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労働新聞 2020年5月25日号・5面 国民運動

投稿/育ててくれた
山手の地から


これからもカジノ反対!
できることはすべてやりたい


横浜市・フリーランス
実務翻訳家 伊藤 毅

 戦争の傷痕がまだ残る一九五一年、私は外人墓地のある横浜の山手地区で生まれました。母方の祖父母が戦前から住んでいた所で、庭には樹齢約百年にもなるツツジがあります。父方は、一八五四年(ペリー来航の翌年)生まれの曽祖父が明治中期に信州から横浜に来たので、私はハマっ子四代目です。二十歳から三十五年間は東京で暮らしましたが、八年前に実家に戻り、現在は妻と二人暮らしです。

市に届かぬカジノ反対の声
 日本は過去の経験から賭博を法律で禁止してきたにもかかわらず、安倍政権は「成長戦略の柱」としてカジノを解禁しました。私は「国が民間ギャンブルを認めるなんてあり得ない」と怒り心頭でした。
 私が初めてカジノ反対の意を行政に示したのは二〇一七年夏の市長選で、再選を狙う林市長にメールを送りましたが、市長には届かなかったようです。
 一八年六月に市の「中期四カ年計画18〜21」が公表されたので、すぐにIR(カジノを含む総合型リゾート)に対する意見を送りました。反対するだけでなく、山下ふ頭の開発提案も示しました。
 また、市は一八年十月に「山手地区景観計画」を市民に説明しましたが、その時には港の見える丘公園が「カジノの見える丘公園」に変わることを示す合成写真を作成し、カジノを誘致しないように頼みました。
 しかし、私の要望は無視され続け、とうとうその日が来てしまいました。一九年八月二十二日、林市長が記者会見で「カジノを含むIR誘致」を発表したのです。四日後、私は反対意見を市に送りました。五千六百字に及ぶさまざまな指摘に対し、政策局からの回答は千字程度の常套(じょうとう)句だけで、私の指摘に対する具体的な回答は皆無でした。

一方的「説明」に声挙げる
 次に私はIR市民説明会に狙いを定めました。その場で林市長に質問して、多くの人にカジノの問題を認識してもらおうと考えました。参加者には抽選というハードルがありましたが、運良く私も妻も当選しました。説明会は十二月四日、場所は開港記念会館、会場には職員や警備員が非常に多く、張り詰めた雰囲気でした。
 林市長は三十分の予定時間を超えてしゃべり続け、自分が市長になってからの実績など、IRと無関係なことに多くの時間を割きました。結局、私が提出した三つの質問は司会者に取り上げられず、終わりの時間が来てしまいました。
 このままではいけないと思い、席から立ち上がり「なぜ市民と話しをしないのか」と抗議しました。司会者と言い合いをしている間、林市長は沈黙を続けました。私は市長が「じゃあ質問してください」と言うのを待っていましたが、口を開くことはありませんでした。結局、副市長が仲裁に入り、終わってから話し合うことになりました。
 説明会が終わり、私はステージの前に行きましたが、副市長はすぐに出てきませんでした。職員ともめていると、やっと副市長が出てきました。私が「市民の質問にすべて答えるのが皆さんの仕事」と言ったら、副市長は「この人とは話ができない」と、同じ言葉を繰り返すだけになってしまいました。
 各テレビ局が横浜IRのニュースで「市民が怒っている」と、私の抗議シーンを流してくれました。ただ、テレビ局はあまり追跡取材をしないので、このままでは打ち上げ花火で終わってしまいます。案の定、その後は横浜IRのニュースが沈静化してしまいました。

市民運動にも参加して
 一人での活動の限界を感じていた時、横浜市民の会の事務所が山下町にオープンしました。そこで、個人的なカジノ反対活動を聞いてもらうために、事務所に行きました。これがきっかけで、「カジノ誘致の是非を決める中区民の会」に加入し、受任者募集やニュース会報制作を手伝っています。さらに「18行政区カジノ反対有志の会」にも加入し、公開質問状を市に提出する際に同行したり、メーリングリストを通じてメンバーと情報交換したりしています。
 自分の考えを多くの市民に知ってもらうために、「横浜市がカジノを誘致できない理由と住民投票の必要性」を書きました。同時に、山手地区内の町内会や学校などに、IRによる眺望の悪化や学生たちへの悪影響を訴えましたが、まだ問題への認識を十分に高めることができていません。残念ながら山手地区は一部の住民を除いてIR計画への黙認を貫いています。
 そんな折、「元町商店街のある社長と話す機会をつくったので、いっしょに来ないか」とお誘いがありました。もちろん喜んで参加しました。
 いちばん印象に残ったのは、私が「健全」という言葉を発した時に、社長が私の質問をさえぎり異議を唱えたことでした。私はびっくりしましたが、社長はカジノ賛成派で、横浜IRを金持ちのための施設とみなしていました。元町商店街には知人もいるので、期待して話してみたのですが、説得するまでに至りませんでした。
 新型コロナウイルスの感染拡大で直接請求行動の勢いが衰えつつあります。市はこれを逆手にとって推進を加速させています。まさに反社的手法で、かなり頭に来ています。そんな中、横浜市がIR広報動画を公開したので、私もそれに対抗して「カジノ絶対阻止」という動画をつくり、山手の住宅からIR施設が昼も夜も見えることをツイッターで宣伝しました。

サンズ撤退でも計画推進?
 五月十三日、突然ビックリするニュースが飛び込んできました。ラスベガス・サンズが日本型IRからの撤退を表明したのです。日本の枠組みでは目標達成が困難という理由でした。私はつくった動画や写真といっしょにツイートをサンズに送り、IR設置場所が住宅地に近いこと、林市長が適切な協力者ではないことなどを訴えました。サンズのアデルソン会長には届かないと思いますが、ツイッターの効果に期待しています。
 横浜IRはシンガポールのマリーナベイが手本なので、計画の見直しが必須です。サンズの撤退表明は、コロナ後にはカジノというビジネス・モデルが成り立たないこと、そしてそれに乗っかった日本型IR事業そのものが破綻したことを示していると思います。それでも林市長は計画通り進めるのでしょうか。
 私は十九年間、サラリーマン・エンジニアとして製品を設計・開発しました。製品化には多くの難問にぶつかりました。その解決は自分の能力に比例するため、たくさんの失敗をしましたが、それが自分の力を高めました。ところが、市長や職員を相手にする住民活動はまったく勝手が違います。役所には二つの障害があります。市民の意見を聞かない点、および日本のものづくりを支えた「カイゼン」の意識がない点です。どんな伏魔殿であろうと、私を育ててくれた山手が壊されるのを黙って見ているわけにはいきません。これからもできることはすべてやりたいと思います。


サンズが撤退表明/コロナがカジノ・ビジネスモデルに引導
安倍政権は計画断念を/林市長は誘致撤回せよ


 横浜への進出を狙って世界最大のカジノ資本、米ラスベガス・サンズは5月13日、進出撤退を表明した。
 同社のアデルソン会長はトランプ米大統領の有力な政治資金提供者で、2016年11月のトランプ大統領当選直後から安倍首相に日本への進出を強く「要望」してきた人物だ。安倍官邸にはカジノ利権をあさってきた横浜選出の菅官房長官がいる。同社は昨年8月22日に林市長がカジノ誘致を表明するや、即日大阪からの撤退を表明、横浜に照準を定めて「攻勢」をかけてきていた。
 その最右翼のラスベガス・サンズが撤退を表明したのは、新型コロナウイルスのパンデミックで、マカオ、シンガポール、米国などのカジノ施設が閉鎖・営業停止になり、巨額の損失を出し、壊滅的な打撃を受けたからだ。これは、ひとりサンズの問題にとどまらない。ウイン・リゾートの決算発表では、1日250万ドル(2億7500万円)もの赤字が出たと報告された。年間約8兆円ものカジノ市場で荒稼ぎをするために、過大な投資と株主還元でしのぎを削り、巨額の過剰債務を抱えて自転車操業で回してきたビジネス・モデルが、もはや立ちゆかなくなっているのだ。
 サンズの撤退表明は、コロナ後の世界で、IR型カジノ自体がが存亡の危機に立たされることを示唆している。
 それは同時に、カジノ事業者に1兆円規模の巨大投資をさせることを前提に、「成長戦略の柱」にすると安倍政権がしゃにむに進めてきた日本版IRが破綻したことを意味する。
 「東京新聞」は5月18日の社説で、「コロナ終息の見通しが立たない中、『三密』をつくるカジノへの反対論はいっそう強まっているはずだ。そこに米国企業撤退となれば、計画断念には千載一遇の好機」と、「政権として直ちに計画を断念する」よう主張した。
 しかし、当の林横浜市長は、この期に及んでなお、高まる市民の反対をよそにカジノ誘致に血道をあげている。この時代錯誤の頑迷市長を正すには、さらに保守層を含む広範な各界の力を大きく結集して、闘いによって決着をつける以外ない。そのために心ある人が腹をくくり、団結すべき時が来た。(N)


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