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労働新聞 2022年1月1日号・10〜11面

日中国交正常化/
沖縄「本土復帰」
2つの50年から考える

沖縄で日中首脳
会談の開催実現を

泉川 友樹・沖縄大学
地域研究所特別研究員

 今年は日本と中国との国交正常化、そして沖縄のいわゆる「本土復帰」からともに五十周年を迎える年にあたる。しかし、日中関係をめぐってわが国政府はバイデン政権の対中包囲網の形成に積極的に呼応するなど、日中関係は正常化以来の冷え込みとなっている。また、その中国の「脅威」があおられ、口実として沖縄における米軍や自衛隊の増強が進められている。こうした状況とこの「二つの五十年」について、沖縄出身で、沖縄国際大学、北京外国語大学研修生を経て、現在沖縄大学地域研究所特別研究員を務める泉川友樹さんに聞いた。聞き手は沖縄県在住で米軍基地と隣り合わせで二児を育てている比嘉結さん(仮名)。<文責・見出しは編集部>


正しかった日中国交正常化ー政治家は緊張緩和へ汗流せ
 比嘉 今年は日中国交正常化五十周年を迎えます。しかし、日中関係はこれまでになく冷え込んでいます。泉川さんの目から現状はどのように映っているでしょうか。

泉川 まず、日本にとって国交正常化したことは良かったに決まっています。この五十年、日中間で戦争は起きていません。国交正常化当時、一九七二年の日中貿易総額は十一億ドル程度でしたが、それが二〇二〇年には三千百七十五億ドル。約三百倍です。人的往来でもコロナ前の一九年には約千二百万人もの人が両国を行き来しました。中国に進出している日本の企業は約三万社にも上ります。
 そして、今や中国は国内総生産(GDP)で世界第二位の経済大国になり、日本も第三位です。日中両国が平和的共存の下、自国の経済発展に注力できた。この成果をしっかりと見るべきです。体制の違う国がお互い手を握って平和的な関係を約五十年続けてきた事実を見れば、この決断は完全に正しかった。
 当時から中国は共産党政権であり政治的にも軍事的にも大国でしたが、体制の違いを超え、お互いの国のため、あるいはアジアや世界のために、日中が手を握ることがプラスになると考えたから両国の政治家は決断したわけです。それが五十年経ったら中国が一方的に変質したかのように判断し、いたずらに脅威をあおるのは冷静な見方とは思えません。
 台湾については、日中国交正常化のときに中国が「台湾は中華人民共和国の一部である」という立場を表明し、日本はそれを「理解し、尊重する」ということになりました。この原則に抵触するような発言を日本の政治家がするのがおかしいのです。国家間の約束であり「価値観」云々の話ではありません。
 歴史的視点でいうと、台湾は日本が戦争で中国人から奪い取ったことのある地域です。日本の敗戦後に当時の中華民国に返還されましたが、その後に内戦が勃発した結果、現在も分断状態が続いています。
 それを話し合いで再び一つにするか、分かれたままでいるかはあくまでかれらに任せるべきであり、米国や日本がとやかくいう話ではありません。台湾を中国人から奪い取った歴史をもつ日本が自分たちの都合や価値観を振りかざし、緊張を高める発言をすることについて中国大陸や台湾の人からはどんなふうに見えているか、よく考えるべきです。絶対に超えてはいけない一線です。

比嘉 安倍元首相や、麻生副総裁など日本の政治家から「台湾有事は日本有事だ」という主旨の発言が止まりません。日本共産党まで北京五輪「外交ボイコット」を求めています。林芳正外相の訪中の是非をめぐっても騒がしいですね。

泉川 本当に「安全保障」というのなら、外交による対話を通じて脅威をなくすことこそ肝心です。
 当たり前ですが、外務省は外交が仕事です。外務大臣が問題を抱える国に出向いて話し合うことは当然です。しかも、中国は隣国です。しかし「行くな」という声があるわけです。それは「外交をするな」ということと同じです。それが日本のプラスになるのでしょうか。林外相は堂々と訪中すればいいのです。一昨年、王毅外相は来日しています。
 尖閣諸島の問題が起きたときも、日中の政府間ルートが厳しくなってなかなか首脳同士が会えない時期がありました。そのときは福田元首相や公明党の山口代表などが中国に行き、習近平国家主席と会って関係改善の地ならしに努力しました。それが二〇一四年のアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議での安倍晋三首相と習主席との日中首脳会談につながりました。こうした行動こそが政治家が本来果たすべき役割のはずです。

沖縄から米中対話のメッセージを
比嘉 本当に日本独自の平和外交が必要ですね。このまま南西諸島の軍事化とか、辺野古への新基地建設などが続き、日中が衝突する事態になれば、真っ先に沖縄県民が犠牲になります。子育て真っ最中の私にとって、子どもたちの命が脅かされるようなことを非常に心配しています。

泉川 中国と米国の対立が先鋭化しています。いまこそ沖縄から日本政府に対中外交の見直しと、米中両国に対話を呼びかける声を発するときです。極論すると、私はバイデン大統領と習主席に沖縄で首脳会談をやってほしいと思っています。
 一九九一年二月に当時のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が会談して冷戦の終わりを告げた舞台はマルタ島でした。沖縄は「東洋のマルタ島」をめざすべきです。このことが沖縄県民の命と安全を守ることになるし、当然日本全体のためにも世界のためにもなる。沖縄県はその実現に向けて声をあげ、行動を起こしてほしい。
 なぜ中国が経済発展を遂げたか。それは平和だったからです。新中国建国後、朝鮮戦争に義勇兵を派遣したり、ベトナム戦争の際、当時の北ベトナムを支援したりしましたが、基本的には中国全体を巻き込むような戦争ではありませんでした。平和的な国際環境下で自国の経済発展にまい進できたのです。米国のように軍産複合体が形成されて、世界中に武器を売りさばくようなことはしていません。
 欧州の列強はかつて植民地をつくり、現地の資源を収奪して発展の基礎をつくりました。米国は大量の黒人を商品として扱い、奴隷として国外から輸入しました。しかし、中国は植民地をもたず、改革開放後は外国の企業に進出してもらい、工場をつくって地元の雇用を創出し、日本や欧米の優れた技術を使って非常に競争力の高い製品をつくり、それが海外で大量に売られて外貨を稼ぎ発展してきました。こうした平和的発展を遂げた中国をもっと評価すべきです。また、中国は自国の政治システムを日本に押し付けてはいません。戦争をしない、自国の政治体制を押し付けない。この二つが守られている限り、「自己主張はちょっと強いけど信頼できるパートナー」として中国と付き合っていけばいいのではないでしょうか。
 新疆ウイグル自治区における「ジェノサイド」「強制労働」などの報道はそれが真実か分かりません。分からないうちに断定することには慎重であるべきです。イラク戦争の時に米国はその口実として「大量破壊兵器がある」といいましたが、実際にはありませんでした。

実現したい習近平首席の沖縄訪問
比嘉 今年は沖縄のいわゆる「本土復帰」から五十年を迎えます。しかし、米軍基地はなくならず、また辺野古につくられようとしている現状などを見ると、手放しで喜べる気持ちにはとてもなりません。

泉川 日中国交正常化、沖縄の「復帰」から共に五十周年ですが、日中両国民とも平和で幸せに暮らしたいという願いは共通です。ところが現在、緊張関係にあって沖縄が軍事要塞化するような事態になっています。
沖縄の人びとが「復帰」を求めたのは米国の統治が嫌で、日本の平和憲法を適用してほしい、米軍基地をなんとかしてほしいという想いからでした。しかし、五十年が経過し、当時沖縄の人たちが望んでいた状況になったかといえば、まだ道半ばです。それどころか逆戻りするような動きさえ見えます。
 こうした状況なのに、この五十年を大々的に祝える気分には私もなれません。むしろこの五十年を総括して、沖縄の人たちが何を望んで復帰したのか、そしていまどれだけ問題が解決できているのか、できていないとすれば今後どうやって解決するのかを考えたいし、本土の人たちにも考えてほしい。
 日中国交正常化も、互いに平和的な関係を築きたいと思って実現したはずです。五十年経とうとする現在、当時の田中角栄首相と周恩来総理が握手したときの志がいまに引き継がれているでしょうか。現在、五十年前の目標と相当距離が出てきているということを冷静に見つめて、当時の原点をどう達成するのかを考えるのが今年の意義だと思います。
 私が提案したいのはお互い五十年なので、習近平国家主席に日本に来ていただき、その際、沖縄で日中首脳会談を開催するというプランです。尖閣諸島問題は日本側から見ればその所在地は沖縄県です。沖縄から日中の首脳が尖閣諸島問題を平和的に解決しようというメッセージを発信すれば大きなインパクトがあるでしょう。米国がいちばん嫌がることだと思いますが(笑)。
 二〇二〇年、コロナ禍がなければ、「桜の花の咲くころ」に習主席が来日する予定でした。それが延期になっているなか、香港やウイグルの問題などがいわれて来日が難しい状態になっています。しかし、日中両国間の約束として進めてきた話なのですから、国交正常化五十周年の今年こそ実現すべきです。実は習主席は福建省で仕事をされていたときに二回、沖縄を訪れています。当時の稲嶺恵一県知事とも会っているので、旧交を温めるいい機会にもなるでしょう。
 二〇一九年四月に玉城デニー県知事が訪中して胡春華副首相に会ったときに、私も同行していました。その際にも中国との協力強化の話題が出ましたし、経済界からも習主席の沖縄訪問を支持する声をたくさん聞いています。習主席の訪問が実現すれば十四億の中国人が沖縄に注目し、沖縄を理解することにつながるわけですから、経済界をはじめ各界の人たちも大いに歓迎するでしょう。私の知る限り、中国との間に多少の不安を抱えている人はいても、ビジネスを止めてしまおうとまで考えている人はほとんどいません。
 日中はすでに相互依存の関係です。私たちの生活を取り巻くあらゆるものが中国製ですよね。もはや切っても切れない仲なのです。

沖縄、日本、そして世界の平和へ力尽くした翁長さん
泉川 故翁長雄志県知事が那覇市長を務めていたとき、台北市長と上海市長との会談を沖縄で実現しようという動きがありました。結局、実現が叶いませんでしたが。沖縄からすれば、中国大陸と台湾との緊張は望ましくありません。そこで那覇から台北、上海にそれぞれ直行便が飛んでいるので、両地の市長を招いて会談してもらおうということでした。翁長さんはゴルバチョフ元ソ連大統領を那覇市制八十周年記念で招聘(しょうへい)したこともあります。
 その翁長さんが知事に就任して最初の外遊先は中国でした。私も同行し、通訳をさせていただきました。中国は李克強首相が面会に応じました。翁長さんはその後も台湾、米国などを相次いで訪問、独自の視点で沖縄、日本、そして世界平和の確保のために汗を流す努力をやってきました。本当に立派な政治家だったと思います。

若い人たちへ−肌で中国の姿知ってもらいたい
比嘉 最後に泉川さんからこれからの未来を担う若者に向けてのメッセージをお願いします。

泉川 世界はかれらのものです。毛沢東は青年に向けて「諸君は午前七〜八時の太陽である」といいました。私はもう午後四時くらいかな(笑)。
 良くも悪くも中国に注目が集まっていますが、メディアだけが中国を知る手段ではありません。日本にはたくさん中国人がいて直接交流もできます。SNSも発達しているので、中国現地の人たちと直接対話もできます。そして、コロナ禍が収束したら是非実際に中国に行って、その目で観て、肌で感じてほしいと思います。
 私が学生だったとき、沖縄国際大学には中国からの留学生がたくさんいました。かれらはバイトしながら、勉強はしっかりするし、親に仕送りしている人もいました。みんな一生懸命でした。そんなかれらの姿に好感をもったのと、大学で学んだ中国語がすごく面白かったのが現在でも中国と関わっている大きな要因です。沖国大で中国語をいちばん真面目に勉強したという自負はあります(笑)。
 当時から「なぜ中国語を学ぶのか」とよく聞かれましたが、私は日常会話もままならないころから「アジアの歴史を塗り替えたいからだ」と答えていました。欧米列強がアジアにやってきたときは、日本も中国もどうやってその圧迫を跳ね返して自国を守るのかで悩んでいました。その後、日本は「脱亜入欧」を提唱して帝国主義に走った結果、中国を侵略するという大きな誤りを犯しましたが、自国やアジアの運命を自分たちで切り拓いていきたいとの初志は日本も中国も同じだったはずです。こうした歴史を振り返ると、アジアの未来を自分たちでつくっていくためには中国と良好な関係を築くのは必須です。だから、私はその基本となる中国語を勉強したのです。
 若者には日本、アジア、そして世界はどうあるべきかを考え、周りからは妄想といわれるくらいの大きな目標をもって、自分の人生を充実させていってほしいですね。

比嘉 私も子供たちを守るため、再び沖縄が戦場になるようなことが決してないよう、平和な沖縄をめざして行動していきたいと思っています。ありがとうございました。
いずみかわ・ゆうき
1979年、沖縄県生まれ。2002年、沖縄国際大学卒。03年、沖縄県人材育成財団の研修生として北京外国語大学に留学。その後、中国語講師などを経て、06年から日中経済交流を促進する民間団体に勤務。習近平、李克強、温家宝ら中国要人との通訳を務める。20年から沖縄大学地域研究所特別研究員。中国語検定1級、中国語通訳案内士の資格を持ち、堪能な中国語を駆使して日中交流の最前線で活動。


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