20010101

新春のあいさつ

日本労働党中央委員会議長 大隈 鉄二


 新春、二十一世紀初頭にあたり、日本労働党を代表し若干の存念を述べ、新年のあいさつとさせていただきます。
 二十世紀の初頭、ロシアの労働者階級はレーニンを指導者とするロシア社会民主党(ボルシェビキ派)の指導下で、帝国主義列強があい争う第一次大戦のさなか「平和と土地とパン」の旗を掲げて闘い、労農兵評議会(ソビエト)の中心勢力・指導階級として、戦争を内乱に転化し、自国の支配者を打倒し、偉大な勝利を闘いとった。
 資本主義が発生し西欧諸国ではじめに勝利し産業革命を経て、相互間での経済的な軍事的な幾度もの闘争をくりかえし、いくつかの資本主義強国が現れ、帝国主義的政策をほしいままに世界を分割し尽くすのに三百〜四百年を要し、十九世紀末から二十世紀初頭を境にして、世界はいわゆる「資本主義強国間での世界再分割の時代」となった。
 ロシアの革命党と労働者階級は、帝国主義時代に入っての最初の世界大戦で、それ以前十九世紀後半のフランス労働者階級の闘い(パリ・コンミューンなど)の経験を忘れなかったし、自国での一九〇五年の闘いの経験を丹念に総括し、帝国主義時代の特徴ある条件に適合させて勝利したのである。
 それ以後、世界の資本主義国での労働者階級の組織化と闘争は飛躍的に前進し、帝国主義支配に反対する植民地・半植民地での民族闘争は爆発的に前進することになった。帝国主義諸国の強盗どもが二回目の世界大戦を引き起こしたとき、一九一七年十月に生まれた労働者階級の革命ロシアは、ソビエト連邦となって自国の工業を打ち立て、国際関係でも侮れない地位を獲得していた。民族闘争の発展もまた国際情勢に重要な影響をもたらすようになっていた。
 第二次世界大戦は、日独伊など新興あるいは後発の帝国主義国が始めたものだが、米英仏なども帝国主義・強盗であることに変わりはなかった。帝国主義諸国間の利害の衝突で引き起こされたもので、この戦争ではどちらもどんな意味でも正義を口にすることはできない。
 ソビエト連邦は自国防衛戦争を余儀なくされ、ついで、日独伊に反対し英米仏などと戦線を統一してこの大戦での勝利者となった。またこの戦争のさなかと戦後に、多くの地域で民族闘争が前進し、独立国家が生まれた。
 勝利した側の帝国主義の頭目米国は、大戦が終わってまもない一九四七年、社会主義ソビエト連邦を恐れ、これに反対する闘いを始めた。冷戦の始まりである。だが社会主義は、二次大戦の結果とその後の発展のなかで、一九六〇年代の半ばころには、東欧諸国、中国・朝鮮・ベトナムなどアジア諸国、それにキューバなど、領土、人口、工業生産面で世界の三分の一という広がりを見せ、世界的な体制となった。
 新興の独立国家もさらに政治的、経済的な前進を遂げ、国際的に発言力を強めた。先進諸国における労働運動も、戦後しばらくの間は嵐のように前進し、それはまた、社会のあらゆる面に深く作用し進歩を促した。社会主義諸国の存在、新興独立国の要求、各国での労働者階級と人民諸階層の前進の前に、資本主義・帝国主義諸国の支配層は、内外で譲歩あるいは対応を余儀なくされたからである。
 一九九〇年前後にソビエト連邦をはじめ社会主義諸国の多くはつぎつぎと崩壊し、社会主義・国際共産主義運動は大きく後退し、歴史的に敗北した。だが、過ぎた二十世紀が、初頭から資本主義諸強国の争いと戦争は切り離し難く結びついており、前半の五十年間に二度までも全世界を巻き込んでの大戦争を引き起こしたという事実と同様に、ながながと述べた二十世紀における世界の労働者階級の偉大な闘いとそれが全世界の進歩に及ぼした深刻な影響を忘れてはならない。好まないものが目をつぶることは勝手だが、あるいは意図したとしても、この事実を消し去ることはできない。

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 この二十一世紀の世界は、新しい世界ではなく二十世紀の継続である。二十世紀最後の十年間に、社会主義に勝利したはずの資本主義体制は、米帝国主義が推進するグローバル化のなかで、アジアから始まって世界を巻き込んだ象徴的で深刻な通貨・金融危機に見舞われた。いわゆる「二十一世紀型危機」である。実際の二十一世紀が始まる前に危機とその名称も用意されているわけで、この世紀がどんな世紀であるかは想像に難くはない。全世界を巻き込んでの大戦争はともかくとして、相当規模の戦争も可能性としては排除できない二十世紀よりもはるかに危機が煮詰まった世紀で、世界の資本主義にとってのいっそう大規模な激動の世紀であろう。
 闘いがやってくるのである。だから世界の労働者階級も、もちろん日本でのわれわれも、二十世紀の経験に学ばねばならない。ロシア労働者階級の偉大な勝利から始まった全世界の労働者階級の社会主義運動の前進や世界の平和と進歩のための闘いが、なぜ中途で挫折・敗北したのか。あれははじめから社会主義ではなかったんだ、レーニンはともかくスターリンが駄目にしたんだ、などの意見があるが、社会主義国とその政権は多くの国で敗北したし、先進資本主義諸国の共産党も軒並み宗旨換えしたのだから、理論が妄想で、やってきたことは悪夢としてかたづけるか、それとも理論が正しいとして敗北の理由を真剣に総括して前進を図るしかない。共産党は本質上前者で、わが党は後者である。
 社会主義政権、権力を握った共産党のその後の内外政策や、それを裏付ける理論というか理屈付けでの誤りの背景をなすものに共通する現象は、権力についた共産党の大衆からの遊離である。労働者階級と人民から離れた権力党は、結局のところ内外の人民に頼らず、自国の権力・暴力装置(軍事力と弾圧機構など)に頼らざるを得なくなる。
 また、経済建設では際限のない資本主義的競争を取り入れ、金で人民を熱中させる以外に道はなくなる。世界人民の力も目に入らず、帝国主義の力が実際以上に強大に見えてくる。権力にまだありつかない諸国の「共産主義者」も本質上はこれと同じである。
 そして大衆から遊離した憶病者たちの理論は、あとから「創造的」に構築される。かくして、全世界で共産主義者に革命的な気概が見られず、指導者も小粒になって、帝国主義あるいは自国の支配勢力にひれ伏す姿を見かけることが、珍しいことではなくなった。むしろ発展途上国のしかも小国の指導者たちが、帝国主義者と闘うに敢然とすることがしばしばである。

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 わが国の体制的な危機は深刻、戦後の対米追随政治は完全に行きづまったからである。だから本来、自民党とその与党連立の現政権が、夏の参議院選挙で過半数を割れば、国民の多数にとっての危機打開の糸口なりとつかめればよいのだろうが、野党の勝利も国民多数の勝利ではないからである。
 一九九三年の衆議院での自民党過半数割れ以後の経験が示すように、現状ではどんな連立政権とその闘いも、結局のところコップの中の嵐にすぎず、現実の政治には何の期待できる変化もなかった。財界と保守政治家の中枢が、そのコップを手品使いのように握って見せびらかし、公明、民主のような中間政党、社民党、共産党、それに自由党など保守政治家が加わってコップの中で踊り、マスコミが騒ぎ立てる。支配層と一部の政治家には自明のことだが、コップの中とは知らないで踊っている連中は哀れだがしかし犯罪的である。
 われわれは幻想を捨てなければならない。真の打開の道は壮大な労働運動の構築と大衆的な国民運動の再建である。わが党がこの局面で、社民党、新社会党など旧社会党勢力の団結を呼びかけているのはこの問題の一部である。歴史的事業で成功を収めるには指導者たちの決断が必要である。率直に言って目前の参院選でのわずかばかりの議席の増減など、この事業に比してとるに足らないことである。
 最後に、アジアの情勢は動いたが、平和だと楽観できる十分な根拠はない。わが党は、二十一世紀もまた初心を忘れず、労働者のみなさんと団結し、闘う国民諸階層の皆さんと団結し、力を尽くして闘いに励みます。ありがとうございました。

 二〇〇一年一月一日