20011015

米国テロ事件 マスコミの論調から

米国「一極集中」に大打撃、終えんか


 米国テロ事件は、世界に大きな衝撃を与えた。ブッシュは、めんつをかけてアフガニスタン攻撃に懸命だが、事件とその後の推移は「米国一極集中」の矛盾をあばき出した。また今後の世界の政治、経済、軍事各方面で激変を生む可能性も秘めている。今回の事件の世界的な背景、経済への影響、世界システムの変貌の予測、また自衛隊派兵問題などについて、参考資料としてマスコミの論調から抜粋してみた。

「富の象徴」に途上国が反発
ニューヨーク州立大(社会学)ウォーラーステイン名誉教授

 米国金融街がテロの対象となったのは、グローバル化した先進国の市場経済や多国籍企業などが、途上国から搾取した富の象徴とみられているからだ。途上国の一部には独裁や貧富の格差拡大で不満がたまり、米国に対する反感が高まっている。
 この傾向は英サッチャーや米レーガン政権などがグローバルな市場経済原理を徹底しようとした八〇年代に加速。米国は九〇年代に資本や人材が一極集中して「一人勝ち」状態になり、世界の貧富の差は広がった。
  その現れがNGO(非政府組織)を中心とした「反グローバリゼーション」のうねりで、今回のテロ攻撃もその一端だ。今後二十年ほどは市場経済に対する怒りや不満、無力感が顕著になり、混乱や事件、社会的不安がさらに増幅されるだろう。
 今は歴史の大きな転換点だ。四百年以上続いた資本主義システムが危機にひんしている。市場経済は世界中の富をごく一部の国に移し、世界が同様に成長できない。貧しい国は貧しいまま、という考えが不満を募らせる。二十五?五十年もすれば明るい展望に満ちた新たなシステムが創生されるだろうが、道のりは険しい。(朝日 九月十六日)


米への一極集中 限界示す
朝日ライフアセットマネジメント常務 高尾義一氏

 同時多発テロで米国の景気はより後退し、世界同時不況の様相が強まってくるだろう。
 これまで米国に流入していた海外からの資金は母国へと回帰するだろう。米国の産業活動が鈍くなって輸出が落ち込み、民間資金が入ってこなくなったときに、国際的な協調がどこまで可能だろうか。米国では産業界に、行き過ぎたドル高の是正を求める声が強いが、主要国はそれを容認する余裕もない。自国の通貨の切り上げとなり、米国に輸出をしにくくなるからだ。
 今回の事件は冷戦後の米国一極集中が限界にきていることを表す象徴的な出来事でもある。グローバルスタンダード(世界標準)は一皮向けば、アメリカンスタンダードでしかなかった。
 昨秋を境に米経済が減速を始めると、その分け前に満足していた最貧国から不満が噴き出している。中東や中央アジアで起きている政治的な反米の動きは、地下水脈で米国への経済的な不満にもつながっている。(朝日 九月十三日)


世界史の深層底流は何か
寺島実郎(三井物産戦略研究所所長)

 冷戦後の世界潮流とされてきた「IT革命」にせよ「グローバリゼーション」にせよ、その発信源は米国である。にもかかわらず、その米国自身がみせるのが自国利害中心主義である。世界の人々の心が暗くなるのも当然である。しかも、この夏、日本がみせた異様なまでの高揚、所謂「小泉ブーム」なるものを冷静に考えるならば、アメリカが発信する価値や潮流を普遍的なものと信じ、「構造改革」という名の下に「アメリカ流の市場主義・競争主義の徹底を図る」という志向であり、世界史の潮流での日本の置かれた位置のズレを痛感せざるをえなかった。

 日本が真の「構造改革」をめざすのであれば、戦後日本の総括と冷戦構造からの脱却を思索し、米国との関係をあるべき姿に近づける覚悟を固めるべきである。その意味において、現在議論されている構造改革は、この国の外交関係の基軸である米国との関係についてあまりにも守旧的であり、国際的視界における問題意識に欠ける。

 百年前の二十世紀の初頭の二十年問と、われわれが生きる二十一世紀初頭の二十年間が持つ意味は奇妙なほど似ている。百年前、日本は日清戦争から日露戦争を経て第一次世界大戦に向かう中で、世界史の潮流は帝国主義・植民地主義による列強の競争の中にあると考え、列強模倣の路線へと傾斜していった。しかし、世界史の深層底流では、民族自決の国民国家の形成が進み、植民地主義の終焉という次代のテ一マが見え始めていた。この時代認識のズレが不幸だった。
 今日、米国が発信するグローバルな市場化という潮流を二十一世紀の普遍的潮流と認識し、米国の語る「民主主義と自由」を唯一の「正義」と信じて日本が進んでいくことが正しいのであろうか。世界史の深層底流は既に新しいテーマを見せ始めているのではないか。(「中央公論」二〇〇一年十一月号)


自衛隊を安易に使うな
元副総理・法相 後藤田正晴

 日米安保は軍事同盟だが、米軍が行動するのほ極東地域を超えたアフガニスタン周辺でしょ。なんで安保条約の対象になるのか。周辺事態法でもインド洋は対象になりえない。自衛隊による支援は、武力行使と一体にならないよう境目を真剣に検討し、その範囲でやれぱいい。
 独立国家には、外からの侵略に抵抗することが自然権として認められている。それを背景に自衛隊が設置され、専守防衛の武力行便が認められた。その基本に立ち返れば、できることに限界があるのは当然のこと。
 米軍基地ばかりか、国会など重要施設を自衛隊が警備するという話も出てきた。治安は基本的に警察の仕事。両者ほまるっきり役割が違う。警察の手に負えなくなったとき、初めて治安出動で自衛隊の力を借りればいい。そうでない限り、国民に直接、銃口を向ける立場に自衛隊員を立たせてはならない。
 自衛隊や軍隊に対する考え方は、最近、おかしくはないか。
 治安出動が下る前に、国内治安にまで自衛隊が出ていくなんて、間違いもはなはだしい。(朝日 九月二十六日)

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