20020515(社説)

沖縄復帰30周年

沖縄の闘いは、新たな国の進路を提起している


 沖縄県議会は5月9日、臨時会を開き「多発する米軍事件・事故に対する抗議決議」を挙げた。米軍への抗議が続く中で5月15日、沖縄は本土復帰30年を迎えた。この事態は、沖縄の現状を象徴的している。沖縄は、まさに戦後日本の進路の縮図である。
 30年たった現在も、沖縄での基地の重圧、屈辱的状態はほとんど変わらない。ちょうどわが国の独立と主権が、戦後60年近くたっても米国に侵されているように。米軍基地や県民経済問題など、こんにちの沖縄の苦難を打開するには、最終的には安保条約を破棄し、米軍基地を撤去する道以外にない。
 沖縄とそれに連帯する闘いは、わが国の独立・自主と平和の進路を切り開くものでもある。
 戦後の圧制を打開し、祖国復帰を実現したのは県民のたくましい闘いであった。伝統ある大衆的闘いに頼って、米国と従属的な小泉政権が基地を押し付け、沖縄を犠牲にする政策を打破しなければならない。そうしてこそ、平和、安全で、豊かな島の展望は開かれる。
 全国もまたこれに連帯し、独立・自主の国の進路を切り開く広範な国民的戦線づくりが求められている。

日米政府が基地の重圧を押し付け
 小泉政権は復帰30周年を祝い記念式典を現地で開くというが、これは極めてぎまん的である。歴代自民党政府がとった米国追従の日米安保体制により、基地の重圧、屈辱的状態は30年たった現在もほとんど変わらないからだ。
 沖縄の人びとは50年前、「4.28」を「屈辱の日」としてとらえた。1952年4月28日に、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約が発効。当時の県民の熱望も空しく、沖縄は本土から切り離され、引き続き米軍の統治下に置かれたためである。屈辱的状態は各方面にわたって、今も続いている。
 沖縄には全国133の米軍基地のうち最も多い38が集中し、面積では全国の約75%を占めている。嘉手納町にいたっては、町の面積の82%が基地である。在日米軍は、全国約5万5000人のうち、海兵隊を中核として沖縄に約2万5000人も集中。まさに、基地の島である。ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争など、米国がアジア、中東などで侵略戦争を起こすたびに、出撃拠点となった。
 基地があるがゆえに95年の少女暴行事件のように、米兵・米軍属による県民への各種凶悪犯罪は後を絶たず、また米軍機などによる墜落・落下などの事故も絶えることがなかった。この1カ月足らずで6件の米軍事故が発生、先の県議会抗議決議となった。この30年間、県民にとって、安寧な日は1日たりともあり得なかった。
 広大な基地の存在は、経済の自立的発展を損ない、県民経済と生活に長期にわたる深刻な影響をもたらし続けてきた。最近も、昨年の米国テロ事件によって沖縄への観光客が急減、350億円もの観光収入が失われたとされている。「基地と観光(経済)が両立しない」という事実が再び明らかとなった。
 地方自治という面からも、街中に居座る基地によって町づくりが困難となり、生活・文化都市の形成も阻害された。
 その結果、沖縄の県民所得は全国最下位で、失業率は全国一のままである。基地が県民経済、生活にいかに苦難を強いているか明白である。
 累積する県民の怒りが95年、少女暴行事件をきっかけに爆発したのは当然である。基地縮小、日米地位協定改定という当面の要求は、133万県民の総意であった。今では、最も凶暴な海兵隊の削減要求すら一致した県民世論となっている。
 この切なる県民要求実現のためには、沖縄の戦後史で経験したように島ぐるみの断固たる闘い、そして全国の連帯した闘いをもって、米国と小泉政権に迫る以外にない。

米軍基地は米戦略のための拠点
 県民要求に対して、自民党政府は県内移設とカネ(地域振興策)で県民世論を分断、それを踏みにじってきた。あくまで米戦略に追従し、日米安保体制堅持の方針だからである。
 しかも重大なことは、米国は安保体制をますます重視し、わが国への圧力を強めていることである。冷戦後では、最初に「東アジア戦略」(95年)によって、安保体制の範囲を中東を含むアジア・太平洋地域まで公然と拡大、そこでの米戦略にわが国をいっそう貢献させようとした。東アジアでは、冷戦時代のソ連に代わって台頭する中国の抑圧を主に狙ったものである。
 次いで、2001年のブッシュ米国政権の発足に合わせて、わが国を米戦略にさらに動員するため、具体的な要求を突きつけてきた。「アーミテージ報告」(2000年10月)といわれるものである。そこでは、世界で帝国主義として振る舞う点で「悪の同盟」を形成している米英関係をモデルとし、日米同盟をそこまで引き上げたい意向を示した。そのため、露骨な内政干渉であるが、わが国で論争になっている集団自衛権の行使さえも求めたのである。
 米国の狙いは明白である。米国の力が相対化する中で、米国が世界中に展開しているグローバル資本主義の権益、自国に都合の良い世界システムを守るためである。そういう米帝国主義の指導権を保障する世界戦略である。
 その戦略にとって、アジアでは日本の貢献が不可欠というわけだ。「アーミテージ報告」は「日本は、米国がアジアに関与する際のかなめ石(キーストーン)」「日米同盟は米国の安全保障世界戦略の中軸」と露骨に述べている。だから、在日米軍基地は手放したくないというのが本心である。したがって、日本にある基地問題一つとっても、最終的には安保体制の打破、日米安保条約破棄の闘いなしには片付かない。
 米国が世界で進める横暴なグローバリズムは、昨年、さっそく同時テロの反撃を受けた。ブッシュ米大統領はテロ事件後、世界をどう喝し、アフガニスタンを転覆させ、最後の頼みの綱である腕づく(軍事力)で世界の支配体制を維持しようとやっきとなっている。もはや、彼らのアメ(経済援助)や国際政治の術策も通じず、それらを使う余裕すらない。追い詰められた米帝国主義の危機感の表れであり、結局のところ彼らの支配の体制は崩壊に向かって進んでいる。ブッシュのどう喝の反面として、この対局を見ておく必要がある。
 アジア経済危機やパレスチナ問題などを見ても、世界では反米あるいは反グローバリズムの機運は次第に高揚している。米国の世界への指揮棒はもはや衰退している。断固闘い、打ち破るべきである。

大衆的闘いこそ事態を打開する
 沖縄の基地の重圧、苦難は、95年以後でも村山政権以来の自民党主導政権によってもたらされてきた。彼らは、沖縄またわが国全体を米国に売り渡してきた売国奴である。
 歴代政権は安保体制のもとで、沖縄統治の手法として基地と引き換えに地域振興費をばらまいてきた。すでにこの仕組みは、県民経済の「自立的発展」にとって限界が明白となった。平和、安全で、豊かな島をつくるには、やはり最大の阻害物である基地の撤去しかない。
 沖縄とそれに連帯する闘いは、独り沖縄の困難打開のためだけでなく、日米安保体制を打破し、わが国の独立・自主と平和の進路を切り開くものでもある。そうした重大な民族的、国民的意義をいま一度確認する必要がある。
 事態を本当に打開できるのは、結束した沖縄県民のエネルギーだ。米軍政下でも体を張って要求をかちとり、祖国復帰を実現したのも、基本的な力は県民の闘いであり、また全国の連帯した闘いだった。95年の10万人決起大会など県民の「一撃」は、日米安保体制を激しく揺さぶった。
 闘いに紆余(うよ)曲折は付き物だが、沖縄の苦難の元凶である基地の重圧がある限り、県民の闘いは不可避である。そうして、本土もこれに連帯し、独立・自主の国の進路を切り開く広範な国民的戦線づくりが求められている。

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