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 新ガイドラインの具体化にやつぎばやの日米共同訓練

滋賀・新潟・宮崎などで反対の闘い

各地で闘いの発展を


 米軍と陸、海、空自衛隊による共同訓練が十一月、新潟、滋賀、宮崎、そして日本上空で相次いで実施される(別表)。また沖縄米海兵隊の実弾砲撃演習も、十一月十日から十九日まで宮城県で行われる。やつぎばやの共同訓練は、日米の「共同作戦計画」「相互協力計画」の具体化にほかならない。新たな日米防衛協力の指針(ガイドライン)策定で、「有事」を想定した軍事協力がいっそう緊密化していくことは明らかである。一連の日米共同訓練を許してはならない。演習場がある各地では、そのねらいを明らかにしつつ、さまざまな闘いを組織している。新ガイドラインの具体化に反対して闘うことはきわめて重要である。演習場各地における闘いの決意などを紹介する。
 日米共同訓練や沖縄海兵隊の本土での実弾演習に反対して、各地で決起集会などが闘われ、さらに共同訓練反対に向けて現地行動などが次々と計画されている。
 滋賀県饗庭野(あいばの)演習場では十月十九日、日米共同訓練に反対する関西集会が開かれた。主催は、護憲・原水禁関西ブロックで、近畿各府県から労働者ら約千人が結集した。高島郡民会館での集会の後、陸上自衛隊駐屯地周辺をデモ行進した。
 饗庭野での合同演習に反対する集会アピールは「新ガイドラインの制定は、日本における有事法制化を促進させるだけでなく、アジア太平洋に新たな軍拡と緊張を作り出すものである。私たちは平和な日本とアジア、共生の日本とアジアの方向と対立する新ガイドラインに反対し、そうした軍事的な方向へ一歩を進めようとする、日米合同軍事演習に反対する」と主張している。集会主催団体は、演習開始日には現地行動を計画している。
 新潟県関山演習場での日米共同訓練に反対する現地の共闘会議は十月十七日、軍事評論家の藤井治夫氏を講師に「関山演習場における日米共同訓練と日米防衛協力のねらいは何か」というテーマで学習会を行い、労働者を中心に約四百人が参加した。共闘会議は演習開始の日、演習場周辺で抗議集会とデモ行進を行う。
 宮崎県では労組会議などが、十一月下旬といわれる日向灘での共同訓練に対して、決起集会や街頭宣伝を計画している。
 宮城県護憲・平和センターなどは十一月八日、沖縄米海兵隊の実弾演習が行われる王城寺原演習場近くで千人規模の反対集会を開催する。演習期間中の十六日には、地元団体が行う団結まつりにも参加。さらに連合宮城はすでに九月十六日、恒例の平和集会を開き「沖縄米軍基地の現状と課題」と題して宮良信男・連合沖縄事務局長が講演した。


共同演習を許さない

演習場現地からの決意

滋賀  鹿野 昭三 護憲・原水禁県民会議事務局次長

 日米共同訓練は、有事を想定したものとしてわれわれは反対である。憲法九条に違反する行為である。われわれの二度の中止要求と同時に、地元高島郡内の六町村長、町村議長会も「地域住民の安全」の立場から、防衛施設局長、県知事に要請をしてきた。われわれ、住民、行政それぞれの立場で、演習に反対しているわけである。日米両政府はまさしく県民の声を聞かずに、演習を強行しようとしている。今津の狭い町に、日米の訓練要員合計約千二百人が来ることで、町は騒然とならざるを得ない。新ガイドラインは、有事を想定して自衛隊を軍隊化し、民間の港湾、空港の使用など有事体制づくりをしていく危険なものだ。そういう状況を踏まえて、集会はいままでより盛り上がった。

新潟  山岸 行則 日米共同訓練反対共闘会議事務局長

 今回の演習は、一時的な訓練ではなく、先日策定された新ガイドラインにもとづく日米防衛協力の一環として、まさに本土における基地強化の地ならしであると見ている。同時に、関山演習場を米軍基地化させないという立場で、反対運動を展開していく。共闘会議は、約四年前に結成されたが、こうした現地での闘いとともに、新ガイドラインの具体化や有事法制に反対して闘っていく。

宮城  宇津井 賢一 護憲・平和センター事務局次長

 王城寺原への米軍演習の移転は、米軍基地の拡大につながり、最終的に憲法改悪につながる問題だととらえている。王城寺原が米軍の演習候補地として話が出始めた九五年頃から、地元の調査によれば、年配の人びとは米軍について拒否反応が強い。米軍演習や新ガイドラインの撤回、あるいはやめさせるためにがんばりたい。

日米共同訓練計画

自衛隊
米 軍
演習場
期 間
陸上自衛隊700人
軽歩兵師団480人
滋賀・饗庭野
11月4日−17日
陸上自衛隊800人
海兵連隊800人
新潟・関山
11月3日−15日
海上自衛隊 
不明
宮崎・日向灘
11月下旬?
航空自衛隊
不明
日本北部空域
11月上旬−中旬
               


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