20011215(社説)

不安定さ示した21世紀の幕開け

グローバリズムの限界露呈、転換すべき国の進路


 今年も、残すところわずかとなった。振り返れば、衝撃的な米国テロ事件に象徴されるように、この1年は、21世紀初頭の世界が、危機的で不安定な時代と世界の人びとに予感させるものとなった。
 今や日米独など世界同時不況に突入したが、米国テロ事件は世界の資本主義経済の危機を一気に深刻化させた。
 米ソ冷戦体制が崩壊し、1990年代の世界は、米国中心のグローバリズムの時代といわれてきた。だが今年のいくつかの重要な出来事は、今やこのグローバリズムの限界が露呈し、大きな転換点にさしかかっていることを示した。  わが国は、経済、外交、軍事面で米国とドルに依存する日米基軸の体制から脱却し、アジアとの平和、共生、共栄の道を真剣に求めるときである。

テロ事件の意味したもの 米国流グローバリズムの限界露呈

 米国テロ事件の一撃は、米国の国際的な政治的威信を一挙に地にたたき落とした。
 ブッシュ米大統領は、国際協調を演出し、なりふり構わずアフガニスタンへの報復攻撃を強行した。今では、かいらい政権樹立をめざしているものの、アフガン民族の抵抗はやむことがなく、安寧は訪れないであろう。さらに、反米の気運はパレスチナにも飛び火し、パレスチナとイスラエルとの衝突は激化している。中東でも、米国は多くを敵に回さざるを得ない。
 資本主義経済は、すでに7月のジェノバ・サミットでも「打つ手なし」という状況で、ますます世界同時不況に向かっていたが、米国テロ事件はそれを決定的にした。今や、日本、米国、ドイツともマイナス成長となり、事実上同時不況に陥った。
 テロでは世界を根本から変えられないが、金融資本を頂点とするグローバル資本主義経済のもろさ、限界を明るみに出した。
 米国は、冷戦崩壊後の90年代を通じて、世界の国境を超えて「市場万能主義」によるグローバリズムを推し進めた。ドル高、情報技術(IT)バブルで世界中の資金をかき集めた。地球上をITネットワークで結び、資金を還流させて、24時間かけめぐるバクチと詐欺でもうけた。投資した資本でいかに最大の利益を上げるかだけが追求され、徹底したリストラ、コストダウンによる収奪のシステムがグローバル経済の基準となった。
 ヘッジファンドなどが操る短期資金が、世界中で血に飢えたオオカミのように、わずかな利ザヤさえも狙って駆け回った。97年からのアジア経済危機のように、インドネシアや韓国など一国の経済を見る間に崩壊させた。インドネシアでは政治不安にまで発展し、スハルト体制が倒されたことは記憶に新しい。マレーシアだけが、IMF支配を拒否し、独自の為替管理策などで危機を切り抜けた。
 一握りの先進国と世界の大多数の国々との経済格差は絶望的なまでに広がった。例えば、豊かさで最上位の世界人口2割の人びとと、最下位の2割の人びととの所得格差は、90年には60倍だったのが、97年には74倍にまで拡大した(99年、国連開発計画の報告書)。これがグローバル経済の結果である。バクチで世界中から集めたカネで、ぜいたくざんまいをする米国が世界中の憎悪の対象になっても不思議ではない。
 だが、「ドル還流システム」という虚構は、いつかは破たんするし、昨年秋からその兆候がはっきりしてきた。テロ事件はそれに拍車をかけたのである。
 強硬な米国だが、世界の国々がマレーシアのように米国やIMFの言いなりにならず、自国の生きる道を探ったらどうなるか、米国はたちどころにやって行けなくなる。世界の労働者階級が、各国でグローバル化に反対して大規模に立ち上がればどうなるか。すでに、シアトルの世界貿易機関(WTO)会議でのデモ(99年)、死者まで出したジェノバ・サミットでの10万人デモ(本年)など、反抗は始まっている。

問われるわが国の進路

 米国流のグローバリズムの限界が露呈した中で、わが国はどう生きるのかが、真剣に問われることとなった。
 今年、日本発の世界恐慌の恐れさえある中で、支配層は国内政治の混乱を恐れて、国民の支持を完全に失った森前政権から、小泉政権へ看板を掛け替えた。
 わが国の大銀行や多国籍大企業を中心とした支配層は、米国が進めてきたグローバリズムの流れの中で生き残りをかけている。民間での徹底したリストラだけでなく、行財政改革など国民生活にかかわる社会的コストの徹底した削減を進めてきた。「官から民へ」である。だが、支配層はいっそう厳しい条件のもとで「構造改革」に手をつけざるを得なくなった。
 小泉首相は、大銀行・大企業の手先として小泉改革を打ち出した。だが、景気の面、犠牲を押しつけられる国民的な抵抗の高まりからも、また与党内の利害の対立からも、「骨太方針」は骨抜きにされつつある。それに米国テロ事件が加わった。
 高速道路建設や地方への交付金、特殊法人問題、医療改革などをめぐって、自治体首長、中小商工団体、医療界など各方面から反対の声が猛然と上がり、決起集会が相次いで開かれた。橋本派を中心とする自民党内の抵抗勢力も、公然と異を唱えている。小泉改革の前途は容易ではなく、これを阻止する条件は、大きく広がっている。
 外交面でも、小泉政権は米国一辺倒で、アフガン攻撃で特別法をつくってまで米軍支援に尽くした。他方、アジア外交では教科書問題や靖国参拝問題など、今ではいくらか修復の体裁をとったものの、中国、韓国と対立を深めた。今回の自衛隊派兵で、日本はアジア諸国にさらなる警戒感を抱かせることとなった。小泉政権が進める外交では、自主的な日本の進路など望むべくもない。

ドル・米国追従でなく、 国民生活保障する経済へ転換を

 資本主義の危機の深まりや米国経済自身の行き詰まりは、今年いっそうはっきりした。わが国経済もまたマイナス成長が連続し、深刻な危機にある。
 米国テロ事件を契機に、その限界も見え始めたグローバリズムに対する批判の潮流も一気に強まっている。「こんにち、米国が発信するグローバルな市場化という潮流を21世紀の普遍的潮流と認識し、米国の語る『民主主義と自由』を唯一の『正義』と信じて日本が進んでいくことが正しいのであろうか。世界史の深層底流は既に新しいテーマを見せ始めているのではないか」(寺島実郎・三井物産戦略研究所所長)などといった論調が多く出されている。それは、単なる経済的な批判だけでなく、国の生き方まで問う意見である。
 わが国は91年以降、世界最大の債権国家として、米国の最大のスポンサーとなってきた。日本の労働者が汗水たらして稼いだカネは、多くを米国に投資させられドル・米国を支えてきた。わが国の支配層は日米基軸から脱却できず、麻薬のようにドル依存にはまり込んだ。
 それだけではない。最近の不良債権処理では、国民の血税を投入した新生銀行(旧日本長銀)、日本コロンビア、宮崎のシーガイアなどの買収劇にみられるように、米国の投資会社に二束三文で買い叩かれる事態になっている。米国の投資会社、巨大銀行は、次々と日本企業の買収をたくらんでいる。小泉政権はこれに呼応し、グローバル化を推し進めようとしている。これを「売国奴」といわずに何というべきか。
 年が明ければ、欧州連合(EU)では、域内の共通通貨「ユーロ」が実際に流通し始める。ドル体制にどっぷりと組み込まれたわが国に比べれば、いくばくかの自主性が確保できる。
 経済も外交も軍事も米国とドルに依存する日米基軸の体制から脱却し、アジアとの共生・共栄の道を真剣に求める時期に来ている。2002年は、大銀行・大企業ばかり優遇せずに、失業のない公正・平等で、豊かな生活をおくれる国民経済に転換すべきときである。