20010305・社説

揺さぶられる日米同盟

集団的自衛権行使論は、時代に逆行するもの


 日米同盟が揺さぶられている。
 えひめ丸事件以来、ブッシュ大統領の謝罪や特使の派遣など、この事件についての米国の低姿勢ぶりはかつて見たこともないほどである。
 それも当然であろう、これほどわが国の国民が怒っているからである。国民の怒りにはそれなりの素地がすでにあった。これまでの在日米軍の横暴ぶりは、国民の我慢の限度を超えていた。昨年夏以来、沖縄で頻発した米兵の凶悪犯罪、青森から岩国にかけての夜間離着陸訓練(NLP)の強行などである。そこへ、今回のえひめ丸事件である。事件の真相が次第に明らかになるにつれて、米軍・米国への不信感は一挙に高まった。
 日米支配層は、事件への対応を、日米同盟の揺らぎを必死に食い止めようとする立場から、行っているにすぎない。米国の低姿勢ぶりもそうだし、森首相の首のすげ替えもその一環でもある。要するに、一九九五年の沖縄の少女暴行事件以来、日米安保体制はまた大きな一撃を受けているのである。
 ところが、あろうことかこの時期に岡崎元駐タイ大使などが、米国の求めに応じてわが国の集団的自衛権行使への決断を迫る論調を振りまいている。とんでもない売国奴(ど)である。わが国の進路にとっても、きわめて危険で悪質である。
 こういう論調は、国民的闘いで粉砕しなければならない。実際に、沖縄や神奈川で議会決議が相ついでいるように、米軍・米国に対する怒りと不安、運動は進みつつある。日米基軸の体制をさらに揺さぶってうち破り、独立・自主、アジアとともに生きる国の進路を切り開かなければならない。

国民の憤激で、日米同盟が揺らぐ
 えひめ丸事件の真相や責任が、まだ正式に明らかにならないうちに、あきれかえったことに早々と「米特使の謝罪を評価する」(日経)というものがいる。「不幸な事故によって日米同盟関係にがヒビ入ることがないよう」という立場から米国をもち上げている。
 だが、すでに日米同盟関係にはヒビが入っているのだ。
 沖縄では、昨年夏の中学生へのわいせつ事件から今年の一、二月の高校生へのわいせつ事件、連続放火事件など、米兵の凶悪犯罪が続発した。放火事件では、犯人の身柄引き渡しという六年前からの懸案の問題さえ、また繰り返された。
 昨年、青森から岩国に至る米軍基地では、地元市長らの強い反対にもかかわらずNLPが連続的に強行された。えひめ丸事件は、こうした全国での米軍・米国への不信感に輪をかけた。
 えひめ丸の事実上の母港といわれる神奈川県三浦市、米原潜基地である横須賀市、そして神奈川県議会は、さっそく米国に安全性などを要求する決議をあげた。
 米軍のNLPに怒っていた関係五市長は、この一月、訓練に反対する初めての共同声明を出した。加えてえひめ丸事件もあって、二月下旬から神奈川県厚木基地で予定されていた米軍の訓練は、ついに中止に追い込まれた。
 沖縄では、すでに十九市町村・県が「海兵隊削減」「日米地位協定改正」などを決議した。とりわけ、犯罪が起きた北谷町、石川市は「海兵隊撤退」を、沖縄としては初めて決議した。稲嶺県知事も、海兵隊削減、地位協定改正を河野外相に要求するほどだった。
 かように、全国はえひめ丸事件を前後して、各地で米軍に対する怒りが沸々とたぎっていたのである。日米安保体制は、こうして客観的には国民の深刻な不信をかっているのである。
 これは良いことであり、目前の米軍の犯罪・事故を根絶することになるばかりか、長期的にはわが国の平和で安全な進路にとって利益になることである。したがって、日米安保条約は目前の意味からも、長期的な観点からも断固破棄されなければならない。

自立できず、国を売る岡崎久彦らの論調
 ところが、こういう中でわざわざ日米同盟を絶賛し、集団的自衛権行使を主張する連中がいる。これこそ、国と国民を売るものというべきである。
 岡崎久彦・元駐タイ大使は最近、「もう集団的自衛権行使の腹を固めねばならない時が来ている」(読売)と盛んに吹聴している。これは、経済同友会が一昨年から集団的自衛権行使を公然と要求しているように、財界の意を体しての意見である。
 他方、岡崎がこれほどまでに騒ぐようになったきっかけは、本人も言っているようにアーミテージ現国務副長官らによる昨年の特別報告である。この報告は、日米同盟を日英同盟並みに格上げしようという狙いで、集団的自衛権行使など米戦略に沿ったわが国の一段と大きな軍事的役割を求めたものである。
 岡崎は、実際の日米軍事協力において日本が拒否すれば、「日米同盟が失われる」と恐怖する。そのため、集団的自衛権行使認める決断が必要だという。どうやら、彼の頭には近隣の朝鮮民主主義人民共和国やアジアで強大化する中国に対抗するには日米同盟しかありえない、ということがあるようだ。それはともかくとして、これほどまでの日米同盟至上論は、独立・自主の外交、アジアと共生する道など到底想像もつかない、骨の髄まで米国追従の外交観の持ち主だからにほかならない。
 アジアで実際に、侵略と干渉、戦争の元凶となってきたのは、ほかならぬ米軍である。戦後の大規模な戦争――朝鮮戦争、ベトナム戦争を見れば歴然としている。今も日本をはじめ十万が居座っている。何も太平洋を渡って米国がアジアに口出しすることはない。アジアのことはアジアで解決すればよい。だから、米国は「世界の警察官」だの、覇権主義だのといわれるのである。
 岡崎は、引き続きこれに付き従い、わが国が日英同盟並みに軍事的役割を拡大するキーワードが集団的自衛権行使だというわけである。まさに、米国の小間使い以外のなにものでもない。こうして米国に従い、わが国を北朝鮮や中国、そしてアジアとわざわざ敵対させる危険な方向を断じて認めるわけにはいかない。
 ついでに言えば、前述のような米軍の悪行の数々によって、この局面は米国世論、議会ではなく、日本「国民一般が『ふざけるな』と憤激して日米同盟の基礎が揺らぐようなこと」になっている。すでに、日米同盟に激震が走っていることを知るべきである。日本のせいではない、米軍・米国が自ら生み出したものである。
 しかも彼の目は、もっぱら米国議会、米国支配層の方に向いていて、日本国民には向いていないようだ。えひめ丸事件などの後にもかかわらず、それにはひとことも触れず、またわが国世論、国民のことにはいっさい触れない。どちらの立場か、お里が知れるというものである。わが国が危うくなるこうした連中の方向は、国民世論でうち砕く以外にない。
 一連の米軍犯罪や事件によって、日米安保体制の本質の一端が明らかになった。再三述べるように、米軍を撤退させなければ犯罪や事件はまた繰り返されるに違いない。九五年の沖縄の悲劇があったにもかかわらず、沖縄での似た犯罪、事件は跡を絶たなかった事実がある。
 まして、米国にきちんと要求できないわが国政府にも、重大な責任がある。例えば、凶悪犯の米兵の身柄を引き渡せない問題である。六年前となんら事態が変わらぬ日米地位協定について、稲嶺沖縄県知事の改正要請に対し、河野外相は相変わらず「運用改善で」という姿勢である。こういう日米同盟最優先の政府も許すわけにはいかない。
 沖縄では、ある議会ではついに「海兵隊削減」でなく、「撤退」要求にまでエスカレートした。我慢も限界で、当然の要求であろう。広範な人びとの世論と闘いによって、当面の要求と、日米安保破棄、米軍基地撤去を実現させなければならない。いまは大きく前進できるときである。