書店組合が百万署名提出へ
再販制は、いま重大な正念場にさしかかっている。廃止になれば、新聞業界は「悪貨が良貨を駆逐する」という事態になりかねない。昭和初期、過当競争や安売り合戦によって、徳富蘇峰の国民新聞など質の高い新聞が次々と消えて、つぶれていった歴史がある。新聞が国民の判断材料として、日々情報を伝達することで、民主主義社会は成り立っていると思う。毎日、朝夕刊で合計七千二百万部が発行されている。これが全国津々浦々へ届けられ、各家庭では届くことがごく自然になっている。「悪貨」のような新聞が寡占(かせん)化すると、一時的には安売り競争で安くなるかもしれないが、そのうち値上げされるだろう。この問題は、日米構造協議などの対米交渉のなかから、規制緩和や市場開放の要求として出てきた。もともと問題があったわけではない。規制緩和の風潮のなかで、公正取引委員会、行革委員会が外圧に便乗しているのだ。新聞協会はあくまでも再販制を堅持して皆さんの期待にこたえたい。
撤廃に反対する世論は昨今、全国でほうはいとまき起こっている。出版物が同一価格で全国津々浦々に販売される商慣習は、明治末期に始まった。これは文化の普及を願う出版業者の良心によって支えられてきた。定価販売制が戦後の独禁法から除外されたのも、現に欧州で再販制が続けられているのも、出版物の文化的使命を重視するからである。読者の利益とは、著作内容のクオリティ(質)であり、多様性である。現状では出版物の価格が問題ではないと思う。だから読者との信頼のもと、六十万点の出版物が、整然と流通しているわけである。しれつな価格競争を導く経済至上主義の破たんの末路は、すでに歴史的に明白である。廃止されれば、売れ筋中心の仕入れ、流通マージンの値上げ、少数出版物の減少などで、結局大幅値上げへと至る。弱小出版社、書店は淘汰(とうた)され、出版物の多様性は失われ、まさに百害あって一利なしだ。廃止論者に断じて屈服してはならない。
撤廃は、音楽の楽しみ、喜びをいっさい奪い取ってしまうおそれがある。聞きたいCD、音楽が入手できなくなったり、値段が高くなった場合、結局音楽そのものが作られなくなる。コンサートなどもできなくなるおそれがある。そういう時代がきたらどうなるのか、ものすごい危機感に襲われている。価格競争のしれつ化、売れ筋商品のみの販売をもたらし、伝統芸能、クラシックなど文化価値の高いものの発売を困難にする。地方、消費者にとって商品が割高になり、音楽文化で地域格差が生じる。文化・芸術の豊かな発展を妨げ、精神生活に深くかかわる多様性の確保を不可能にする。わが国音楽文化の発展を著しく阻害し、消費者利益に大きく反するもので、強く反対する。
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