労働新聞 2002年9月15日号 社説

日中国交回復30周年

対米従属外交の清算、
独立自主こそ
平和友好の基礎

 

 30年前の1972年9月27日、当時の田中角栄と周恩来両総理は共同声明に調印し、戦後27年も続いた敵対的な日中関係にピリオドを打って、国交正常化の一頁を開いた。日中共同声明は、日本政府が過去の歴史を直視して反省を表明し、社会体制の異なる国同士が、覇権を求めず平和的に共存・発展していくという、両国関係の基礎を打ち出した意義あるものであった。
 それからの30年、日中関係は、貿易や合弁など経済関係の結び付きが大きく進展したばかりでなく、文化・学術、青年交流など、さまざまな民間交流の努力が積み重ねられてきた。両国の発展やアジアの平和にとっても、日中友好は欠くべからざる本道となった。両国人民の多くは、30年にわたってそれを支持し、いくつもの逆流や干渉を打ち破って、両国関係が花開き豊かな実りをもたらすため、地道な努力を続けてきたのである。
 にもかかわらず、わが国政府、小泉首相は8月9日、国交回復30周年祝賀のために予定していた中国訪問の延期を突如として発表した。中止の理由は、「靖国参拝に対する反発が強いことと、中国共産党大会が11月に先送りになった」ことであるという。このような国家的な重大日程を、いとも簡単に中止するところに、小泉の反中国の本質を見ることができる。両国の友好発展を願う多くの国民の意思を踏みにじる、許しがたい行いである。
 日中関係、とりわけ国家関係はこんにち、30年来で最悪といわれている。マスコミは、中国の急速な経済発展や、軍備近代化を「脅威」と騒ぎ立て、中国への不信感をあおり立てている。
 日中国交回復30周年の節目に当たって、日中共同声明の精神に立ち返り、あらためて両国関係の基礎となる原則を確認する必要があろう。
 併せて、強まる反中国の策動とその狙いを暴露し、逆流を打ち破って、日中両国の平和、友好関係のいっそうの発展を勝ち取らなければならない。

強まったわが国の反中国策動

 この1年だけを見ても、わが国小泉政権の反中国策動は、目に余るものがある。
 小泉は昨年に続き今年も4月21日、靖国神社参拝を強行した。昨年8月の参拝後、高まるアジア各国の非難に押され、10月の中国訪問時に過去の侵略戦争についての「反省」を表明した小泉だったが、この参拝強行は、「反省」がまったくのペテンであることをあからさまに示した。A級戦犯を合祀(ごうし)する靖国神社へのわが国首相の参拝について、中国が厳しく反対してきたのは、日中共同声明の趣旨からしても当然である。小泉の行動は意識的な反中国、挑発というべきものであった。当然、中国の世論は硬化した。江沢民国家主席は、「絶対に許すことができない」と厳しく批判、予定されていた中谷防衛庁長官の訪中は中止された。江主席は小泉の今秋訪中に対しても「複雑な思い」と述べたが、この事実は、今日の最悪の日中関係を、誰が意図的につくり出したかを雄弁に物語るものである。
 こればかりではない。5月の中国・瀋陽の日本領事館での「亡命事件」なるものを利用した反中国宣伝も執拗(しつよう)に行われた。事件の真相も分からぬうちから、「中国への経済援助を停止せよ」(江藤元建設相)などと、政府・与党から中国敵視発言が相次いだ。さらに、民主党も政府の「弱腰」を批判、中国敵視の声に唱和した。
 昨年の李登輝前台湾「総統」の来日、年末の「不審船」撃沈事件と、最近の中国の排他的経済水域での引き上げ強行、果ては、愛媛県教委による、歴史歪曲の「つくる会」教科書採択など、政府、マスコミ、さらに民主党など野党も共同した反中国策動は枚挙に暇(いとま)がない。

米アジア戦略に追随した意図的画策

 一連の反中国策動は、急速な中国の富強化、大国化を逆手に取り、「中国脅威論」をあおる形で進められている。しかし、この「脅威論」の背景には、米国の中国敵視のアジア戦略と、それに追随するわが国支配層の対中国政策があることを、見ておかなければならない。
 ことの起こりは、米国の冷戦後のアジア戦略の確定からであった。
 95年、米国は「東アジア戦略構想」を策定した。これは、経済発展の著しいアジアにおける米国の経済的、政治的権益を維持するため、10万の米軍駐留を維持するとともに、強大化する中国の影響力拡大をけん制し、「積極的関与」という政策で中国を戦略的に包囲しつつ、しだいに「普通の国」、米国にとって扱いやすい国に誘導することを目標とする戦略構想であった。そして、翌96年に合意された日米安保共同宣言(安保再定義)は、この東アジア戦略構想を下敷きとした日米の戦略同盟構築を意味した。わが国支配層は、政治、経済、軍事の広範な分野で米国の戦略に追随し、その片棒を担いで、アジア、特に富強化する中国に戦略的に対峙(たいじ)する道を選択したのであった。
 軍事面ではガイドライン見直し、周辺事態法の整備等が、中国はじめアジア諸国の懸念を無視して強行された。外交面でも、96年にはすでに尖閣諸島問題が発生。米国の介入による台湾海峡危機以降、わが国の台湾問題での対中国内政干渉が強められた。さらに橋本政権以来展開された「新ユーラシア外交」は、ロシア、中央アジア地域とわが国の外交関係発展を対中国包囲の戦略的布石としようとしたもので、独自外交どころか米国の対中国関与政策を補完する代物であった。
 こうした選択と策動の中で、日中関係は急速に悪化していった。これこそ事実の経過である。

対米追随外交からの脱却を

 今日、米政権はクリントンからブッシュへと変化した。中国の世界貿易機関(WTO)加盟とその後の経済発展、米国と日本にとっての最大の貿易赤字相手国への成長という中で、米の東アジア戦略、対中国関与政策は、激化と緩和を繰り返しながら、あるいは、いくらかの調整を経ながらだが、基本的に貫徹されてきた。最近発表された米国防報告は、アジア情勢を「かなりの資源を持つ軍事的な競争国が台頭してくる可能性がある」地域と見なし「将来、地域大国が通常兵器を使用して米国や同盟国、友好国に挑んでくる可能性は排除できない」と、台湾海峡で事を構えることを前提に、中国を明確な仮想敵と位置付けている。
 現実の外交でも、対テロで中国に同調を迫りながら、ロシア、中央アジアへの画策を強め、中国の進める「上海協力機構」を骨抜きにする策動も強められた。
 また、これに追随するわが国小泉政権も、今年に入っての東南アジア、オセアニア歴訪で、「東アジア拡大コミュニティ構想」を提唱。オセアニア、そして米国の東アジア地域への関与を強めさせ、この地域での中国の影響力拡大をけん制しようと策動した。アジア諸国の反発を買ったこの提唱は、アジア重視どころか、露骨に米国の利益を代弁する、対米追随の売国外交そのものであった。
 このように、対米追随の対アジア、中国政策こそが、一連の反中国策動と、最悪の日中関係の一貫した背景である。これはわが国支配層によって意図してつくり出されたものである。しかしこれが、わが国のアジアでの孤立を進め、わが国の真の国益を危うくするものであることは明らかである。わが国がアジアの一員として信頼され、共生して生きていく以外に、激動の国際関係の中で生き残る道はありえない。いつまでも米国のアジア支配の番頭として、アジア各国の不信と対立を引きずっていくならば、わが国の存在感も、平和な未来もありえない。いわんや、米経済の危機が深まり、ドル体制の崩壊さえ予測されるこんにち、対米従属からの脱却とアジアとの共生は、まさに支配層、財界の1部も含め、わが国の切迫した課題となった。対中国政策の正しい発展は、その中心的課題である。
 今こそ、日中共同声明の精神を継承し、売国的支配層の反中国の逆流を打ち破って、アジア、中国との平和、友好関係の新たな発展のため闘いを強めなければならない。労働者階級は独立、自主の国の進路を求め、広範な国民的運動と世論を組織し、その先頭で奮闘しよう。


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