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千代田区日中友好協会 日中平和友好条約20周年記念

周恩来修学記念碑を建立

日中友好の理念受け継ぐ


 本年は日中平和友好条約締結二十周年であり、日中国交正常化に尽力した故周恩来総理の生誕百年にあたる。周恩来が青年時代に日本に留学、現在の東京都千代田区で二年間学んだことを示す記念碑が建立された。かつての侵略戦争を肯定し、また中国を敵視する新しい日米防衛協力の指針(新ガイドライン)関連法制定の策動がある中で、日中両国の友好を進め、アジアの平和を求める運動は大きな意義がある。


 千代田区日中友好協会は、周恩来が一九一七年から一九年まで日本に留学し、日本語を学んだ東亜高等予備学校の跡地(神田神保町二―二十、愛全公園内)に記念碑を建立し、七月二十一日に除幕式と記念祝賀会を行った。

 建立された石碑は、「周恩来ここに学ぶ―東亜高等予備学校跡―」と記され、となりには周恩来が千代田区で学んだ事実を記した碑が建てられている。

 除幕式では、中国大使館一等書記官の白剛氏、東京華僑総会会長の殷秋雄氏、日中友好協会全国本部理事長の村岡久平氏、千代田区長の木村茂氏などが記念碑を除幕した。

 主催者を代表して水野正雄・千代田区日中友好協会会長が「周恩来は世界の歴史でも希にみる立派な政治家です」と述べ、周恩来をしのぶ新しい名所として大切にしてほしい、とあいさつした。

 除幕式に続いて開かれた祝賀会では、来賓あいさつと記念講演が行われた。

 来賓あいさつでは、初めに中国大使館の白剛氏が「中国大使館を代表し、また一人の中国人として中日両国の友好事業を愛するものとして、感謝の意と敬意を表します。周恩来総理は青年時代、日本で勉強し、その後フランスでプロレタリア革命事業に参加して、中国人民が敬愛する偉大な指導者となりました。彼は中日両国関係を非常に重視し、七二年、両国の国交を回復し、両国の平和友好関係に大きな貢献をされました。私たちは両国の友好事業を愛するすべての方々と手を結び、アジアの平和、そして世界の発展と平和のために努力し、これからもがんばりたいと思います」と述べた。

 続いて、記念碑が寄贈される千代田区の木村茂区長が「立派な碑が建立されて、区長として名誉に思う。七二年九月に、日中共同声明を結んだときの総理が周恩来。あの共同声明がなければ、そして周恩来がいなければ、今日の日中友好はなかったのではないか。また、東亜高等予備学校を創立した松本亀次郎氏の『日中両国はこれから友人同士でいかなければいけない』という理念があり、その中で周恩来が学んだ。周恩来の日中友好にかけた理想と情熱を、碑のある千代田区が受け継いで、がんばっていきたい」と述べ、日中友好を進めていく考えを示した。

 村岡久平氏は、「今年は日中友好にとって記念すべき年。以前、京都・嵐山に周恩来の記念碑が建立されたが、その後右翼が石碑を汚した。日中友好の波は高まっているが、それに反対し、よこしまな動きをする勢力も少なくない。ぜひ、千代田区の周恩来修学記念碑がそういう目に合わないようにしていきたい」とあいさつした。

 記念講演では、早稲田大学教授の武田勝彦氏が「若き日の周恩来―パリを中心に」と題して講演し、パリに渡った周恩来が「旅欧中国少年(青年)共産党」に参加したことや、周恩来が滞在し、中国共産主義青年団(共青団)執行委員会の事務所であったパリのホテルの壁に周恩来の像が埋め込まれていることなどを紹介し、千代田区に周恩来が学んだ記念碑ができたことは、歴史を残すうえでも重要だと述べた。

 参加者は、日中友好運動を進め、アジアの平和をめざすことを改めて誓い合った。


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