20010605

共産党 参院選政策で「左ポーズ」装うが…

本音は「大企業は敵でない」


 日本共産党は五月二十九日、参議院選挙に向けて第二回中央委員会総会を開いた。九七年の第二十一回党大会以降、支配層から「安心される」政党への脱皮を進める共産党は、昨年の総選挙での大敗にこりて、「自共対決」などと「左」を装っている。しかし、「ルールある資本主義」をめざすその本質は、何ら変わっていない。実際、財界との懇談に有頂天になり、大企業の利益にいっさい手をつけない妥協的な政策しか主張できないのである。「野党共闘」と独自性発揮の間を揺れ動く共産党は、これまで以上に労働者を裏切り続けることになるであろう。

参院選対策に「左ポーズ」打ち出す

 二中総の議題は、小泉政権への評価と、参院選対策であった。
 参院選を控えた共産党・志位委員長は、小泉内閣への支持率が八〇%を超え、共産党支持者の七五%が小泉を支持しているという調査にあわてふためいている。
 志位は、二中総冒頭発言で、「高支持」は「新しい政治を求める前向き」なものだと言い、「小泉人気」から支持をかすめ取ろうと、「共産党こそが本当の改革の党」などと言う。
 そして、小泉の主張する「改革」政治を「大企業応援」などと一定批判、集団的自衛権行使などでも反対の態度をとっている。こうして、選挙目当てに「独自性」を強調するのに必死となっている。
 これは、昨年六月の総選挙での大敗がいくらか影響しているのであろう。
 総選挙を前後して、共産党は「安保破棄の凍結」「有事の際の自衛隊の活用」を打ち出した。長年主張してきた消費税問題でも、「政府と自治体の財政難」を口実に、「三%への引き下げ」をこっそりと取り下げ、選挙政策としていっさい口にしなかった経過がある。
 だが、こうした「現実路線」は共産党の独自性を失わせ、野党で唯一、議席を減らす結果となった。しかも、総括をめぐっては直後の中央委員会総会で結論を提起できず、「史上空前の謀略選挙」に敗因を求めるというペテンを行ったのであった。
 昨年十一月の第二十二回大会以降、各種自治体選挙においても、ほとんど前進がない。
 彼らが「左ポーズ」でいくらかの「独自性」を打ち出したとしても、それは参院選目当てのものでしかない。

財界との懇談に大喜び
「ヨーロッパ並みの資本主義」めざす


 政党は、口先よりもその政治的実践に、階級性がはっきりと示される。
 共産党は五月九日、経済同友会幹部と会談し、小林代表幹事に「話を聞かせてほしい」といわれて有頂天になっている。それどころか、志位は公共事業削減などを提言した同友会や関西経済同友会に「立場の違いを超えて認識が共有できる」などとエールを送り、大企業は「敵ではない」「役割を重視する」とすり寄る始末である。
 これに代表されるように、参院選政策は一定の独自性を主張しつつも、結局のところ、二十一回大会以来の支配層への屈服を継承する内容となっている。つまり、「ルールある資本主義」「ヨーロッパ並み」をめざすというものである。
 政策では、自民党との「対決点は鮮明」だとしている。
 かれらが主張する「経済改革」とは、要するに消費税の三%への引き下げ、社会保障充実、サービス残業をなくすの三つである。
 なぜ消費税の「廃止」ではなく「引き下げ」なのかは論を待たない。また、昨年の総選挙政策で「引き下げ」を取り下げたことへの総括がない限り、こうした主張もご都合主義でしかない。
 結局、共産党の主張は「ルールなき資本主義を改めてヨーロッパ並みにする」ということにつきるのである。彼らが「理想」とするヨーロッパでも、労働者が決して解放されていないことは、いまさらいうまでもない。
 安保・外交面ではどうか。
 この参院選挙政策では、安保破棄を「二十一世紀の早い時期に」とした。また、「廃棄前にも」と言って「米軍基地の異常をただす」などの要求を掲げるのは、「政権協議への積極参加」を打ち出した、昨年一月の五中総決議を引き継いでいる。
 なぜ安保条約の「即時破棄」を掲げられないのか。沖縄など、米軍の横暴に苦しむ国民は、あと何年、これに耐えなければならないというのか。
 「二十一世紀の早い時期に破棄」といいながら、連合政権参加の際には「安保破棄の凍結」をするという。これこそ、支配層と党内・支持者の両方に受け入れられることを狙う「二刀流」であろう。
 支配層から「安心される政党」をめざす共産党からすれば、支配層の内外政治の根本に手をつけることなど、決して許されないことである。結局、彼らは支配層に追随し、労働者の利益を裏切り続けるであろう。

「野党共闘」を追求し、動揺

 共産党は「自共対決」が「政治対決の軸」などといい、選挙目当てに「独自性」の発揮に必死である。
 だが、何が何でも政権入りしたい共産党は、民主党が「与党か野党かわからない」醜態を演じているにもかかわらず、「国会共闘」を「誠実に追求する」などと、あくまでも国会内の「野党共闘」を捨てることはできない。
 この点、不破議長は正直にも、七〇年代の社共共闘の方が、現在の「野党共闘」よりも「(政策面で)かなり大きな共通点があった」(全国革新懇での講演)と認めざるを得ない。「野党共闘」は絵に描いたモチにすぎず、実現するとすれば、共産党がよりいっそう民主党や自由党の政策に近づいた結果であろう。
 当面の政局が流動的でもあり、参院選対策では「独自性」を強調するが、政権入りのためには支配層に追随する。共産党は、ジレンマをかかえてこうした動揺を重ねながら、転落の道をころげ落ちていくであろう。

ページの先頭へ