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ルポ 東京・荒川を行く(下)

商店街は街のコミュニティー


 利根川氏の話はさらに続く。

 今、感じているのは、もう俺の代で終わりだという「閉店症候群」の人が商店街の理事などをやっていてはだめだ。若い人が希望もなくなり、また勤めに出ていくようになる。

 幸い、ここの商店街は二十数人の理事がいるが、全員が若い。ここでは私が一番年上だ。区の商店街連合会の会議に行けば一番若いが…。

 若手は、親が倒れたなどのUターン組みが多いが、これほどひどいとは皆思わなかったそうだ。だが、ここの商店街は、ある程度人数もいるので遅ればせながら、政治力をつけたり、一人でできないことを団結してやっていこうとしている。

 例えば、商店街の効率の問題だが、ここには八十三軒の商店があるが、八十三人の計理士がいて、レジも八十三台あることになる。売上でいえば、十台のレジのスーパーより少ない。大型店は非常に効率がよいわけで、われわれも協同化によって効率をあげていこうと努力している。あるいは会社化も考えている。でないと大型店に対抗できない。

 一月一日には、商店街の事務所をオープンした。今、共通商品券をつくろうと準備している。月二回の大売り出しをもっとパワーアップしたいし、イベントにしても三カ月に一度行っている。それらを行うにも事務所が必要なので、まず拠点づくりを行った。

 大型店の隙間を縫うように地域から発信する商店街にしたい。ここで成功すれば、全国の商店街の励みになる。

 自分でやらなくては誰も助けてくれない。それは、商店街でも労働組合でも同じだと思う。正面からぶつかっていくことで、道を開くことが大事だと思う。

 氏はまた政治の話に戻り、話を続けた。

 政党は国と都と地域では同じではないと思う。だが、地域で政治を行うなら地域政策を前面に打ち出してほしい。それによって地域が活発化することができるとすれば、それこそ地方議員の仕事ではないだろうか。

   ◇    ◇

 若手の話も聞いてみるかいということになり、二杯目のコーヒーを飲んでいると浜野意忠氏(商店街事業部長)がやってきた。浜野氏のお店は元は乾物屋さんだが、いまはお総菜などのミニミニスーパーである。ちなみにそこの白菜の漬け物はたいへんおいしかった。

 さっそく浜野氏が語ってくれた。

 今、月に二回大売り出しをしているが、それはお客様にサービスを提供することとあわせて、商人に商店街の現状を認識させるためでもある。そこで若い人たちが気づいてくれている。

 また直接、売上に関係ない福引き、ジャンケン大会、大声大会などを行っている。研修会では、企業とは、売り上げを伸ばすためには、などと勉強会を行っている。同時に他の商店街の人にも呼びかけている。以前は考えられないことだった。

 ここは利根川理事長が情報を集め、私たちに提供してくれている。そして若者に自由に任せてくれている。これはとても大事だと思う。商人は一日店か家にいるので、情報不足になる。それでは商売もうまくいくはずがない。

 商店街の役割は、地域のコミュニケーションの場だと思う。例えば、高齢者の食べるものと若い人の食べるものは違う。だが、食材は同じ。だから高齢者の方に作り方を教わり、若い人に伝えることも考えている。これがコミュニケーションではないだろうか。情報だけでなく、町の一体化に貢献する。また町には自営業者は商店街くらいしかいない。多くがサラリーマンになって、町にいない。だから商店街が役割を果たすべきだ。

   ◇    ◇

 浜野氏も利根川氏と同様な話をしてくれたが、二人とも非常に前向きに物事をとらえて、行動しているのが共通点だ。またそうでなければここまでやれないだろう。

 仲町通り商店街は確かに活気があり、若手ががんばろうとしている。政府による大店法撤廃など、何でもありの弱肉強食のなかでしたたかに生きようとしていることがよく理解できた。

 しかし、問題は商店街のがんばりだけでは解決しないことにある。事実、利根川氏の話には何度も政治が出てきた。商人が生き残るために、政治を問題にし、労働組合など他の社会勢力との連携を求め、闘おうとしているのがひしひしと伝わってきた。

 大企業優先の政治から、労働者や農民、中小商工業者が当たり前に生活、営業ができる社会の実現が求められている。そのために労働組合は、率先して商人など中小商工業者と連合して闘うことが求められている。

 そのことを痛感しながら、荒川を離れた。


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