20000725

(村山内閣は)社会党の反安保・反米、国歌・国旗反対を潰して、
国論統一の幅をぐんと広げてくれたことが最大の功績だった

渡邉読売新聞社長、村山元首相を絶賛


 総選挙で、自民党と中間政党との連立による政治支配の限界はますます鮮明になり、支配層は「基本政策を同じくする保守二大政党制」によって危機を乗り切ろうとしている。この「保守二大政党制」の策動を打ち破ることは重要である。改憲論者で有名な渡邉恒雄・読売新聞社社長の著書「回顧録」などは、今後予想される政治再編を見る上で重要であり、以下紹介する。


一発で惚れこんだ村山富市の人柄

 ―一九九四年六月三十日、自社さ連立による村山富市政権が発足します。渡邉さんは村山富市について、どのように思われましたか。
渡邉 僕は、内閣が発足してすぐ村山さんに会ったんだ。あるパーティーでテーブルを囲んで並んで座って、それでいろいろ話をしたんだ。そうしたら相当な魅力のある人物なんだな。僕自身が会って、一発で惚れこんだんだよ。

 ―そのときが初めてだったのですか。
渡邉 ええ。それであんなに率直で正直で、威張らずに、本音をべらべらしゃべる政治家は、なおかつ総理大臣は見たことがなかったんだよ。だから直感的に村山さんは、「彼に惚れる人間がいて、総理大臣になっても不思議のない人だなあ」と思ったね。
 彼は自治労出身で、奥さんはどこか食堂の賄い婦(まかないふ)をなさっていたんでしょう。奥さんの内助の功が非常に大きかった。みんな知っているように彼の大分の家は本当に粗末なんだよ。それほど財産もなく極度に清潔で、ある意味ではキリストみたいな感じがするほどの人物だよ。
 だから、村山さんはイデオロギーではなくて、実生活に根差した組合活動を通じてだんだんのし上がってきた。非常に現実主義で、マルクス主義やレーニン主義もないんじゃないかな。
 だって村山さんのやることを見ていると、例の安保、自衛隊、国歌、国旗など全部容認するんだから。彼はイデオロギーから生まれた社会主義者ではないんだよ。国歌、国旗、自衛隊、安保条約を認めようと認めまいと、国民生活には何も変化ないんだから。「そんなものはどうでもいいじゃないか」と言って踏み越えたのは大したものだよ。
 皮肉に聞こえるけど、それで社会党を完全に潰す役割を担う。つまりマルクス主義政党を完膚なきまでに潰す。これは歴史的にも意味あると思うよ。
 もちろん、社会党には大変なマイナスだったけど、国民全体から見れば、社会主義政党から、非常に現実主義的な、イデオロギーにこだわらない社会党に脱皮させたんだ。

 ―では、渡邉さんはこの政権を支持したのですね。
渡邉 村山さんの人柄から僕はこの内閣を支持した。たしかに、発足当時には反対したけれど、できてみたら、村山さんの個性が非常にいいんだ。でも村山さんは疲れたのか、いやになって辞めちゃったけれどね。

―村山政権下の仕事をどのように評価しますか。
渡邉 よい意味で進歩的内閣で、社会党の反安保・反米、国歌・国旗反対を潰して、国論統一の幅をぐんと広げてくれたことが最大の功績だった。

『渡邉恒雄回顧録』より
インタビュー・構成 
伊藤隆+御厨貴+飯尾潤
中央公論新社 二〇〇〇年一月発行


村山首相の大変身

 「日米安保条約を堅持する」。
 (九四年)四月に旧連立与党と社会党との間で政策協議があったとき、連立側の「安保条約堅持」の主張に対し、久保(社会党)書記長は次のように懇請した。「堅持では社会党はもたない。維持にしてくれ」。
 それが、村山首相によっていともあっさり「堅持」と表明され、社会党内外を驚かせた。そして衆議院の代表質問に対する答弁では、「専守防衛に徹し、自衛のための最小限の実力組織である自衛隊は、憲法で認めるものであると認識する」。初めて「自衛隊合憲」を表明したのである。
 さらに(七月)二十一日参議院本会議での答弁では、「冷戦構造が崩壊したこんにち、非武装中立はその政策的役割を終えたと認識している」。こうして、次々と社会党の基本政策の根本的転換が行われたのだ。
 村山首相の答弁に対し、自民党、新生党などの議員席からは盛大な拍手。…これに反し、社会党議員席は、腕組みして沈黙。拍手する者なし。

『永田町大乱2』より
鈴木棟一
講談社 一九九五年七月発行


関連年表

1992年5月22日  日本新党結成
    12月10日 小沢一郎ら「改革フォーラム21」結成
1993年6月21日 「新党さきがけ」結成
23日 「新生党」結成、羽田孜党首
8月 6日  土井たか子衆議院議長、細川護煕首班指名
1994年 3月 4日 衆院へ小選挙区比例並立制導入の政治改革関連4法案可決
4月28日 羽田内閣発足
6月30日 村山内閣発足
7月18日 村山首相、臨時国会で「日米安保堅持」と発言
20日 村山首相「自衛隊合憲。日の丸は国旗、君が代は国歌」と発言
21日 村山首相「非武装中立は政策的役割を終了」と発言
9月 3日 社会党大会、政策転換を承認
22日 消費税5%へ引き上げ決定
1995年8月29日 ゴラン高原へ自衛隊派遣を閣議決定
12月 8日  村山首相、沖縄の米軍用地強制使用の代理署名拒否で大田沖縄県知事を提訴
1996年 1月 5日 村山首相退陣表明
19日 社会党大会、社会民主党に改称


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