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今は御用組合だが…
目覚める時がきっと来る

職場に少しずつ変化が

電機工場労働者 大野 康雄


 労働新聞に連載されていた「三池闘争と私」を興味深く読みました。私も「炭住」で育ったので、藤沢さんの記事はたいへん身近に感じられました。
 連載記事を読みながら、十数年前に見た「三池闘争」の映画を思い出しました。映画の中では、会社の攻撃に対して「主婦の会」など家族が闘争を支えてきたことや、「炭住」の人びとが助け合いながら生活をしているようすが生き生きと映し出されていました。懐かしさをおぼえ、私の子供の頃を思い出したものです。三池闘争が本格的に闘われていたのは、私は小学校にあがる前のことです。
 高校を卒業して、今の会社に就職しました。「職制をめざしていた」藤沢さんが事件にまきこまれて逮捕され、組合を身近に感じて活動に熱心になり、活動家として変身していくところが、連載の中では一番印象に残っています。
 三池労組は、それまで「眠れる豚」と呼ばれる闘わない組合でしたが、結成七年目に圧倒的多数でスト権を確立しました。
 
本音出せない職場集会

 私たちの組合は御用組合→闘う組合→御用組合へと変遷をたどって、最近では組合活動がどこにあるのか、見つけるのに苦労するありさまです。会社と一体となった組合運営は、その手口も巧妙です。
 組合活動の原点でもある「職場懇談会」がまったく形式的になり、組合員の議論をやりにくいようにしています。以前は職場ごとに弁当を食べながら「職場懇談会」がやられていました。それを工場全体で一カ所の集中食堂方式に変えました。現場から遠い食堂で食事を終えてからの「職場懇談会」は、時間もあまりありません。その上、職場委員が長々と報告し、議論する時間は五分程度となってしまいました。発言中でも、始業ベルが鳴ればそれでおしまいです。
 職場委員もなおざりで、「職場懇談会」の案内も見えにくいロッカーに張り出すだけで、個別に声をかけることはしません。本音が抑え込まれ、会社の言い分ばかりの集まりが低調になるのは当然で、会社もそれを狙っています。
 私が会社に入ったころは、「青年対策部」独自の決起集会が開かれ、二百人近くの青年労働者が構内デモで気勢をあげたり、工場全体でストライキに突入しました。今はその面影もありませんが、闘いの経験は今も私の心に生きています。
 最近の日産のリストラ計画が発表されたときは、昼休みに話題になりました。「企業存続のためにがんばらなければ」と、お決まりの御用組合役員の話でしたが、他方、座間工場から村山工場へ異動された人が今度はどうなるのかと心配する労働者もいます。大企業でつぎつぎと発表されるリストラ攻撃に、職場の受け止め具合も少しずつ変化しています。
 職制をめざしていた労働者が、組合活動に熱心になる―そんな変化を自分の職場でもつくりだせるかもしれない。そんな期待を胸に秘め、厳しい交替勤務を続けています。 


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