20000615

農村からの通信

政府は国民の食料を守れ

宮城県 升沢 克哲


 いま、農村において農民の悩みは何かと聞けば、まず第一に、後継者が極めて不足していることである。
 農村の青年は、親の農作業をみて後継者にならないと決めている。もう六十歳を超えると農作業もなかなか困難になっているが、誰もたんぼに出ないので、しょうがなく作業をやっている。
 五十〜六十アールの少面積栽培の人は近くの専業農家に依頼して耕作してもらっているが、それもなかなか引き受けてくれる人が少なくなった。引き受けても、委託料を払わなくてはならないし、農機具の修理代が大変で、その分を依頼者の地主が引き受けない。
 七一年から始まったコメの減反政策が引き金になって、急激に後継者が少なくなった。
 最近三カ年は水田面積の三割、全国で八十万ヘクタールも減反し、麦、大豆などの飼料作物などを栽培しなければならなくなった。かつては減反しなければペナルティーといって罰則がかかり、減反しなければ部落の人に迷惑がかかって「村八分」にされる。よほど勇気のある人でなければ、減反に協力させられる。
 また、農協からは金融関係をはじめすべての行事でも圧迫される。したがって、部落単位で減反にやむなく協力させられた。畑作への転換にしても排水がよくなければ畑作で成功しないことは、すでに昭和初期から分かっていた。水はけのよいたんぼだけが麦や大豆の栽培に成功していた。
 第二に米価が安いことだ。
 コメの自由化になってから、米価は実に安くなり、農協や米穀商以外のスーパーなどでも販売が自由になった。そのため販売競争が激しく安値となり、六十キロ当たり二万円から一万五千円台に低迷している。
 コメをつくるには肥料や水利など努力は多いが、現在の低価格では農家の労賃はゼロである。いかに労賃をかけずにコメづくりをするかとなれば、それは大規模化であり機械化である。だが、それは二千万、三千万円もの農機具代がかかり、この借金の返済は容易ではない。
 最近はコメの生産地帯でも野菜、花の栽培が行われている。これには後継者も多い。ただし、品種の鑑定や販売方法も研究しなくては競争に負ける時代だ。
 後継者が不足し、米価が安く、生産努力が多く、年毎に農業の前途は厳しくなる。だが、日本人の主食であるコメを守らなければならない、そのためには、政府の援助が極めて重要である。


Copyright(C) The Workers' Press 1996-2000