20000930


教育改革国民会議

中間報告「教育を変える17の提案」について

秋山俊彦・青年学生対策部長の談話


 首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」の中間報告が9月22日、まとまった。
 同会議は、この3月に小渕前首相のもとで発足、半年でこの中間報告を発表したが、以降、10月から全国4カ所で公聴会を開き、年内にも最終報告をまとめることとしている。

 一方政府は、来年の通常国会を「教育改革国会」と位置づけ、参院選の争点とすることも射程に、教育改革関連法案を提出の予定である。「教育選挙」となれば自民党に有利、などという党利党略で、21世紀を担う子どもたちの未来にかかわる重要問題を、政権浮揚策として利用しようなどという政府、与党の態度は極めて党略的で悪質である。
 今回の中間報告が示した提言の中で、とりわけ問題が指摘されているのは、初等中等教育における「奉仕活動の義務づけ」である。「18歳で1年間の奉仕活動」を義務づけることを検討課題とし、当面は「小中学校2週間、高校1カ月の奉仕活動」実施を提言していることである。
 これはまさに徴兵制をも想起させる、国家への奉仕の強制措置であって、教育になじむものでないことは明らかである。道徳教育の教科への導入とあわせ、これをして「人間性豊かな日本人を育成する」などというのは、今日の教育と学校の荒廃の真の原因を問題にせず、強制で覆い隠そうという措置である。これはまさに、戦前の国家主義教育の復活であり、学校現場を一層深刻な混乱に導くものに違いない。さらに「問題を起こす子どもへの教育をあいまいにしない」などとして、子どもを選別し、排除、隔離する論理も公然と打ち出されている。
 「一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む日本人を育成する」として打ち出された、義務教育開始年齢の弾力化、中高一貫教育校の提言は、現行の熾烈な受験体制を前提とすれば、受験競争の低年齢化に導く危険をはらんでいる。
 高等教育分野での、諸提言、とりわけプロフェッショナル・スクール(高度専門職業人教育型大学院)、研究者養成型大学院設置などの大学院改革は、今日の、技術革新と国際化に対応し世界で利を求め争い合う、多国籍大企業にとって必要な一握りの高度な人材育成のための計画である。一方では「職業観、勤労観を育む教育を推進する」などとして、従順で即戦力となる労働力養成が強調されているが、こうして高等教育の二極化が推進され、大学間、学部間格差が途方もなく拡大される。
 さらに「新しい時代に新しい学校づくりを」では、「教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくる」として、成果のある教師への「特別手当」や人事上の措置をあげる一方で、改善されない教師には、配置換え、免職などの措置を講じると、露骨な「アメとムチ」の導入を提言している。これは今日の教育をめぐる諸問題の責任を教師のみに押しつけ、現場で苦闘する教師たちの努力を愚弄(ぐろう)するものである。

 以上見たように、諸提言は、拙速でさまざまに問題を含んだものと言わなければならない。
 「いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊など教育の現状は深刻」「日本の教育は、今、大きな岐路に立っており、このままではたち行かなくなる危機に瀕している」と、教育改革国民会議が示した現状認識は文字通り深刻なものがある。
 しかし、今日の教育の現状を憂うるのであれば、それを生み出した、今日までのわが国の政府の進めた教育政策と、戦後教育を財界の意向に沿って方向づけてきた、中央教育審議会(中教審)、臨時教育審議会(臨教審)という、一連の財界主導の教育改革の、経過とその結果をこそ深刻に総括し、反省すべきである。このことの検討なくして、「これまで、日本の教育は、経済発展の原動力となるなど、その時代の要請に応えるそれなりの成果は上げてきた」などと、自賛し、いわば、国際競争の生き残りをかけた、多国籍大企業のための人材養成路線としての、臨教審の「自由化と個性化の改革」の方向を、一層加速させるものとして今回の報告がある。そのことにこそ最大の問題があるといわなければならない。

 さらに、今回の報告で見逃すことができない問題は、教育基本法改悪への道筋をつけようとする意図が巧妙にかくされていることである。森首相は、すでに所信表明演説でも教育基本法の見直し論議を強調、同会議へも、「抜本的に見直す必要がある」と露骨に方向づけを行おうとしてきた。これは、中曽根元首相が「憲法より先にやるべき問題」「教育改革国民会議はそういう意味でやるべき」と述べているとおり、憲法改悪を射程に入れた策略である。わが国支配層は、再定義された日米心安保体制の下、日米安保ガイドラインの具体化を保障する国内体制の反動的再構築を急いでいる。すでに設置された憲法調査会を通じた憲法改悪の策動と連動させ、また、むしろ先行させて教育基本法改悪など教育の反動化を進めようというのである。またこれは、財界の要求する新たな国際競争に耐えうる人材育成など、教育体制の実現を目指そうとするものでもある。
 しかし、今月6日の同会議全体会では、委員の中からさえ改正への慎重論が続出したという。首相ブレーンの牛尾治朗委員(ウシオ電気会長)らが慎重論を圧殺、「改正が必要であるとの意見が大勢を占めた」との表現で強引に意見集約がされたが、中間報告では多くの反対、慎重論の委員に配慮し「具体的にどのように直すべきかについては意見の集約はみられていない」「幅広い視点からの国民的議論が必要」と指摘するにとどまった。これに対して森首相は「最終報告に向けてさらに議論を深めていただきたい」と注文をつけ、あくまで改悪に執念を燃やしている。ある委員は「何回読み返しても、なぜ、どこを変えなければいけないのか、なかなか理解できない」と述べたと伝えられる。江崎玲於奈座長も「改正について具体的にこうだとは多分出せない」と述べている。これは、教育基本法改悪の具体的な根拠すら示せないということの現れでもある。
 本来教育基本法をめぐる議論で求められるべきは、教育基本法の民主的理念や内容が、これまで政府の進めた教育政策で、どれほど踏みにじられ、逆行させられてきたのか、総点検をすることであろう。
 教育改革の名による、国内の反動的再編、そのための憲法改悪と教育基本法改悪の策動を許してはならない。


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