労働新聞 2002年10月5日号 社説

「米国家安全保障戦略」

軍事力による政権転覆、
先制攻撃を公言する
ブッシュ・ドクトリン

 

 ブッシュ・米大統領は9月20日、新たな「米国家安全保障戦略」を発表した。これは、前回のクリントン政権下での報告以来1年9カ月ぶりのもので、ブッシュ政権による、とりわけ同時テロ事件以降の米国の包括的な安全保障戦略を示した、いわば、ブッシュ・ドクトリンと呼ぶにふさわしいものである。
 今回の報告の許しがたい特徴は、米帝国主義の意に従わないもの、米国の国益に反する勢力、国家を「テロリスト」「ならず者国家」と決めつけた上、「米国は自衛権の行使としての先制攻撃を行う場合、国際社会の支持を得る努力を常に行うが、必要な場合は単独で行動することをためらわない」と、これに対する「先制攻撃」を米1国だけでも行うと、公言していることである。さらに、「(ならず者国家が)大量破壊兵器を使用する能力を持つ前に米国と友好国を守る準備をしなければならない」「大量破壊兵器と闘う戦略には、能動的な不拡散の努力が含まれる」と、事実上、軍事力による他国の「政権転覆」すら辞さないという方針を打ち出している。
 米政府高官は、この戦略の対象国として、イラクと朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が想定される、と述べたが、この時期を選んだ発表が、差し迫るイラク攻撃の正当化と日朝首脳会談以降の北朝鮮をけん制する狙いを持っていることを示すものである。
 今日、予測されるイラク攻撃に対し、アラブ世界での反米感情はいっそう高まり、中国やロシア、同盟国であるドイツやフランスさえ、懸念を強めている。
 米外交戦略に大きな影響力をもつ、元国務長官のキッシンジャーは、イラクの政権交代をめざした先制攻撃を合理化するために、議会や同盟国の反発や懸念を押さえ込む「包括的な政策をはっきり示」し、「それを世界に向けて明確に宣言」すべきだという(9月16日・読売)。まさに、この新戦略発表の狙いがここにある。
 したがって、この米国の狙いと、帝国主義の強盗の論理を、徹底的に暴露し、打ち破っておくことはきわめて重要である。そうしてこそ、米国の世界一極支配の野望と闘う、国際的な戦線の構築と、闘争の発展を真に準備できるからである。

テロ事件後の米の世界支配戦略

 米国を頂点とする資本主義の世界支配体制は、昨年の同時テロを契機に、その限界を一気に露呈させた。
 テロ事件発生以前から、米国主導のグローバル資本主義の進展の下で、世界には未曾有(みぞう)の貧富の格差が存在し、貧しく、抑圧される民族、人民の怒りが沸点に達し、テロや民族間のあつれきは抑えきれないものとなっていた。従来、軍事だけでなく、外交や経済政策を使って、世界のさまざまな矛盾を緩和しながら「秩序」を維持してきた米国の手法は、限界につき当たり、手ひどい反抗に直面したのである。
 米国はすでに、クリントン政権時代から、国連決議なしでユーゴ空爆を強行、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から脱退するなど、「単独行動主義」を強めていた。テロ事件は、この流れをいっそう加速させた。米国にとって唯一残された武器は、飛び抜けて優勢な軍事力であり、これを頼りに「反テロ」を掲げ、新たな世界秩序、米国による世界の一極支配をつくり出し、維持しようというのが、この時期の戦略である。米国は、動揺する独、仏など同盟国に、グローバル資本主義の利益にあずかる以上、この世界秩序を力づくで守る以外にない。この秩序に武装して抵抗する国家は、軍事力で政権転覆するよりあるまいと、屈服と協力を迫ったのである。
 「悪の枢軸」論も今回の米国家安全保障戦略も、この一極支配を狙う米国の論理に基づいて打ち出された。しかも、米国はこの狙いを隠そうともしていない。新戦略では、ソ連崩壊後のこんにち、米国が「先例がなく比類のない力と影響力を世界で有している」と規定、これを好機として「米国の価値と国益を反映させた米国型国際主義」を世界に広げる、と宣言すらしているのである。

恥知らずな強盗の論理

 しかし、どう言おうと、これは強盗の論理である。
 前述のキッシンジャーも、政権交代を軍事介入の目的とする「新しい手法」は「他国の内政への不干渉という原則に対する挑戦」と言わざるを得ず、先制攻撃を正当化する考え方は、「自衛的な軍事力の行使を認める近代国際法と衝突する」と認めている。さらに、先制攻撃をどの国に対しても行使できる「普遍原則として確立することは、米国の国益にそぐわない」とも言わざるを得ないのである。自己矛盾そのもので、自ら強盗の論理を認めたものである。
 「テロの脅威は、国民国家の枠を超えている」と言おうが、イラクや北朝鮮を「ならず者国家」と証拠も示さず決めつけようが、これが近代国際法、あるいは米国がイラク攻撃容認の決議を画策している国連の、国連憲章にすら違反する、理不尽な論理であることは明白である。
 また、強調する「大量破壊兵器の拡散の脅威」なるものも、人を恐れさせて屈服させる、米国のペテンである。これは核保有超大国の、身勝手な論理といわなければならない。核をはじめ大量破壊兵器や化学兵器をどの国よりも大量に保有し、戦争や外交政策のどう喝に使ってきたのは、ほかでもなく米国自身ではなかったか。こうした現実がある以上、核軍事力をもって自国の安全を確保し、また、国際的な発言力を強めようとする国が登場してくるのは避けがたい。1998年にインド、パキスタンが大国の核独占に風穴を開け、米国はじめ核大国を慌てさせた。米国は以降、これ以上の核兵器の拡散を恐れ、核独占を維持することをその世界戦略の重要な柱としてきた。「核拡散の脅威」を叫びたてるのも、そのための戦術である。
 核の脅威の高まりは世界人民にとって危機的なことだが、どのような意味でも、核独占を続け核どう喝を繰り返す米国に、それを非難する資格がないことも明らかだ。核兵器廃絶をめざす闘いは、核を独占し、世界支配の道具として使い続ける帝国主義大国を追い詰め、打ち破る闘いと結びつける以外にはない。

国際関係の原則踏みにじる

 ブッシュ・ドクトリンを真に打ち破るためには、改めて国際関係の原則を確認しなければならない。国際世論も国内のマスコミも、米国の独断行動主義を批判はしても、「テロの脅威」や「大量破壊兵器」「核拡散」などの言葉に惑わされ、事態の本質を見ようとしないからである。
 あるいは、平和ボケというべきだろうか。
 はっきりさせねばならない。
 そもそも、各国人民にその政治体制を選ぶ権利はないのであろうか。「独裁国家」「ならず者国家」などと米国が「裁定」し、あるいはその政権を覆す権利などあるはずがない。
 それぞれの国家には、自国を防衛する権利はないというのであろうか。「大量破壊兵器」であれ「ミサイル」であれ、独立国が自国を防衛するために軍事力を強化し、その安全に万全を期すのは、固有の権利である。しかも、イラクにしても北朝鮮にしても、核兵器を含む膨大な米国の軍事的包囲と強圧(きょうあつ)の下で対峙(たいじ)しているのである。
 「無条件に査察を受け入れるべき」「核不拡散の国際的条約を順守せよ」「問題なのは実効の検証だ」とイラクや、北朝鮮に武装解除を迫って当然とする、国際世論や諸国の立場は矛盾に満ちたものといわなければならない。米国の理不尽な要求に屈服して、武器を捨てることが「平和への道」と評価する国際的な風潮が無批判に広がれば、いずれこの米国の論理で、標的とされる国が次々と出てくることとなるだろう。
 したがって、今日米国に追随している国を含めて、いずれ世界の諸国はこのブッシュ・ドクトリンを認めることができず、闘いは不可避となるであろう。これは避けがたい流れで、米国の野望は、この闘いの前で、遅からず立ち往生することとなるに違いない。
 米新戦略の、強盗的な狙いを暴露し、これに抗する全世界の闘いと連帯し、国内での世論と闘いを飛躍的に強めなければならない。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2002