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「三池闘争と私」を読んで
闘うエネルギーがここにある

労働者信じることが大切

近藤 勝彦


 「三池闘争と私」―藤沢孝雄さんの闘いの手記を、毎号楽しみに読ませていただきました。闘わなかった組合が、どうやってあのような大闘争を闘えるまで発展していったのか、闘いのようすや、腹をくくった労働者の闘魂など、当時の息吹が力強く伝わってきます。
 藤沢さんと私の出会いは七〇年代の中頃にさかのぼります。当時私が「労働者夜間学校」を開き、労働者の勉強会をやっていたところへ、三池闘争を闘った人たちが出向いてくれ、当時の闘いの経験や教訓について話してくれたのです。私たちの集まりが少数であることもいとわず、闘いの中でどのようにして仲間の信頼を得るようになってきたかなど、心の底から語りかけてもらったことが今でも強い印象として残っています。主婦会の方の話など、特に強烈な印象でした。
 どうしてこうも生き生きと、感動せずにはいられないように語ってくれるのか、その力に圧倒されるばかりだったのです。まさに闘いを通じて、仲間を信頼し、団結を築き上げ、身をもって血のにじむような道をくぐってきた人たちだったからでしょう。
 今回書かれた手記を通じて、「三池闘争」の闘いの教訓を役立てていくことの大切さを感じています。この三池闘争を支えたものは何であったか。藤沢さんの言葉を借りれば「くどいようだが、労働者はすべて闘うエネルギーをもっているものだ、ということを一点の疑いもなく信頼できるかどうかだ」という、この精神にすべて言い尽くされているような気がします。  「活動家といわれた労働者が孤立感に襲われたり、日和見を起こしてきたし、片方では一見グータラにみえる労働者がテコでも動かず闘い始めることはたくさんあるものです」―労働者を信頼する観点が本当に持てるかどうか、このことが分かれ目になっていることを教えられます。
 そしてより根本的には、「労働者は一人になったら本当に弱いものだと、誰よりも当の本人が一番よく知っているし、ましてや細腕一本で生活や家族を支えている労働者が容易に動かないのはむしろ当たり前なのです」―というふうに、同じ働く仲間として共通の感情をもちえているだろうか、どうなのか。このことではないかと思うのです。
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 私は工場の現場で働いていますが、会社の攻撃もさしてなく、みんなはバラバラでズンダレて、シラケきっている、そんな中で絶望の繰り返しだったりです。そして、「何を言おうと反応しないのだから、こいつらが悪いのだ、やむをえない」と開き直っているのが、私の率直な気持ちです。何年職場に通い続けても、闘いのかけらさえない。仕方ない現実が確かにあると思います。ですが、今回の手記を読み、「労働者を信頼する」という点でどうなのか、このことを絶えず問い直していくことの大切さを感じています。
 現在多くの活動家や労働者が、展望を失っています。その半面、リストラによる首切りは強まり、失業者がつぎつぎと出てきている状況です。「三池闘争」のビデオもありますので、これを多くの人びとに見てもらい、語り合いたい。そんな抱負を持ち続けています。実現に向けてがんばっていきたいと思います。 


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