横浜
平和な海を求めて共同を 海員組合、全国港湾などがシンポジウム
海や港で働く労働者を組織する労働組合などが七月二日、シンポジウム「海から見る『新ガイドライン』」を開催した。主催は全日本海員組合、全国港湾労働組合協議会、全運輸省労働組合、退職船員の会「鴎友会」、戦没船を記録する会、海の平和問題懇談会の六団体でつくる実行委員会。会場となった横浜市の全日本海員組合・京浜支部会館には三百人を超す労働者が集まった。
開会あいさつにたった全日本海員組合副組合長の井出本榮氏は、「このシンポジウムは、海員OBの『鴎友会』の人びとから『この大変な時期に何をしているのだ。いまわしい戦争の歴史が薄れるなか、平和の大切さを継承させなければならない』と言われ、開催に至った。海を職場とする海事や港湾の仕事をする者には海の平和が生活の平和につながるので、身近な問題として新ガイドラインの問題をとり上げなければならない。小さな輪でも、問題点を身近なものととらえ、大きな国民の輪に広げることが大切。今日のシンポジウムで皆さんとともに勉強しながら、私たちが求める平和の海に結び付けられれば、と思っている」と、シンポジウム開催の意義を述べた。
基調講演では、東京国際大学教授の前田哲男氏が、新ガイドラインや周辺事態措置法案などの問題点を指摘した(要旨別掲)。
続いてシンポジウムでは、紛争や戦争地域で就航した体験談などが話され、平和の大切さが訴えられた。
外航海運勤務で一等航海士の増島忠弘氏は、「イラン・イラク戦争の際、ペルシャ湾に大型タンカーで就航し、日本船籍タンカーがガンボートに攻撃されるのを目撃した。また、ミサイル船に大砲を向けられ、威嚇されたこともある。戦争では平時の道徳が通じないということを実感した。周辺事態措置法案では『米軍の後方支援を行う』とあるが、正確にいえば海には後方も前方もない。当然私たち船員も戦火に見舞われることになるのでは」と述べた。
戦没船を記録する会会長の川島裕氏は海軍士官だった二次大戦中の経験を振り返り、「太平洋戦争では八百万トン以上の船舶と六万人以上の船員が犠牲になった。これは陸海軍の戦死率より高い。二次大戦後も世界では戦争が繰り返されている。シーレーン防衛は完全な平和なくしてはありえない」と、平和への思いを語った。
全国港湾労働組合協議会副議長の河本末吉氏は「戦後働いていた大阪港は、戦争で壊滅的な被害を受けた。五万五千発の機雷が仕掛けられ、撤去するのに四年かかった。その後朝鮮戦争が始まり、再び大阪港に軍事物資が集中するようになったが、当時は食べるのに必死で戦争反対の運動はできなかった。最近、米軍艦隊や自衛隊艦が入港することがあるが、日頃から見逃さず、運動を積み重ねることが大事。運動なくして平和と職場を守ることは出来ないと思う」と述べた。
全日本海員組合中央執行委員の松岡大和氏は「新ガイドラインによる施設の利用は、港湾を軍港化するもので、港湾労働者は米艦隊、自衛艦隊の補完的役割を強要されるおそれがある。後方支援は船員を戦闘の当事者に組み込むもっとも危険なものだ」と海員に及ぼす影響などを述べた。
会場発言の後の閉会あいさつでは、全国港湾労働組合協議会副議長の中村義紀氏が「各団体、個人がそれぞれ運動を進めながら、ガイドライン関連法案に反対し、運動を発展できればと考えている。急いで運動を広げなければならない」と、今後の運動を呼びかけた。
新ガイドラインに反対し、職場と生活を守る闘いを広げるうえで、このシンポジウムのように労働組合が広く連携して闘うことは重要である。
前田 哲男氏の基調講演(要旨)
ガイドラインは敵や作戦など、安保条約の方向付けをするもので、戦争マニュアルといわれている。冷戦後、米国は新たな敵を求め、日本が追随して九五年の安保再定義、九七年の新ガイドラインとなった。そしてガイドラインを動かすために必要な国内法が、政府が七月の臨時国会で上程しようとしている周辺事態措置法案である。
ガイドラインの問題点は、安保条約に書かれていないことを付属文書であるガイドラインが決めたことだ。安保条約では「日本の施政がおよぶ範囲」となっているが、ガイドラインでは特定されていない「周辺」でことが起これば、となった。このようなことが「安保改定」でなく、ガイドラインでやられたのは、国会の承認を得る必要がなく、行政行為の範囲で出来るからだ。
また周辺事態措置法案は、公共団体や民間企業に「協力依頼が出来る」となっているが、協力の内容は必要に応じて政令で定めるため、「白紙委任法案」といえる。協力がなければガイドラインは動かないので、ガイドラインへの非協力を職場や地域で宣言していくなどの運動が大事だ。
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