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労働新聞 2022年2月15日号・3面

第4次嘉手納爆音訴訟
3万5千人余が怒りの決起

「静かな夜を返せ」
人間として
当たり前の叫び聞け

 米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)の周辺住民三万五千五百六十六人が一月二十八日、米軍機の騒音で健康を害したとして、夜間・早朝の米軍機の飛行差し止めや騒音被害に対する損害賠償を国に求める「第四次嘉手納爆音訴訟」を那覇地裁沖縄支部に起こした。一九八二年の第一次以降、これまでの三次にわたる裁判ではいずれも損害賠償は認められたが、米軍機の飛行差し止め請求は退けられている。原告数は第三次の約二万二千人を上回り、過去最多。全国各地の基地被害訴訟の中でも最多。
 原告は、騒音の程度を示す「うるささ指数(W値)」が七五以上の区域内に住む沖縄市、宜野湾市、うるま市、嘉手納町、北谷町、読谷村、北中城村、恩納村の〇歳から百六才の住民。嘉手納町在住の原告は町民の半数を超える。
 訴状では、二〇二〇年一月に北谷町砂辺で測定された最大一一六デシベルという爆音で、住民は睡眠障害や難聴などの身体的被害を受けている現状を指摘。世界保健機関(WHO)の基準などに基づき、午後七時から午前七時までの航空機発着やエンジン作動の禁止、日中も含めた一定程度の航空機騒音の禁止、騒音被害の過去・将来分として一人あたり月五万五千円の損害賠償を求めている。請求額は現時点の過去分だけで計約九百十七億円。
 これまで、米軍機の飛行の差し止め請求は「基地の管理・運営権は米国に委ねられ、国は米軍機の運航を規制、制限できる立場にない」などとする「第三者行為論」によって棄却されている。そのため、第四次訴訟の原告・弁護団は第三次普天間爆音訴訟(二〇年提訴)の原告・弁護団とともに、五月にも国を相手に行政訴訟を起こす予定だ。
 新川秀清原告団長(元沖縄市長)に訴訟に込めた思いなどを聞いた(文責・編集部)。
 また二月八日、在沖米海兵隊は那覇軍港でオスプレイや大型ヘリを使用した訓練を強行した。これに対して「オール沖縄会議」は十日、岸田首相やバイデン米大統領に抗議文を発出した。その抗議文を紹介する。


復帰50年でも変わらぬ状況に目を向けて
第4次嘉手納爆音訴訟原告団 新川秀清団長(元沖縄市長)

 私たちは一九八二年の第一次訴から四十年にわたり、この訴訟を闘っている。嘉手納基地をめぐっては米軍機による爆音に限らず、基地周辺の飲料水が汚染されているなどいろいろなことが起きている。
 四十年前に先輩たちが立ち上げたこの訴訟だが、「せめて夜ぐらい寝かせてほしい」という人間としてごく当たり前の思いが込められている。日米地位協定でも、米軍機の訓練飛行も制限できず、たとえ日米間で一時的に夜間の飛行禁止が「合意」されても、米側の都合でどうにでもなるというのが実態だ。
 一次、二次、三次と訴訟を重ねるなかで、米国に対して手も足も出ないような国の姿勢に怒りは高まるばかりだ。だから、嘉手納町では町民の二人に一人が原告になっている。二次のときは三人に一人だった。約半数の住民が原告に加わったということはいかに町民が怒り心頭であるということが分かる。
 「世界一危険な基地」と言われている普天間基地の返還が日米間で合意されているが、嘉手納基地も普天間同様に住民が生活している地域のど真ん中にある。そして忘れてはいけないのは、この民間地にいちばん最初に基地をつくったのは旧日本軍だ。旧日本軍は読谷や本部町、そして西原や中城にも飛行場をつくった。そうやって。「本土防衛」を目的に沖縄を要塞化していったという事実だ。そして、沖縄戦が終結後、代わって米軍が「銃剣とブルドーザー」とよく言われるように強制的に収用した。こうした歴史的事実を忘れてはいけないと思う。
 今年は沖縄の「本土復帰」から五十周年を迎えるが、まさに政治が問われていると思う。本土の皆さんは七十七年前の沖縄戦、そして米軍による二十七年間にわたる支配、それから復帰して五十年、これだけの犠牲や基地を押しつけられ続けている沖縄のこの現状をもっと理解してほしいと思う。そして現在、宮古や八重山、与那国などが、自衛隊の増強で要塞化されているということまで起きている。あの四人に一人が犠牲になった沖縄戦を経て、「本土復帰」によって沖縄に何をもたらされたのかということを問いたい。

若い世代が原告に
 今回の原告団には次の沖縄を担っていく若者が多く加わった。子育てをしていて、爆音で子どもの昼寝の時間さえままならない、そして、保育園でも睡眠が妨害される、学校での学びやスポーツ、こういう当たり前のことができないことに憤っている。このままではいけないという若い親たちの思いが今度の訴訟につながっている。  いま私が頭に来るのは被爆地・広島出身である岸田首相などの政治家たちがこうした状況を放置していることだ。本土の人たちにはこうした政治のあり方含めて、足元を見てほしいし、復帰五十年ということに対して、しっかり目を向けていただきたいという思いだ。
沖縄県民を犠牲にした那覇軍港での海兵隊訓練を直ちに中止せよ
 在沖米海兵隊は8〜13日、那覇軍港で海外での人道支援などの訓練をすると報道機関向けに発表した。
 県によると、県、那覇市、沖縄防衛局に米側から訓練の事前通知はなかった。
 玉城デニー知事は8日「県民の不安を増幅させ、さらなる基地負担を強いる」と訓練実施に反発。防衛局も把握していなかったとして「危機管理上も問題」と批判した。城間那覇市長も「軍港への飛来(21年11月オスプレイ)が繰り返されることに強い憤りを感じる」とコメントした。
 県と那覇市が米軍に訓練中止を申し入れたが「施設内の運用について要請は受けない」として拒否された。このため県と那覇市が、訓練中止を米軍に働き掛けるよう沖縄防衛局長と外務省沖縄担当大使に要請したが、防衛局長は「申し入れは難しい」と応じなかった。
 沖縄では陸、海、空に多くの軍事訓練区域があり、人びとのくらしや産業、陸路、海路、空路を使った移動が常に制約され、事故の被害も受けている。その上に民間の空港や港のある市街地に隣接する軍港での訓練が許されれば、県民の命やくらしが日常的に危険に晒される。9日には、オスプレイが2回飛来し、今後夜間や早朝の訓練も想定されている。
 知事や市長の訓練中止の申し入れに「要請は受けない」とした米軍の対応には住民の不安や命の重さを受け止めない軍隊の本質が表れていないだろうか。
 さらに、政府が「訓練中止の申し入れは難しい」と容認すれば、米軍は自治体の要請を聞かないばかりか県民を犠牲にした訓練が許されたと受け止めるだろう。
 米軍基地から派生する事件・事故、基地を通り抜けて市街地に拡散されるオミクロンなどの感染症に県民はどれだけ耐えなければならないのだろうか。
 これ以上の不条理は許されない。以下要請する。


1.日米両政府は沖縄県民を犠牲にした那覇軍港での海兵隊訓練を直ちに中止せよ
2.日米両政府はその責任において基地に起因するさまざまな被害を未然に防ぐこと

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