労働新聞 2004年2月5日号 1〜5面

 「日本労働党創立30周年記念式典」が1月25日、東京で開かれた。式典には、各界からの来賓をはじめ、多くの同志・友人が参加、大きな成功をおさめた。1部で記念講演を行った大隈鉄二・中央委員会議長は、労働党の30年間の歴史を振り返り、国際共産主義運動をはじめとするいくつかの経験と教訓について述べた。また、戦後史的変動期を迎えた内外情勢について、とりわけ、衰退する米国と、それを中心とする世界資本主義の危機の深まりを構造的に明らかにした。さらに、それを唯一支える、わが国支配層の時代錯誤ぶりを暴露し、これを打ち破るため、国民的戦線を形成することを呼びかけた。来賓からは、槇枝元文・自主・平和・民主のための広範な国民連合代表世話人、山内徳信・前沖縄県読谷村長、武建一・全日建連帯労組関西生コン支部執行委員長、韓正治・朝鮮総聯国際統一局長などが発言した。2部では、党の戦列で闘い続けてきた細胞・点在の同志や、最近入党した同志、労働青年団の代表が決意表明、さらに、地方議員団と各県委員会委員長が紹介された。記念式典は、労働党の前進と、国民運動の飛躍的発展のための共同を誓い合うものとなった。以下、大隈議長の講演を掲載する。(来賓あいさつなど6〜7面)


大隈議長の講演

 おめでとうございます。
 今日は労働党の30周年記念集会に先輩や友党の皆さん、友人の皆さん、多数おいでいただきまして、厚くお礼申し上げます。また、全国から党の同志の皆さん、特に、30周年ということで、日ごろ連絡がつきにくい同志も多数おいでになっています。「若いころはよく闘ったなあ」などと、思い出している方も多くあると思います。あらためて団結を確認する機会になればと思います。
 さて、2次大戦後、世界のもっとも大きな変動期、米国帝国主義が当時とは様変わりして、没落期特有のあがき、そしてわが国支配層もまた、戦後政治のツケの支払いを求められ、途方に暮れている状況の中にあって、また半世紀以上もわが国労働者階級をたぶらかしてきた現代修正主義の共産党、社民主義の諸党など、すべての日和見主義諸党派が、思想、政治、組織や影響力など、すでに破産したか半ば破産した下で、そして戦闘が近づいている時に、わが党は結党30周年を迎えております。
 この時期に、あらためて歩いてきた道を振り返り、自己点検し、意志を固めることは、わが党を強化し、わが国労働者階級の闘いと強力な国民運動を発展させる上で、はかり知れない意義があると思います。
 この機会に、党の歴史についての概略を報告し、併せてこんにちの内外情勢と闘い、課題、わが党の問題意識などについて、ご報告したいと思います。

結党30年、わが党の歴史 1974年、どんな時期だったか

 わが党は1974年に結党いたしました。
 当時の情勢は、特徴的には第3世界の資源保有国が、石油戦略を仕掛けており、政治的にも、全世界の労働者階級と諸国人民の闘いは、非常に意気が高揚しておりました。資本主義諸国、例えば日本でも石油パニックが起こった。1、2年の間に石油価格が4倍にも上がった。物価が上がり、トイレットペーパーを買いだめしようと、人びとが店に行列をつくったりして騒いだ。それほどの情勢でした。
 それから、国際共産主義運動では50年代の末から起こった中ソ論争が、60年代に非常に公然たるものとなって、世界の共産党間で、あるいは各国の共産党の内部で、公然と分裂騒ぎがあるというような情勢でした。
 中国では、いうところのプロ文革がありました。毛沢東が、資本主義の復活を阻止しなければならないと、全人民、とりわけ青年、学生を動員し、自分の党の中央を批判する、そういう内部闘争が激しく盛り上がっていました。日本でも、日本共産党に対し、山口県を中心とする一部の共産党員が反旗を翻し、さまざまな左翼勢力が共産党批判を高めている時期でした。
 そういう中で、共産党員のごく1部と、社会党左派系のごく1部、それから青年学生の、いうところの新左翼、そういう人たちのいくつかのグループによって、労働党は結党されました。

簡単な党の歴史と経過、3つの時期

 結党大会は、正式には93人が党籍をもって参加し、開かれました。党員は17県におりましたが、主に九州、関東、近畿でした。
 綱領は、主として暴露の方向が一致すればよいということで、暫定綱領でした。ロシアの社会民主労働党も、中国共産党も、似たようなものだったと思いますよ。同様な経験はどこにもある。われわれも、闘いの必要さから結党したものの、理論的に十分一致する状況ではありませんでした。78年の2回大会を経て、ようやく現綱領を確定することができました。
 党員数ですが、74年に出発して、10年余りの間に、すさまじい勢いで党員が増加しました。79年末には20倍になっており、84年1月には、ほぼ30倍になっていました。それ以降、党の増勢は、しだいに緩やかになっています。
 90年代に入ってからは、党員の拡大は停滞したか、止まりました。ただ、最近の数カ年は、新たに入党者が増え始めました。これが実情です。
 90年代に労働党員の拡大が止まったか停滞したと申しましたが、これは、ちょうど90年代前後の、世界の社会主義陣営の、敗北か大幅な歴史的な後退の時期です。すべての価値観が揺らぎ、社会主義に自信をなくすものが続出し、動揺が広がった時期です。わが党自身には、動揺も、分裂もありませんでしたが、そして、これは珍しいことですが、しかし、これがやはり響いたのは事実だと思います。
 党は、最初の10年、とてもよく闘って、党も勢いよく伸びました。当時、「たとえ党組織が小さくても人民のもっとも切実な要求を大胆に闘えば、前進できるし、小さな組織も大きくなれる」ということを指針として、闘っていました。また、「党はつくるもの」だという考え方を党内には確立しておりました。社会主義、共産主義の理論が自然発生的には生まれなかったように、それを信条とした党の組織も、自然発生的には決して生まれない。意識的につくるものだというようなことを指針として実践しました。
 それから、批判、自己批判に基づく党内闘争を積極的に行いました。また、それと併せて、幹部、指導部問題を重視しました。闘いを経る中で、必ず指導部には変化が起こり、見劣りのする部分が出てくるわけで、常に最良の指導部を構成すること、これを当然の党風とするようにして、激しい闘いを切り抜けてきました。
 つぎの10年ですが、ちょうど1979年、80年と続けて総選挙を闘い、それぞれ、25人、30人と、当時の既成政党のいくつかより労働党の候補者数は多かったんです。勢いもありましたが、大きな冒険でもあり、小さな党が、何億円と資金を集めて、国政選挙に挑んだ。そのことの結果として、中央も県組織も、財政は困窮をきわめることになった。そういう時期です。本格的に党が地域に根ざし、労働者の中に根ざし、組織を固めなければ、次のステップに入れないということから、地域や職場にしっかり根ざした都道府県委員会を目指して、闘いました。
 党内では、「84年の問題意識」などと言われていますが、一口に言って、地域で党の政治路線を具体化するための努力だったんです。それまでは、全国課題では闘うが地域をよく知りませんでした。それで、地域の経済、自治体財政、あるいは地域の戦後の各種選挙の資料等々を丹念にデータベースにしたり、それらを基にして、各県での政治や組織の戦略計画を立てたり、政策の研究もしました。対自治体闘争や地方選挙にも取り組みました。この努力は今も継続しておりますが、この時期に始まっています。
 さらに次の10年間です。非常に大ざっぱにいえば、90年代以降でしょうが、さっき党員が増えなくなった時期と言いましたが、いわば社会主義の歴史的な敗北というか大幅な後退、そういう世界史的激動が始まって以降の10年。この時期にはご存じのようにゴルバチョフの「新思考」外交だとか、いわゆるINF(中距離核戦力)削減合意、あるいは、天安門事件、東ヨーロッパの激動、さらに湾岸戦争。そして、日本の国内では、80年代終わりから90年代にかけて、リクルート、佐川事件、93年総選挙での自民党単独政権崩壊から連立時代とさまざまに政局が動いた時期です。最近の9・11の「同時多発テロ事件」といわれているものや、米国のアフガニスタン侵略。また、ユーロ通貨、一昨年の平壌宣言、そして昨年3月の米国によるイラク侵略戦争、こういう情勢につながった期間です。
 われわれは、国際共産主義運動、冷戦の崩壊、それから冷戦後の世界についての情勢の分析や見通しなどといった理論問題に、否応なく当面し、解決を余儀なくされました。党自身もそれと関連して、理論問題に大きな努力を割きました。そしてここ数年は、唯物論的な世界観、史的唯物論、方法論としての唯物論的弁証法の研究や実際の応用について、党の能力を高める努力や、幹部の学習を、党学校として強化しています。
 また、党の方針として、特に93年以降の連立政権に入った時期における政治戦術の問題を決定いたしました。基本的に自民党は、戦後からの利益分配型政治の限界に当面し、単独支配ができなくなり、中間政党を抱き込むことでしか政権を維持できなくなってきた。敵側の政治は、きわめて策略的になった。したがって、それに対応するわれわれの戦術は、中間政党を暴露し、彼らの大衆の中における影響力を除く、特に労働運動内における民主党の暴露を強化しまして、こんにちに至っています。

党派闘争について

 以上が大ざっぱな党史ですが、若干、党派闘争という面から述べてみたいと思います。初期のわれわれの党派闘争は、社会党とは団結を求めながら、共産党の修正主義を暴露し、労働党の見解をそれに対置させ、「打ち破ることが打ち立てること」であるという意味で、共産党批判を精力的にやりました。共産党は当時、「70年代の遅くない時期に民主連合政府を樹立する」と吹聴し、幻想をふりまいていましたので、「民主連合政府」を批判する論文を出して、これを徹底的に暴露しました。これはほんの1例ですが、議会主義の暴露に大きな努力を割いていました。共産党の構想が破産したのは、ご存じのとおりです。
 その後の時期は、共産党暴露を継続しながら、社会党には、団結を主にしながらも批判もする、という2面政策をとり、全体としては、自民党とその政府に反対する、幅広い戦線の形成を目指しました。77年から始まって、78年には左翼連合が結成されています。これには、社会党員も多く参加しています。この流れはその後、90年代に入って広範な国民連合として発展しました。国民連合の結成は93年です。
 90年代、それも半ば以降は、すでに申し上げたように、公明、民主などの中間政党、特に民主党の労働運動に対する影響力をなくさせることに、大きな努力を注ぎ、社民党とは引き続き2面政策、つまり提携することを主にして、若干の批判を試みました。共産党との理論闘争は引き続き重要で、しかも政治面では、民主党への幻想をあおる点で、たたかねばなりませんでした。
 ただ、この自民党単独支配崩壊後の、わが党の政治戦術の変更、その決定は、99年の半ばを過ぎてからでした。今考えますと、2大政党制構想、この敵の路線は、80年代の終わりごろにはあったし、自民党の金丸が、大量の資金を用意し、社会党の田辺、それから連合会長の山岸らと手を結んで、当時の民社党を巻き込んで、「ガラガラポンで再編しよう」と唱えた時期以後、その具体化は、模索されていたんです。当時は金丸と小沢が中心だったのですが、彼らはすでに、日本の戦後政治システムは維持できないという判断をしていた。ですから、92年に細川が登場し、小沢、羽田らが自民党から分かれて、93年の総選挙に臨んでいる。
 ですから、80年代終盤から90年代いっぱいは、過渡期なんですね。昨年の総選挙までを、大方過渡期と位置付けられると思いますが、そういう意味で労働党は、基本的な戦術の転換で、5年ないし7年、たぶん遅れた。今振り返ると、大きなミスであったように思います。以降の情勢の中で、この種の経験は必ず生かさなければならないというふうに思っています。

国際共産主義運動について

 国際共産主義運動についてですが、労働党は、中国共産党、フィリピン共産党などとは、正式な交流がございました。ベトナム、カンボジア、朝鮮の党とは、接触は試みましたが、公式には成立しませんでした。そのほか、80年代半ばから90年代前半にかけて、アジアとヨーロッパなど、いくつもの国の党、あるいは少数グループと接触、あるいは交流の機会がありました。
 現在の状況ですが、中国共産党とはこんにち、彼らが日本共産党と関係を回復し、労働党との接触を断つことを約束したからでしょうが、何の連絡もございません。朝鮮労働党とは過去も現在も、接触はともかく、なんの関係あるいは意見交換もありません。朝鮮総聯の方々とは、私どもから見て、友好関係をもっておりますが、朝鮮労働党だとか、国際共産主義運動とはなんの関係もないことです。
 それ以外の、接触したことのある少数グループ、党とは切れたわけではなく、こちらの都合、つまり、国内的事情から余裕がなく、積極的に取り組んでいないだけで、これは、課題ではあるというふうに思っております。

課題あるいは問題点についての感想

 課題あるいは問題点について、さらに報告します。
 国内問題では、労働党は、掲げておる政治路線、あるいはそれとかかわって、統一戦線能力や、適宜適切な闘争課題を提起して組織者になる、そういうことでは前進を遂げ、能力をつけました。しかし、組織建設の面で、なかなか成功していません。
 初期のころは、どんどん入党者が増えました。しかし、なにせわが党には、共産党の中央にいただとか、大きな党の指導や運営に慣れた人がまるでおらず、各県や細胞まで、指導が行き届く、そういう指導の能力がございませんでした。したがって、苦労し、失敗という月謝を払って、学ぶ以外になかったのです。
 多額の月謝を払わせたことで、全党の皆さんに、われわれ党中央の指導部は、責任を感じております。都道府県の同志は、本当に献身的で、不屈に闘いました。そういう中で、さまざまな指導の欠陥のツケが、そこに集中したと思います。それでも、団結を維持し、こんにちに至っております。
 特に私は、30年間いつもこの位置にあって、いろいろなことを積極的に提唱し、主導的にやってきました。30年間、特に初期の10年間は、きわめて意欲的で冒険的で、恐れを知らず、そこにもし経験豊かな人がいたら、「大隈君、それは誤りだよ」と言うに決まっている。当時から、私はそう思っておりましたが、いなかったので幸いとも思っていました。
 そういう状況で、すさまじい冒険もし、前進もしてきました。そのツケが、全国の隅々の同志、都道府県の指導的同志、つまり専従者たち、そこに集中した。そして同志の1部には、余儀なく、ついていけなくなった人もいました。それらについては、すべて、指導者である私の責任だと、自覚しております。このことは、党の歴史的な30周年にあたり、私として、明確にしておきたい点です。
 私は、引き続き党中央と全国の党の幹部、全党の同志の皆さんと、団結し全力を尽くして、奮闘したいと思います。

 次に、国際共産主義運動についても、若干の感想を述べてみます。
 1つは、国際共産主義運動が堕落したことに関連してです。どの国が言い始めたかはともかく、お互いに内政不干渉といって、これを原則にまで高め、共産党相互間の公然たる論争をやめたことについてです。
 もちろん、共産主義運動には、それぞれの国の独特の条件に規定された進め方がある。それは当然で、なにも今に始まった理屈ではない。にもかかわらず、共通項、普遍的に守らなければならない原則があってこそ、共産主義運動は、1つの国際的な政治思想潮流となるし、なってきた。意見が違うと、「他国が干渉するのはよくない」と言うことを、しばしば耳にする。なぜ公然と、道を誤った他国の共産党に対して、批判ができないのか。ある国のある時期の特殊性は、他の国や他の歴史時期とはなんの共通性もない、それほどの特殊性と言うつもりだろうか。
 このように相互批判を避けてきた結果が、自国と全世界の労働者階級に、真実を知らせず、何が守るべき原則か、何が特殊性なのかの認識の発展を遅らせ、曇らせた。だから、マルクス・エンゲルスが創設した共産主義の理論と運動を継承するものにとって、この経験はこれまでもあったが、まだ、とどまっている人びとにとっては、再びの教訓であると、思います。
 もう1つ、何十年か国際共産主義運動をやってきましたので、つくづく思うのですが、政権を取るまではみな国際的団結を必要とするんですね。政権を取っていない国の共産党が集まりますと、お互いに他国に学ぼうとする。また、他国の支援も必要とする。したがって、国際的な団結、つまり労働者階級や人民の団結、そして人民の相互批判を恐れない。それは、それぞれの国が革命的に前進しようとすれば、他国と連携することが必要で、相互に、闘争を支援し合うことが必要だからでしょう。
 政権を取ってしばらくの間も、例えば、レーニンがロシア革命で勝利した、それからしばらくの間は、帝国主義の干渉があって、帝国主義、あるいは反革命がまだウロウロしていて、戦争がやられている。そういう時期には、労農同盟という国内の階級同盟も必要でしょう。また、国際的な連携も必要です。他国がソ連を攻め殺そうとするときに、出兵する帝国主義諸国の労働者階級が「反対だ」と言って闘うことが必要なんですね。だから政権を取った初期にはまだ、プロレタリアの国際的団結を高々と掲げる。ありがたみも分かるんです。
 しかし、1国内でも国家権力がだんだんに大きくなりますと、政治的団結より、国家権力で国内の階級矛盾を1つの枠内にとどめておくことが可能になる。法律をつくったり、国家権力をつかって、いうところのプロレタリア独裁を守ろうとする。
 国際政治の場でも、自国の政府、軍隊、自国の経済ができますと、世界の国と国家間のおつき合いをするようになる。やがて、周辺国や帝国主義諸国の国家とつき合った方がよいのか、その国の人民とつき合った方がよいのかという問題に当面し、帝国主義者が「お前、友好、友好と言うけれど、俺の国に来てそそのかしているではないか」などという問題に当面する。つまり、権力を取った共産主義者が、ますます国家機構に頼り、世界の人民との連携、団結より、国家間の連携なり、大国間の矛盾を利用するような、そういう国際政治を重視する。そういう傾向があります。
 したがって私は、以後、政権を取った国は、苦労して取ったわけで、社会主義建設は長い事業ですから、自国を強めるために、ご自由におやりになればいいと思うのです。われわれは関知しない。しかし、政権を取らない国は、それぞれ、基本的には自国の支配階級を打倒することが課題ですから、これらの国が相互に団結し、国際共産主義運動を成立させ、帝国主義と闘う。そういうことで行くべきだと思います。
 政権を握った国がパワーゲームに熱中し、人民外交には目を向けないようになっても、幸いにして、彼らも帝国主義から包囲されたり、苦難に遭遇するわけで、そのとき、彼らが世界の人民のことを思い出すのならば、われわれは拒む理由はない。帝国主義と闘う上で、彼らもわれわれを必要とするし、われわれも彼らを必要とする。問題は、客観的な状況に依存しています。以降の情勢の発展に依存していると思います。
 そういうわけで、私どもは、国際共産主義運動は2つに分けた方がよいと考えています。
 最後に、理論問題についてですが、ゴルバチョフが「新思考」外交をやった末期などを見てみますと、世界の情勢、米帝国主義の状態について、まるで基本的な理解に欠けていることがわかります。
 記憶されている方がいると思いますが、かつて英国首相のサッチャーがゴルバチョフを自宅に招いて、いろいろ世界のことを話したことがあります。この時サッチャーは「ソ連共産党の指導的な部分の中に、社会主義の経済はこのままでは難しいと考えている人物があらわれた」と見抜いたんです。ゴルバチョフはサッチャーが見つけ出し、世界の帝国主義者に通報した。「資本主義風だ」と、こう言ったんですね。その後に、フランスのジスカールデスタンや日本の中曽根等々が、「本当か」とモスクワを訪ね、確認しているわけです。そして彼らが帰国していわく、「ゴルバチョフさんは、資本主義のことを何も分かっていないよ」と。自民党の中では評判だったのです。
 同様のことは、つまり、米帝国主義の評価をめぐっては、他の社会主義国でもみられました。70年代後半以降、「もはや、米国は革命の前夜にある」ということを、私どもは聞いたことがあります。それから一転して、ソ連も、それらの国も、資本主義諸国が石油危機から立ち直ったとき、それも、技術革新を伴って立ち直ってきたとき、資本主義の活力に恐れをなしたんですね。そして、ゴルバチョフの言葉を借りれば、「このままではソ連は2流、3流の国になる」と。中国の文献にもそうした見解が、しばしば出ていました。つまり、資本主義の生命力がまだあって、発展すると、あわて、恐れた。
 こういうことで私は、結局のところ、2次大戦後、中ソ論争などもありましたが、米帝国主義、あるいは世界資本主義に対する、きちんとした分析なり評価が、理論的にはできていなかったと思うんです。
 ゴルバチョフの「新思考」外交の極めつけですが、いわゆる南北問題について、第3世界があまりに収奪され、借金を返せなくなれば、「帝国主義の側も、もはや従来のように搾取するわけにはいかない。そこで、国際関係は従来の帝国主義と違って、いわば、協調的な世界があらわれる」と、こういう理屈づけをしていますね。しかし、実は帝国主義はキバを抜いたわけではない。さしあたって、かみつくかかみつかないかはありますが、本質上、彼らにはキバがはえているんです。
 それからもう1つ、共産主義運動を進めるからには、世界の客観的な状況に、それがこんにちの新しい状況の下でも、マルクス主義の世界観が正しいかどうかということを確認する必要があると思うんです。
 例えばレーニンは、「帝国主義論」等々を書いて、あの時代の新しい条件の下で、資本主義の当面の発展、あるいは帝国主義時代の発展の基本的な特徴について解明し、不均等発展の結果としての帝国主義戦争、そして「弱い環」から革命が起こる、などというようなことを論証しています。では、いまではそれはどうか。レーニンの「帝国主義論」以降、国際経済、国際関係は大きく変わったわけですが、今ではどういう経路を通って、世界の社会主義の条件は成熟し、あるいは移行するのか、こういうことについての、きちんとした問題の解明がなければ、国際共産主義運動は、発展しないのではないか、と思うのです。

党史のむすび

 いずれにしても私たちの30年は、それが何らかの役割を果たしたとすれば、第1に、先輩や友人、友党の皆さんと団結することで、それに助けられたからであります。
 2番目には、全党、とりわけ幹部の不屈、献身的な闘い、これがわが党の強さです。わが党には、そういう幹部、あるいは細胞、中堅的な同志がたくさんおります。これは、わが党の宝で、わが党が誇りにするところです。
 私は、こういう党があり、しかも党外との団結が維持され、そして強固な意思と幹部集団があるわけで、必ず勝利に至ると確信しています。遅いか早いかの問題はありますが、本質的に、こんにちの政治が別の政治に置き換わるのはそれ自身の理由によるわけで、共産主義者がやれることは、それを手助けすることだけです。真の理由は、客観世界に、資本主義がこのまま、いつまでも命脈を保てるか、というところにあります。私どもは今でも、そして日々、資本主義がますます崩壊に近づいていると確信しています。これらが、勝利を確信する理由です。
 党史については、これで終わります。

わが国支配層の選択と激動するこんにちの世界

 次に、小泉政権の選択や、最近の内外情勢について報告します。
 ご存じでしょうか。1週間ほど前(1月11日)、中曽根が「読売新聞」の「地球を読む」に寄稿し、なぜ米国のイラク戦争を支持したか、自分の見解を述べています。
 その中で、去年の今頃、つまり3月以前に、小泉政権が、米国のイラク侵略を、国連決議もないままにいち早く支持したことに触れ、政府の、その決断に何らかのかかわりがあったのでしょうが、中曽根氏自身も支持したこと、その理由、当時の見通しなどについて、ふり返っています。
 そこでは、判断と支持した理由など、5つあげています。
 その第1は、2001年の9・11事件以後、米国が「ブッシュ・ドクトリン」を打ち出し、世界での先制攻撃戦略を決断した。米国がひとたびこう決断すれば、世界は大きな変化を受ける、なぜなら、米国は「軍事・経済強国」だからだと、言うのです。だから、日本はこれをいち早く支持し、英国とともに、米国を支えていかねばならない、と。
 2番目に、米国は、フセインを倒し、中東やアラブ世界に民主主義を持ち込む。すると、あの地域の政治状況は、これまでと違ったものになる。パレスチナ問題の解決とか、国連がもう少し役割をとか、日本もいくらか注文をつけたが、基本的には米国が決断したのだから、その通りになる、と。
 3番目に、米国が、アフガニスタンや、特にイラク戦争で、超軍事力を見せつけた。したがってG8、つまり、7つの先進資本主義国とロシアですが、これが、何かと影響を受け、学ぶであろう。軍事技術を改良したり、軍事力を強めるであろう、と言っている。これは微妙な言い方で、G8には日本が入っている。たぶん、日本の軍事力の強化、この中には核武装化が入っていると見るべきですね。こう言っている。
 4番目に、米国はイラクや中東を支配することによって、石油をコントロールできる地位に立つと。米国自身は石油を中東にはそれほど依存していませんが、他の先進諸国、欧州は六割も依存し、中国もますます大きく依存することになる。それで、石油はあらゆる産業の原料、エネルギーですから、この「コメびつ」を米国が押さえることになる。したがって、これは日本の国益にかかわる。米国の支配する石油を、分けてもらわねばならない、と。
 5番目に、日本には朝鮮問題がある。これは1国では解決できず、米国の支援を必要とすると。
 この5つを挙げて、だから米国のイラク侵略を支持しなければならず、そしてそれは正しかった、と。これは、日本の支配層のほぼ共通した見解だと見て間違いないと思います。
 これは、去年の旗開きで私が暴露した、恐米論の売国奴たち、岡崎久彦だとか伊藤某だとかの、米国の時代は100年も続く、米国が世界を変えようと決断したのだから、従わねばならん、などという見解と同じ流れですね。
 さて、この見解ですが、私も、米国がこんにち軍事強国であることは間違いないと思う。しかし、今、米国を経済的強国と言う人は、あまりおらんでしょう。むしろ、世界のやっかい者、世界最大の経常収支赤字国ですね。貿易で世界から物をいっぱい買っていますので、「お得意様」なんていう表面的な話もありますが、年間5000億ドルも6000億ドルもの赤字をつくっている。商売しても、ゼニをちっとも払ってくれんのじゃ不安になる。世界で1番払わん国が米国なんです。これが強国ですか?
 したがって、論より証拠で、最近のドル安は、米国経済に対する不安が世界中で高まっていることの、証拠みたいなものでしょう。
 しかも、今心配しているのは、為替レートの一時の上がり下がりではなくて、ひょっとしたらドル暴落につながるのではないか、ということなんです。だから、米国が経済強国だなどと、全世界で信じるものはいませんよ。
 だから、わが国支配層の世界認識、選択など、順次暴露してみたいと思います。
 私はまず、米国の支配する現代の世界、世界資本主義の状況をざっと述べたいと思います。特に「ブッシュ・ドクトリン」の背景を暴露したい。
 まず状況を分かりやすくするために、だれでも知っていること、予備知識のようなことを2つだけ、確認しておきたい。
 その1つ。国際政治がギクシャクする、国家間のもめごとですね。あるいは戦争が起こる。そういう背景は、多くの場合、経済的な利害なんです。1次大戦も2次大戦も、特に2次大戦は、年配の方は覚えていると思いますが、1929年からの世界的な不景気、恐慌の中で、最後に世界戦争に発展したんですね。これは何々論者ということに関係なく、世間では常識ですね。世界では、やれ、あの国がもうけすぎる、あそこが借金払わんとか、それなら輸入規制を強化するとか、貿易戦争とか、経済が苦しくなるから始まるわけです。
 もう1つ、軍事強国の米国は本当に強いのか弱いのか。あるいは、歴史の経験から見て、強大な帝国は何によって、どんなふうになって滅びたかという問題です。
 例えば、ソ連が滅びたのをどう見ますか。ソ連は、強大な軍事力を持っていた。米国に対抗し、世界を2分割し、軍事均衡を保ってほぼ50年はやってきた。にもかかわらず、爆弾1つ、ミサイル1つも使わないで滅びたんです。つまりソ連が滅びる時に、軍事力は何の役にも立たなかった。他国へのどう喝には役立ったのでしょうが、自国の体制が揺らぐのには役立たない。とすれば、米国の軍事力も、米国が滅びることとはかかわりがないことですね。
 米国の強大な軍事力といっても、国内の労働者には原爆もミサイルも落とすわけにいかない。内側を固めるのには役立たない。そして内側の問題で、もめごとが起こるかどうかは、国内の暮らしが順調に保てるかどうかが、いちばん大事なことなんです。ローマ帝国は言うに及ばず、歴史上のすべての帝国の衰亡史は、例外なく、それを教えています。
 現代の国際的力関係を見るには、軍事力は評価しなければなりませんが、もう少し長期に、米国が滅びずにすむのか、という問題では、近代兵器の数を計算しても何にもならない。米国の人たちの暮らし向きがどうなるかこそ、決定的なことです。米国の現在を理解し、特に、すう勢を予測しようとすると、軍事力ではなく、経済が維持できるかということに、着眼する以外にない。
 日本の支配層は、米国は強国と言って、軍事強国という面を強調する。あまり深く米国経済を調べないで「強そうだから」と言っているに過ぎない。これでは、状況、すう勢を見ることができない。
 さて、そういう米国についてです。
 ご存じの通り、2次大戦直後、米国は圧倒的な強さだった。米国のGDP(国内総生産)は、60年代でも既に5200億ドル、日本は450億ドルですから10倍以上ありました。それから数十年、冷戦の時期、米国はソ連と対峙(たいじ)していましたが、資本主義の世界内部では、各国はえらく不均等に発展していた。二次大戦直後の姿とは様変わりして、ドイツや日本など世界の先進諸国は経済を前進させて、GDPという非常に現象的な面から見ても、米国は圧倒的な力ではなくなってきた。
 今、世界のGDPはほぼ30兆ドルですね、米国は10兆ドルで世界の30%、日本は4.8兆ドルで16%、ドイツが1.8兆ドルで6%というような具合ですね。米国の力は相対化したんです。世界経済に対する支配力は弱まった。
 今、米欧亀裂、EU(欧州連合)の台頭が問題になっていますが、GDPで見ると欧州は大体28%、北米は、カナダなど含めても34%です。まさに相対化したわけです。
 このように米国のGDPは落ちてきたんですが、これはいわばまだ現象で、もっと重要なことがあるんです。
 例えば、98年からバブルが崩壊する直前までの数カ年、米国経済、GDPは急速に成長して世界との差はますます広がった、つまり米国経済は発展した。そして、今また世界経済を牽引する唯一の国になった、と言われている。これをどう評価したらよいだろうか。
 商業新聞、特に「日経新聞」などは、株屋とか投機家、ビジネスマンが対象でしょうから、目前の株価とか円・ドルレート、その上がり下がりに注目して書きたてる。デリバティブなんていう金融技術は、上がっても下がってももうかる仕組みになっている。ですから、投機家等はきわめて目前のことに関心がある。
 しかし、例えばすう勢という言葉があります。すう勢に対立する概念は、目先のこと、上がり下がり、めまぐるしく変わる現象です。ところで、政治家にとっては、すう勢こそ問題なのです。なぜなら、われわれのような者は5年、10年、もう少し先の流れを見ようとしている。そしてそれに備えないといけないんです。
 よく「凡人は経験に学び、偉人は歴史に学ぶ」と言われる。歴史はすう勢なんですね。目先の上がり下がりはともかくとして、歴史がどこに向かって動いているだろうか、ということなんですね。
 GDP、株が上がった下がった、これらは現象です。現象は丹念に見れば分かる。しかし、すう勢は、現象では見られませんし、現象を積み重ねても、以降の状況を見抜くことはできません。すう勢問題を解決するには、表面ではなく、その背後、その内部に、目を向けないと難しい。もっとも肝心なこと。それは、例えば、米国経済が最近前進しているといわれるが、それが、どのような仕組みで動いているか、つまり構造、これを知らなければならない。
 米国は、今、世界中から膨大に品物を買っていますが、年間で5000億ドルも6000億ドルもの経常赤字国。他の国だったら、とっくに破産でしょう。しかし米国は基軸通貨国ですから、輪転機を回すとドルをいくらでも印刷できる。しかし、それでもあんまり印刷すると、「あれは金ではない、紙切れだ」ということになる。
 70年代に、すでにこの話はありました。特に西ドイツやフランスは、「日本はバカじゃないか。明日紙くずになるかもしれないドルを、せっせと貯めている」と。「ヨーロッパは、そんなことはしない」と。そう言って、彼らはずっと、ユーロの準備をしてきた。
 先ほど、札を適宜印刷していると言いましたが、もっと本質的な構造はこうなんです。5000億ドルも6000億ドルもの経常赤字を抱える米国の経済が回るためには、外国に支払うドルを、もう1度、何らかの形で自国に戻さなければならない。一方、日本やヨーロッパ、あるいは中国は、米国が払わないので、みな米国の資産を手に入れることになるんですね。米国との貿易で稼いだ黒字で、自国で使わない分はみな米国に投資して、米国の資産を手に入れているわけです。米国から見れば、借金も増える。だから米国の対外借金はもう2兆ドルを超えている。国家財政の赤字も、今、5000億ドルになりはしないかといわれている。
 つまり、世界が、貿易などで稼いだドルを、もう1度、米国に環流させている。別な言い方をすれば、余分なドルは自国に持ち帰らずに、米国の銀行に置いて、遊ばせておくわけにはいかんから、米国の国債、財務省債を買う。民間なら、預けたドルを米国の株に替える。そうして運用する。そういうことをやっている。
 しかし結局、そういう米国ですから、いつかは破産するというのは、理論的には非常にはっきりしているんですね。
 そして今、欧州は心配になったので、自分たちのユーロ圏をつくった。だから日本のようにどんどん米国の資産を買うというようなことはしないんですね。つまり、ドルの環流システムから、この数カ年、欧州はずらかっているんですね。その分だけ、アジアから米国へ資金が大きく流出することになる。しかも、驚くべきことに、去年1年間で米国が必要とした新たな資金の3分の2を、日本がたった1国で、しかも政府が支えている、こういう事態になってきた。
 今、日本の外貨準備高、つまり外国資産ですが、これはどんどん増えています。その対米資産の中身を統計では公的部門と民間部門とに分けてあるが、明らかにこの数カ年、民間部門、特に日本の銀行が、米国への投資を用心してることが分かるんです。欧州はずらかり、日本の銀行も用心している。この構造の危うさ、いずれ破産が近づいていることを、知っているからなんです。
 そして民間が用心し、減った分、日本の公的な部門が支える構造になっている。政府が引き受けている。日本の国家財政は膨大な借金に苦しんでいるといわれているが、その財政の相当部分が米国のために使われている。これが加速している要因には、最近の急速なドル安と為替介入があります。円高を阻止して、輸出産業を守るという名目で「ドル買い介入」を行う。
 日本政府が円を売ってドルを買って、そのドルで米国の財務省債を買って、それを運用する。しかしドルはどんどん下がってるでしょ。だから資産としては損するわけですね。為替評価損ですね。2003年は、たった1年で8兆円も目減りした。損したんですね。米国とおつき合いして、損をした。その前年の2002年も、大方6兆円損をしている。
 しかも、さらに膨大なドルを買わにゃならんということを政府は予測して、外国為替資金特別会計というもので2003年度は79兆円の資金枠を決めていたんですが、枠を使い切ってしまって、04年度は140兆円の枠をつくる方針です。つまり膨大な円を用意してドルが下がるときにドルを買って、ドル価格を維持しようとしている。さらにドルが下がったらどうなるのか。来年は10兆も20兆も損する可能性がある。つまり、それは国民が働いて、稼ぎ出した、本来は日本の総可処分所得として国内で使えるカネを、米国をまかなうために流出させ、しかも、資産の目減りで損までしている。まさに売国政府と言わねばならない。
 米国の最近の景気ですが、マスコミなどは、米国の好況、消費が世界の景気を引っ張っている、「牽引車」と言っています。しかし、米国の好況の原資、その資金は、今言った日本政府からの資金なんですね。そして米国経済はこれを湯水のごとく使って、ご存じのように、やれ大減税とか、イラク戦争での膨大な軍事費、ミサイルつくったり、軍需産業は大もうけです。いろんなことをしている。それに最近は医療保険とかで、大盤振る舞いをやって、大統領選挙に備えようとしている。
 つまり、米国は、世界に膨大な借金をし、特に日本からのばく大な借金をあてにして財政を湯水のごとく使って、経済を維持しているんです。その上、それで潤った米国の金融資本、乗っ取り屋が日本の銀行や優良企業を二束三文で買いたたいている。不良債権処理とか企業再生などといっても、こういうことですよ。
 バカバカしい話でしょ。それよりも、日本人が稼ぎ出した金ですから、日本の国内で使ったらどうですか。あるいは「払わん国」ではなくて「払える国」に投資したらどうですか。また、円で貸したら、目減りすることはないでしょ。その国の通貨が下がろうが「円でお返し下さい」と言えば、日本は損はしない。こういうことですね。日本国民が、売国政府を打倒し、自主独立の道に踏み込めば、米国は成り立たない。
 そういう米国なんですね。強いと思いますか。
 冷戦終結後、やっと世界の唯一の超大国になった米国が、軍事的には世界の追随を許さない国でありながら、経済的には衰退し続けている。いわば、これを阻止するための冒険的な政策が、ブッシュ・ドクトリンなんですね。
 したがって私は、爆弾を振り回すブッシュの戦争政策を、帝国主義国の没落期に特有の悪あがきだと言っている。最近、ブッシュ政権中枢にいた、元の財務長官が、イラクへの侵略戦争はブッシュ政権の成立時期から、つまりテロ事件の起こる以前からあった計画だと暴露した。結局、テロとか、大量破壊兵器などは口実にすぎなかった。
 米国は政治や軍事で、主導権を確保し、経済面での衰退を挽回するために、ソ連に代わる新たな、共通の敵をでっち上げることが必要だったんでしょう。「悪の枢軸」など、手の込んだことをやってるつもりでしょうが、世界は十分に見抜いているわけですから、早晩、没落する運命にあると思います。

時代錯誤、亡国の道を選択した日本の支配勢力

支配層の見解は時代錯誤
 先ほど紹介した中曽根の見解、それは日本の大方の政財界、それにおもねる知識界とマスコミに共通する支配的な見解ですが、米国の力を過大に評価しているという意味でも、したがってそれが支配する世界についても、状況を見誤っていると思います。時代錯誤的な見解ですね。
 多国籍企業にまで成長し、わが国財界を牛耳っている巨大資本、企業グループに見える世界状況のようですが、色濃く、願望というか階級的限界というか、それが反映していると思います。
 米国の経済面での暴露は、もう十分だと思います。軍事強国といっても、イラクの占領だってままならない。治安維持でも資金でも、日本やヨーロッパの助けを借りなきゃやっていけないでしょ。しかし、ヨーロッパの助けを借りてイラクの治安を維持したら、イラクの新たな政府は、親米政権であり続けるでしょうか。米帝国主義が狙った、石油支配も確実でないということなります。
 したがって、米国は戦争をやっても、自らの没落を阻止することはできず、対抗勢力として公然と登場してきた欧州、EUを抑えることはできない。これが実態ですね。
 しかも米国は、同じ双子の赤字といっても、80年代と違って、こんにち、ユーロが登場し、世界経済での存在感を増しています。それがユーロ高でもあります。
 こんにち、ユーロ圏の外、ロシアでもアフリカ全体でも価格をユーロで表示しているという。交換手段、尺度としての存在感が拡大している。さらに、決済手段としても、すでに世界中でユーロがほぼ5割を超している。もう1つ、通貨の機能として、財産を蓄積する手段としてのユーロ。中国だって、外貨準備のかなりの部分をユーロでやっている。韓国も、インドネシアもそう。もうアジアもひたひたとユーロが侵食している。つまり、ドル圏をユーロが侵食している事態があります。
 したがって、今のドル不安、さらに今度、世界的な経済危機が来れば、それは「ドルがだめでも、ユーロがあるさ」という条件下で来るわけです。日本は日米同盟と、輸出企業のために、せっせとドル買いをし、米財務省債を引き受けなきゃならんでしょうが、他国はそうするでしょうか。当然、ユーロその他、安全なところに逃げ込むと思いますよ。

階級矛盾の激化、その相互関係、一般的展望
 さて、ドルを買い支え続けているわが国はどうなるか。日米関係は重大な時期に来ていると思います。この構造は継続不可能だからです。
 もっとドル安、円高になっても、もちろん日本経団連の奥田、トヨタやソニーなど多国籍企業は、国際的に展開しているので、損はないのでしょう。しかし、国内に基盤をおいて、対応できない企業は、容易ならざる事態を迎える。
 当面は、政府がドルを買い続けることを、輸出産業もあるので、しばらくはみな、しょうがないと認めているのでしょうが、にもかかわらず、継続の限界も差し迫っているという状況となれば、政府も重大な決断を迫られる。
 ドル圏にとどまるのか否か、ドル圏から脱却できるのか、国論は重大な岐路に直面する。米国が破産すれば、日本が営々と築いてきた国民の所得、資産が吹っ飛ぶわけでしょ。国内は財政危機でしょ。
 そこで、日本の政府が、ぐっと自主・独立に舵を切り、ドル圏からの離脱となれば、たちまち米国は資金不足で、景気も冷え込み、大不況。国内階級闘争も激化し、米国は大変困るということになる。米国が困らないように日本が仕送りを続ければ、日本の国内矛盾が激化していく。一般的に言えば、どちらかでしょう。危機が迫っていることは間違いない。

わが国政治と経済の状況
 日本の国家財政だって、打つ手がなくなっている。政府はプライマリーバランスといって、何年かかけて収支、つまり税収(国債発行額を除いた歳入)と借金払い(国債の元利払い)を除いた歳出のバランスが取れるようにすると言っているが、見通しが立たない。どう計算してもそうならないことが、4、5日前の新聞にも載っていた。このままデフレが続けば、2007年には新規国債発行額が税収より多くなる、と。財務省の試算では、今のような経済情勢では税収もままならず、プライマリーバランスは当面は不可能、見通しが立たないと、言っている。
 そうだとすれば、年々国家財政の借金は増加する。膨大な銀行の不良債権処理にも国家財政を「注入」すると言ってますから、どうなるか。まともな打開策はないということですね。破産ということになる。
 米国には、こういう意見があるといいますよ。つまり、日本の公的部門、政府、地方含めての借金、それと、銀行の不良債権処理でつぎ込む資金など、ざっと700兆か1000兆円、政府がその総額をまとめて、国債を発行したらどうかと。そしてその国債は、日銀が引き受ける。日銀が、札を印刷して、それを買う。公的借金は、この札で返済する。こうすると借金はチャラになり、市中にゼニがあふれることになると。
 しかし、これは考えてみると、超インフレ策ですね。つまり現状の国民の資産の中に、何の裏付けもないお札を新たに1000兆円流すということです。貨幣の価値は下がることになる。
 つまり、もう、プライマリーバランスが均衡しないことははっきりしている。遅かれ早かれ大増税をするか、いろいろと手の込んだゴマカシの手口で、札を増刷してインフレにするか、2つしかないんです。
 そして、どちらにしても、国民の総貯蓄を吸い上げる、収奪するということなんです。これが差し迫っている。これをやらなければ、日本の国家財政は回らない。そこまできているということなんです。
 そこで、次に問題になるのは、だれからどれぐらい取り上げるか、ということなんです。「危機」をどの社会階級、階層に、押し付けるか、ということですね。
 国民所得といっても、国民は金持ちから私のように預金ゼロの者までいる。金持ちから取り上げれば、金持ちが騒ぎ、内輪もめして、金持ちの体制は崩壊する。貧乏人から取り上げれば、暴動が起きる。この間、年金問題があってニュースになった。年金の企業負担率の問題で日本経団連の奥田が騒いだんです。企業が困ると。さらに、財界は消費税大増税も主張しています。今の小泉改革は、それをやってるんです。
 だが、容易ではないんです。大増税か大インフレか、もうそこまできている。景気の回復もままならないでしょうから。容易ならない情勢が迫っているのです。

自民党単独支配崩壊以後、2大政党制
 支配層が、この状況から脱出するためには、危機を国民大衆に押しつける以外に道はない。小泉改革の本質はそれで、まだ、そのはしりに過ぎない。けれども、だれに押し付けるか、資産家か、商工業者か、農家にか、被雇用者も給料の高いところか低いところか、貧乏人から取り上げたとき、暴動が起こらないか、どうしたらいいか。そんな問題が生じてくる。
 ここで政治が、非常に重要な位置を占めることになるんです。実は、2大政党制は、その問題と深くかかわっているんです。
 財界が政治に異常なほどに介入し、札束で政党を買収しようとし、自民党や民主党が評価を気にするのは、激動する内外の情勢下での、支配層の危機感ですし、飼い主にぶら下がって生きてる恥知らずな政治家、政党の醜態は、チャンスが来たことを感じ取っているからです。
 皆、政治に不満をもっていて、自民党ではダメだと言って、選挙をやったら今度は民主党に政権がいく。そうすると民主党も自民党と同じで、同じく「改革が必要」だと言う。改革反対と言う政党がいない、というのが2大政党制ですね。どっちに転んでも政治は変わらない。危機は押しつけられても、あきらめるしかない。上手にあきらめさせる。そんな手口というか政治を、財界は期待しているんですね。
 この2大政党制、財界の期待通りになるだろうか。
 この2大政党制について、中曽根は、最近の「命の限り、蝉しぐれ」とかいう著書で、社会的に基盤がないと言っていますよ。わが党はすでに、総選挙総括でこの問題を指摘していますが、似たような見解です。米国の民主党や英国の労働党は、労働運動を基盤にしている。しかし、日本の民主党は、労働運動の十分な基礎がないと言っている。それから、日本はフランスのように、農村型だと。農民の影響がある。そういうわけで、2大政党制は不可能だと。さらに、国論に重大な亀裂が入ったとき、再びもう1つの政党が、2大政党制に対抗してあらわれる可能性がある、とまで言っているんですね。これは、それほど、わが国の危機が深いということを、彼らも認識している、あるいは感じている、ということでしょう。
 さて、どういう2大政党制か。小沢は最近、こう言っているんです。1つは「国際派」つまり、奥田のような小泉のような親米派ですね。もう1つは「内向き派」だと。これは、親米派の政治に、国民の中でいろいろな不満が出たら、揺れ戻しとして、それを是正する、ある程度、国内の亀裂を、修復するような政党が必要と、言っているんですね。
 しかし、小沢は明確な政治路線として、もう1つの党を示し得ていない。もう1つの対抗軸としての政党が描けないんですよ。以前は国際派(売国派)とアジア派と、2つの政党と、いう者がおったんですがね。すっきりと言えなくなっています。これには、米国のブッシュ・ドクトリンにあらわれたような対外政策、わが国の奥田のような多国籍企業グループの支配とその利害、イラク戦争支持や海外派兵に見られる最近の変化、これが影響している、と思います。いま1つ、読めないところがあるのでは。
 同様に、中曽根にも「蝉しぐれ」でみると、対米追随が基本でも、対アジアでの揺らぎが見られますね。米国の世界支配に不安もある。欧州の動きにも刺激されているんでしょうか。ここに迷いがある。
 私の見たところ、2大政党制の一方がどういう路線をとるべきかで、日本の支配層の中には、いまでも定見がない。描けていない。迷いがあると思います。したがって、私は、それほどに客観的な危機が深いということ、2大政党制が、今しばらくは成立しないか、成立しても維持できるか、それが壊れる可能性は十分あると思います。その可能性を見ておくことができると思うんです。

国民的戦線の形成の重要性
 昨1年の小泉政権の動きを見ると、わが国支配層が戦後政治、対外政策で公然と、しかも、大きな転換をとげたことが分かります。国民の中の一握りに過ぎない多国籍企業グループ、奥田のような支配層が、企業利益というか階級利害のゆえに、国民の大多数をいま1度巻き添えにして、冒険をやろうとしているんですね。
 中曽根の言葉で言えば、英国と同様に、米国にくっついて行って、そして世界の支配の一角にたどりついて、国際的に影響力を確保するんだ、と。何度も申し上げたが、時代錯誤でしょ。アジアでも戦争、少なくとも紛争がいっぱい起こると思いますよ。朝鮮問題、中・台問題、印・パその他ですね。そして米国は世界をもめさせようとしている。トラブルメーカーでしょ。
 この道は、戦前犯した過ちと同じで、亡国の道だと思うんです。だから、これはなんとしても阻止しなければならない。そして、それを阻止するには強力な国民運動以外にありえません。労働者階級をはじめ、広範な社会層、そして、ある一定の危機下では、支配層の中にも重大な亀裂が起こる可能性がある中で、国の独立・自主の道を選択する重大な国民闘争が必要だと思います。
 その闘いは、いまの時点での人びとの状況認識がどうであれ、客観情勢の推移として、避けがたく、あらわれる。したがって、備えなければならない。

国民的戦線の形成と社民勢力の問題など目指す国民運動

 時間がなくなってきましたが、目指すべき国民運動、「行動を伴った強力な国民運動」について、大急ぎで、述べてみます。強力な国民運動と申し上げましたが、それは、選挙の応援団みたいな運動では、どうにもならない、と言う意味です。そんなのがよくありますから。
 どんな旗を掲げるか。何を目指すか。何を要求して闘うのか。1大運動を、しかも壮大な戦線を築いて闘おうと、呼びかけようと言うわけですから。
 そのおおかたの内容ですがーー

 1つは対米従属外交に反対して平和、独立・自主の外交を強力な国民運動として推進する必要があると思います。
 内容的には海外派兵反対。核武装化と軍事大国化に反対する必要があります。もう1つは沖縄をはじめ、わが国全土から米軍基地の即時撤去を要求する一大運動を起こす必要があります。もう1つ、朝鮮敵視政策の即時中止と、朝鮮に対する友好政策と国交正常化で全懸案事項の即時解決を迫る必要があると思うのです。もちろん、日米安保条約は即時破棄しなければなりません。以上が対外政策のあらましだと思うんです。
 2番目に、市場原理主義、あるいはグローバリズムの中での、米国や多国籍企業のための改革に反対し、国民経済を樹立する闘いを強化する必要があります。
 中身ですが、多国籍企業のための行財政、経済改革に反対し、あるいは即時中止させる必要があります。政府はドル買いを即時中止し、米国の収奪から国民資産を守る必要があります。外貨準備は、相当の部分をユーロに、中国や韓国だってやっているわけですから。それから海外投資は円でする必要がある。ドルで投資すれば収奪を受けるということですね。
 それから、内需拡大を中心に国民経済を復興させよと。これは、中小業者の経営と生活に大きく貢献できる問題ですよね。自由貿易協定(FTA)の問題もありますので、農業問題も差し迫っています。失業反対、すべての労働者に職を、大幅に賃金を引き上げよというような運動を展開する必要があると思うんです。
 3番目に社会排外主義と政治反動に反対し、憲法と民主主義を守る闘いですが、これは、支配層がますます危機感を抱いて、社会排外主義をあおっている現状、政治反動を強めている現状から、ますます重要となっています。
 拉致問題を政府と反動派は、政治反動や排外主義、敵視政策などに利用していますから、これに反対する闘いを広く展開する必要があります。敵を恐れず、この問題での政治暴露を徹底的に行う必要があると思うんです。憲法の改悪も日程に上ったので、闘いが差し迫ってきました。
 以上、おおかた3つの方面に分けて要点を述べましたが、具体的には、もっと適切な形にする考慮が必要かと思います。

新たな、闘う議会主義党の形成の意義について

 自民党が戦後初めて、単独支配の座から滑り落ちた93年のような転換の節目で、当時の社会党は対処できずかえって敗北した。細川政権で山花は小選挙区比例代表並立制を手伝い、土井は衆議院議長の座敷牢で名誉を与えられ、村山は総理大臣になって自民党を政権に復帰させた。そしてこんにち、本当の危機が迫っているのに、社民党は、昨年の総選挙で決定的な敗北を喫し、実質的には消滅したも同然となった。
 これはしかし、国民運動にとって、やはり重要な痛手でしょ。わが党にとっても、同様に、痛手です。ですから、わが党は、国民運動を前進させる上で、新たな闘う議会主義の政党の形成が必要であると、主張しています。
 言いにくいのですが、社民党、あるいは社民勢力の諸党は、すでに命脈尽きたかと思います。私はそう言っても、社民諸党の、中央はもちろん、多くの都道府県、影響下の労働組合の人たちが、闘いをしなくなったという意味で、言ってるわけではありません。闘いたがっている人たちは、依然として多く残っております。別な言い方をすれば、62人を立てて、300万票を得たという実績もあります。
 しかし、昨年末の大会を見ますと、闘う方向を見失ったと思います。動揺も広がっています。地方で見ると、次は「無所属で出る」と早々と個人の議員のところで、看板を無所属に置き換えた人がずいぶんいます。
 そういうわけで、今年の参議院選挙で、ある程度の前進がなければ、次の総選挙までもつだろうか、という危ぐさえあります。しかし、そういう土壇場になれば、それはそれでなんとかしなければ、という方も出ておられます。
 したがって私たちは、その人びとに呼びかけ、そして戦後の社民党の政治の総括をしながら、とりわけ村山路線の清算をしながら、新たな出発、新たな政党、を呼びかけたいと思います。その努力には、われわれも協力したいと思います。
 どんな党を目指すか。その新しい政党の性格についてでありますが、まず、議会主義の党でなければならないと思います。もちろん、議会外の闘争も推進する。おおかた戦後の60年安保闘争など議会外の闘争と結びいて、大きな貢献をされた、それをを想定されてもよいと思います。強力な国民運動の一角を担えるような、議会の党だと思います。
 党の性格ですが、階級政党か国民政党か、などの議論を思い出させますが、ややこしいことは抜きにして、「勤労者の党」でよいのではないか、と思います。勤労者の党と言っても、まず労働者が多数ですから、それを中心に他の社会層も含めた勤労者の党というわけです。それには農民、中小業者、あるいは青年や学生、知識人なども含まれてよいかと思います。
 その新しい党の基本的な政策ですが、国民運動、さっき申し上げたような国民運動を推進できるような、そういう政策を、おおかた基本的に体現したような政策、それでよいと思います。さきの総選挙で確認されたように、自民党は地方では引き続き衰退しています。都市部では商工業者が民主党に多くは投票しませんでした。商工業者が今回自民党に投票したのは、藁(わら)をもつかみたい気分、と理解すれば、行き場があれば、受け皿があればと言ってもよいと思いますが、なだれを打つと思います。
 改革政治の自民党と、やはり改革志向の強い民主党では、農民や商工業者の不満は吸収できません。この不満を吸い上げる政策と闘いが、政策の重要なポイントだと思います。外交政策では、売国と追随政策に対する、国民の利益擁護と自主独立の政策です。確固として、この政策を掲げ、闘えば、前進し勝利できると確信します。
 組織するに当たってですが、依然として社民党で中央におられた方の一部と地方の有力な部分と社民党の影響下にある労働運動の部分が中心的な役割を果たすべきであると思います。またできれば、新社会党と、すでに社民党を辞められた方々、地方にはいまだに社会党と名乗っておられる方もいますが、それらの人もできれば合流していただきたいのです。新しい党に、幅広く結集するにしても、社民勢力の皆さんが中心的役割を果たされることは当然で、そうでなければ成立しないでしょう。
 党は自己目的であってはならないと思います。手段だと思います。国民の重大な危機に際して、それぞれの党が全力をあげて自党のためではなく、国民の大多数のために闘う。
 明治維新だって薩長連合がありました。国を変えるためには、対米従属から自主・独立に転換する、国民経済を守り、国の膨大な生産力を国民の暮らしに役立てる、そういう道を歩くためには、政治勢力がすべて団結する必要があるのではないかと思います。

労働党の闘い

 大変長くなりましたが、私たち労働党は、わが国労働者階級の前進のために、また、支配層の亡国路線と国民経済の危機に反対して国民運動を前進させ、国民の勝利のために、全力をあげて闘いたいと思います。
 そのために、労働者階級の皆さんと、いっそう固く連帯して、農家の皆さんとも、商工業者の皆さんとも、いっそうの意思疎通を図ってともに闘い、知識人の皆さんとも交流し、何かと学ばせていただき、感受性に富み、情勢に敏感で、しかも恐れを知らない、歴史の激動期には必ず登場し、決定的役割を演じた青年・学生の諸君にも、ともに闘おうと呼びかけて、また、友党の皆さんと政治的連携を強め、国難に立ち向かっていきたいと思います。
 労働党に必要なのは、労働者階級にしっかり根ざした党として、また国民・大衆の中にあって、大衆とともに進む党として、意志と政治思想面で強靱(きょうじん)、組織はもっと大きくて筋肉質、闘いは老練さが求められる、そういう党として、もっと努力、学習し、世界観、歴史観、方法論を身につける、それが求められると思います。
 こんにちの世界は、敵にとっては難局ですが、われわれにとっては、闘いを通じて壮大な展望が描ける、まさに、その決定的な時期が、目前に迫っているのです。
 したがって、皆さんとともに、全力をあげて闘い、駆け抜け、勝利を勝ちとるよう、努力したいと思います。このことをお誓いし、今日の私の報告を終わりたいと思います。
 どうも、ご清聴ありがとうございました。


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