わが国保守党の政治支配と策略−戦後政治、半世紀の経験の総括−

(はじめに)


 バブル経済の崩壊が明らかになった時、わが国の戦後政治を単独でほしいままに牛耳ってきたさすがの自民党も、国民の信頼をほぼ完全に失った。
 1993年、総選挙の結果で自民党はいったん下野し、細川、羽田(この二つの連立政権では自民党は野党であった)、そして村山連立政権で再び与党に復帰、こうした若干の過渡期を経て、橋本、いま小渕と自民党主導ながら連立政権の時期に入った。小渕になってから自由党が連立に参加し、いままた公明党の参加で自自公連立、小渕政権は安定感があるという評価さえある。
 だがこの評価は表面的な見方でしかなく、きわめて近視眼的で当面の状況を指しているにすぎない。自民党とその政治が国民の支持を失っていることに変わりはないし、それでも小渕政権がやっていけるのは、自由党のような保守党派、公明党(動揺的な民主党も例外ではない)のような中間党派などとの連立あるいは取引によって、衆参国会での多数派が当面のところ形成されたからである。自民党から最近(1990年代に入って)離れた約800万(80年代以降で、しかも有権者の増加を考慮すると1300万以上となる)の有権者は棄権または他の保守党あるいは中間党派に投票した。ところが、受け皿となったそれらの党が有権者の意思に反して自民党政治に手を貸しているからである。
 だがこの点にこそ、自民党と連携する諸党派は「これまで以上に」厳しい支持者たちの目を意識せねばならず、その「支持基盤が必ずしも確固たるものでない」ことを、知る機会に恵まれるかもしれないのである。同時にそれは、自民党政治それ自身のあるいは連立の限界、本質的な弱点でもある。
 (注:この時点で自民党が、元自民党にいた、つまりかつての仲間の多い民主党より、創価学会を支持基盤とする公明党を引き入れる路線を選んだこと、公明党がそれに応じ民主党がそうならなかったのには理由がある)

 それでも自民党主導での連立政権という政治の現実には、最大野党であった社会党(現在の社民党)の90年代に入ってからの凋落(ちょうらく)、政権参加後のさらなる数々の裏切りと党の分裂、消滅寸前までの衰弱、共産党のいっそうの「柔軟路線」、さらに決定的なことは強力な革命的な労働運動がなく、農業や商工業者らの自民党のいわゆる「改革政治」に反対する闘いが分散的で、わが労働党がまだ弱く、国民的大衆運動が形成できていないこと、これがある。
 また、新しい国際環境に適合しようとする財界政治、自民党政治の危機と、93年における単独支配の終焉(しゅうえん)、若干の過渡期を経ての自民党主導による連立、現小渕政権までには、細川新党の誕生と自民党の分裂などから始まっての当時の民社党、公明党、社会党までも巻き込んだ政治再編や「反自民」連立政権の成立、これへの期待と政治的な混迷というさまざまな要因があった。野党はこの中で、財界と政権側の誘惑にほんろうされた。
 ふり返ってみると、90年代に入ってからのわが国政治は、社会主義諸国の崩壊や社会主義運動の大幅な後退、資本主義・帝国主義側からの政治思想的な一大攻勢があったにしても、わが党にも議会主義の野党側にも不利なことばかりではなかった。財界側もバブル経済が崩壊しいまだに回復しない不景気に苦しんだ。新しい国際環境に適合するための「大改革」を余儀なくされている。むしろ客観情勢は、支配層に不利であった。そして野党も弱かったが自民党政治も限界に来ていた。
 だから90年代に入ってからの闘いでは、敵側がうまく指導権を握って、今のところ生き抜いているとしか言いようがない。
 だが危機は深いし、情勢は速いテンポで変化する。労働者階級だけでなく国民諸階層の行動も政治意識の変化もいちだんと早まる。財界とその走狗自民党や自由党も、中間諸政党(公明党、民主党)も、社民党や共産党も立ち止まっていることはできない。わが党も例外ではない。目下、小渕内閣は自自公連立政権だが、この内閣もこの形の連立もわずかな期間でしかありえない。当然ながら政治と政党の再編は継続されようし、政治家と政党の自己暴露は避け難い。これからが本番である。
 わが党は、危機にひんする自民党政治と取引し、結果として自民党政治の延命を図る、あらゆる試みを暴露しなければならない。現在では自由党、公明党がこれに該当する。だが、今のところ野党であるが民主党についても警戒が必要である。一般的にいって危機が深まるもとでは、中間の諸政党は、弱った支配政党の打倒よりも手を結んで利を得る道を選ぶ。したがってわが党は、これら諸政党の支持基盤での要求に基づく闘いを発展させつつ、あらかじめその危険を暴露しておくことが重要である。
 またわが党は、工場や職場に、労働者を基盤にした党組織を数多く建設し、全国的に労働者の闘いに対する支持と政治宣伝の強化を通じて、わが国労働運動の階級的、戦闘的な発展および戦線形成に力を注がねばならない。この成否がカギである。


Copyright(C) The Workers' Press 1996-2000