朝礼の前に、職場委員のAが突然「今日の昼休みに職場会を開くので、午後の作業の始まる十五分前に集まってください」と言う。また選挙のことでも話すのかな、交通安全のことかななどと考えながら、午前中ずっとラインを流れる車のボディーと取っ組み合いをしていた。
昼には早めに食堂から帰って来たつもりだったが、すでにほとんどの組員が工場の隅っこのミーティング場に集まっており、新聞を広げたり、囲碁をしたり、世間話をしたりして時間の来るのを待っているようだ。職場委員のAはと見れば、皆に背を向けながら組合の「職場討議回答例集」をさかんに読んでいる。同僚のBさんによれば、食堂にも行かず、パンを一個かじっただけで一夜漬けならず、一昼漬けで「勉強」だそうだ。
業績好転しても再要求なし?
皆が集まりだすとAはいきなり組合ニュースを配りだして「ここに書いてあるように、一時金の再要求についての採決をとりますので、賛成か反対かの挙手をしてください」と言う。一同、あっけに取られた。Bさんが「一体何のことだ?」と尋ねると、今度は組合ニュースの棒読みを始めた。
実は、春闘の一時金要求の際、組合は職場の意見を抑えこんで近年にない低額要求をしたのだが、妥結の付帯条件として夏以降に業績が好転した場合は再要求をすることになっていたのである。そして期間工を千三百人も採用するほど小型車の生産と販売が絶好調で、収益も会社の当初見積もりを大幅に上回っている。流れからいけば一時金の再要求は当然とみられていたのだが、今回組合執行部は「再要求はしない!」と決めて、職場にこれを認めよと言ってきたのだ。その理由がふるっている。「業績はまだ回復したとは言い切れない」はまだいいとしても、「当社の業績が良いのは、部品メーカーやお客さまのおかげである。自分たちさえ良ければというのは許されない」「年間協定の重みを労使で再確認するいい機会だ。今回再要求すれば、以降業績が悪化した時には会社からの切り下げ要求を飲まなければならない」と言うのだ。
あきれ返って開いた口がふさがらないとはこのことだ。そもそも、業績の変動によって一時金の額は決まるものだと言ってこの期間に低額回答を押しつけたのは、組合幹部と会社側なのである。また、会社からの不当な切り下げ要求には組合が踏ん張れば跳ね返せることで、そのことで再要求しないとは、組合員と団結して闘う意思をも放棄していることを自ら認めることで、労働組合の存在価値さえ疑われることだ。また、部品メーカーなどに理解が得られないのは下請けいじめで、もうけすぎているからなのである。
資料棒読みのAの説明に、私が補足説明を加えながら真っ先に反論すると、同調してCさん、Dさんがつぎつぎと私を支持する発言をしだした。久しぶりによい雰囲気になったきたなと思っているのもつかの間、前期評議員のHが「ここで何か言ってもどうにもならないし、変なことを言うと人事ににらまれるだけ損をするぞ」と恫喝(どうかつ)をかけてきた。組長や班長の一部からもそうだそうだと言わんばかりのヤジが飛ぶ。
その時、もうすぐ定年退職で職場を去るGさんが「俺はもう定年だから何でも言えるが、会社は今までずっと景気のいい時は景気の悪いときのために賃上げを抑えると言ってきたが、結局景気が悪くなれば出さない。もう組合や会社にだまされたらあかんぞ! この組合は御用組合だ」と言ってのけた。この一喝に一同シーンとした。
時間を気にするAは採決に入ろうとしたが、「反対の人は、その理由を紙に書いて出してもらいますので承知してください」とも言う。頭に来た私は「おい!何で反対意見だけ紙に書かにゃならんのだ。それは反対意見を抑えるための手段じゃないのか。こんなことで民主的な組合と言えるか!」と怒鳴りつけてしまった。しかしAは「上の人に言われたんです」と口をとがらして、モジモジするばかりだ。
採決は、まわりを見回しながら手を挙げて賛成した職制と、前を見て反対の意思表示をした一般作業者とに見事に分かれた。私たちの闘いは続く。
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