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日本をゆるがした313日

三池闘争記録フィルム「激闘」


 このビデオは、三池炭鉱労働組合宮浦支部の紅葉丘地域分会と主婦会が、一九六〇年の三百十三日に及ぶストライキのなかで撮影したフィルムをもとに作られた闘争記録である。

 一九五〇年代半ば、日本政府は石炭から石油へエネルギー政策を転換した。三井資本は赤字宣伝を展開し、賃金の遅配や欠配を繰り返す。五九年一月には、六千人の第一次合理化案が発表され、三池炭鉱労働組合は合理化反対の闘争に立ち上がる。五九年八月二十八日、二千二百十人の第二次合理化案が発表され、十二月には退職勧告に応じなかった千二百七十八人が解雇された。

 六○年一月二十五日、会社側はロックアウトを強行、労働者を「兵糧攻め」にしようとするが、三池労組は直ちに全面無期限ストに突入、「総資本対総労働」といわれた闘争に発展していく。

 資本と労働の激しい対立のつづく三月二十九日、ピケをはっていた久保清さんが、会社側の送り込んだ暴力団によって刺殺される。また、第二組合が結成され、スト破りの策動に出る。

 そのような中、三池労組は熱いオルグを繰り返し、団結をうち固めていく。集会では肩を組んで労働歌を歌い、炭鉱住宅をまわって寸劇で団結を訴える。ストで収入のない生活は、全国からのカンパによる一万円生活(当時三池炭鉱の賃金は、月平均七万三千八百六十二円)で乗り切る。

 五月下旬から、石炭を運び出す最後の砦である三川ホッパーをめぐり壮絶な闘いが繰り広げられる。七月十八日、三川ホッパー前には労働者二万人、警官隊一万人がにらみ合った…。

   *  *  *

 三池闘争では多くの労働歌が生まれた。ビデオでも「がんばろう」「三池の主婦の子守歌」などの歌が数多く使われている。

 実写なので迫力がすごい。労働者の団結が国をも動かす大きな力を生むことを実感させ、大きな感動を呼ぶ。

 現在、過去最悪の失業率が続き、企業は労働者の犠牲で生き残ろうとしている。今こそ、三池闘争に学び、広く団結して権利と生活を守る闘いが必要だと痛感した。(H)

VHS六十分 問い合わせは労働新聞社まで


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