20001015 社説


教育改革国民会議が中間報告

反動的で、多国籍大企業のための「差別化」教育を許すな


 首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」(江崎玲於奈座長)の中間報告が九月二十二日まとまった。同会議は、この三月に小渕前首相のもとで発足、半年足らずでこの報告を発表、年内にも最終報告をまとめることとしている。
 森政権は、来年の通常国会を「教育改革国会」と位置づけ、参院選の争点とすることも射程に、教育改革関連法案を提出の予定である。「教育選挙」となれば自民党に有利だとして、二十一世紀を担う子供たちの未来にかかわる重要問題を、政権浮揚策として利用しようという政府、与党の態度は、党利党略的で極めて悪質である。
 今回の報告の狙いは明白である。わが国支配層は、日米新安保体制のもとで、日米防衛協力の指針(ガイドライン)の具体化を保証する反動的な国内体制の構築を急いでいる。 教育基本法は憲法にのっとっており、憲法調査会など憲法改悪の策動と連動させて、むしろ先行させて教育基本法改悪など教育の反動化を進めようというのである。
 また、財界の要求する国際競争に耐えうる人材育成など、国際化に対応し、「差別化」を加速する効率的な教育体制を目指そうとするものでもある。
 教育改革の名による国内の反動的再編、そのための教育基本法や憲法の改悪策動を許してはならない。

強制と「差別化」など打ち出す
 今回の報告が示した提言は、拙速でさまざまな問題をはらんでいる。
 とりわけ、初等中等教育における「奉仕活動の義務づけ」では、「十八歳で一年間の奉仕活動」を義務づけることを検討課題とし、当面は「小中学校二週間、高校一カ月の奉仕活動」実施を提言した。
 これは国家への奉仕を青少年に強要するものであって、徴兵制をも想起させ、教育になじむものでないことは明らかである。道徳教育の教科への導入とあわせ、これをして「人間性豊かな日本人を育成する」などというのは、こんにちの教育と学校の「荒廃」の真の原因を問題にせず、強制で覆い隠そうという本末転倒の提言である。
 これはまさに、戦前国家主義教育の復活であり、学校現場をいっそう深刻な混乱に導くに違いない。さらに「問題を起こす子供への教育をあいまいにしない」などとして、子どもを選別、排除、隔離する論理も公然と打ち出されている。
 「一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む日本人を育成する」として打ち出された、義務教育開始年齢の弾力化、中高一貫教育校の提言は、現行の熾烈(しれつ)な受験体制を前提とすれば、受験競争の低年齢化に導く危険をはらんでいる。
 高等教育分野での提言、とりわけプロフェッショナル・スクール(高度専門職業人教育型大学院)、研究者養成型大学院設置などの大学院改革は、こんにちの技術革新と国際化に対応し、世界で利を求め争い合う多国籍大企業にとって必要なひとにぎりの「高度」な人材育成のための計画である。一方では「職業観、勤労観をはぐくむ教育を推進する」などとして、従順で即戦力となる労働力養成を強調しており、こうして高等教育の二極化が推進され、大学間、学部間格差が途方もなく拡大される。
 さらに教員対策としては、「教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくる」として、「成果」のある教師への特別手当や人事上の優遇措置をあげる一方で、「改善されない教師」には、配置換え、免職などの措置を講じると、露骨な「アメとムチ」の導入を提言している。これはこんにちの教育をめぐる諸問題の責任を教師にのみ押しつけ、荒れる教育現場で苦闘する教師たちの努力をばかにする、最悪の分断政策である。

財界の教育要求を忠実に推進
教育基本法改悪へ道開く

 「いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊など教育の現状は深刻」「日本の教育は、今、大きな岐路に立っており、このままではたち行かなくなる危機にひんしている」と、同会議が示した現状認識は文字通り深刻なものがある。
 しかし、こんにちの教育の現状を憂うるのであれば、それを生み出した戦後の教育政策と財界主導の教育改革こそ深刻に総括し、反省すべきである。戦後教育を財界の意向にそって方向付けてきた中央教育審議会(中教審)、臨時教育審議会(臨教審)などこそ問われるべきであろう。教育・子供の「荒廃」現象は、戦後日本の政治・経済・社会と離れてはありえない。むしろその産物ですらある。
 報告は、これらの検討もなく「これまで、日本の教育は、経済発展の原動力となるなど、その時代の要請にこたえるそれなりの成果は上げてきた」などと自賛している。そうして臨教審の「自由化と個性化の改革」の方向、すなわち国際競争の生き残りをかけた多国籍大企業のための人材養成路線を、いっそう具体的に加速させようとするところに、今回の報告の最大の問題があるといわなければならない。
 さらに、今回の報告で注目すべきは、教育基本法改悪への道筋をつけようとする露骨な意図が込められていることである。
 森首相は、現在の臨時国会の所信表明演説でも教育基本法見直し論議を強調、同会議へも、「抜本的に見直す必要がある」と方向付けを行おうとしてきた。これは、中曽根元首相が「憲法より先にやるべき問題」「教育改革国民会議はそういう意味でやるべき」と述べているとおり、憲法改悪を射程に入れた策略である。
 しかし、九月六日の同会議全体会では、委員の中からさえ改正への慎重論が続出したという。首相ブレーンの牛尾治朗委員(ウシオ電機会長)らが慎重論を圧殺、「改正が必要であるとの意見が大勢を占めた」との表現で強引に意見集約した。だが、中間報告では多くの反対、慎重論の委員に配慮し「具体的にどのように直すべきかについては意見の集約はみられていない」と述べざるを得なかった。江崎座長も「改正について具体的にこうだとは多分出せない」と述べている。これは、教育基本法改悪の具体的な根拠すら示せないということの表れでもある。
 本来、教育基本法をめぐる議論で求められるべきは、その民主的理念や内容が、これまで政府の進めた教育政策でどれほど踏みにじられ、逆行させられてきたのか、総点検をすることであろう。

支配層の教育改革に呼応する民主党
 教育基本法改悪に反対し、民主教育を守り発展させるために、日教組など労働者と労働組合は、広範な勤労国民と連携して国民的闘いを構築しなければならない。森政権の教育反動化策動には、多くの人びとが懸念を持っている。教育問題が、ここまで社会的問題となったこんにち、闘いの条件は広く存在する。
 ところで、今回の報告に対する野党、民主党の態度は極めて犯罪的である。
 民主党は「道徳教育や奉仕活動の導入、教育基本法の改正は、それ自体は議論の俎上(そじょう)にのせ国民の意見を聞くべきである」(山谷えり子教育・科学技術ネクスト大臣談話)という態度で、事実上政府、森政権の反動的策動を容認している。そればかりか、国民の中の「国が強制することに対する抵抗感」(同)の強さを見越した上で、「草の根的教育改革を実行する」(同)などと、反動的世論操作を推進する役回りをかって出ようというのである。
 これはまさに、教育制度の改悪、憲法改悪と教育基本法改悪へ向けた世論工作に、野党の立場から呼応しようとするものである。
 憲法改悪を公言し、日米安保・ガイドライン推進に熱心な鳩山氏を代表とするこの党に、わが国の教育政策と子供たちの未来を託すことはできない。教育基本法改悪に反対し、民主教育を守り、発展させるために闘う日教組など、労働者と労働組合は、民主党のこの犯罪的な役回りをはっきり見抜いて闘わなければならない。


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