20000101


沖縄と連帯し、県内移設阻止の闘い全国で

国の進路めぐる重大な闘い−−県民大会に8千人


 沖縄の普天間基地移設問題は、重大な局面を迎えている。県知事が受け入れを表明し、小渕政権は破格の地域振興策を示して、札束で地元を買収しようとしている。地元の名護と県民は、強く反対し闘っている。全国でこれに呼応し、闘いを広めなければならない。この闘いは、沖縄の問題にとどまらず、わが国の生き方が問われる問題である。米国の東アジア戦略に引き続き従属していくのか、あるいは自主・平和の進路をかち取るのかの課題でもある。安保破棄、米軍基地撤去、県内移設阻止をめざし、全国で、とりわけ労働運動は中心で闘い、全国的なうねりをつくり出そう。昨年末の県民大会の模様と、頑強に闘う地元住民の声を紹介する。


 基地の県内移設に反対する県民会議」主催の「稲嶺知事・岸本市長は名護住民投票の民意を踏みにじるな! 日米両政府による基地の押しつけ反対県民大会」が十二月二十一日、那覇市内で開かれた。
 県民大会には、移設候補地である名護現地住民がかけつけたのをはじめ、悪天候をついて八千人の労働者・市民が参加した。
 この日は、普天間基地移設反対が多数を占めた名護市民投票から二周年に当たる。
 主催者を代表し、佐久川政一共同代表(沖縄大学教授)が「名護市民の、自然を守り、基地に反対する意思は明確だ。政府はサミットへの影響を恐れて年内決着を狙っているが、これは自信のなさの表れだ。私たちは自信をもってがんばろう」と呼びかけた。
 続いて沖縄平和運動センター、那覇軍港の浦添移設に反対する市民の会、基地はいらない平和を求める宜野湾市民の会などが発言、断固闘う決意を表明した。
 かけつけた大田昌秀・前知事は「沖縄の『命どぅ宝』(命が何よりも大切)の心を『金(じん)どぅ宝』に代えさせてはならない。いっしょにがんばる」と述べた。
 名護のヘリ基地反対協議会からは、「稲嶺知事の県内移設表明は、最初から『辺野古ありき』で、県民の誇りとアイデンティティーをカネで売り渡す裏切り行為だ。権力の圧力に屈せず、市民投票の金字塔を守り抜こう」などとするアピールが寄せられた。
 名護市の東恩納琢磨・二見以北十区の会代表代行は「名護住民は、以前から近くのキャンプ・シュワブで発生する事故や事件を経験してきた。人口の少ないところにつくれば、ますます米軍のやりたい放題になる。経済問題ではなく、自分自身の生きる姿勢が問われている。基地をつくって豊かにはなれない。皆さん一人ひとりが自分の問題として闘ってほしい」と切々と訴えた。
 名護高校三年の仲村恭乃さんは「基地があることで戦争に参加することになり、犯罪も増える。安心して生活できる保証はない。本当の豊かさ、平和を考え直すよいチャンス」と訴え、大きな拍手を受けた。
 最後に稲嶺知事、岸本名護市長、日米両政府に要求する決議(別掲)を採択し、県庁前までデモ行進を行った。

名護現地でも7百人が集会

 大会に先立つ十九日には、命を守る会と二見以北十区の会が、名護市内で「久志地域総決起大会」を開催し、約七百人が参加した。
 集会は、住民がそれぞれ、基地反対の思いを訴えるものとなった。
 名護の海岸そばで育ったという輿石安奈氏は、「自然を傷つければ、結局、私たちが傷つくことになる。基地に頼らず、命の自立をしよう」と述べた。
 教員の比嘉清一氏は、「基地を許してしまえば、子供たちに『大人は教育のことも環境のことも考えない』と言われる。隣近所に声をかけ、皆で力を合わせてがんばろう」と呼びかけた。
 名護に隣接する宜野座村から参加した比嘉正二氏(子供の未来を守る松田父母の会会長)は、「基地をつくるおカネがあるなら、困っている人たちのために使うべきだ。村議会が反対決議するよう、働きかける」と表明、大きな拍手を受け、参加者は基地反対の意思を確認した。


普天間基地の名護市への押しつけに反対し、無条件返還を求める決議(要旨)

 稲嶺知事に告ぐ。
 市民・県民に何ら説明することなく、普天間基地の名護市への受け入れを表明した。このことは戦後五十年余、基地の整理・縮小、返還を求める県民の意思に逆行するものであり、到底認められるものではない。
 「基地あるがゆえの被害」は、ときには「いのち」を奪いながら、日々県民に襲いかかり生活を脅かし続けている。MV22オスプレイの配備、最新鋭の設備など新たな基地建設は基地の再編・強化であり、固定化でしかあり得ない。米国防総省の報告でも明らかである。
 このような基地を受け入れることは、歴史に汚点を残すばかりか、県民の「いのち」を踏みにじるものでしかない。
 岸本市長に告ぐ。
 ちょうど二年前の市民投票で名護市民は、建設反対の意思を明確に示した。地方自治法に基づいて行われた市民投票の民意を、市長は決して踏みにじってはならない。市長自ら自治を崩壊させてはならない。二度と市民を分断させることは許されない。
 基地は市民の生活を破壊するものであり、繁栄させるものではない。これまでの実例が示すとおりだ。
 日米両政府に告ぐ。
 この沖縄に、基地を押しつけ続ける沖縄施策に断固抗議する。
 一九四五年の悲惨な沖縄戦では、県民の四人に一人の尊い「いのち」が奪われた。
 そして戦後、平和は訪れることなく、米軍事支配におかれ、土地は奪われ、広大な軍事基地の島となった。二十七年間の米軍支配下で県民の人権は蹂躙(じゅうりん)され続けた。七二年の平和憲法への復帰後は、日米安保条約に逆用され、広大な基地はそのまま残された。
 九六年の県民投票は、県民の圧倒的多数が基地の整理・縮小、そして返還を求めた。それでも政府が押しつけた名護市への普天間基地移設に、九七年の投票で反対の市民意思を示した。
 あれから二年、日米両政府はそれでも名護市へ基地を押しつけるというのか。「地元の頭越しに押しつけない」と言いながら、国の責任を沖縄県や名護市へ押しつけているのではないか。
 私たちは何度でも主張する。これ以上沖縄に基地はいらない。二十一世紀、基地のない平和な沖縄をつくるため、次のことを強く要求する。

一、稲嶺知事は、県民の願いに逆行する基地の県内移設、普天間基地の名護市への移設受け入れを撤回すること。
一、岸本名護市長は、市民投票に示された民意を尊重し、普天間基地の名護市への移設を拒否すること。
一、日米両政府は、普天間基地など基地の県内移設を断念し、無条件返還を行うこと。


現地でも約6割が反対(沖縄タイムスなど調査、12月16日)
現地の訴え

全国で一緒に闘ってほしい
基地の県内移設を許さない県民会議副代表
沖縄平和運動センター議長 崎山 嗣幸氏


 県民会議では、七十万人署名運動や集会など、今年のサミットまでの闘いをどうするかを議論している。
 政府の「経済振興策」は年間百億円、十年間で一千億円になるという。そこで、県民意識と、県内移設に反対する運動のつくり方が焦点になってくるだろう。政府のいろいろなまやかしをどれだけ暴露できるかが課題だ。
 自然破壊もそうだが、基地の使用期間も含め、すべて問題が不透明だ。そういうこともあり、県民も地元の人も、県政に不信感をもっている。
 名護現地での闘いと連携して、県民的な運動を盛り上げよう思っている。長期戦になることも考えられるので、運動の強化のため、県民会議の強化という議論もしているところだ。
 県内移設に反対する署名は三月末までの予定で、ぜひとも七十万人分を集め切りたい。いずれにしてもわれわれの意思を反映させる重要な闘いだ。
 沖縄だけに安保のしわ寄せがされており、基地の過重負担が強いられている。戦後五十年以上が過ぎ、これからも基地の島として、基地のたらい回しを許すことに全国民も責任を感じて連帯していただきたい。
 沖縄だけでなく、全国的な立場から、二十一世紀に基地をなくしていく闘いに、一緒に闘ってほしい。


政府は基地被害を体験せよ
命を守る会相談役
ジュゴンの会代表世話人 嘉陽 宗義氏

 名護市議会は、昨年末に基地移設の促進決議を採択した。市民投票で民意を問われてから、わずか二年しかたっていないのにだ。知事や市長など、首長でも四年の任期で公約を守ることを求められるのに、わずか二年でそれに反するとは、朝令暮改だ。
 私としては、岸本市長が市民が不幸になることを考え、受け入れを表明しないことを強く望みたい。
 もし受け入れとなるなら、沖縄は滅びるし、幸福はない。こんな無理が通れば、道理が引っ込み、どうして生きていけばよいのかと思う。辺野古の海を見て考えるだけで、涙が出てくる。市長は、断固ノーと言ってほしい。
 政府や県は「振興策」というが、住民にとっては「死に行こう策」だ。何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな目にあうのか。基地に賛成する人は、「死」を誘っているようなものだ。
 基地の押しつけは、沖縄県民を百代にわたって二分してしまうことになる。
 政府も、国民も、五十メートルの高度でMV22オスプレイが三日三晩飛ぶことを経験してみれば、議論するまでもなく、自ずから分かるはずだ。この騒音には、人間も牛もニワトリも被害を受けている。そうしてみて、善し悪しを判断してほしい。
 ぜひこの私の気持ちを、全国に伝えてほしい。


命がけで阻止する
二見以北十区の会代表代行 東恩納 琢磨氏

 昨年の十二月十九日、ヘリ基地候補地の団体である二見十区の会と命を守る会の主催で集会を開いた。
 ここでは、危機感の中で地元の人びとがそれぞれの思いを語った。
 候補地になっている名護東海岸は市街地から離れていて、人口も少ない。候補地になったことで「どうにもならない」と沈み込んだり、不安に満ちた雰囲気になったこともあったが、この大会はよい雰囲気の大会となった。一様に、政府の決定や手続きがどうなろうと、命がけで阻止するという思いだ。
 稲嶺知事も防衛施設庁も、あるいは那覇の人も地元に来て、この海を見てほしい。この東海岸は開発から取り残されたところで、多くの自然が残っている。
 これは沖縄の財産であり、世界の宝だ。ここに基地をつくるなど、世界の恥だ。ジュゴンがやってくるこの海を守ることが、日本の誇りにもなるはずだ。
 海を守るということもそうだが、政府は自然と平和という沖縄の「よりどころ」を分かっていない。カネの力で基地をつくらせるというのは屈辱的で、体を張ってでも阻止する。子供たちのためにも、この沖縄の「よりどころ」を示し続けたい。
 二十三日には、地元で団結を深める「御万人(うまんちゅ)まつり」を開いた。これは今後も続けていきたい。
 私自身、高校生のアルバイト時代からこの問題が起こるまで、建築会社で働いていた。公共工事の現場監督になるのが夢だったが、基地をつくるために会社に入ったのではない。そう思って辞めたが、後悔はしていない。
 この問題は日本全国、世界に訴える価値のある問題だ。経済的な利害関係ではなく、生き方の問題として、全国の皆さんに支援をお願いしたい。


本土で学生も運動を
沖縄から考える全国ネットワーク 山城 みどり氏

 私は、普天間基地にほど近い、宜野湾市の普天間第二小学校の出身です。現在、京都の大学に在籍しています。
 昨年十一月に帰省した際に、名護で行われた「怒りの平和行進」に参加しました。
 辺野古漁港近くの「命を守る会」事務所前で行われた集会で、命を守る会の男性が「情勢がどんどん進んでいくことに危機感を抱いております。最近、マスコミ報道に一喜一憂する毎日です」と、今にも泣き出しそうな様子で切々と発言していたのが、強く印象に残りました。日ごろは本土に住んでいる私にも、現地の切迫した感情を理解することができました。
 若者代表として集会で発言した男子高校生、浪人生の二人と話しました。二人には、私が所属している「沖縄から考えるネットワーク」の名刺を渡して、情報交換などをしようと約束しました。
 集会が終わったころ、新聞記者が近づいてきて私にインタビューしてきました。この集会に参加するために本土から帰ってきたと話し、「普天間第二小学校出身で」などと言ったからでしょうか、翌日の「沖縄タイムス」に掲載されました(ヤッタ!)。
 確かに、普天間基地の影響で、宜野湾市を中心に多くの被害があります。でも、被害をほかに移しても解決にはならないと思うのです。
 もちろん、沖縄内部にもいろいろな意見があります。
 久しぶりに同級生などの友人とも話しましたが、「基地問題にはおおいに関心はある」「県内移設は反対」と言う人が多いのには励まされました。「学生は表面的には基地問題に無関心と見られているかもしれないけど、誰かと話したり、いっしょに行動することがないだけで、自分も含めて、関心をもっている学生は多いと思う」という意見があり、まだまだ反対運動が学生にまで広がっていないことも分かります。
 反面、「移設して基地の面積が小さくなれば、被害も減るからよいのでは」という友人もいました。また、「北朝鮮が攻撃してくる→自衛隊では守れない→米軍は必要」という図式で考えている人がいることに驚きました。
 沖縄の現地闘争に参加すると、実に多くの人が問題意識をもっていると感じます。しかし、本土に帰ると、まだまだ関心をもっている人が少ないということが実感されます。この問題は、本土の人も関心をもってくれないと解決しない問題です。
 私は、友人たち皆が関心をもってもらえるよう、地道に京都で活動したいと思います。


沖縄に呼応し闘う
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック代表 上原 成信氏


 関東ブロックでは、県内移設に反対する宣伝活動などを行っている。
 また、命を守る会や二見以北十区の会など、名護では貧しい人びとががんばっている。やはり、物質的にも精神的にもヤマトから支援があるんだと、元気づけてやらなければと思う。
 現地では、ワゴン車がほしいという要望がある。これは宣伝用でもあるし、現地でがんばっている人は年輩者が多いので、座り込み行動などの際の移動に使える。また、インターネットを通じていろいろ自分たちの思いを発信するため、パソコンがほしいという要望もある。これを支援するために、カンパ活動を行っている。
 これに呼応する首都圏での運動だが、新ガイドライン問題以来、一日共闘形式で続けてきた「戦争協力を許さないつどい」の実行委の枠を広げて取り組みたい。具体的には、宗教関係の人たちなどに呼びかけたい。
 また、現地の人びとが上京する際の受け皿などは、引き続き関東ブロックが担う。
 いろいろな政治日程もあるが、引き続き現地に呼応して首都圏で闘うことが重要になっている。


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