頭行動は、経済的には比較的好況だった一九六八年の「五月革命」当時の政治闘争とは異なり、失業と貧困の拡大や社会不安に直面する若者の深刻な状況を反映して闘われている。
 EU憲法否決によって権威を失墜したフランス社会党は、失地回復を狙って、「〇七年総選挙で勝てば、法律を廃止する」と今回の事態を選挙と議会に収束させようとしている。しかし若者や労働者は自らの不満を直接行動で示す道を、断固として選択したのである。
 全国八十三の大学のうち、ストライキに入った大学は四十五校、エリートといわれる都市の大学生も闘争に参加、パリではソルボンヌ大学がバリケード・ストライキに突入した。学生たちは街頭で激しく機動隊と衝突、逮捕者や負傷者を出しつつ、組織的な闘争を継続している。
 高校生、大学生や青年労働者など「非政治的」といわれてきた若者たちは、今回の雇用制度問題をきっかけに政府に対する不満を表明し、政治的に行動し始めたのである。
 全国の学生組織が健在で、八〇年代以降、小規模なデモやストライキを繰り返しながら組織を維持し、力を蓄えてきたフランス学生運動の経験は注目に値する。
 また、フランスの労働組合、労働者が学生の闘いに断固として合流し、ストライキを行い、街頭に躍り出たことも重要である。
 若者や広範な国民の怒りや不満と結びついて、労働者階級がその先頭で政治闘争を闘い、文字通り指導階級としての役割を果たすことが求められている。
 フランスの労働組合には五つのナショナルセンターがあるが、組織率は低く、現在の組織率は八%程度。旧来から「フランスの労働組合は組合活動家の組織」といわれる一方で、労働協約の適用範囲が労働者の七〇%に及び、社会的影響力が大きいという伝統的特色をもっている。しかし、わずか八%の労働組合活動家が、圧倒的多数の未組織労働者を動員してこんにちの闘争を組織していることにも着目し、学ぶべきであろう。
 日本の労働組合も組織率低下が嘆かれているが、圧倒的多数となった非正規雇用労働者を含む未組織労働者との結び付き、共同行動の組織化をあらゆる職場や産業分野で追求する必要があろう。また、フランス労働組合が、「異議申し立て型」から「提案型」路線への転換をすすめたことで、これに反発した公共部門労組が脱退するなど、試行錯誤を経ながらだが、いま、新たな道を模索している点なども示唆に富んでいる。
 労働者のストライキと直接行動こそ政治を動かす最も確かな道である。貧困、格差拡大は「評論」の対象ではなく、闘いによってしか解決しない。闘いを希求する労働組合指導部は弱点を克服し、大衆行動で闘える労働運動へ脱皮をはかろう。
 フランスの若者、労働者の闘いから深く学び、隊伍を整えて闘いの道を進もう。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2006